戊
「アホみたいだ」
俺が率直な現在の気持ちを小声で呟くと、ぎーッと、小さい手が俺の耳を引っ張った。
「痛い!痛い痛い!」
俺の首の上に、高千穂曹長が座っている。
俗に言う、肩車である。
「馬が勝手に喋んじゃない!」
「そうか、ごめんな武豊。振り落とすぞこの野郎!」
「はぁ~?やってみなさいよ!その前にあんたの頚椎を体重と脚でへし折る!」
「お前は地下闘技場戦士かよ……」
おおよそ聞いた事のない脅し文句にげっそりしつつ、前を向く。
中庭の芝生の上に、撮影役の浦賀准尉が立っている。
「ケンカしない!」
はーい、と、二人そろって嫌気に満ち満ちた声を返した。
この状況を発案したのは高千穂曹長だ。
俺には感想の一つぐらい述べる権利があってもいい。
だが、これも任務のためだ、岩のようにじっと耐えなければ。
俺は中庭で曹長を見つけて、今回の事情について説明した。
しかし高千穂曹長は、見下ろして撮るなと言い出す。
それならと、かがんでカメラを回そうとすれば、バカにされてると言う。
この時点でかなり俺は高千穂曹長を省きたかったが、なんとか任務への気持ちで踏みとどまった。
「私がいかに偉大で、甘く見ちゃいけない強い女性だっていうのを、表現できる映像じゃないとダメよ!」
というのが、曹長の言である。
無茶言うな。
注文が無茶の塊でしかない。
逆にどんな映像技術ならそれが成立するんだ。
ハリウッドからVFX班でも連れてきて身長2倍にしてもらえホビット族。
とはすんでの所で口に出して言わなかったものの、高千穂曹長も大概とんでもない解決策を考えていた。
それが現在のこの有様である。
なるほど、自分よりが階級が下の者に肩車させることで、視点の高さを確保し、なおかつ自分がただのちびっ子ではなく高い階級を持つ軍人であることを表現している。
アホみたいだ。
というか、こいつ、アホなのでは。
「高千穂カナン曹長よ!こっちは馬!はい!挨拶しなさい!」
「……」
「馬!!」
「……馬です。ひひん」
人間の尊厳がひび割れていく、ぴしぴしという音が聞こえる。
仮にオンエアーされたとして、妹にこれを見られたら、俺は首を吊る。
そういう風に、今決めた。
というかこんな映像が流れて、何のイメージ改善になるというんだ。
この映像を見て、俺も馬になりたい!と対空警邏を志す若者がいるというのか。
いや、世の中は広いから、いるのかもしれない。
早くここにやってきて、俺と代わってくれ。
「前進!馬!」
無だ。
心を無にしよう。
俺は芝生の上をざすざすと進む。
「走れ!馬!」
足元にシロツメクサが咲いている。
「ターン!馬!」
向こうにはタンポポも咲いてるな。
「コサックダンス!馬!」
ちょうちょが飛んでいる。
黄色いちょうちょだ。
中庭はこんなに和やかな春の空気に包まれている。
ピクニックなんかだったら、最高の日和だろう。
この肩が重いのはなんなんだろう。
この肩が重いのさえ、なかったらなぁ。
「いいわね!なんか楽しくなってきたわ!ひゅー!」
「オラァーッ!」
バシーッ!
俺は地面に肩の重いやつを投げ捨てた。
脚を掴んでジャイアントスイングの要領で。
「ぐええ!」
高千穂曹長が芝生の上を転がる。
「馬のくせに何してくれてんのよ!馬刺しにするわよ!」
「黙れちびっこ将軍!大体なんだコサックダンスって!膝に負担かかりすぎだろ!」
心を無にしていたから我慢できたものの、俺の脚は小鹿のように震えていた。
「ちび!とか!言う!な!」
がしっがしっがしっがしっ。
曹長の執拗なローキックが弱った脚部を攻め立てる。
「下段は、やめろ……!」
「馬の言うことなんか聞かないわよ!徹底的に調教してやる!」
「二人ともやめなさい!ブレーク!ブレーク!」
こうして数回の撮り直しと乱闘を繰り返しつつ、どうにかまとまった映像が出来上がった。
俺は精魂を使い果たして、芝生の上に倒れこむ。
草の匂いが落ち着く……。
いよいよ精神的に馬になりつつあるな。
危ないところだった。
「お疲れ様です。真鍋伍長。本当に……」
寝返りを打つと、申し訳なさそうな顔の浦賀准尉がこちらを覗き込んでいた。
中庭の丸く切り抜かれた空を、太陽が通り過ぎていく。
「いえ、俺は子供のすることは気にしないので」
一応、周囲に高千穂曹長の姿が無いことを確認しつつ答える。
准尉は苦笑していた。
「なんであんなに曹長は小さいとか、子供とか言われるのに過敏なんですか」
俺は体を起こして芝生の上に座り直す。
コンプレックスは人それぞれだとしても、どう考えたって気にしすぎだ。
こんな映像、絶対バカだと思われるぞ。
そっちはいいのか。
「子供なのは事実だし。別にいいでしょう、小さくても。むしろ、かわいい、とか言われるんじゃないですか」
個人的には全くかわいいとは思わないけど。
准尉は少し困ったような顔をしてから、俺の隣に腰を降ろした。
「カナンと以前、両親の話をしたことがあります」
俺はその話に、黙って耳を傾ける。
高千穂曹長の両親。
飛獣災害で亡くなった、父親と母親と、曹長は三人家族だったそうだ。
「話している途中で、あの子は泣き出してしまって。自分に何かが足りないから、欠けているから、両親が助からなかったと、そう思っているみたいです。ずっと」
半重力種として、特別なものとして産まれたはずなのに。
それでも、両親は助けられなかった。
その『特別』は、大事な物を守ってくれなかった。
だから、そうか。
それ以外の何かが、自分に足りないと、そういう風に思っているのかもしれない。
『小さい』は、俺の考えているよりずっとずっと、曹長にとっては重い言葉なのかもしれない。
俺、無神経だったな。
嫌なやつだ。
人が嫌がってる言葉なんて、理由も知らないのに口に出して言うもんじゃない。
もう一度寝転がって、寝返り打ってうつ伏せになる。
「大丈夫ですか」
「ちょっと自己嫌悪してるだけです」
そのまましばらく、草と土の匂いを嗅いで、じっとしていた。
芝生の上を、赤いテントウムシがのそのそ這っている。
「でも、カナンはあれで、真鍋伍長に懐いてるんですよ。本当は結構、人見知りな子ですから」
「無いでしょう。無いですよ、それは」
うつ伏せのまま、テントウムシに向かって言う。
高千穂曹長のあの強烈な気性は、平穏無事が座右の銘の俺とは水と油だ。
絶対に気が合わない。
とても仲良くはなれない。
お互いに気を遣って、揉めない距離感を保てれば上々だろう。
というかそもそも、俺は他人と全然喧嘩なんてするタイプじゃない。
なんでここまでムキになるのか、なってたのか、考えてみればよく分からない。
とにかく、これからは気を付けていこう。
酷い事を言った分、ちょっとの横暴は我慢してやろうかな。
突然、芝生の上に影が差す。
それに驚いて、テントウムシが飛び立った。
見上げると、高千穂曹長がこちらを睨んで仁王立ちしていた。
透明なミネラルウォーターのペットボトルを、俺の顔に向けて、ずいと突き出す。
「飲めば」
どうやら、労ってくれているらしい。
多分、そういうことだろう。
ありがたくいただいておこう。
「飲むよ」
立ち上がって、受け取って、喉の渇きを癒す。
疲れてるときの冷えた水って、甘い味がするような気がするのはなんなんだろう。
曹長は腰に手を当てて、とびまるくんシェイクをごくごく飲んでいた。
ぷはー、とか言ってる。
需要、あったんだな、マロングラッセ練乳ブルーハワイ味。
「休憩終わり!もうワンテイク行くわよ!」
「は?」
もう一回。
俺の脚は棒のようなんですけど。
もう一回やるんですか将軍様。
「当たり前でしょ!私の偉大さが表現されるまで、何回だってやる!」
俺は付き合わなきゃいけないのか。
付き合わなくちゃいけないのだろう。
ついさっき、多少の横暴は多めに見ると決心したはずだし。
したかな。
してなかったかも。
してないことにしたい。
してないことに、しよう!
立ち上がって、よたよた走りで逃げ出す。
「逃がすか!」
高千穂曹長の低空タックルで腰の辺りに飛びついた。
バランスを崩して押し倒される。
「どこいくのよ……う~ま~!」
俺の胴体を馬乗りに跨いで、にやーっと、攻撃的に曹長は笑った。
やっぱり絶対に、仲良くなれない。
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