B-SIDE 06「ツリ」

 青い空のもと。バイクを走らせる。後ろに女の子(ビッチ)を乗せて。

 どこまでも。どこまでも。どこまでも。


「ねー、あそこの原っぱー、よさそうだよー、芝生、ふかふかだよー」

「………」


 俺は、無視する。


「このあいだレジャーシート取ってきたからー。ちくちくしないよー」


 俺は、激しく無視する。

 後ろから首をぐいぐい絞められているが、激しく、無視だ。


 このあいだ、川っぺりでしたのがよくなかった。

 原っぱを見ると、こいつは欲情するようになった。

 原っぱなんて、道路を走っていると、いくらでもある。そのたびにうるさくてかなわない。

 ビッチの頭の中では、休憩すると「いたす」が同列になっているらしい。どんな配線してやがる。


 俺はバイクを止めると、そう言った。


「だから運転中に首を絞めるのはやめろ。事故ったら、おまえも死ぬぞ」

「いいよ? テッシーとだったら死んであげるよ?」


 ああもうこのクソバカビッチ。犯すぞ。


「降りろ」

「する?」


 前はこう言えば、置いて行かれると思ってビビっていたもんだが、違うほうに勘違いして、目をギラつかせるようになってしまった。


「違う。そこの店だ」

「ここ……、何屋さん?」

「釣具屋だな」

「あっ……、じゃあ、今日? 〝釣り〟……? とかゆーの、するの?」

「ああ」


 俺はうなずいた。

 店の前の川でなにか釣れそうだ。

 フナでもクチボソでもコイでも、なんでも釣れるだろう。


 このあいだのカモでは失敗してしまった。慰めックスをされてしまった。

 もうすこし気配を消す練習しないと、ハンターにはなれないっぽい。カモにまで舐められている始末だ。


 しかし釣りなら少しは経験がある。ボウズってことはあるまい。


 店に入って、ナナにスマホのライトで照らしてもらいながら、道具を物色する。

 釣りの道具は役に立ちそうなので、竿は分割してコンパクトになるやつを選ぶ。2本。

 糸と針と錘と浮き――仕掛け部分については、俺はそんなに詳しいわけでもないし、たいした魚を釣るわけでもないので、適当だ。


 ミルワームはパックの中で世代交代していたが、しぶとく生き抜いていた。サナギと死んだ成虫をよりわけて、うにょこうにょこと動いている幼虫だけを集める。

 練り餌もあったが、生き餌のほうが食いつきがいいだろう。


「うわー……、虫いぃぃ……」


 ナナが顔をしかめている。一メートルは距離を取っている。

 ビッチも虫は苦手だったか。なんだかおかしい。普通の女みたいで。


 川に下りて行って、釣りをする。

 二人で川に向かって座って、竿を並べる。


「なんだか楽しいねー」

「そうか」


 べつに俺は楽しくない。食料調達の実践というか実験というか。趣味で竿をたれるのではなくて、食料にして、食うつもりで釣りをすると、どのくらいの時間で、どのくらい釣れるのかを試してみようと思ったわけだ。


 一日竿を垂れていて、俺とこいつと――、あと、もう一人分くらい獲れれば、まあ充分なわけだが。


 生き餌が苦手なこいつは、練り餌をつかった。粉末を水で練ったものを針先につける。虫が苦手なナナのやつも、「これならできるー♪」と素手でこねていた。それもじつは虫の肉が入ってんだけど。内緒にしておこう。


 俺はミルワームを針先につけて、生きたまま餌で使った。生命力があるので、体の何分の一もあるような、ぶっとい針でぶっさされても、しばらくは生きて、うにょこうにょこと動いている。それが魚の目には、美味しく映る……はず。


「釣れないねー」

「……そうだな」


 ナナが言う。俺が答える。


「ぜんぜん釣れないねー」

「……そうだな」


 ナナが言う。俺が答える。


「ねえどうして釣れないの?」

「……うるさい黙れ。犯すぞ」

「犯してー♪」


 肩を並べて、水面に浮かぶ「浮き」を注視し続ける。

 釣れなくても、こういうふうに一点を見て集中しているのが、俺は好きで――。たまに近所の川や池に釣りに行くことがあった。釣れなくても釣り糸を垂れているだけで楽しい。


 だが今日は食うために釣っているのだから、釣らなければならない。


 ナナのやつが、かふー、と、あくびをした。

 早くも飽きてきたらしい。「おまえにゃ無理だ」と最初に言っておいたのだが、「やる!」と聞かなかったのだ。


「ね。そのままで、いーから――口でシてあげる」

「なぜ、そーなる?」

「暇だし。見てるだけでいいんだったら、デキるし」

「だから、なんで、そーなる?」


 こいつ。暇さえあれば、そっちにいくよなー。ビッチだし。


 俺は浮きを見ていた。じっと見ていた。浮きだけ見ていた。

 釣りを続けている。釣りだけをしている。

 ナナがなにをしているかなんて、俺は、一切関知していない。


 俺は浮きを見ている。ずっと見ている。浮きだけを見ている。


 ……と!


「あっ……、おい! 引いてる! 引いてる!」


 ナナのほうの浮きが、ぴこぴこしている。


「――ふがっ?」


 ナナは口の中がいっぱいで、いま返事できない。


 俺は立てかけたままで放置されてるナナの竿を掴むと、引いた。合わせた。

 ――よし、かかった!


「ご――ごほっ! げほっ! やだ――いきなり! やめ! 喉の奥っ――死んじゃうでしょ!」

「うるさい! ほら! かかった! 釣れてる釣れてる!」

「うそ! ――やだ! これどうすればいいのっ!?」

「ああ! いきなり引くな! 強くやるな! ゆっくりゆっくり! ちょっと魚が疲れるまで待って――、隙をついて上げろ!」


 俺とナナ。一本の竿を二人で握って、魚を釣り上げた。


「やったー! とれたー! でっかーい!」


 ナナはぴょんぴょん飛び跳ねている。いちいち感情表現がオーバーなやつだ。ほんと。もう。バカなビッチめ。


「ねー、このサカナ、なに?」

「コイだな。一尺はあるな」


 三十センチぐらいはある、丸々と太った鯉だった。

 そのままだと泥臭いというが、たしか、コイは食える魚……のはず。


「ねえ! すごい! あたし? すごい?」


 ナナのやつは、ドヤ顔だ。

 なにいってんの? こいつ?


 魚を陸に揚げるのも、完全に飲まれてしまっていた針を外すのも、全部、俺がやった。

 釣り上げるときにも、半分以上、俺が手伝っていたわけだし。こいつはキャーキャー騒いでいただけだし。

 だいたい、魚がかかる前なんて、こいつは釣り竿を完全に手放して、俺の腰まわりで、うずくまっていただけだし。


「おまえ。なんにもやってねーだろ?」

「いや? 忙しかったよ? けっこー、はたらいてたよ? あとズボンの前……、閉じたほうがいいと思うよ?」


 ナナに言われて、俺は現在の状況に気がついた。

 チャックが全開だった。ベルトも開いてる。


「うおぅ!」


    ◇


 そうして釣り糸を垂れていると――。

 二匹目が釣れた。三匹目も。四匹目まで釣れた。


 コイはあれきりだったが、フナとクチボソが二匹釣れて、クチボソ・ブラザーズとなった。バケツのなかで口をぱくぱくさせている。


「ねー、もう夕方だよー。終わりしようよー。行こうよー。カラスも、かー、って、おうち帰ろー、って、鳴いてるよー」

「………」


 俺は無言で返事をした。

 釣り糸を垂らしたままだ。


「ねー、もう暗くなるよー? 見えないよー? 釣れないよー?」

「………」


 俺は無言で返事をした。

 ここでやめられるはずがない。


 四匹釣れたが、釣ったのはすべてナナだった。

 俺は一匹も釣っていない。

 一匹釣るまで、やめられるはずがない。


「ねー、もー、わかったからー。おわりにしよーよー……?」


 バカメ。なにがわかったというのだ。


「暗いとー、あぶないよー」

「………」


 俺はすこし考えた。

 それから竿をしまいはじめる。


 そうだな。暗くなったら危ないな。

 べつに獣が襲ってくるとか、そんなことはないだろうが、足下が見えないとそれだけでも危ない。

 俺だけならまあともかく……。ナナがいる。


 釣り道具一式をしまって、バッグとバケツをそれぞれの手に提げて、土手をのぼってゆく。

 バイクまで歩く最中、長い長いため息がでた。

 自分でもわかるぐらい、肩を落として、しょんぼりと歩いていた。


 あー、カッコわりー。

 釣れなかっただけじゃない。負けを認められずに、こだわっていたほうが、もっと遙かにカッコわりぃ……。

 ナナのほうは、そもそも、勝ったの負けたの、気にしてさえもいないというのに。


 先にバイクのところで待っていたナナのやつが、バイクのシートに半分腰掛けて、俺をまっすぐに見つめていた。

 なにかを考えているような、なにも考えていないような、そんな不思議な目をしている。


 そして彼女は――俺に言う。



「慰めックス……、する?」

「する」


 俺はナナを、バイクのシートの上に押し倒した。

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