「真鍋伍長。お疲れ様です」

背筋を伸ばして、ぴしり、と、浦賀准尉は凛々しく敬礼を送ってくる。


建物内を撮りつつ、中庭辺りに出ようかと思ってうろうろ歩いていた俺は、廊下でばったりと准尉に出くわした。


「お疲れ様です」


俺もカメラを構えつつ、敬礼を返す。

困惑顔の准尉が画面に映りこむ。


「ええと、それは、何を撮影なさっているのですか」


無言で撮り続ける。


「あの……失礼ですが」


無言で撮り続ける。


「えっと、どうすれば、あの」


准尉は所在なさげに手を伸ばそうとしたり引っ込めたりしている。

じーっと、無言で撮り続ける。


「とっ、撮るのをやめてください!こらっ!」


「すみません」


怒られてしまった。

いい。

とてもいい。


犬飼少尉の理不尽な暴力とねちっこい嫌がらせに磨り減った精神が回復していくのを感じる。

ありがとう浦賀准尉。

大人しくカメラを降ろして、事情を説明しよう。


「なるほど、広報に関わる特別任務ですか。無論、喜んで尽力させていただきます!」


胸に手を置き、にこやかに、花のように微笑む准尉。

精神ゲージが上限を突破していくのを感じる。

准尉、ありがとう、准尉。


「しかし、どのような映像を撮影すればよいのでしょうか」


「普通でいいと思います」


こと浦賀准尉に限っては、普通にやってもらった方が、対空警邏のイメージアップに繋がるのは間違いない。

そういう確信がある。


「いえ!対空局は日頃、人手不足に喘いでいます。印象の改善は重要な務め!」


グッと、握りこぶしを作って覚悟を決めたような表情に変わる准尉。

言ってることはその通りだが、俺はこの時すでに嫌な予感を感じていた。


「実働部隊の端くれとして、私も一肌脱ぐ覚悟があります!少し時間をください!」


俯き、顎に手をやって思案顔になる准尉。

よく分からない不安感はあるが、一肌脱ぐ、という言葉には正直言って期待が込み上げてくる部分もある。


やがて真剣な顔で、准尉はこちらを見た。

深刻、とさえ言えるほどに緊張が張り詰めた雰囲気だ。


「冗談を、言いましょう」


冗談を。


「それは先に宣言して大丈夫なんですか」


素人がそんな宣言をしてしまった時点でもう95%くらいは敗北していると思う。

不安しかない。


「大丈夫です。私に任せてください!我々が市民に親しみやすい組織であることを、アピールします!」


やる気十分の顔で、瞳を輝かせる准尉。

不安。


「いきます!カメラを、回してください」


ここまで気合の入っている准尉の話の腰をこれ以上折るのも悪い。

不安ながら、仕方なくカメラを起動する。


びっ。

と、准尉はカメラに向かってピースサインを突き出した。


「犬が鳴きました!2《ツー》!!」


……。

地獄だ。


准尉は、『やってやったぜ』という表情でこちらを見ている。

絶対的な自信さえ感じさせる、どやーっとした笑顔。


すごい。

この人はすごいな。

度胸が強すぎるぞ。


この映像がお茶の間に放映された時のイメージが、俺の頭の中を駆け巡った。

脱力感に膝が崩れる。


「真鍋伍長!ど、どうしましたか!」


「ちょっとカメラ止めましょう」


一旦、心を落ち着けよう。

落ち着け、落ち着け。

今見たことは忘れよう。


「わ、わかりづらかったでしょうか。つまり本来犬というのは『ワン』と鳴きますが、そこにひねりを加えて」


「解説は大丈夫です!解説ストップ!そこは理解出来てるので!」


あの時止めておけばよかった。

この大事故は、俺の下心に満ちた期待から起きている。

俺のバカ!


やがて俺のげんなりとした様子を察したのか、しゅんとした表情で准尉は俯いた。


「つまらなかったですか……」


迷ったが、俺は良心の呵責を振り切って首を縦に振る。

悲壮な決意に心が折れそうになったが、俺には何も出来ない。


准尉の名誉のためにも、こんな地獄映像を世界に公開するわけにはいかない。

動画サイトに番組がアップロードされて、『ダダすべり女軍人』として一生の経歴に傷がつくかもしれない。

そんな悲しい未来、聖戦士ホーリー・ウォーリアーの俺が断ち切ってやる。


「そう、ですよね。バカ真面目だっていつも言われてる、私のようなのが、冗談なんて」


さっきの自信に満ち溢れた表情が同一人物とは思えないほどに、准尉がしょげ返っている。

ううっ。

辛い。

いざそんな顔をされると、ものすごく辛い気分になる。

誰が悪かったわけでもない。

ここで起きたのは悲しい事故だったんです。


「俺は嫌いじゃないですよ。嫌いじゃないです。でも人を選ぶかなって思います」


准尉があまりにも世界の終わりのような顔をするので、反射的にフォローしてしまった。

その言葉に、再び顔を上げる准尉。

次の瞬間、しまった、と思った。


「本当ですか!」


ぱあっと、その顔が明るくなる。

リベンジに燃える准尉は、再びグッと拳を握った。


「ではもう少しだけ時間を下さい!別の冗談を考えます!」


「それはやめましょう!もうやめときましょう!」


「いいえ!次はよりユーモアのあるものを!」


准尉の名誉挽回に対するやる気と執念は凄まじかった。

その後、オリジナル冗談を挟まないパターンを納得させるのに、俺はかなりの時間を要する。

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