「なるほど……フッ……そういう話か……フーッ」


「そういう話なんです」


「テレビ局の……フッ……取材だな……フーッ」


「取材だそうです」


「それで……フッ……どういう内容を……フーッ」


「あの、山上中尉」


「どうした……フーッ」


「申し訳ないんですが、一旦、その、鉄棒を使った上体起こし運動を止めてもらっていいでしょうか」


「何?しょうがないな」


中尉は鉄棒に足をかけて逆さまにぶら下がったまま、ちょいちょいと手で俺に場所を退くようにジェスチャーした。

カメラを構えたまま真横に一歩動いて、鉄棒の正面を退く。


逆上がりの要領でぐるりと回転の勢いを付け、そのままくるくると空中一回転半を決めて、音も無く山上中尉は着地した。

その巨体が信じがたいほどにしなやかで美しい、優雅さすら湛えた完璧な着地である。

国際大会の審査員でも10点が付くはずだ。


「お見事でした」


俺はぱちぱちと拍手した。

中尉はタオルで汗を拭い、ケースから取り出した眼鏡をかける。

唇を尖らせて不満げだ。


「あと10セットは続けるつもりだったのに。いいだろう別にぶらさがっていても。細かいことを気にする奴だな」


「細かくないです。上下逆の人間とは会話しにくいですよ、バットマンじゃないんですから」


「バットマンはよく上下逆になってはいるが、別にあれは上下逆仲間とお喋りするためにやってるわけでもないだろう……待て、何の話だった?」


「取材です」


「それだ」


トレーニングジム隅のベンチに中尉と並んで腰を降ろす。


「しかしまた取材か、この間もどこかの新聞が来たばかりだぞ」


そう言って中尉はペットボトルの水をごくごくと飲んだ。

北欧山中を水源地とする、どこでも見かけるミネラルウォーター……。

乾いた喉を甘ったるいドロドロが過ぎ去っていく感覚がフラッシュバックする。


「顔色悪いぞ。どうかしたか」


「いえ別に……意外とメディアに協力的ですよね。ここって」


別の話題で気分を逸らしたい。


「第七支局に限ったわけでもない。対空局全体の傾向だろう。今はな」


ふう。

と、タオルを首にかけて中尉は息を吹いた。


「今年に入って飛獣の出現が急激な増加傾向にある上に、新しい知事は元々、総移住急進派の重鎮だ。上は世論のために出来ることはなんでもしておきたいんだろう」


対空警邏は、その発足以来、必要不要の議論を呼び続けてきた組織だ。

それを俺はよく知っている。

身に染みて知っている。


「被害はゼロに出来ない。むしろ必死でゼロに近づければ近づけるほど、世間は追求する。『何故ここまでやってゼロに出来なかったんだ』とな」


「そういうものですか」


「まあな。要するに、世間からの評判にこの仕事のやり甲斐を求めるのはおススメしない。特にこれからはな」


「別に俺は、そういうわけじゃないですけど」


山上中尉は横目でちらりとこちらを見た。


「そういえばお前、親が対空局勤めか」


俺が小学生の頃、対空警邏は発足されたばかりで、飛獣への対抗として役に立つのかどうか、誰もが疑っていた。

そして実際に、ノウハウの確立されてない対処で、対空警邏は多くの戦死者と被害を出した。


だから父と母はいつも家にいなかったし、俺と妹はどこに行っても酷く虐められた。

中学に上がる頃、段々と対空警邏は飛獣へのカウンターとして一定の成果を出し始めた。

そして、柊アリアが現れる。

英雄というアイコンを手に入れた対空警邏は、東京の空のシンボルになった。


俺たちへの虐めや嫌がらせはなくなっていった。

それどころか、小学校で俺たちを無視していたクラスメイトですら、何事も無かったように街で挨拶をしてくる。


はじめ、俺はそれに怒った。

理不尽だと思った。

許せなかった。


でも、やがてそれが普通なんだと気付いた。

世の中にも、人の心にも大きな流れがあって、それに逆らおうとしても、無駄に消耗していくだけで、意味なんてない。


俺は彼らに挨拶を返した。

曖昧な笑顔で。

手を振り返した。

その時、相手はどういう顔をしてたっけ。


「お前が何を求めてここに来たのかは分からんが」


過去の風景をぼんやりと思い起こしていると、隣で中尉は呟いた。


「逆に言えば、今ここに残っているのは、世間の評価を重んじていない奴が多い、ということになるのかもな。何か、別の価値を求めて」


そこで、山上中尉は何かに気付いたように眉を上げた。


「カメラ、回さなくていいのか」


「あ」


完全に忘れていた。


「もったいない。今の私は中々いい感じのことを言ってたと思うぞ」


慌ててカメラを中尉に向ける。


「どうぞ!テイク2!」


「筋肉を鍛えたい奴、募集!以上。」


カメラを指差して、中尉は即応した。

キメ顔だった。


「ぜ、全然違うじゃないですか!」


「世間にお出しできる建前と本音というものがあるだろ。もちろん今のが本音だが」


「そっちがですか」


中尉は悩ましげに両腕を拱いた。


「ハードなウェイトトレーニングは同等の筋力を持ったパートナーがいる事でより捗る。私はお互いの筋肉を高めあえる仲間を捜し続けているからな」


「左様ですか……」


「そうだ。真鍋。お前も体を鍛えないか。いや体を鍛えろ。そうするべきだ。筋肉はいいぞ」


座ったまま身を乗り出してずいずいとこっちに寄ってくる中尉。

自分よりも10cm以上背の高い女性にこんな詰め寄られる経験はそうそう無い。

なんとも言いがたい気分が湧いてくる。


こうして間近に見るとこの人、美人だな。

目鼻立ちがはっきりしててモデル顔だ。

あんなに筋肉筋肉言ってるのにスタイルが全然崩れていない不思議も実感させられる。

薄手のトレーニングウェアが汗で肌にぴたっと張り付いている。

やめろ!バカ!正気に戻れ!


「近いです。近い」


「ん……悪い。汗臭かったかな」


すんすんと自分の腕を持ち上げて鼻を鳴らしている中尉。

眼鏡がまた、いいなあ。

バカ!目を覚ませ!


最近こういうパターンが多い。

柊中佐にも、ちょっと物理的に距離感を詰められただけでドキドキしてしまった。

浦賀准尉のおかげで年上に転びそうになるし。


チョロい。

自分がチョロすぎる。

イタい。

自分がイタすぎる。


俺はいつもの筋肉筋肉言っている中尉の記憶を思い起こすことに全神経を集中した。

……。

よし、マインドセット。


「無理ですよ。ただでさえ訓練でヘトヘトですから。これ以上鍛えるなんて」


「いや、限界を超えてこそ真の筋肉地平にお前は立つはずだ」


「なんなんですか筋肉地平って。他のみんなはどうなんですか。犬飼少尉は」


「あいつはめんどくさい」


「バッサリですね……高千穂曹長は」


「あの体格でウェイトトレーニングなんてさせられるか。体格、骨格に合わない非効率的なトレーニングなど百害あって一利なし」


「まあそうですよね……浦賀准尉でいいんじゃないですか」


「あいつも誘ったことがあるが」


中尉は目を逸らした。


「いつの間にか死体のように床に転がっていた。私の責任だ、あれは」


「何があったんですか」


「いくら内容をキツくしても浦賀が平気です、平気です、いけます、いけますと言うので私もハイになってしまってな……」


「ああ」


何が起きたのか、大体の想像はついた。


「あいつは逆に根性がありすぎるというか、真面目すぎて精神的に筋肉を鍛えるのに向いてない。体力を使い果たすまでやるからな。その内ケガしそうだ」


「じゃあ柊中佐は」


「そもそも捕まらない」


「で、俺が残ると」


「まあ、そうなるな。お前は体格は申し分ないし、精神的に普通そうだから」


「どっちも否定しませんけど。筋トレなんか嫌ですよ。俺、運動とか全然したこと無いですし。高校三年間は茶道部でした」


「いや……」


山上中尉は何かを悟ったような表情で首を振った。


「やはりお前は絶対に筋トレにハマる。根拠はカンだが確信した。私が愛用しているダンベルを賭けてもいい」


どこからか中尉はダンベルを取り出してくる。

金一色で側面に漢字の『天』が彫られている個性的なデザインだ。


「いりませんよ。俺がダンベル貰ってどうするんですか。どうせ筋トレなんて絶対しないんですから」


「まあ、今に見ていろ……待て、何の話だった?」


「取材ですね」


「それだ。で、これでいいか?」


俺はカメラを閉じる。


「後半なんて殆ど個人的な勧誘だったんですけど」


これは使用できるのだろうか。

些かの疑問は残るが、とりあえず大丈夫ということにしておこう。


「尺が余った時用に、上体起こしの続きでも撮っておくか」


「いいんですかね、それで」


その後20分くらい延々と鉄棒にぶら下がって上体起こしをする中尉にカメラを回して、俺はその場を後にした。

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