B-SIDE 02 「ほっかいどー、へ、ごー」
走り出して、しばらくは無言だった。
北海道――への道は知らんけど。
とりあえず、当面は、本州に向かえば間違いない。北へ北へ――正確には、北東、北東、へと進んでいけば、自動的に着く。
バックミラーで見てみると、あいつは、髪をなびかせて気持ちよさそうにしていた。
上機嫌でなにか歌っているようだが……。ぜんぜん聞こえやしない。風の音でかき消されてしまう。
「おまえさー!」
「なーにー!」
後ろに向けて怒鳴る。怒鳴り声が返ってくる。
「なんで北海道に行きたいんだー!」
「でっかいどー!」
またかよ。アホ女。
さっきも言ってたよ。それ。
それが答えなのかよ。ファイナル・アンサーかよ。意味わかんねえよ。
まあ。理由なんて、〝行ってみたいから〟――くらいで、充分か。
青空の先へと続く道を、バイクを走らせながら、俺は考える。
俺たちを縛っていた〝しがらみ〟は消えた。
なにをしてもいいのだ。
北海道に行ってみたかったから北海道に行った。――で、かまわない。
ある日、突然、文明は終了した。
具体的には、人がおそろしく減った。
〝その瞬間〟を実際に目撃していた連中は、「しゅぽっ」と音がして、人が突然消失したように見えたという。
道路のあちこちでぶつかっている車は、その名残り。
走行中に運転手が突然消えたら、車は勝手に走って行って、なるようになる。
半分くらいの車はおとなしく止まっている。
高めの車には、衝突回避の自動ブレーキがついているから、べつに不思議はない。
道路のあちこちを車が障害物と化して塞いでいるので、旅をするにはバイクのほうが都合がよい。
俺がバイクを選んだことには、そうした理由もある。
もちろん「乗ってみたかった」というのが、いちばん大きな理由だが……。
〝あれ〟が起きてからも、ネットはしばらく動いていた。電気とネットは数日は通じていた。
その数日間は、スマホを眺めて情報収集を行った。
頭のいい連中が、いろいろと考えて、いろいろと話しこんでいた。
そこに出てきた仮説で、「いい人仮説」というものがあった。
と、それが「いい人仮説」というものだが――。
俺は、その仮説にはいくつか問題点があると考えている。
一つ。俺は自分が「いい人」であるとは思えない。どっちかっていえば「ワル」の側だろう。
そして二つめ。仮になんらかの理由で俺たちが選別されたのだとする。だが〝取り残された〟のが俺たちだという解釈で、それは合っているのか?
俺たちのほうが〝連れてこられた〟のではないのか?
俺たち以外を、連れて行く(あるいは消す)より、俺たちだけを連れて行ったほうが、どう考えたって合理的だ。
俺たちのほうが、それ以外に比べて、圧倒的に少ないのだ。連れてきた方法が輸送なのか転送なのか、それ以外のSF的な方法なのかは、わからないが……。連れて行く人数が少ないほうが簡単なはずだ。
俺たちみたいな人間が、世界で何人いるのかは、わからない。
すくなくとも、ここに二人は存在している。
俺が現実に出会った人間は、二人きりだが……。止まるまで動いていたネットの中では、何人か何十人かのIDとコテハンとが見えていた。
俺たちが連れてこられたのだとして――。
俺たち以外の「世界」のほうは、たぶん、〝コピー〟されたんじゃないかと思う。
世界を二つに複製して、〝俺たちだけ〟がいる世界と、〝俺たち以外〟とがいる世界とに、分割したのだ。
きっと〝向こう〟では、俺たちだけが消失して、集団消失事件とかで、大騒ぎとなっているはずだ。
それに比べて〝こちら〟は静かなものだった。
「いい人仮説」には穴があると思っているが(俺がその反証だ)、騒いだりパニックになったりヒステリー起こしたりするタイプの人間は、少ないようだ。
後ろに乗せている女も、アホでビッチくさいが、肝は据わっている。
ハミングしてやがる。いますこし風に乗って聞こえてきた。
――まったく上機嫌なもんだな。
俺はすこし速度を落とした。女の歌声がすこし聞こえるようになる。
俺は考えに戻った。
〝何者〟が、それやったのか?
――しらん。考えるだけ意味のないことだと思う。人間とは力が違いすぎる。アリと人間ぐらいの差がある。人間がなにを考えているか、アリにわかるはずもない。
ああ。まさに「アリの飼育」なのかもしれないな。アリを二種類に分けて、巣も二つ用意したのかも。
◇
「おっと」
「きゃっ」
俺が急ブレーキをかけたものだから、リアシートから「おっぱい」が降ってきた。
背中に押し当てられる二つの感触は鮮烈で――。意識がそっちに行ってしまいかねない。あぶない。
俺はよろけながら、なんとかバイクを停止させた。
「なに? どしたの? なんかあった? ゾンビでもいた?」
「いやゾンビいねえし」
この女の言うことは、いちいち変だ。
ああ。まあ。文明崩壊とゾンビは、相性、よさげだが――。
しかしゾンビはいねえな。見たことねえな。
青空がどこまでも続く、平和で幸せで、祝福された世界があるだけだ。
「ねー。なんで止まったのー?」
「ほら。ホムセンだ」
「ほむせん?」
「ホームセンター」
「ここ、なに売ってるお店?」
ほんとアホだな。この女。
「だいたいなんでも売ってる」
「クジラとか?」
「ハァ?」
どこからそんな突拍子もない発想が出てくるのやら。
◇
バイクを止めて、店に入る。
電気が止まって、薄暗い店の中を探検するためには、まず懐中電灯なことに気がついた。
――と。
ぴかっ、と灯りが暗がりを照らす。
アホ女が手にしたスマホで、ライトが煌々と輝いている。
「にしし~」
「捨てちまえ。そんなもん」
「なんで?」
「もう役に立たん。ライトぐらいにしか使えない」
ネットが繋がらなくなってから、俺はスマホは捨てた。GPSは受信しているが、現在位置は緯度と経度しかわからない。地図もネットに繋がっていなければ使えない。
「いま役に立ってるじゃん? 懐中電灯、さがしてんでしょ? いらないよ?」
「………」
俺は黙りこんだ。
アホ女。アホ女。アホ女ー。
アウトドア・グッズの方面に向かう。
「テントがいるな。あと寝袋を一つ」
寝袋は、自分の分はある。だがこいつの――アホ女の分が追加で必要だ。
テントはもともと持っていなかった。俺だけ裸寝袋ひとつで充分だが、こいつもいるので必要だろう。二人は入れるサイズのものが、折りたためば、バッグのサイズになる。
必要なものを、カートにどんどん入れてゆく。
「それから――、こいつだな」
ホームセンターには、たいてい、なんでもある。
カー用品コーナーの隣にバイク用品コーナーがあり、ヘルメットも置いてある。
「あー、そっかー。ヘルメットかぶってないと、おまわりさんに、捕まっちゃうんだよねー」
やっぱアホだ。こいつ。
おまわりさんなんて、もう、いねーよ。
ヘルメットは、ハーフキャップのやつを選んでやった。あとゴーグルと革手袋。
「あと……、こいつはどうしたもんか……」
バイクに二人乗りしながら、会話をするためのインカムを見つけた。
BLUETOOTH接続の高級品だ。
これがあれば、怒鳴りあって会話しなくても済むが……。
しかし、高価な品だけあって、ガラスケースの中に入っている。
さて……。どうしたものか。
「ん? これ取るの? じゃあちょっと、どいてー」
アホ女は、どこから持ち出してきたのか、バールのような物を肩にかついでやってきた。
「お、おい――!? なにを――!?」
止める間もあらばこそ。
アホ女は、バールのような物で、ガラスケースをフルスイング。
がっしゃーん!
割れた。砕けた。四散した。
粉々になったガラスのなかから、アホ女は、俺が欲しかった品物を取ってきた。
「はい。とったよー」
「とったよ……、じゃねえだろ!」
「なに怒ってんの?」
「怒ってねえよ! あきれてんだよ!」
こいつの行動力に呆れていた。
呆れるっつーか……。なんで自分が思いつかなかったのか。それが悔しい。
「えー? べつにいいじゃん? 誰に迷惑かけるわけじゃないしー。店の人がいたら悪いけど。いないんだしー。あと、おまわりさんだっていないしー」
その通りだ。
窃盗は悪いことだが。それは数日前までの話。まだ文明が終了していなかった頃の話。
そもそも所有者が消えているわけなので、これは「盗む」ではなくて、ただ「持ってゆく」にしかならない。
そういえば、俺も、バイクを「持ってきた」。
中古バイク屋にたくさん並んでいるバイクのなかから、前から乗ってみたかったビッグスクーターを選んだ。
「取っちゃだめ? ――これ、ナイナイ?」
俺がむっつりと、口をへの字に結んでいたせいか……。元の場所に戻そうとする。
そうしたところで、ガラス破壊の器物損壊は免れないがなー。
「いや。持っていこう」
俺は、そう言った。
これから、いろいろ、〝常識〟を取り替えていかないとな。
◇
だいたいの品を手に入れて、カートを押したまま店を出る。
レジなんて素通りなところが、ちょっとキモチいい。
外に出ると、日が傾きつつあった。セミの鳴き声が、カナカナカナカナ、と響いている。
「ところでさ」
「うん?」
「おまえ。なんつーの?」
「うん?」
アホ女は、なにを聞かれたのか、わからない様子。
ほんとアホだなー。アホ女って呼ぶぞ。
「まだ一度も名乗りあっていないんだが。――俺たち」
「あー! そっかー!」
女は、あははははー、と、笑いはじめた。
腹を抱えて、子供みたいに大笑いする。
おっかしいねー、と、ばんばん背中を叩いてくる。
痛てえっつーの。
「あたし! ナナミ!」
「わりと普通の名前だな。もっとキラってる名前かと思った」
「しどい」
「俺は――」
「当てさせてー。〝カケル〟だー!」
「ちげえよ。俺の名は――」
「待って待って待って! 言っちゃだめ! あてるんだからー」
「明日までかかるわ。――俺はテッシンな」
「へんな名前ー」
言われた。だが慣れてる。
生まれたこのかた、名乗るたびにまったく同じリアクションで、もはやルーチンワークだ。
「つらぬきとおす心、と書く」
ここまでが、もはやルーチンワーク。
「じゃあ、テッシーでいい?」
「じゃあ、ってなんだ。じゃあ。って」
いきなり略された。愛称にされた。
「あたしも〝ナナミ〟って略していいからさぁー」
「略してねえだろ」
「細かいよ? テッシー」
「よしわかった。じゃあ。〝なー〟って呼ぶわ。そうするわ」
「しどい」
「〝おい〟とか〝おまえ〟とかより、ましだろ」
「テッシーって、ぜーったい、しどいやつだ。DV振るうほうだ」
「言ってろ」
俺たちは笑いあった。
◇
夜。そしてテントの中。
俺はどうも寝付けずに、寝返りを打った。
決して女だからだとか、そんな理由ではない。
隣に他人の気配があることが、どうにも落ち着かないのだ。
結局、ホームセンターの駐車場で一泊することにした。
まだ日はすこし残っていたので、もうすこし移動することもできたのだが、べつに急ぐ旅ではない。
宿泊に適した場所を探して、夜中にうろつくはめになるのは御免である。
今後も、日が真上を過ぎて下りはじめたら、最初に見つけた宿泊ポイントに足を止めることにしよう。
買ったばかりのテントを、駐車場のど真ん中に、堂々と張った。
飲み物は、店内にはみあたらなかったので、店の前の自販機を、「バールのような物」でこじあけて手に入れた。
「バールのような物」――便利すぎ。
携帯用の登山用のガスコンロで、適当に湯を沸かし、適当に夕食をした。メニューはカップ麺と缶詰だ。
食事はこれから考えないとならないだろう。ずっとこれでは身が持たない。
「眠れないの? テッシー?」
「いや。べつに……」
「あたしもー。なんか眠れなくてー」
否定したはずなのに、肯定と受け取られた。
話、聞けっつーの。
「日課、してないからかなー?」
「なんの日課だ?」
俺は思わず聞いていた。迂闊だった。聞かなきゃよかったと一瞬後には後悔していた。
このアホ女。アホビッチ。こいつが、なんて答えるかなんて――。
「ん? オナニーだけどー?」
ほうら。言った。やっぱり。言った。
こぉーんの、クソアマビッチめが。
「……していい?」
聞くか。それを。
「それとも……。する?」
聞くのか。そっちを。
「………」
俺は答えずにいた。
寝たふりを決めこんだ。
だがさすがに無理があった。
「……じゃあ。襲うけど? いやなら、〝きゃー〟って、言ってね?」
じゃあ、ってなんだ。じゃあ。ってのは。
あとなんで「きゃー」なんだ。俺が言うほうなのか。「きゃー」って。
ツッコミどころが満載だぞ。
ナナミが覆い被さってきた。柔らかなカラダと一緒に、いい匂いが降ってきて――。
「ね? はじめて?」
「………」
俺は、無言だった。黙秘権を行使した。
「言わなくて、いーよ。……明日からは、答えやすくなるから」
意味深なことを言って、娘は、体を重ねてきた。
そして俺たちは……。他人ではなくなった。
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