『あおぞら気分』
序
「女の子を遊びに誘うって、どうすればいいんですかね」
兵舎ロビーのソファに座り咥えタバコでくつろいでいた犬飼少尉は、目を丸くしてこちらの顔を覗き込んでくる。
嫌な予感がした。
少尉が唇の端をあげて、にやーっと笑う。
人を小馬鹿にしきったとんでもなく下品な笑顔だった。
質問する相手を完全に間違えた。
「初戦闘で半殺しの目にあったと思ったら、すぐに女か」
ぷあーっと、俺の顔に吹き付けるようにタバコの煙を吐く。
肋骨2本のひび、左肩の脱臼、その他火傷と裂傷色々。
諸々の負傷で俺は初戦闘以来、傷が完治するまで再び後方観測員に逆戻りしていた。
「いやあ。いいと思うぜ。本能に忠実で。猿だなお前」
へへへ、と灰を落としながらゲス笑いする少尉。
「そういう話じゃないですよ」
俺は手のひらを扇いで煙を散らしながら、眉を顰めて批判的に少尉を睨む。
「高千穂曹長と、どこか行こうかと思うんです」
「お前……」
少尉の顔色が、潮が引くようにさーっと青ざめていく。
「そっちの趣味だったのかよ。ヤバいな。犯罪じゃねーか二度と話しかけんなよ」
高千穂曹長の身長は130cm弱。
傍から見ればどう見ても小学生にしか見えない。
俺や少尉が平日の往来を連れて歩けば絵面はかなり犯罪じみたことになる。
少なくとも軽めの職務質問は免れない。
本人は警官に頭突きをかますかもしれないが。
「いや、だから、そういう話じゃないです」
俺は真剣だった。
高千穂曹長は前回の戦闘以来、飛行能力を失っている。
精神的な影響で
曹長は今、俺と同じく回復を待っている。
俺の傷は、もうすぐ治る。
曹長が元通りの彼女になれるのがいつになるのかは、分からない。
こちらの言わんとしている事を察したらしく、犬飼少尉はいつもの不機嫌そうな顔に戻った。
「高千穂が辞めるなら結構じゃねーか。このまま荷物まとめて出て行かせてやれ」
浦賀の奴よりマシだ。
そう呟いて、少尉は灰皿に煙草を捻り押し付けた。
少尉の言う通りなのかもしれない。
このまま、曹長は対空警邏を離れて生きていく道を選ぶかもしれない。
それで幸せになれるのかもしれない。
でも、そんな先のことは曹長自身が決めることで、俺には関係ない。
俺は浦賀准尉の言葉を果たしたかった。
高千穂曹長と仲良くする。
准尉の代わりには、きっとなれない。
彼女を一人にさせないために、俺に出来る方法を探さなければいけない。
でもそれがどうすればいいのか、全然わからない。
「……綿飴でも買ってやれよ」
「頭突きされるでしょ、それ」
「だったらいいじゃねえか」
犬飼少尉は俯いて、組んだ自分の指先をじっと見ていた。
この人も、同じもどかしさをずっと抱えている。
立ち入れないもどかしさ。
立ち入り方が分からない苦しさ。
きっと、この場所に来てから、ずっとこの人はそうだったんだと思う。
それを口に出せばめちゃくちゃに怒り出すのが分かっていたので、言わないでおく。
俺は2階の自室に戻るために兵舎の階段を上る。
廊下の”201”の部屋番号を横目に見ながら、通り過ぎる。
高千穂曹長がこれからどうするのかは分からない。
でも自分のこれからを決めるためには、まず、いつもどおりの元気が必要なはずだと思う。
それに、いつもみたいに下らない言い争いが曹長と出来ないのは、ちょっと寂しい。
次の日。
負傷の経過観察のために俺は支局にやってきていた。
医療主任の話によれば、あと1週間もすれば包帯は取れるらしい。
負傷でトレーニングから離れたせいで、せっかく鍛えた筋肉が弛みつつある。
完治の暁には山上中尉の強烈なしごきが待っていることだろう。
望むところだ。
これをバネにより完璧な肉体を目指すことが出来る。
俺はこれからやってくる己の新たな筋肉地平に心を躍らせつつ、医務室を離れた。
いや、駄目だ。
そういう事じゃない。
高千穂曹長とどうすれば仲良くなれるのかについては、全然アイデアが浮かんでこない。
筋肉を鍛えることを逃避にしてはいけないと、この間中尉に言われたばかりだ。
食堂のテーブルに突っ伏して頭を抱えていると、ひょこっと銀色の頭が視界に入り込んできた。
「大丈夫?」
「うわっ!」
「うわって!なにそのリアクション!傷つくよ!」
「……すみません柊中佐」
未だにこの人の距離感と神出鬼没っぷりには慣れない。
「その柊中佐~っていうのもイヤだよ!アリアでいいのに。示しがつかない~とかハルさんなんかは言うけどさ。いらないよそんなの~」
俺の向かいの椅子に座って、中佐はぐでーっと背筋を仰け反らせる。
数秒して、何かを思いついたようにがばっと勢いよく起き上がり、テーブルに身を乗り出してくる。
「ねえマグ、アリアって呼んでみてよ」
「……アリア」
「よう、アリア」
「……よう、アリア」
「もっと爽やかに元気よく!ようアリア!」
「ようアリア!……いややっぱ無理ですよこれ」
「なんでだよーっ!」
階級の違いや、中佐の英雄という看板を差し引いても、戦闘における鬼神のような中佐の動きを間近に見せられると、実際その辺の同級生みたいには扱いづらい。
それにやっぱりこの人は、俺にとって命の恩人なのだ。
「あと『爽やかに元気よく』が何よりも無理です。俺のキャラクターでは出来ないです」
「自分を曲げて社会生活におけるペルソナを作ってよ~!上官命令だぞ~!」
「駄々をこねるみたいにハラスメントを飛ばすのはやめてください。というか中佐にそういう発想があるのがめちゃくちゃ怖いんですが!」
柊中佐は、時折闇が深いことも言う。
あれ、そういえば。
一つ気になる疑問が浮かんだ。
「中佐って全然兵舎に居るの見たこと無いですけど、普段どこで寝てるんですか」
「え?ボクいつも
さらりとそんな答えが返ってくる。
……やはり、この人にはちょくちょく闇を感じる。
これ以上掘り下げるのはやめときたい。
「あ、そうだ。ボクもマグに聞きたいことあったんだ」
そこで中佐は少し真面目な顔になった。
「カナンとどこか遊びに行こうと思ってるんでしょ」
「まあ……そうですね」
改めてそういう言い方をされると、ナンパ人間みたいで結構恥ずかしい。
でも俺にとっては、目下最重要な問題だ。
というか何で中佐がそんな事を知ってるんだろう。
「ふっふっふ……対空警邏の屋根の下で起こる出来事について、この柊アリアに隠し立ては出来ないのだ」
中佐は不適な笑みを浮かべながら両手をしきりにわきわきしている。
なんとなく予想は付くというか、犬飼少尉が面白半分に喋ったに違いない。
とはいえ、煮詰まっていたのは確かだし、中佐の助けが得られるのは心強い。
「ボクにいい考えがあるよ!」
青い瞳をキラキラさせながら自信ありげな笑みを浮かべて、中佐は俺の顔をビシッと指差した。
「マグ!ボクとデートしよう!」
……先行きがどんどん見えなくなる。
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