第7話 Chrysocolla

 サナコは路地を出てアパートへ戻った。

 タクシーを拾い、男を連れて…。

 タクシーの後部シートで腹を庇いながら、うつむく男をドライバーはいぶかしげにチラチラとルームミラーで見ている。

 ミラー越しにサナコがドライバーをキッと睨むと、ドライバーは慌てて視線を正面に戻す。


 マンションのエレベーターに男を押し込むと、サナコはようやく一息つけたといったふうに大きく深呼吸する。

「すまないな…かくまう様な真似までさせて…放っておいてもらっても構わなかったのに…」

「そう…そういうことは、タクシーに乗る前に言ってほしかったわ…」

 エレベーターにもたれ掛る男を、大して興味ないといった視線で一瞥いちべつして、さも迷惑といった感じで吐き捨てる様に言葉を投げ返す。


「玄関、汚さないでね…できるならシャワーくらい浴びてほしいわ」

「悪意は無いことは解ってもらえるかな…」

 男が靴を脱ぐと、靴下も血に染まっている。

「そこ動かないで…足洗ってからシャワールームへ行ってくれる」

「あぁ…了解した」


 男がシャワーを浴びて出てきて、

「悪気はないんだ…ホント」

 血の付いたバスタオルをサナコに差し出す。

「そうなるわよね…いいわ…傷口見せて」

「ナースプレイか?」

 ピシャンと傷口をサナコが無言で叩く。

 出血は大分収まり、その傷口自体も大して深くはないようだ。

 鋭く切り裂かれたせいで出血量は少なくは無かったようで…スーツのスラックスを持ち上げると、血を吸ったスラックスは思いのほか重かった。


 とりあえず、傷口を消毒して新しいタオルを当てて包帯でキツめに巻いた。

「すまないな…ホント…しかし、さすがというか…いい部屋に住んでいる」

「稼ぎはいいのよ…この顔のおかげでね…」

「はっ…実績が裏付けている自信ってヤツ?嫌味にも聞こえないほどハッキリと言うんだな」

 サナコは無言でウォーターサーバーから水を注いで男に差し出す。

「あーすまない…あっ、俺はタケルだ…」

「そう…そう呼べばいいの?」

「ん…あ、あーそうだな…」

 サナコにとって名前など、個を区別する記号のようなもの…まして他人の名前など興味も無い。

「アンタは?」

「…水晶みあ…」

「みあ…ね…そう呼んでいいか?」

「好きにして…」


(部屋のネームプレートにはSANAKOとなっていた…まさか源氏名で名乗るとはね…警戒されているということか…いや…ならば自宅へは連れてこないか…)

 タケルは部屋に入るとき、ネームプレートを確認していた。


 サナコは別にタケルを警戒していたわけではない…ただ、サナコとは身体の名前であり、戸籍上の呼称。

 水晶みあというのは、自分で付けた名前…『個』を意識した証。

 むしろ、サナコにとって仕事以外で『水晶』《みあ》と名乗るのは、心を許しているのかもしれない…本人は自覚してないが、タケルという得体のしれない男は、なぜかサナコを和ませる雰囲気を醸し出す、不思議な男だった。


 Chrysocolla…『珪孔雀石けいじゃくせきとも呼ばれる。宝飾用品として人気は高いが非常に扱いにくい。石言葉は安心感』

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