A-SIDE13「お風呂屋さん?」

 青い空のもと。バイクを走らせる。後ろに天使を乗せて。

 どこまでも。どこまでも。どこまでも。


 エンジン音も軽やかに、僕はバイクを走らせていた。

 瀬戸内海に出て、海沿いをずーっと走っている。

 九州まではまだあるけど、出発してから、もう半分以上は来たことになる。


 後ろにはミツキちゃんが乗っている。運転中にはあまり話せない。大声で怒鳴りあわないとならないので。


 でもミツキちゃんの機嫌ぐらいはわかるようになった。

 ミツキちゃんは、いまご機嫌。聞こえないけど、たぶん、鼻歌なんかを歌っている。


 なんでわかるんだろう?

 体重のかけかただとか、僕の背中への身体の預けかただとか、そんなあたりで、なんとなくわかってきてしまうのだ。


 なにしろ僕とミツキちゃんは、旅の間、始終ずっと、体をくっつけあっているわけで……。言葉をかわさなくたって、伝わってくることは多いわけで……。


 いけない。意識してしまったら、また、背中にあたる感触が気になってきてしまった。

 なにしろ125ccの小さなバイク。どうしても体はくっついてしまうのだ。

 このあいだバイクを選ぶ機会があったけけど。それが理由で、この小さなバイクに乗り続けることに――ちがくて!

 このバイクを選んだのは、愛着があったからだ。ずっと旅を続けてきたこのバイクを、ずっと壊れるまでは乗り続けようと――。ミツキちゃんもそう言ってくれた。


 背中にあたる感触は男の子的にはご褒美なんだけど。

 ミツキちゃんはべつに気にしていないみたい。気にしていないというよりは、本当にまったく、意識していないのかもしれない。なにしろ天使だし。その可能性は充分にありうる。

 僕ひとりが意識してドギマギしていることが、たまに、おかしくなってしまう。


「……~~♪」


 ミツキちゃん。やっぱりなにか歌ってた。

 なんの曲なんだろう。すこしスピードを緩めて、聴いてみようと思った、そのとき――。


 ぐええぇ。


 首。絞められた。


「ミツキちゃんミツキちゃん! ストップ! ストップ!」


 僕はバイクを急停止させた。


「ストップ! 危ないから! キケンが危ないから! だから首絞めるのなしで! てゆうか! なんで首絞めるの!」

「ほら! ほら! カズキさん! あそこ!」


 ミツキちゃんはエキサイトしている。

 ぶんぶん振りたくるその指先は、一か所を決して指し示さないのだけど……。

 なにを指しているのかは、すぐにわかった。


「風呂屋……ヒダリ?」

 大きな看板が道端に出されていて、そこには「風呂屋←」と書かれていた


「え? わたしには、風呂屋ココって読めますけど?」

「まあどっちでもいいんじゃない?」


 僕はバイクのサイドスタンドを立てた。道路脇に止めて、


 なにかの工場のようだ。道路に面して大きく口を開いた工場の入口のところに、ドラム缶が二つ並べてあった。


「これが……、お風呂?」


 そういえば「ドラム缶風呂」というものを聞いたことがあったっけ。

 誰かがそれを作って、ここに設置したに違いない。

 道をゆく人からよく見えるように、ここに置いて――。そして看板も設置して――。

 それでも自分は、見落としそうになっていた。

 ミツキちゃんが気づいて教えて――首を絞めてくれなければ、確実に見落としていただろう。


 自分たち以外の人たちに、ほとんど出会ったことがない。だから街で見かける看板などに目が行かないのだろうと思った。あちこちにある看板は、すべて意味を失っている。ぜんぶ終了した文明のものなのだった。


「使い方の説明書ーっ! 発見しましたー!」


 ミツキちゃんが大きな声で僕を呼ぶ。

 だけどなんで敬礼?


 バインダに入った紙に、「使いかた」と称して、お風呂を沸かすための手順が書かれている。


「えと……。水は……裏に井戸があるのか。でもポンプとか電気で……ああ、発電機あるんだ。でも動かせるかな……ああ、動かしかたも書いてあるんだ」


 なんか。至れり尽くせりである。

 これを書いた人は、たぶん、すごく理知的で頭のいい人だ。

 風呂は薪で沸かすのだけど、火の起こしかたについても、初心者が困るところが、きちんと親切かつわかりやすく書かれている。


 できる気がしてきた。


 ――と、説明書を読みこんでいる僕の脇で、ミツキちゃんが、じーっと期待する目で見つめている。


「ミツキちゃん? お風呂……、入りたい?」


 僕が問いかけると、ミツキちゃんは、ぶんぶんぶん――と、首がちぎれんばかりに、縦に振ってきた。激しく「YES」だ。


    ◇


 〝取説〟があっても、初心者は、けっこう苦労することになった。

 井戸のところに行って、ポンプのスイッチを入れようとしても入らない。あー発電機動かすのが先だったー! と、行ったり戻ったり、行ったり戻ったり。


 薪を燃やすのも大変だった。

 新聞紙から割り箸まで火を大きくすることは、なんとかできたが、そこから大きな薪にどうしても燃え移ってくれない。


 おかしいなー、と思って、〝取説〟をよく見てみれば……。注意事項に「乾いた薪を選ぶこと」と、きちんと書いてあった。

 湿った薪ではなくて、乾いた薪を探してきたら、こんどは簡単に火がついた。


 きちんと書いてあったのに、読んでいたはずなのに、理解していない自分が情けない。


 ドラム缶風呂は二つあったので、二つ並べて沸かした。

 その片方が、そろそろいい湯加減……。手を入れてかき混ぜながら、僕は家のほうに上がっているミツキちゃんを呼んだ。


「ミツキちゃーん!」


 大声で呼んでみること、数回……。

 耳を澄まして待っていると……。

 僕の耳に、遠くのほうから、「はーい」と返事が届いた。


    ◇


「バスタオル! 発見しました!」


 ミツキちゃんは花柄のバスタオルを持って戻ってきた。

 だからなぜ敬礼?


 だけど……。

 僕ら、最近、他人の家の家捜しとか、平気でやれちゃうようになってるよねー。

 たぶん、「人の家」というよりも「廃墟」と認識しているからだろうと思う。

 あちこちを旅して回って、いまのこの世界をしっかりと知って、それでこれまで持っていた「常識」なんかも、ちょっとずつ変わっていっているんだろう。


「あのう……」

「うん? なに?」


 ミツキちゃんが僕を見つめている。僕も見つめ返す。


「お風呂はいりたいです……」

「ああ。うん。入って入って!」


 頑張って沸かしたのだ。ミツキちゃんに入ってもらうために。


「あのぅ……さすがにちょっと……、むこう向いてていただけないと……、無理です……」


 うわぁ!

 僕はマッハで後ろを向いた。

 後ろを向いてから思ったんだけど……。これ、僕! 向こう行ってたほうがよくなくない?

 ……だけど背後からは、衣擦れの音が聞こえてきていて……。

 僕はヘタに動くことができなくなってしまった。

 カチンコチンと、石のように固くなった。


 長い長い時間が経って――実際は何十秒もないんだろうけど。

 ざばー、っていう音が聞こえてきたので、ミツキちゃんがドラム缶風呂にはいったのだとわかった。


「もうこっち向いてもー、いーですよー」


 お許しが出た。

 とはいえ、僕は振り向かず――。振り向いたあとでも、なるべく、直視はしないようにして、おもに地面を見つめて過ごした。


 ミツキちゃんは肩までお湯に浸かっているとはいえ、たぶんハダカで――。

 バスタオルを巻いてお湯に入るとかいう「ルール違反」を犯してくれていれば別だが――。

 ミツキちゃん。へんなところで律儀だしなー。


「湯加減、どう?」

「ばっちりでーす」


 じゃあもう火を消すか。――と思ったが、さっきの、「ざばー」で、とっくに消えていた。


 じゃあ……。ええと……。僕も入るかな。


「カズキさん。一緒に入りましょう」

「えええええーっ!!」

「――えっとあの。そういう意味じゃなくて、ですね? そこにもうひとつあるお風呂。カズキさんのぶんで、いいんですよね?」

「あっ。うん。そう。――そうそう! だよね? だよねっ!? あー……、びっくりしたー……」


 僕はほっと息を吐き出していた。

 いま、すげえビビった。


「じゃ、むこう向いてますからー。どうぞー」

「え?」


 どうぞ……、とか言われて、ミツキちゃんはくるりとむこうを向いた。

 細い首筋とうなじが見えてる。


 僕はその場でナマ脱衣をした。向こうに行って脱いできたかったけど、どうせハダカにタオル一枚で、ここまで戻ってくるんだし……。

 ミツキちゃん。僕が背中向けてるだけで、よく、平然と脱げちゃうよなー。マジ天使すごい。凄すぎる。


 ざばー。


 僕のほうの湯は、ちょっと火であぶりすぎていて、熱めだった。

 だけど熱い風呂は好きなので、このくらいがちょうどいい。


 はー。


 ドラム缶の縁に頭を載せて、空を見る。

 青い空。どこまでも青い。


 人がいなくなってから、空が、ものすごく青くなった気がする。

 青というよりも、たまに「黒い」っていったほうがあってるくらいに、真っ青になることもある。


「あー、いいお天気ー」

「ですねー」

「あー、いいお湯ー」

「ですねー」


 僕の言う言葉に、ミツキちゃんが、いちいち相づちを打ってくれる。

 なんだか楽しくなってきた。


「おーい、おばあさんやー」

「なんですかー、おじいさんやー」


 ミツキおばあちゃん、ノリがいい。


「くっぷぷっぷー」

「ぷっくくぷー」


 変生物語でも返事があった。


「ワ、レ、ワ、レ、ワ、ウ、チュ、ウ、ジン、ダ」

「テ、イ、コ、ウ、ハ、ム、イ、ミ、ダ」


 宇宙侵略語でも応答がきた。


 こんどはなにをしようかなー、と、僕は空を見上げた。

 あまりにも青い空に、なんかもう、どうでもよくなってしまった。


「あー、いい天気だねー」

「いーお天気ですねー」


 はじめに戻ってしまった。


 青い空の元。お風呂に入る。

 ドラム缶風呂。すごいすごい。

 これ考えた人、天才。これ作った人も、天才。


「はー……」


 おじさんくさい声をあげて、ドラム缶の縁に手を回して、くつろいだ。

 ぺちっと、手ぬぐいを頭にのせる。


「はー……」


 ミツキちゃんのほうからもそんな声が聞こえてきたので、手ぬぐい・オン・ザ・ヘッドなのかなー、と思って、横に首を倒すと――。


 うわっ! わわわっ!


 二つのまるい物体が、湯の上に出ていた。

 ミツキちゃんは僕と同じように、ドラム缶の縁に腕を回してくつろいでいる。くーっと、身を反らせて空に向いて……。

 形のよくて、男の子の目を引きつけて離さない、その物体も、お空に向いていて――。


 うわーっ! うわーっ! わわーっ!


 僕はパニックになった。ズビッと前を向いて膝を抱えた。


「おじいさんやー、空がきれいですねー」


 おじいさん。いま大変なんです。

 僕は膝を抱えこんで、小さくなった。

 ぶくぶくと湯の中に沈んだ。


「あっ! 潜水ですかー? わたし、とくいとくい! 得意でーす!」


 ミツキちゃんもぶくぶくと湯の中に沈んだ。


 ……

 ………

 …………。


    ◇


「はー、いいお湯でしたねー」

「う……、うん……、そ、そだね」


 お風呂をあがったミツキちゃんが、畳の上で、くつろいでいる。

 僕は気が気ではなかった。お風呂上がりのミツキちゃんは、肌は上気して、なんだか色っぽい。

 ……じゃなくて。僕がへんなキモチになっているので、そう見えているだけなんだろう。

 きっとそうなんだろうと思う。


 だってしょうがない。

 おっぱ――えとえっと、む、胸の膨らみを見ちゃったんだもの……。

 あんなの見て平然としていられる功夫クンフーは積んでない。

 てゆうか。功夫クンフーってどこで積めるんでしょうかあぁ。


「カズキさん?」

「はいぃぃぃ!」


 僕は裏返った声をあげていた。挙動不審に思われるだろうなぁ。

 もっと普通に。もっと平然と。

 平常心……。平常心……。


 手のひらに、「人」って書いて、飲みこんだ。

 あれ? これって違うおまじないだったっけ?


「おなか。すきません?」

「お台所あるし。ガスはプロパンで、使えるみたいですし。お水もあるし。今夜はなにかちゃんとしたものを作ろうかと思うんですけど。なにがいいですか?」

「え?」


 食事といえば、カップ麺か缶詰ばかりだった。ゆるいけどサバイバル旅行の最中に、そんなにたいしたものは食べられない。


「えと? 白いごはん?」

「はい! 炊きたてのごはん! できますよ?」

「えっとえっと! ――お味噌汁!?」

「できますよー♪」

「じゃあ!? じゃあ!? 野菜!?」

「……ええっと。……それはー」


 あ。調子に乗りすぎた。

 スーパーやコンビニといった店は、あちこちに無人となって存在している。

 食料も豊富に残っている。なにしろ、人がほとんどいなくなってしまったのだ。

 僕たちみたいな人間が、ほんの少し――一説によると一万人に一人とか数人とかそのくらい――だけいるけれど、その人数が必要とするのは、わずかな量にすぎない。

 たぶんいまあちこちに残っている食べ物は、なくなるよりも、食べられなくなるほうが早いはず。


 だけど残されているのは、あくまでも保存のきく食品ばかりで――。

 野菜などの生鮮品は、最初の二週間くらいで、だいたい全滅していた。


「ここ来る途中に、畑、見えましたよねー。歩いても行けるくらいのところに。いろいろあったみたいですから、すこし、いただいてきまーす。自転車お借りして、行ってきまーす」

「え? 畑?」


 たしかに畑はあったが、人がいないのだから、作物も全滅しているのでは?


「おばあちゃんのところで、お手伝いしたこともありますから、だいじょうぶでーす」


 ミツキちゃんがそう言うので、任せることにした。


    ◇


「すごい……」


 ずらり――食卓に並んだものを見て、僕は思わず声を洩らした。


 味噌汁はダイコン。

 カブとキュウリの浅漬けが、すごく美味しそう。

 ほうれん草のおひたしまである。


 そして……、なんと! キャベツの千切りが山盛りだ。


「春キャベツに、まだ無事なのがあってー、よかったですー」


 人がいないのに野菜が残っているのが不思議なので、それを聞くと――。

 露地栽培なら、植えてさえいれば、あとはそれなりに勝手に育つのだそうだ。

 もちろん、収穫量を高く維持するには、人間が面倒をみてやって、手間暇をかけなければならない。でも二人分の夕食なら、無事なところを見繕って持ってきても足りるわけで――。


 ひさびさの野菜を、僕は、ばくばくと食べた。

 あまりご飯をガツガツ食べたことはないのだが――。肉食系ではなくて、草食系を自認している。

 あれ? 草食系なんだから、野菜食べるのは、間違ってないかな?

 なんかもうよくわかんない。


 僕はモリモリと食べた。

 体が野菜を欲しがっていたみたいだ。


    ◇


 夜。寝るときになって――。


 布団が二つ並べて敷いてあって、僕は、びくぅとしてしまった。


「あのえっと? ……ミツキちゃん?」


 公民館などの畳の上で寝ることは多い。でも寝袋を使っている。一人一人、それぞれ違う寝袋だ。

 わりと近くに美少女が寝ていても、違う袋の中なので、わりと平気。安眠できた。


「あ。はい。お布団。換えのシーツもありましたので、せっかくだから、使わせてもらおうかなー、と」


 だけど布団って無防備だよねっ!

 しかも布団、ぴったりとくっつけて敷いてあるし!

 せめて三十センチ! いや五十センチ! いえいえもっと一メートルくらい離して敷いてよ!


 ミツキちゃん意味わかってやっているのかな!

 いやいや……そんなはず、ないよね。


「お、おやすみなさい……です」


 布団に入る。ミツキちゃんも、隣の布団に入る。その音だけを僕は聞いている。


 そして、しばらくすると――。

 ミツキちゃんの手が、僕の布団に侵入してきた。


 ひやああああ!


「あの……、手……」

「……手? はい?」


「手……、手を、繋いでいてくれると……、うれしいかなー……って」


 あ。はい。


 ミツキちゃんは、たまにそれを言ってくる。

 安心して眠れるそうだ。


 ああ。そっか。だから布団をくっつけていたのた。

 僕は、変な妄想を高速増殖させていたことが、恥ずかしくなってしまった。


 手だけを伸ばして、握りあう。


 あー。これって効果あるなー。

 ミツキちゃんだけでなく、僕も安心して眠れた。

 ……ぐう。


    ◇


「ミツキちゃーん! そろそろ出発するよー!」


 バイクのエンジンをかけて、アイドリングで暖気をさせながら、僕はミツキちゃんを呼んだ。

 ミツキちゃんは家のなかで、まだなにかやってる。


 「お風呂屋」は、元通りにしておいた。

 ドラム缶は中の水を捨てて、洗ったし。

 使いかたを書いた「取説」は、わかりやすいところにぶら下げておいたし。

 僕が困ったところには補足を書きこんだし、大事なところは赤で丸をつけておいたし。


 使ったシーツ類はミツキちゃんが洗濯をしていた。電気があると洗濯機が動くので洗濯はすごく簡単だ。文明の利器をのありがたみを痛感する。

 僕らの服なんかも洗濯して、それはバイクにくくりつけてある。走っているとすぐに乾く。バイク旅生活の知恵である。


 シーツが乾くまでは待っていられないので、室内干しで放置してきた。

 次の利用者」が取り込んでくれることを期待する。次にここを使う人が、いつ訪れるかは、よくわからないけど。


「ミツキちゃーん! ――まだーっ?」

「ちょっと待ってくださーい! これ見つけたノートに、いま書いちゃいますからー!」


 ノート? なにを書くの?

 僕はバイクのエンジンを切ると、ミツキちゃんのところに行った。


 ミツキちゃんが、ちゃぶ台の上で書きこみしているのは――一冊のノート。

 「めっせぇじのーと♡」とか書いてある。


 ああ。なるほど。

 ここをこれから利用する人に向けて、なにか書いて残しておくわけか。


「カズキさんと、一緒にお風呂入って、とても嬉しかったです。このお風呂を作ってくれて、ありがとうございます」


 内容を口に出してつぶやきながら、ミツキちゃんは、書き書き。


「ちょちょちょ。ミツキちゃん」

「なんでしょう?」

「そ、その……、〝一緒〟っていうところね? 語弊があるよね? そこ消しとこうね?」

「消せませんよ? ボールペンですから」

「うわあああああ」

「カズキさん?」

「じゃあせめてフォローしといて! べつべつに入ったとか二つ使ったとかっ!」

「えー? はい。ええと……。カズキさんが言うので、べつべつに入ったってことも、書いときます。マル」


 うわあああ。なんか恥の上塗りくさいんですけどー。

 ま……、まあ、誰も読まないという可能性もあるわけだし。読んだ人と出会うこともないだろうし……。

 だ……、だいじょうぶかなっ?


 パニックから立ち直ってきたところで、僕は、大事なことに気がついた。


「あれ? そのノートって、ミツキちゃんが作ったんじゃないよね?」


 表紙に「♡」とか書いてあるのだから、別の人の作ったものだと思った。

 ミツキちゃんのノリとちょっと違う。


「ええ。ここに置いてありましたー。昨日、気づいていれば、たくさん書けたんですけど。見つけたのさっきなので、ちょっとだけー」

「前のほう。何人くらい書いてる?」


 ミツキちゃんはページを戻す。


「ええと……、いっぱい書いてありますけど。一人……一組だけみたいですねー」

「あっ! じゃあその人たち。ここのお風呂屋作った人たちなんじゃない?」

「あっ。そうかもですねー。そうです。きっとそうですよー」


「どんなこと書いてあるの?」


 僕はミツキちゃんにそう聞いた。たくさん書いてあるということだから、これまでの旅のことだとかが、さぞかし――。


「えっと……、のろけ?」

「はい?」


 あんまり役に立たないっぽい。そういやミツキちゃんも、せっせと熱心に書きこんでいた内容は、のろ……じゃなくて、どーでもいいことだったし。


「あ。地図書いてあります。すごいすごい。上手ですー」


 ミツキちゃんがノートに地図を発見した。

 日本地図だ。

 九州から北海道まで線が続いている。

 線は二色になっていて、

 九州のはずれから本州に入ったところまでは赤い線。そこからは青い線になって、北海道まで続いている。


「これ。これまで来たコースと、これから行く予定のコースかな?」

「そうかもしれないですねー」

「どっちだろう? 赤が予定のルート? 青が予定ルート?」


 僕は悩んだ。書いといてくれればいいのに。

 ただ日本地図があって、二色の線で塗り分けてあるだけ。

 日本地図はずいぶん精巧なんだけど……。


「青じゃないですかー?」

「なんで?」

「青のほうが、ミライー、って感じがしません?」

「うーん……?」


 ミツキちゃんの言うことは、正直、わからない。

 ミツキちゃんはちょっと不思議な感性を持っている女の子だった。


「じゃあ青が予定線だとして……、あー、僕たちとちがう道だ。国道のほう行ってるのかー。だから逢わなかったのかなー……」


 何日前にここを立ったのか、それがわかれば……。


「あっ……。このノート。書かれたの、何月何日とか、書いてあった?」

「えーと、どこかにありましたー」


 日付が見つかる。

 ……が、しかし。


「……今日って、何月何日だったっけ?」

「えーと……、しりません……」


 ミツキちゃんと、二人、顔を見合わせて……半笑いを浮かべた。

 今日が何月何日なのか、まるでわかんない。


「あっ! スマホみればわかるかもー!」


 ミツキちゃんがスマホを取り出した。


「まだ持ってたの……? スマホ?」


 計算機かライトぐらいにしか役に立たない。充電も面倒で、前文明のお荷物である。今回は「時計」の役にも立つとわかったけど……。数日ごとに乾電池数本って無駄すぎる……。


「はい。日記つけてます。ヒミツの日記ですー」

「えっ……? ど、どんなこと書いてるの?」

「ヒミツですー」


 だよねー。ヒミツだよねー。


 ヒミツのスマホのおかけで、今日が何日か判明した。

 あらら。梅雨までカウントダウンなのか。梅雨にはいったらバイクの移動は大変だな。雨具探さなきゃ。ホームセンターにあるような汎用品じゃなくて、バイク用品の専門店にあるような、しっかりしたレインウェアでないと。


「あれ? じゃあ、まだ、そんなに経っていないんじゃない?」

「そうですねえ。3日前ですねえ」


「じゃあ、追いかければ……、追いつくかも? どこのルートを通るのかは、わかるんだし……」


 向こうは国道派らしい。国道だったら、ほとんど、一本道だ。

 地図と線が精確なので、どの国道かもわかる。国道2号だ。


「あっ――、でも九州いかなきゃ――」


 ミツキちゃんの目的地を思い出す。


「ああ。いいですよー。急ぐ旅ではないですしー。わたしも、お風呂のことで、お礼、言いたいですしー」

「あっ。うん。そうだね」


 お礼はともかく、自分たち以外の旅人に会ってみたいと思った。


「どんな人たちでしょうか。楽しみですねー」

「うん。そうだね」


 ニコニコ満面の笑顔のミツキちゃんに、僕はそう答えた。

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