ビルの隙間を縫って、白い影が飛ぶ。

青いガラス張りのビル壁の微かな映り返しが、実体の無いゆらめきとして町を走る。

紅の光条が白いゆらめきの元から迸る。

影が過ぎ去るのに一瞬遅れて、道沿いの建物は轟音と共に倒壊した。


一対の羽を持った人間大の甲虫のような飛獣が、十字路の真上で、飛行を一時停止し、ホバリングする。

その単眼が、カメレオンじみてぎょろぎょろ蠢いた。

自分たちを狙う狩人の存在に、気付いたのかもしれない。


その右側後方斜め上。

空を切り、既に黒い金属銛が強烈な速度で怪物を貫くべく飛翔し、迫っていた。


ぐぁん。

轟音と共に、粉々のガラス片が土煙の中で弾けてきらめいた。

衝撃の元は、ビルの外壁に突き刺さった黒い銛。

甲虫飛獣は初撃を回避し、纏わり付く土煙を振り切るように上昇した。

土煙の外に出た飛獣は再び眼球を目まぐるしく動かし、索敵を再開する。


狩人は、既に接近と潜伏を同時に済ませていた。

その真下、土煙の中からもう一本の黒い銛が突き上げる。


急制動。

飛獣は空中をバレルロールし、ビル側へ回避軌道を取る。

しかし、一瞬の遅れが致命となった。


高質量圧縮合金で鋳造された黒い銛が、飛獣の胴体を掠める。

その爆発的な質量は、掠めただけで甲虫飛獣の制動権を剥奪した。


回転は既に飛獣自身の意思では止まらない。

落下自体を免れたものの、無防備を晒し、宙を舞う。


がん!

三発目の黒い銛が、ビル壁に飛獣の体を磔にした。

灰と化した飛獣の亡骸は重力に引かれて零れ落ち、壁面に突き立てられた黒い銛だけが残る。


「柊、F6の19撃墜ヒト」


やや強く吹く風に髪を抑えながら、柊中佐は首もとの無線機に簡潔な戦果報告を行う。


「14:09、撃墜ヒト」


俺は区画一つ離れた観測台の天辺で双眼鏡を片手にそれを覗いている。

飛獣観測台は町の様々な建物の屋上に設けられた、鉄梯子の簡素な物見だ。

飛獣警報機と同じく、都内のありとあらゆる場所に設置されているが、その存在さえ半年前の俺は知らなかった。


報告の時刻と内容を繰り返し、専用の記録帳に書き写す。

後方観測員の重要な仕事のひとつだ。

無線中継で隊員のバックアップを行うと共に、戦闘を記録していく。

こうして少しづつ、現場での戦闘に慣れていかなくてはならない。


『次はどっち?』


息一つ乱さず、スピーカーの向こうの柊中佐が尋ねた。

俺たち第七支局柊隊の隊長であり、指揮官を務める中佐は、戦闘状況に入れば、どこまでも怜悧で攻撃的な猟犬へと変わる。

その戦いぶりは、間近に見てもやはり天才としか表現できない。


「目標残り3つ、C3空域付近を移動中の個体を視認。山上中尉が対処に当たっています」


『了解、支援に向かう』


ぶつっ。

チャンネルを切り替え、山上中尉へ通信を繋ぐ。


「中尉、柊中佐がそちらに向かいました」


『了解。素早くてなかなか手ごわい奴だ。助かる』


中尉はごくいつも通りの淡々とした口調で言った。

この人の態度は戦闘中も日常でも全然変わらない。

まるでブレがない。

本人にその理由を尋ねれば、帰ってくる答えは恐らく一つしかないだろう。


そんな事に思いを馳せながら、視線は空を滑る。


中佐とは逆方向の繁華街跡地の上空に、犬飼少尉が気だるそうに両腕を下げて立ち止まっているのが見えた。

高速飛行する飛獣とのドッグファイトによほどうんざりしたのか、いつにも増して目が死んでいる。


その背後斜め上の死角。

50mも無い距離から、白い揺らめきが接近していることに俺は気付いた。

まずい。

素早く少尉にチャンネルを繋ぐ。

間に合うのか。

間に合わせなければ。


「少尉!」


ざが。


俺が通信機に叫ぶのと、犬飼少尉の質量刀の黒刃が飛獣の頭部に切り込むのは、殆ど同時に見えた。

振り向きざまに空中で身を捩った少尉は、その遠心力と飛獣の突進の勢いを逃さず、そのまま刀を振りぬいた。


真っ二つになった甲虫飛獣は、一枚ずつになった羽でもがきながら、無意味な回転運動と共に落下していった。


『犬飼、N8の14撃墜フタ、今お前、大声出したな』


通信機のスピーカーから帰ってくる少尉の言葉は、酷く不機嫌そうに聞こえた。


『俺が死ぬかと思っただろ。お前、ふざけんなよ馬鹿が。俺は死なねえ』


「14:10、撃墜フタ……すみません」


犬飼少尉は、真剣に怒っていた。

この人はいつもこうだ。

誰よりも死に近い戦い方、飛び方をしておきながら、命知らずと扱われることに深い怒りを示してくる。


俺は死なない。

その言葉が犬飼少尉にとってどんな意味を持っているかは、俺にはまだ全くわからない。


「目標残り2つ、C3付近で山上中尉と……」


『あー、いい、いい』


次の飛獣への誘導を、犬飼少尉は嫌気に満ちた口調で遮った。


『このくらいの奴なら各個撃破で十分だろ。中佐なら一人でも全部片付けるぜ』


『高千穂!K2の11撃墜サン!チョロチョロしちゃって!ま、アタシの敵じゃなかったけど!ちょっと、聞いてる!記録しなさい!』


犬飼少尉の言葉に反論しようとする間もなく、キャンキャンとした曹長の戦果報告が間に割って入った。


『……な?』


「それとこれとは話が別ですから。残り目標1、C3空域に二人ともお願いします」


『ちょっと!記録!』


「分かってる!14:10、撃墜サン。ほら行った!」


『こき使ってくれるぜ』


不満げにそれだけ言い捨てて、犬飼少尉の通信は切れた。

本当にこの2人は大人げがない。

比較で考えるとなんやかんや子供である高千穂曹長はともかく、24歳の犬飼少尉のほうが重症かもしれない。


その時、C3空域近くのビルの狭間から上空に最後一匹の甲虫飛獣が飛び出した。

同時に、その対面に遮熱襲を纏った浅黒い肌の女性が浮上した。

190cmを超える長身に見合った頑健な体格。

その両腕は丸太のように筋肉に満ち満ちている。


「ようやく、捕らえたぞ」


ゴーグルの奥の理性的な視線で甲虫飛獣を見据え、山上中尉はその質量槌を振り下ろした。


どがぁっ!

質量槌……その戦術的効果は対空警邏の装備の中でも最も直接的かつ乱暴だ。

その目的はすなわち、運動エネルギーの付与による、高度の低下。

早い話が、殴って地面に叩きつけるという武器だ。


甲殻を砕かれながら、地面に向かって高速で直進する飛獣。

しかし本体の重量自体が軽かったためか、地面スレスレでその直進速度は低下していく。


「浅いか……」


再び舞い上がろうと羽を動かす甲虫飛獣を山上中尉は悔しげに見やった。

飛獣はどれほどその構成体を破壊されても、着地しない限りはその活動を止める事はない。


甲虫飛獣の落下が停止した。


がん。


そのひび割れた背の甲殻が、黒い銛に貫かれる。

重量と衝撃の追撃が、飛獣を地面に叩きつける。


上空から八式を抱えた浦賀准尉が敬礼した。


『浦賀、C4の9、撃墜ヨンであります!』


浦賀准尉のよく通る声が、空に響いた。


「14:11、撃墜ヨン。全目標飛獣撃墜。状況終了です」


『最後、ボクの出る幕なかったね。ちょっと残念』


いつもの子犬モードな声色に戻って、いたずらっぽく柊中佐が言った。


『みんな、お疲れ様!』


俺が柊隊に配属されて、丁度10度目の戦闘状況が終わった。


「何故だ……」


帰りに乗り込んだジープの中で、山上中尉はずっと頭を抱えて落ち込んでいた。


「角度もタイミングも申し分無かった、あの一撃で仕留められないとは……」


よほど飛獣に止めが刺せなかったことを気にしているらしい。

山上タイガ中尉は、ただの筋肉ではなく、むしろ繊細で深く物を考える筋肉だった。


「も、もしや出すぎた真似を致しましたか、中尉殿」


心配顔で浦賀准尉がその顔を覗き込む。


「いいよ、放っとけ浦賀」


犬飼少尉は心底どうでもよさげに窓の外を眺めている。


「そうよ!そんなことよりササメ!あたしの大活躍を聞かせてあげるわ!」


隣に座る准尉の肩に、高千穂曹長はよじ登ろうとしている。


「しかし中尉殿……」


浦賀准尉は眉を下げ、本当に申し訳なさそうな顔をしている。

こういう時の准尉はちょっと気にしすぎるくらいに相手を気にする。


山上中尉は顔を上げ、首を横に振った。


「准尉は正しい判断と動きをした。あの一撃が不完全だった理由は一つ」


人差し指で眼鏡を持ち上げる山上中尉。

動揺が伺えない鉄面皮だ。


「まだまだ私の筋肉が鍛えたりないということ……戻ったらウェイトだ」


中尉は俺の方へキッと視線を向けた。


「鍛えるぞ。真鍋」


今日は相当に激しいトレーニングになりそうだ。

俺は覚悟を決め、無言で中尉に敬礼を送った。


土煙を上げて、ジープは走る。


今回の出撃も、柊隊の誰にも怪我は無かった。

誰も空から落ちなかった。

俺は椅子にもたれかかり、安堵の息を吐く。


柊中佐と浦賀准尉、高千穂曹長。

飛獣と戦うべく、確かな動機や理由と共にこの場所にいる、『あちら側』。

そして流されるままここにやってきてしまった『こちら側』にいる俺。


半年経っても、まだ答えの出ない線引きを、選択を、先延ばしにされた安堵だった。

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