己
「見つからない……」
「見つかりませんね……」
俺と浦賀准尉は根気を切らしてロビーの椅子に腰を落としていた。
カメラで撮影すべき柊隊の人員は残すところ、あと一人。
柊アリア中佐その人だけである。
しかし、そもそもが矛盾している。
この特別任務の発端は、柊中佐が見つからないという所から始まっているんだから。
因果が逆転している。
そして実際、柊中佐は見つかっていない。
食堂、仮眠室、事務室、資料室、トイレや、配電室まで。
あらゆる場所を浦賀准尉と二人して探し回ったが、中佐の姿は無かった。
このままでは柊中佐についての映像は省かなければいけない。
そもそもの原因ということもあるし、確認する広報室の人たちも配慮してくれるかもしれない。
だってあの人が座敷童なんだからしょうがない。
しかし、視聴者はがっかりするだろう。
成り行きとはいえ、俺も
それに、ここまで来たらやっぱり隊の仲間、全員分の映像が欲しい。
誰か一人が欠けてると、なんだかむず痒いし、寂しい。
「どうしたもんですかね」
かちゃかちゃと、ハンディカメラを弄んでみる。
「ううーん。中佐の方から出てきていただくというのは、どうでしょうか」
なるほど、発想の逆転だ。
流石は准尉。
しかして、その手段が浮かんでこない。
「浦賀准尉、中佐の好物とか分かりませんか」
「そういえば、聞いたことがありませんね。趣味は贈り物で、それは皆が知っていますが。柊中佐自身が何を欲しがるかは、うーん」
浦賀准尉は難しそうに、首を捻った。
「お返しにどんな物を受け取っても、中佐は大喜びしてくれるんです。ですから逆に、中佐が特別何を好んでいるかと言われると、誰も知らないような……」
誰の欲しいものでも知っているけど、自分が何を求めているかは、誰にも知られていない中佐。
ますます、何かの妖精の類みたいだ。
しかし、そもそも、俺は中佐の好物なんて聞いてどうするんだ。
おびき寄せて罠にでもかけるのか。
柊中佐は野生動物ではない。
しっかりしろ。
脚の疲れから、発想がどんどん雑になっていく。
「素直に、中佐を我々で呼んでみるのはどうでしょうか」
「呼ぶって。柊中佐は携帯とか持ってないんですよね?」
「我々の声で!肉声で呼びます!」
確かに、それは試していなかった。
試そうとも思っていなかった。
そして中佐なら、本当にヌッと出てきそうな気がしなくもない。
「ひいらぎちゅうさ―――――――」
二人で声を合わせて叫んだ。
……。
帰ってくるのは、沈黙だけだった。
ロビーを歩く職員の皆さんの視線が痛い。
そりゃあそうだ。
本当に妖精か何かじゃあるまいし。
浦賀准尉共々、落胆に肩を落とす。
バコッ。
何の前触れもなく、いきなり目の前の床石が外れた。
「こんにちは!マグ、ササメさん。呼んだ?」
青いきょろりとした目が、持ち上げられた床石の隙間からこっちを見た。
「お、お呼びましたが、よもや……」
准尉は目を見開いて愕然としている。
「……こんにちは、中佐」
もう、座敷童でいいのかもしれない。
というか、なんでロビーの床下から出てくるんだ。
「何やってるんですか、そんな所で」
「楽しいこと。かな。そうだ、マグとササメさんもしようよ!」
俺は准尉と顔を見合わせる。
取材もあるが、柊中佐の『楽しい』がどういうことなのか、興味が湧いてくる。
中々プレミア感の高い経験だ。
俺と准尉は中佐に招かれるまま、床下に入った。
床下は湿った空気の漂う、コンクリートがむき出しの空間で、ぎりぎりで人が立って歩ける程度の高さがあった。
明かりは無く、中佐が片手に持っている電気ランプの光で照らされている範囲以外は、真っ暗だ。
「こっちこっち」
中佐は暗闇の中をすたすた歩いて、空間の片隅までやってきた。
「ほら、ここ、アリがたくさんいるんだよ」
中佐の白い指が示す先には、確かにアリが行列をなしていた。
えっ。
それで。
それで、ここで何をしてたんだ、この人。
中佐はポケットから、なにやら白いものの詰ったビニールを差し出した。
何の変哲も無い、封の開いた角砂糖の袋だ。
「この子達に、ちょっとずつ、あげるんだ」
ニコニコと目も眩むような美少年笑顔で、中佐は言った。
怖い。
逆に怖い。
めっちゃ怖い。
この暗闇で、独りで。
延々と、アリに砂糖を。
「怖っ……怖いですよ中佐!何やってんですかあんた!ヤバい人じゃないですか!」
「怖くないよ!楽しいよ!気付いたら一日終わっちゃうんだよこれ。すごい楽しいよ!みんなには内緒だったんだけどなー。2人は特別だよ!」
「一日……」
准尉は絶句している。
「あの、これ、昨日もやってましたか」
俺は恐る恐る尋ねる。
「うん!やってたよ!ボクは暇さえあればこれをやるよ!」
「ひえええええ」
普通に戦慄の声が喉から出てくるレベルだ。
何故、何故そんな独房に閉じ込められた死罪人みたいな時間の使い方を。
闇が深い。
闇が深すぎる。
「はい、どうぞ。二人もやろう!」
中佐は俺と准尉に、5、6個の角砂糖を手渡した。
暗闇の中、三人で並んで体育座りする。
角砂糖を削って散らすと、アリが群がって、それを運んでいく。
砂糖を運ぶアリが闇の中に消えると、また砂糖を散らす。
その姿を、じっと、眺める。
いかん。
おかしくなりそうだ。
「こうやってると、キャンプみたいだね。いつもと違って賑やかなのも楽しいな」
中佐は物凄く上機嫌だ。
いつもニコニコしているが、こんなに幸せそうな中佐は見たことが無い。
正気を取り戻すために、叫んでダッシュで床下を脱出するのも難しくなってしまった。
こんなキャンプ聞いたことないよ。
「ぼーくらはみーんなーいーきているー、いきーているからうーたうんだー、ふふふっ」
ついに歌まで歌いだしたぞ。
しかも選曲も微妙に怖い。
柊中佐の歌声だけが、床下の空洞に響いている。
「て……の……ひらをーたいようにー……すかしてみーれーばー」
肩を小刻みに震わせ、目が虚ろだ。
正気の崩壊に耐えるために歌っているのかもしれない。
「「「みんなみんなーいきているんだともだちなーんーだー」」」
やがて三人の歌声が、重なった。
闇の中、アリの行列を見つめ、『てのひらを太陽に』を丸々一曲歌った。
なんだ、この状況。
床下から解放される頃、正気値を僅かに取り戻した俺たちはようやく本来の目的を思い出していた。
「テレビの取材?やるやる!」
いつも通りのハツラツとした笑顔で、中佐は取材を快諾した。
「えー、こほん。飛獣の増加に対しては、これまで以上に避難誘導を行う警察や、消防局との連携を重視して対処にあたるべきだとボクは思ってます。それには段階として」
カメラの前の中佐は、官民の信頼関係という観点から、飛獣災害の様々なケースを挙げつつ、10数分に渡って重視すべき対処と具体的な注意点を簡潔に語った。
爽やかで、丁寧で、素人聞きでも分かりやすくてためになる話だ。
ただ、さっきまでアリに砂糖撒いてた時と話のトーンが変わらなさすぎて、怖い。
「こんな感じかな。オッケー?」
「お疲れ様です。中佐」
俺はカメラを閉じて、中佐に礼をした。
「じゃ、ボク戻るよ!」
バコッ。
床石を外して、中佐は再び床下に飛び込んでいった。
俺はげっそりと項垂れる准尉を肩で支えつつ、思った。
中佐はあの薄暗い、足元もおぼつかない空間ですたすた歩き回っていたが、果たしてその時、足元のアリは見えているんだろうか。
もしかして、普通に踏んで……。
いや、やめておこう。
すでにこの奇妙な事件は我々の心の中にだけ、しまっておくべき過去なのだ。
霧がかるような気持ちを振り払い、取材班はその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます