A-SIDE12「海」

「うーみー!」


 うわぁ。びっくりした。

 海沿いの道に出て、青い海が見えた瞬間、耳許でミツキちゃんが叫んだからだった。


 あれ? 海? そんなに騒ぐところ? これまでに、海って……通ってなかったっけ?

 そういえば、ずっと内陸を移動していた気がする。


 このあたりからは、そろそろ、瀬戸内に入る。

 道はしばらく海沿いを走る。

 バイクの後ろで、ミツキちゃんはご機嫌だった。


 そのうち、歌まで歌いはじめた。


 道についてはあまり相談したことはなかった。ミツキちゃんに地図を渡すと、くるくる回しつづけて、うーん、うーんと、うなってばかり。北を上にするんだよ、と、教えてあげるのだが、自分の向いてる方向を上にしないとだめみたい。

 スマホの地図は、コンパスマークに触れるとそういうモードになっていたけど。ヘッドアップモードとかいうらしいけど。なるほど。あれはミツキちゃん用だったわけか。

 僕なんかは、逆に、北が上になってくれていないと、混乱する。


 こんなに喜んでくれるなら、もうすこし相談して、ルートを二人で決めればよかったかな。

 勝手に決めてて、悪いことしちゃってたかなー?


「ね! カズキさん! 海って――もう、泳げますかね!?」

「え? えーっ?」


 僕はとりあえずバイクを止めた。

 水平線まで続く海を見る。

 海は穏やか。天気はぽかぽか。


 バイクで走っているときは、わりと薄着。止まっていると風もなくなるので、むしろ暑いくらい。

 たしかに最近、暖かくなってきた。


 今日が何月何日なのか、ということを考えようとして、まったくわからないことに気がついた。

 カレンダーなんて見ない。日付なんて気にするはずもない。


 もういっぺん海を見る。

 まあ……。膝くらいまでつかるだけなら? でも全身はどうだろう? だいたい水着なんてないし。

 水遊びだけでも楽しそう。


 べつに急ぐ旅でもなんでもない。

 よし決めた。

 今日は海で遊ぶ日ー! ミツキちゃんのためにー!

 てゆうか。僕も遊びたい。


「砂浜。降りれるところ探すね」

「はーい!」


 ミツキちゃんの元気な声が後ろから響いた。


    ◇


「わー、わー、足の下の、砂が砂が砂がっ、わー、わー、わー」


 あー。うん。足元の砂ね。あるよねー。

 波打ち際に立つと、なるよねー。

 波が引いてゆくときに、足元の砂が持っていかれて、なんか、さわさわ、ざわざわ、へんなカンジだよねー。


 僕はミツキちゃんの声を背中で聞きながら、どうやってバイクを駐車するかで知恵を絞っているところだった。


 なにせ、地面が砂だ。

 そのままではサイドスタンドが沈んでしまう。バイクが転倒しちゃう。

 なら倒したままで置いておけばいいっていう話もあるんだけど……。

 バイクを横倒しにしておくと、ガソリンが洩れたりして、割とあぶないのだった。


 どうしたらいいんだろう……? どうすればいいのかなぁ……?


 ああっ! そっか! サイドスタンドの下りるところに、石でも置けばいいんだー!

 よし! 解決ーっ!!


「ほらみて! ミツキちゃん! 立ったよー」


 ――と、僕は振り返って、ミツキちゃんに言った。


 が……。しかし……。


 いませんでした。ミツキちゃん。


 ずいぶん遠くのほうで、ずいぶん小さく見えてるミツキちゃんがいた。


「……! ~~……!」


 僕に向けてなにかを叫んでる。でもぜんぜん聞こえません。


 ミツキちゃんは僕のところに走って戻ってきた。

 腕をぶんぶんと振り回して、ぴょんぴょん飛びはねて、そしてまた元の遠さまで、走って戻っていってしまって――。


「……! ~~……!」


 また、なにかを叫んでる。だから、聞こえません。


 僕は笑いながら、ゆっくりと歩いていった。


「わたし! 海見るのはじめてでっ!」


 興奮した顔のミツキちゃんが、そう言っている。

 え。そうなんだ。


 ああ。まあ。海水浴とか。そういうのに行ったことがなければ、はじめてなこともあるかもしれない。


「おおお! 泳いでもいいでしょうかっ!」

「えっ?」


 僕がきょとんとしていると、ミツキちゃんは、その場でくるんとブラウスを脱いで、つづく一呼吸でもって、ホットパンツまで、くるんと、ひとまとめに――。


 そのあたりで僕は、ずびっと背中を向けていたので、そこから先は見ていない。

 みみみ、見ていない。ほんのちょっとしか見ていない。下着の白かったのが目の網膜にちょっと焼き付いていて――ただそれだけ!


 見ていません!


「つべたーい! つべたいでーす!」


 そらね。つめたいかもね。

 いまってたぶん、五月の終わりか、六月の頭ぐらいだしね。

 まだちょっと海水浴には早いだろう。


「でもきもちいーです! 泳げます! 泳げます! 泳いでますっ!」


 ばしばしゃ。背中を向けた海のほうから、音が聞こえる。

 泳いでいるっぽい。


 僕は背中を向けたまま、ちょっとずつ後ろに移動した。

 ミツキちゃんの脱ぎ散らかした服が、前だけ見ている視界の下のほうに、ようやく入ってきた。


 ブラウスにホットパンツ。下着も、二つ――。


 うわあぁぁ……。ミツキちゃん……。いま全裸ですかっ?


 ミツキちゃんは、なにかに夢中になると、ハイになって、まわりが見えなくなってしまう子。

 しかし、ここまで天使だとは思わなかった。


 えっ? ……いやでも? まさか? これほんとに素なのかな?

 あの。僕ひょっとして……。試されています?

 あの。ひょっとして……。ミツキちゃんは?

 これはいわゆる、ひとつの、あの……。「その火を越えてこい」とか、そーゆーカンジ?


「カズキさんも! 泳ぎませんか! 泳ぎましょう! 泳ぎましょう! 泳ぐとき! 泳ぐなら!」


 泳ぐ五段活用きた。


「いやでもあのちょっ……、は、裸になるとか……、僕には無理ぽ……、無理だからっ……」


 しどろもどろになって、僕はそう言った。無理です。


「え? はだか? ……って? えっ!?」


 背後からは、ミツキちゃんの驚いたような声。


「きゃ……! きゃーっ!? はだか! ハダカ!? はだかですよぅ!?」


 うんそうだよ。

 自分で脱いで、いま、ダーッて、海に飛びこんで――。

 てゆうか。気づいてなかったの。そうなの。そうか。そうだよね。


 マジ天使は、やっぱり、マジ天使だった……。

 まさか本当に素でやってた。天然だった。

 誘ってたとか、試してたとか、そんなんじゃなかった……。


 僕は……。

 ちょっとほっとしたような、ちょっと残念だったような。

 飛び越えてゆく勇気は、どうせ、なかったんだけどね。

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