丙
食堂に向かうと犬飼少尉がいた。
長テーブルに脚を乗っけて、クロスワードパズルの雑誌を広げているが、上手く進んではいないらしい。
いつも以上にぶすっとした不満げな顔をしている。
昨日の夜に博打で負けたり、どこかで喧嘩でもしてきたのかもしれない。
こういう時の犬飼少尉の半径10m以内には誰も近づかない。
どんな形で噛み付かれるかも分からないし、一度噛み付くと、少尉はしつこい。
10mの距離を取って、カメラを構えた。
「何やってんだ、オイ」
じとっと、少尉が俺を睨んだ。
「撮影です」
「ああ?」
気だるそうに立ち上がり、ポケットに手を突っ込んでフラフラとこちらに寄ってくる。
そして、片手を突き出し、カメラをグイっと下げた。
「新入りなぁ。お前、俺のことナメてんだろ」
頭をガシッと掴んで、顔を近づけて思いっきりメンチを切ってくる。
この顔が近いのは、煙草臭くて全然嬉しくない。
おまけに頭にギリギリと爪を立ててきて痛い。
「ナメてないですよ。れっきとした任務なんです」
「はァ?」
任務という言葉が一応利いたようで、少尉は手を放した。
そのまま少し下がって、少し膝を曲げてテーブルにもたれて立つ。
「テレビの取材なんですよ。俺が柊隊の皆さんを撮ってこいって」
「なんだそりゃ。アホくせぇ。まぁ、使いっぱしりが似合ってるとは思うね。がんばれ」
「言われなくても勝手にがんばります。一応協力してください」
「あいあい、わかったわかったよ。任務任務ね」
再びカメラを開いて、録画ボタンを押す。
「…………」
無言である。
背筋を曲げて湿気った目つきで少尉はカメラをジーッと睨んでいる。
そのままぐしゅっ、とくしゃみをした。
顔を上げて、再び、ジーッと睨む。
「あの……」
少尉は上着をがさごそと探り、ライターを取り出し、煙草に火を点ける。
「ここ禁煙です」
「……」
無視である。
ぷかぷかと紫煙をくゆらせている。
この野郎。
しかし、これは俺の初任務なのだ。
辛抱強く、辛抱強くやりきらなくては。
「犬飼少尉は、この仕事の意義についてどうお考えですか」
「……×××」
公共の場で口に出すのも憚られる、とんでもなく下品な単語が飛び出した。
これが無検閲で放送されれば偉い人2、3人のクビは飛ぶだろう。
色んなところに大ダメージだ。
「全然答えになってないし、それ放送できません」
「じゃあ×××」
「それも出来ないです」
「カントク様は注文が多いなぁ。オイ。俺は上官だろ」
にへっと、小馬鹿にしたように犬飼少尉は笑った。
嫌がらせだ。
思いっきりただの嫌がらせだ。
段々分かってきたけど、この人は性格が悪い上に、粘着質、その上相当寂しがりだ。
め……。
めんどくさい……。
俺はため息を吐いてカメラを閉じる。
もういい、この人の分はこのまま出そう。
あとでめちゃくちゃ怒られろ。
「ご協力、ありがとうございます。大東テレビで次の水曜夕方にオンエアーらしいです。お楽しみに」
「……オイ、お前、何て言った?」
さっさと立ち去ろうとすると、背後から呼び止められた。
今度はなんなんだ。
この人のねちっこい因縁付けに巻き込まれている時間は無いっていうのに。
嫌々振り返ると、犬飼少尉はいつにもなく真剣な顔をしていた。
会ってまだひと月足らずだが、ここまでマジの顔をしている少尉は初めて見たかもしれない。
「大東テレビの、夕方の、帯のニュースか、担当は、丹波アナの」
血走った目で一歩一歩を踏みしめて近寄ってくる。
なんだ。
一体なんなんだ。
この人のどこのスイッチが入ったんだ。
あまりの豹変っぷりが怖い。
「そう、らしいですけど」
「ちょっとそこに突っ立ってろ。逃げたら蹴り飛ばす」
そうして犬飼少尉は早足で食堂を立ち去っていった。
なんなんだよ、だから。
俺は30分以上、食堂で待たされた。
いよいよ黙って逃げ出そうかと思った時、それはやってきた。
「やあ!真鍋くん!」
そこに立っていたのは、真っ白い歯を輝かせて爽やかな笑顔を見せる青年将校だった。
片手を掲げて、ビシッとこちらに挨拶してくる。
誰だよ、アンタ。
唖然としていると、青年将校がじとっとした目つきでこちらを睨む。
「……カメラ回せ」
あ、犬飼少尉だ。
言われるがまま、録画のボタンを押し込む。
凄まじい変貌っぷりに頭が追いつかない。
さっきまでボサボサだった髪が整髪剤でまとめられている。
いつもだらしなく着崩されてよれよれの制服は、この30分でクリーニングから返ってきたかのようにピカピカ。
にこやかな表情の裏にも、鬼気迫る気合を感じる。
煙草の匂いがしない。
消臭剤まで使ってるぞこの人。
匂いは関係ないだろ匂いは。
「テレビの取材だって?大変だよな。俺に出来ることだったら、何でもやらせてくれよ」
「ありがとうございます少尉本当に犬飼少尉は頼りがいのある裏表の無い方でいつも親身にお世話になっていますありがとうございます」
「おいおい、よさないか。照れるよ」
ノリノリかよ。
この野郎。
「犬飼少尉は、この仕事の意義についてどうお考えですか」
「人々の笑顔を守るという大きなやりがいのある、尊い仕事だと感じています。命を賭けて取り組む価値がありますよ」
真剣な面持ちでトーン低く語る少尉。
手元でろくろを回すかのようなジェスチャーのおまけつきで。
椅子から転げ落ちそうな絵面だ。
数十分に渡り、犬飼少尉はこの調子を保ち続けてインタビューに応えた。
「最後に一言どうぞ」
「明日の東京を守るのはキミだ!」
「お疲れ様でした」
俺がハンディカメラを閉じるのと、ぐったりと犬飼少尉が項垂れるのはほぼ同時だった。
顔を上げ、再び苦虫を噛み潰すような顔で煙草に火を点ける。
いつも通りに戻ったらしい。
俺にはたった一つ、気になって仕方が無い疑問がある。
「ファンなんですか」
「消えろ。次行け」
「丹波アナのファンなんですか」
名前が出た途端、明らかに変わりすぎである。
豹変という言葉でもまだ足りない。
もはや変化だ。
妖怪変化。
「ファンなんですよね」
少尉は眉間を押さえて、がっくり肩を落とした。
「…………………めっちゃファン」
「ほらーッ!」
「うるせーんだよボケ!さっさと次行けカス!」
「俺昨日会いましたよ。
「あぁ?」
勢いよく顔を上げて、飛び上がるように犬飼少尉は椅子から立ち上がった。
「話したりしたのかよ」
「ちょっとはしましたけど。打ち合わせですよ」
どすっ。
いきなり腹を殴られた。
ずしっと響く、割と洒落にならない重さのボディーブローである。
少尉の怨念がこもっている。
「殴ることはないでしょうが!」
「なんで新入りの下っ端ってだけでてめーが丹波アナと話せんだ。ふざけてんだろお前。なあ」
嫉妬の炎が、少尉の背後にメラメラと燃えている。
八つ当たりだ。
思いっきり八つ当たりだ。
本当にめんどくさい!
「別に俺が会いたがったわけじゃなくて、呼び出されて行ったらいたんですよ」
「クソが。どっちにしてもクソだお前は。どうだったんだよ。どんな感じだ」
「どんな感じって」
俺は昨日の丹波アナの記憶を辿り、トレースする。
恭しく、両手を合わせて微笑んでみる。
ちょっと角度をつけつつ。
「……あなたにも……聖戦士として……世界を救って欲し……うぐっ!」
どすっ。
更にもう一発、ボディーブローが入った。
「本当にこんなんだったんですよ!」
「バカにしてんだろお前。やっぱり俺をナメてるだろ。コケにしてるだろ。なぁ」
その後もネチネチと絡んでくる犬飼少尉を振り切るように、俺は食堂を後にした。
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