A-SIDE 02「いい人仮説」

 道路と歩道の段差のところに腰掛けて、二人で話しこむ。


「それでおばあちゃんは〝いい人〟なので、ぜったいに、こっちに来ていると思うんですよー。なので、おばあちゃんのところにいく途中だったんです」


 彼女は言う。かなりの確信があるように言う。

 まあ。彼女のおばあちゃんなら、そうなんじゃないかなー、とは、思う。


 〝いい人仮説〟――と、そう呼んだのは、いったい誰だったか……。

 「あれ」が起きてから、しばらくが経って――。

 まだ電気とネットが生きていた頃。ネットのあちこちに、わずかに書きこみをしていた人たちのあいだで生まれた仮説だ。

 とあるSF作家の、とある小説に、「身勝手な人たちだけしかいなくなった世界」の出てくる話があったという。いま起きている状況は、まったく、それの逆なのではないかと。


 たしかに、「あれ」の起きたあとで、ネットで見かけた人たちは、いい人たちばかりだった。煽りもなければ荒しも起きない。議論も建設的に進んでいた。


 もしも、その仮説が正しいのだとしたら、いま、この世界にいる人たちは、みな、「いい人」ばかりだということになる。

 目の前にいるミツキちゃんも、だいぶ――いや、かなり、おっとりとしていて、優しそうで、よく気がついて――いい子っぽい。

 自分なんかが、その「いい人」に含まれて居いると思うと、なんか、おかしな気がするのだが……。


 あっ……。

 いま気がついた。


 自分が人と普通に話せていることに、いまさらながらに気がついて、ちょっと驚いた。

 たぶん彼女が、傷つけたり、蔑んだり、嫌がらせしたり、損させようとしたり、そういうことを絶対にしないような人だからだ。


「あ。午後ティーないですね」

「え? あ? うん」


 手の中には空になったペットボトル。

 でもよく気がついたなぁ。自分でも気づいていなかったことだった。


「わたし。買います。買います。買います。……はじめてです」

「え? 自販機が?」

「これ。お金入れればいいんですよね」

「え? そうだけど?」


 え? え? え?

 ミツキちゃんは、見た目、女子高生ぐらい。

 それなのに自販機使ったことがないって?


「お金入れましたけど。なんともならないんですけど」

「え? おかしいな?」


 さっきは買えたのに。ここの地区では、まだ電気が通じていて――。


「あー」


 見たみたら、わかった。ランプがついていない。


「電気。止まっちゃったみたいだね」


 むしろ、これまで通じていたのが不思議なくらいだった。

 電気というものが、勝手に作られているわけではなくて、発電所で作られているということは、本を読んで知っている。発電所は人がいなくてもしばらくは動いているのだろうが……。そのうち止まるはずだ。そのタイミングが、ちょうど、ミツキちゃんと話しこんでいた間だったわけだ。


「あー。買えませんかー。そうですかー。残念ですー」


 彼女は言った。

 その残念そうな顔を、なんとかしてあげたくなって――。


「ええと……。なにか道具が……、バールみたいなものでもあれば、自販機、こじあけられないこともないけど」

「だめだめ。壊したらだめですよ」

「そうだよね。……ああ。じゃあ。コンビニでも探そう」


 自販機はこじあけないと中の飲み物を取り出せないが、コンビニであれば、飲み物は棚に並んでいる。


 お金はまだすこしあった。

 例の書き置き式で、なにを買ったか、いくら置いて行くか、それを書いて置けば、もし店の人が帰ってきたとしても、盗んだことにはならない……と思う。

 店の人が帰ってくる可能性は、ものすごーく、低いと思うんだけど。


「いえ。〝じどうはんばいき〟というもので、買ってみたかっただけで……。ボタン押すと、ごろごろん、って、出てくるんですよね? そうですよね?」


 同意を求められた。


「うん。そうだけど」


 なんでそんなことで確認を求められるのか。

 ちょっと困ったけど、とにかく、うなずいた。

 はい。そうです。ごろごろごろんです。


「やってみたかったですー」


 ああ。そっか。

 喉が渇いていたんじゃなくて、自販機を押してみたかったんだっけ。

 しかも自分のでなくて僕のために買おうとしてくれていたんだっけ。


「カズキさん。……いい人ですよね」

「え? え? え? 僕が? なんでどうして?」

「わたしが喉が渇いているって思って、コンビニ行こうって、行ってくれたんですよね?」

「ああ。うん。行かなくてよくなったよね」

「はい。……じゃあコンビニ行きましょう。レッツのゴーです」

「え? え? え? ――ちょっ?」


 なんで「じゃあ」なのか。よくわからないままに、ミツキちゃんのお尻を追いかけるようにして歩いた。

 バイクはキーもつけて置きっ放しで――。しかし、誰も盗むような人がいるはずがない。

 まず人がいない。そして、人がいたとしても、〝いい人〟であるのだから、だいじょうぶ。


    ◇


 ミツキちゃんについてコンビニに行くと、なぜ店に来たのか、その理由がわかった。


 つい先刻まで電気の通っていたコンビニには、まだ大丈夫な食品がいくつかあった。

 お弁当やサンドイッチやおにぎりの類いは、見た目に変化はなかったが……。冷蔵されていたとしても、2週間なので、避けておく。

 チーズとかソーセージとかポテトサラダとか。そういったおつまみの類い。あと菓子パンの類いも、種類によってはOKだった。

 二人の一食分を持って店を出た。計算した値段の合計分を、二人の所持金を足し合わせて払った。

 いや。置いてきた。メモも残して。


「青空のもとでお昼ご飯。素敵ですねー」

「うん」


 この子はきっとどこでも幸せそうにしていられると思う。


「ところで。おばあちゃんの家に行くって行っていたけど……。ここから、どのくらい?」


 彼女にそう聞いてみた。

 夕方くらいに着ける距離ならいいけど。夜になっちゃったら危な……くはないのだろうけど。でも怖いよね。


「うーん。どうなんでしょう?」

「うん?」

「おばあちゃんち、知ってるんだよね?」

「あたりまえですよー」

「どこ?」

「九州です」

「――うえっ!?」


 びっくりした。

 遠すぎた。

 ここは関東のはずれで――東京といっても、地方の人にはバレないぐらいの場所。

 ここから九州なんて――何百キロ、いや、千キロ以上もあるんじゃないのか?


「歩いて行くつもりだったの!?」

「はい。そうですけど?」


 事も無げに、ミツキちゃんはうなずいた。


「2ヶ月くらいで行けるでしょうかー? 3ヶ月? 4ヶ月? 6ヶ月? どのくらいかかる? って、聞かれましてー。考えていたんですけど」


 えーと……。

 言葉に詰まった。

 この子。マジだ。

 べつに考えが浅いわけじゃない。もし徒歩で九州まで行こうとしたら、半年ぐらいはかかるんじゃないかと思う。……いや? 1年? マジでよくわかんない。

 でも「おばあちゃんち」に行くという決意は本物で――。


「せめて自転車とか――」

「乗れないんですよぅ」

「じゃ、じゃあ……。車とかバイクとか……」

「運転できないですし」


 ああ。なるほど。

 わかった。

 だから歩いて行こうと思っているわけだ。

 本気なのだ。それしか方法がないわけで。


 僕は――。悩んだ。

 はたして、言っていいのか? だいぶ悩んで――。

 だけど放っておけないなー、と思ったので、勇気を出して、言ってみた。


「あの……。もし君さえよければ……。なんだけど」

「はい?」

「えっと……。バイクで二人乗りとかで、九州に行くっていうのは……。ああ。ごめん。嫌だったらべつにいいんだ。言ってみただけなんだ。べつに変な意味じゃなくて。でもほら九州ってすごく遠いし」


「バイクで二人乗りですか……?」


 指先を唇にあてて、ミツキちゃんは空を見上げた。


「でも……、カズキさんは、いいんですか? どこかに行かれる用事があるのでは?」

「ああ……。僕は旅をしたかっただけで。目的地はどこでもよかったんだ。ぜんぜん決めてなかったから。だからべつに目的地が九州でもかまわないんだけど……」


 でも……。だめだよね?

 男の子と女の子が二人旅とかって……。

 だからべつにぜんぜんそんな意味で言ったんじゃなくて。

 うわあああ! きっと変なふうに思われたに違いないよ!


「それは……、素敵ですねー」


 え? いいの? ありなの?


 ぱちくりとまばたきを繰り返して、彼女を見た。

 ミツキちゃんは――ニコニコと天使の笑顔で笑っている。


「ふつつか者ですが……。よろしくおねがいします」


 アスファルトの地面の上で正座を決めて、彼女は深々とお辞儀してきた。


「こ、こ、こっ――こっ!」


 僕は言葉がでない。


「こけこっこー?」


「こ! ――こちらこそ! よろしくおねがいしみゃ!」


 噛んだ。


    ◇


 文明崩壊後のバイク旅に、初日から、同行者ができた。

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