『あつまれ仲間』


がっつん!


がっつん!


俺は医務室の天井に額をぶつけて、床に落下し後頭部をぶつけた。

二段の衝撃に、ひと月前、七ヶ丘で大柄のマスク男を二回殴った記憶が思い起こされた。

彼は結局あの後、廃墟から救助されたらしい。

無論、命に別状は無かった。


よかった。

それはよかったけど、今、涙が出るほど頭が痛い。


「……大丈夫?」


セミの幼虫のような姿勢で痛みに震えていると、医療主任の老人が椅子から上半身を乗り出した。


「大丈夫です……」


「ならいいんだけどね……」


俺の腕を掴んで引き起こす医療主任は、おおらかな印象の好々爺然とした人物だったが、すっかり呆れた表情をしている。


「君、コントロールが悪いなぁ」


俺の飛行能力について査定されたカルテに目を走らせながら、医療主任はボールペンの尻で側頭部を掻いている。


「これじゃあ生体揚力バイタルリフトの持続や重量限界も測れないし……」


主任は俺の赤く腫れ上がった額に視線を向けている。


「もう一回やったら、血が出るよ、それ。続きはもうちょっと天井の高い所でやろう」


……そうしてもらえるとありがたいです。


東京の政治的中枢を担う都市、房町ふさまちの中心地にぽっかりと空いた深さ100メートル、直径90メートルの縦穴。

その内壁を覆うように建設されたドラム状の建築物が、対空警邏第七支局だ。


丸半日ほど諸々の検査で広い局内をあっちこっちに歩き回った俺は、すっかり疲労困憊のざまで中庭のベンチに座っていた。

いまだにズキズキ痛む額を擦りながら頭上を見上げると、丸くくり貫かれた群青の空にぽつぽつと星が出始めている。


待機する隊員たちが、この場所から直接現場へ向けて出動することも出来るように、対空警邏の支局は設計されていると聞いたことがある。

もっとも、その話を聞いた時にはこんな形でこの場所を訪れることになるとは想像もしていなかったが。


時刻は19時前。

迎えの人間が到着するという予定の時刻だ。


「失礼ですが……そこの方」


声に振り向くと、黒地に赤の装飾の入った都軍の軍服を着込んだ年若い女士官がベンチの傍に立っていた。

短い黒髪を額で分けた、目元涼しげで凛とした印象の人物である。


「真鍋マグ氏であるとお見受けしますが、相違ありませんでしょうか」


「あ、はい」


立ち上がって一礼すると、女性士官はぴしりと背筋を伸ばして敬礼した。



「都営軍対空警邏第七支局所属、浦賀ササメ准尉でありまふ」


「……まふ?」


女性士官は一瞬、やってしまった、と言わんばかりに硬く目をつぶり、ばつが悪そうに咳払いした。


「浦賀ササメであります。あっ、准尉であります」


会っていきなりこんな風に思うのは失礼かもしれないけど、面白いぞ、この人。


そのまま耳まで赤い准尉に促され、後に続いて中庭を出る。

エレベーターを駐車場で降り、対空警邏のシンボルととびまるくんが車体にマークされた、白い小型ジープ車の後部座席に乗り込んだ。


「怪我の具合は如何ですか?」


運転席でハンドルを切りながら、バックミラー越しに浦賀准尉がこちらを見た。

すっかり落ち着いた大人の女性という顔つきに戻っている。


「不自由無いです。まだちょっと痛みますけど」


そういう風に答えながら、ひと月前に空いた左肩の穴の跡をさする。

窓の外を街灯のオレンジが通り過ぎていく。


「迅速な回復、喜ばしい限り。先日の英雄的行為の顛末は、柊中佐から聞き及んでおります」


「いや、それは……」


准尉の言葉から、少なからず興奮を含んだ語調を感じる。

英雄的行為……面と向かってそんな言葉を使われて、俺はどうにも収まりが悪い気分になって口ごもった。


あの時の捨て鉢な気持ちと、自分の失敗を取り繕わなければならないという強迫観念のような気持ち。

今でも思い起こすだけで、背中に嫌な汗が湧き上がってくる。


あれが『英雄的』な人間の心理だったと、胸を張って首を縦に振れる日は永遠に来そうにない。

俺とあの子を救った本物の英雄の姿を思い出すと、その言葉に暴れだしたいほど恥ずかしい気持ちさえ湧き上がってくる。

実際に暴れだして走行中の車をひっくり返すわけにもいかないので、俺は辛うじて曖昧な笑顔で准尉の言葉に応えた。


「その負傷も癒えない内から対空警邏への志願を決意されたとも聞きます。共に戦える事を誇らしく思いますよ」


「ありがとうございます……がんばります……」


ミラー越しに准尉の真っ直ぐに期待を込めた視線が突き刺さる。

いったいこの人の目に、俺という人間はどんな風に映ってるんだろう。


俺がここにいるのは、国営学府の試験に弾かれた浪人生として家庭内の針の筵で暮らすか、公務員としての名聞を得るかの二択で後者を取ったというだけの理由なんです。

両親も対空警邏が慢性的な人員不足に喘いでることは嫌というほど知っている。

俺の申し出を断る理由は少しもなかった。


「それに聞くところによれば対空局事務次官殿のご子息であると。まさに空を守る正義のエリートで」


「あの、信号青ですよ」


「ん?あ、失礼」


言葉を切って、准尉は車を出した。

危なかった。

肩身の狭さに押しつぶされる所だった。


それからもそこはかなくテンション高い准尉の質問や賞賛をなんとか良心の致命傷にならない角度で受け流しつつ、車内の数分間が過ぎた。

ジープ車は通りに面した赤レンガ造りの古びた洋風建築の前に停車する。


「こちらが我々第七支局の兵舎であります。自分は車を止めてくるので、お先にどうぞ」


車を降り、兵舎を見上げる。

事前に想像していた兵舎のイメージとはかなり異なる洒脱な建物だ。


「かつて国外から来日した要人への宿泊施設として使われていたものを、改装したものであると聞きます」


そんな俺のポケッとした様子を察してか、准尉はそういう補足をした。

そして運転席の窓を開け、こちらに二本の鍵を差し出す。


小さい鍵と、大きい鍵。

小ぶりの鍵には、『205』と刻まれた金属のタグがつけられている。

部屋のものと、建物自体のもの、という事だろう。


一礼し、鍵を受け取ろうと手を伸ばす。


「あ!」


その時准尉が声を上げた。


「建物内に一人、非番の隊員がいるかもしれないので、万が一を予測し、一つ忠言しておきます」


忠告?

浦賀准尉の表情は、真剣そのものである。


「足元に気をつけてください」


足元?


「……?わかりました」


その言葉の意味をいまいち飲み込めないまま、鍵を受けとり兵舎の鉄扉に向き合う。

遠ざかっていくエンジン音を背に、鉄扉を開く。

二脚の長椅子と本棚が置かれた薄明るいロビー。


対空警邏の隊員たちは普段どんな本を読んでくつろいだりしているのだろう。

そこに多少の興味はあったが、まだ正式に入隊もしていない新参者が我が物顔でこの場所でくつろいでいても、感じが悪い。

大人しく二階に上がる階段に足をかけると、頭上から視線を感じる。


見上げると、子供がいた。


黒いフリルのワンピースを着た小学生くらいの女の子が、じっとりした目つきで階段の上からこちらを睨んでいる。


「子供……?」


ほとんど無意識に出たその声に、少女はぴくりと片方の眉を釣り上げる。

間髪いれず、少女は跳躍した。

羽のように、音も無く俺の目の前に着地する。


真下から突き上げるような睨みに、思わず仰け反る。


がすっ!

その一瞬の隙を少女は見逃さず、思いっきり足を踏んできた。


「……!?」


痛みに怯み、俺は気付くのがコンマ1秒遅れた。

既に少女が二段目の攻撃姿勢に入っている事に。


弾丸のように、少女のつむじがこちらに突っ込んでくる。

流れるようなコンビネーションで放たれた、ジャンプ頭突きである。

そうか……『足元』はこの初段の……。


がっつん!


「痛ってぇ!」


衝撃が、俺の頭部を貫いた。

額を押さえながら、床に尻餅を付く。

少女は腕を組んで仁王立ち、敵意に満ちた表情で見下ろしてくる。


「あたし、16よ!」


胸に手のひらを置いて、少女は高らかにそう宣言した。

16……16か……。

失礼だけどちょっとわかんないぞそれは本当に失礼だと思うけど。

そのポーズのまま無言でこちらを睨んでくる。

こちらも年齢を述べろと促しているらしい。


「18だけど、なんなんですか」


「18ィ?」


ビシッと、チョキをこちらの眼前に突き出してくる。


「2つしか違わない!全然あたしはあんたより子供じゃない!」


「そんな主張のために初対面の人間に頭突きなんてするな!」


俺はたまらず反駁した。

心の奥底から怒りのパワーが湧き上がってくるのを感じる。


「程度はともかく事実としてそっちが年下で子供であるのも正しいだろ!全然納得いかない!」


「あんた……また子供って言った!」


それが更なる逆鱗に触れたらしく、怒りに瞳を震わせながら頭突き女は俺の胸倉を掴んで引きずり起こした。

背丈が130cmくらいしかないのに、引き剥がせないものすごい腕力が込められている。


「自己紹介してあげるけど!高千穂カナン曹長よ!そ・う・ちょ・う!新入りのあんたは三曹相当の士官だから、階級で言えばこのあたしの二つ下よ!」


児童そのものの甲高い声でまくし立てながら、曹長は首をもぎ取らんばかりの勢いでがっくんがっくん襟首を掴んで揺らしてくる。


「図体が!でかい!だけの!やつに!でかい顔!されるの!大っ嫌い!」


ずさーっと、地面に投げ転がされる。

ぐらぐらと揺れる視界のピントを辛うじて合わせると、彼女の額も赤く腫れ上がっている。


「いいわね!」


そのまま捨て台詞を吐き、高千穂曹長は涙目で額を擦りながら駆け足で階段を上っていった。

……泣くほど痛いなら最初からするな!

それに俺は体格も身長も人並みだ。


「なんなんだあのこど……人は。暴力的で常識がなさすぎるぞ……」


「何事かございましたか、真鍋殿」


気が付くと、入口扉の前に心配顔の浦賀准尉が立っていた。


「ぎゃあっ!血が!」


准尉が顔を真っ青にしてこちらを指差す。

鼻の頭に一筋の液体が流れる感覚。

指先で触ると、なるほど赤い。


「もしやカナン!あの子ときたら!きつく絞っておきます!」


ハンカチで額を拭いつつ、憤慨した面持ちの准尉の後に続いて2階の廊下を歩く。


「いや、いいんです。子供のする事を俺は気にしないです」


俺は可能な限り爽やかな笑顔を作って言った。

せめてこれくらいのささやかな強がりと当て付けを兼ねたセリフくらい吐かなければ、俺の小市民根性が納まらない。

勿論2階の廊下に高千穂曹長の姿が無い事を確かめた上での発言である。


がちゃ、と左後ろから不穏な音が鳴った。


『201』の番号が付いた扉の隙間から、爛々と光る獣のような目が、こちらを睨んでいる。


「また言った……!」


「うぉっ!」


俺の喉から地上で窒息した魚のような声が出た。

憤怒に燃える獣がドアの外にゆっくりと姿を現し、体勢を低くする。


「こら!カナン!真鍋殿に謝りなさい!」


再びの殺人ロケット頭突きをインターセプトしたのは、浦賀准尉の怒鳴り声だった。

露骨に不服な表情で舌打ちし、階段を駆け上がっていった時と同じ素早い動きで202号室に引っ込む高千穂曹長。


「嫌!絶対嫌!むしろあんたが謝れ!バーカ!」


「謝る理由がない!バーカ!」


「出てきなさい!カナン!怒りますよ!」


不毛な言い争いと立てこもりはその後一時間以上続き、その後、疲れきった俺は新しい寝床で泥のように眠った。

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