A-SIDE 07「シャワー」

「あ。ちょっと止まってもらえますか」


 川沿いを走っていたとき――。

 ミツキちゃんにヘルメット脇でそう言われて、バイクを止めた。


「どうしたの?」

「うーん……」


 ミツキちゃんは遠くを見ている。

 川のほうを眺めている。


「うーん……、やっぱり……だめかなぁ」


 なんか、独り言っぽく、つぶやいている。

 なにが「だめ」なのか、よくわかっていないまま――。

 僕はバイクを止めたまま。ミツキちゃんを後ろに乗せたまま。

 そして、じっと待つ。


「ああ。はい。いいです。すいませんでした。レッツのゴーです」


 ミツキちゃんは前方を指差す。


 トイレかな? ――とか邪推していたけど。

 ごめんなさい。ごめんなさい。変な想像はしていません。……たぶん。


 とるるるるるっと、4ストエンジンの吹け上がりを楽しみながら、走っていると。


「あ。そことかちょっと――」


 と、またミツキちゃんが叫ぶので、僕はまたバイクを止めた。


「なに?」


「んー……」


 ミツキちゃんは遠くを見ている。

 〝ミツキアイ〟がなにを捉えているのか、僕にはわからない。

 なに見てんだろ? ほんとに?


「あー、はい、だめかなー……。すいません。レッツのゴーです」


 なんかがっくりして、ミツキちゃんは言った。

 レッツのゴーと、指差すその手にも、なんだか力がない。


「ええと? どうしたの?」

「え? どうもしませんよ。ないでもないですよ」


 ミツキちゃんは、リアシートの上で、もじもじとやっている。


「ええっと……、あの……、トイレ?」

「え? あっ――いえっ。ちがいます。ちがいます。それなら言います。言えます」


 だよねー。

 ミツキちゃんは〝トイレ〟なら平気で言ってくる。


「じゃあ。言えないことって……なに?」


「え? ええっと……」


 ミツキちゃんは困った顔をしている。


 バイクを止めたまま、前と後ろで会話をしていると、首が不自然な角度になって、筋を違えてしまいそうだったので……。

 バイクを降りることにした。

 ミツキちゃんに先に降りてもらって、サイドスタンドを立てて、バイクを止める。


 二人でヘルメットを脱いで、向かいあう。


「あのー……。どうしても、言わないと……、だめですか?」

「いや。どうしてもだったら、言わなくてもいいけど……。でも。なにかで困っているなら、僕も手伝えるかなー……って、そう思って」


「えーと……、えーと……、えーと……」


 ミツキちゃんは迷っている。てゆうか。困っている。


「ああ。いいよいいよ。無理に言ってごめん。ほんとごめんね」


 僕は空気を読んで鋭敏に察し取った。

 なにかデリケートな話題に踏み込んでしまったみたい?

 ほんとごめん。がさつでごめん。男の子でごめん。


「いえ。あの。無理っていうか。これは私の恥ずかしさの問題でしかないですから……。ちょっと……。ちょっとだけ、待ってください。ちょっとだけ……」


 ミツキちゃんは、すーはー、すーはー、腕を広げて深呼吸を繰り返した。

 なんか僕は、とんでもなく覚悟の必要なことを、ミツキちゃんに要求してしまったようである。


 深呼吸おわり。

 きっ、と、まなじりを決したミツキちゃんは――。


「あのッ――!」

「はいっ」


 僕は直立不動になった。


「あのッ――わたしはっ! わたしことミツキはっ!」


 ミツキちゃんは目をつぶって、大声で叫ぶ。


「たいへん言いにくいことではあるのですが! ――そのつまりっ!」


 手に汗をかいて、僕は聞いている。


「――お風呂に入りたいですっ!」


 え?

 あ?

 ああ。……お風呂。


 ああ。そっか。


 僕はようやく理解した。

 ミツキちゃんと一緒に旅をはじめて、もう数日――。

 僕たちは、ずっと行動を共にしていた。


 引きこ――げふんげふん、選択的自宅学習をしていたときには、お風呂なんて、週に1回くらいだった。

 だから数日風呂に入らなくても、僕はそれで慣れていた。


 でもミツキちゃんは――。

 女の子なわけだし――。

 そりゃ、毎日、お風呂に入りたいよねえ。


 それが数日間も――。


「……そうか。それで河原を見ていたんだ」


 こくこく。ミツキちゃんはうなずいた。


「川の水で水浴び。……は、さすがに寒いよねえ」


 こくこく。


「通り過ぎた街のとこ。煙突が立ってたっけ。あそこお風呂屋さんだったかもしれないのか」


 こくこく。


「ああ……。でも電気も止まっているし水道も止まってるし。お風呂屋さんにいったって、お風呂は入れないか」


 こくこく。


「あー。困ったー」


 僕は腕組みをして考えこんだ。


 ミツキちゃんは、こくこく、こくこく、こくこく……。

 何度も繰り返してうなずている。


 相当困ってたんだなぁ。

 気づかなくて。ほんと。ごめん。


「あのう……。ごめんなさい」


 そう言ったのは、ミツキちゃん。ごめんと言うべきなのは、僕のほうなのに。


「いやいやいや。僕のほうこそごめん。気づかなくて」


「あ。いえ。そうじゃなくて……」


 ミツキちゃんは、右手と左手で、人差し指をくっつけたり放したりしていた。


「あの……、ちょっと……、ニオいませんでした? わたし?」


「え? いやいやいや! そんな! ぜんぜん! むしろいいにおいっていうか!」


「いやー! だめ! だめ! アウトですアウト! それアウトーっ!」


 ミツキちゃんから、ばしばしと叩かれた。

 僕はアウトだった。


    ◇


「すごいすごい! すごいです! カズキさん! あたまいーです!」


 角を回りこんだその向こうで、ミツキちゃんは、大はしゃぎ。


 ここはとあるホームセンターの駐車場。

 僕がミツキちゃんの入浴問題を解決するために必要としたものは、以下の通りだった。


・鍋。

・ガスコンロ。

・おいしい水のペットボトルいっぱい。

・電池で動く携帯シャワー。


 「携帯シャワー」というのは、アウトドア用品だ。

 シャワーの持ち手とホース、それに小さなポンプが繋がった物体。

 ちなみに税込み980円也――。お金はもうないから、例によって書き置き式で拝借した。


 まずお鍋に水を入れて、ガスコンロにかける。

 適温は40度少々。

 そしたら、お鍋の湯のなかに、ポンプを落として、携帯シャワーのスイッチを入れれば――。

 シャワーの先から、適温のお湯が出てくる仕組み。


 ミツキちゃんがシャワーを浴びているあいだ、僕は建物の角をはさんだところで、その音と声を聞いていた。


 もっとずっと離れたところで待っているから、とは、言ったのだ。

 具体的には100メートルぐらいは離れようと考えていたのだ。


 でも不安だし、わからないし、困るし、カズキさんは安心ですし、とか言われて、もう、ほんの1メートルもないようなところで待機することになっていた。

 建物の角をはさんだ、そのすぐ向こうで、ミツキちゃんが服を脱いで、シャワーを浴びて、ぜんぜん不安のカケラもなく、喜んでいる、その嬌声を聞きながら――。


 なんでか、僕は、正座をしていた。

 ここは正座待機すべきだろうとそう思った。


 鍋からホースが出そうになるので、きちんと戻す。

 お湯がそろそろなくなってきたから、もう一個の鍋からお湯を足して、水も足して、ちょうどいい湯加減に戻す。


 シャワーが止まった。

 しばらく、衣擦れの音が聞こえてくる――。

 ミツキちゃんが服を着ている。その音だった。


 なんか心臓がバクバクする。口の中がカラカラだ。


「はい。おわりました。すっごく、気持ちよかったです。ありがとうございます」


 さっぱりした顔のミツキちゃんが、角から現れた。


「じゃあ。はい。――どうぞ」


 ミツキちゃんは手で角の向こうを指し示す。


「え? どうぞって? え? え? え?」


「つぎはカズキさんの番ですよー」


「え? え? え?」


 僕は目をぱちくりとやった。

 僕の番って? なにが?


「お湯は半分残ってますし。カズキさんも、もう何日も、はいってませんよね? ――お風呂」

「あっ。いや。僕はいいから……。へいきだから」

「いいえ。よくありません。はい。どうぞ」


 シャワーを浴びますか? [はい/いいえ]?


 ・

 ・

 ・


 なんていう選択肢は、僕にはなかった。


 ミツキちゃんがそこで待ってる――そのすぐ1メートルもないようなところで、全裸になってシャワーを浴びるのは、すごく緊張した。


 ミツキちゃんのシャワーを待っている間よりも――。

 別な意味で、おおいに緊張した。

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