甲
第七支局のある
駅を中心に広がる迷路のような地下都市には、あらゆる店が蜂の巣のようにひしめき合っている。
百貨店、専門店、飲食店、エトセトラ。
駅の直下にある噴水広場の、琥珀色の石タイル。
その上を踊るように歩きながら、柊中佐は腕を広げてくるりと回ってみせた。
ニットキャップと眼鏡を着けて外出用の装いだ。
「ボク、ここが好きだよ。人がたくさん居るしね」
裏寂れた地上の景色からは想像が付かないほど、この地下都市は人で賑わっている。
ここは太陽の光が届かなくても、温かい。
中佐は広場から横道に入って、入り組んだ町並みをずいずいと抜けていく。
置いてかれないように、俺も早足で付いていく。
やがて中佐は一件の店の前に立ち止まる。
店先の扉の摺りガラスは、手入れが行き届いていないのかやや濁った色をしていた。
扉の真上には『つばめ屋』と看板がかけてある。
ショーウィンドウに並べられているのは、ソフビ人形にコーヒーメーカー、オルゴール。
その他雑多ないろいろ。
いまひとつ何の店か分からない。
店内は薄暗く、そもそも営業しているのかどうかも怪しい。
中佐は店の扉を引いて、躊躇いなく入店する。
後に続いて中に入ると、金木犀の香りが鼻をくすぐった。
「おっちゃん!来たよ!」
「おお、英雄様のご来店だ」
壮年の店主はカウンターに頬杖を付きながら、事も無げに言った。
中佐の後ろで訝しげに店内を見回している俺を見て、細い目をした店主は狐のように笑う。
「ゆっくり見ていってくれていいよ。どうせヒマだから」
棚に並んでいるのは、色とりどりのビーズにボタン、毛糸、布、端材、ガラス玉、水飲み鳥の玩具、香炉、スノーボール、古びたランタン……。
ここ、結局何の店なんだ。
そして中佐は一体どういう考えで俺を連れてきたのだろう。
ともかく、穏やかな感じで素敵な店だと思った。
「よーし、それじゃ選んでいこう」
「選ぶって何を……」
「贈り物!カナンにマグが渡すの!」
贈り物。
言われてみればその発想は無かった。
けれど急に言われても俺は他人へのプレゼントなんてこれまで選んだ事が無い。
しかも相手は年下の女の子だ。
「大丈夫!ボク毎日のように友達に贈り物を渡してるから!いわば贈り物のプロだぜ!」
グッと親指で自分を指す中佐。
いつにも増して溌剌として見える。
その言葉にありがたく甘えておこう。
「高千穂曹長って、何が好きなんですか」
「カナンはとびまるくんが好きだよ。大ファンなんだって」
とびまるくん……。
対空警邏のイメージキャラクターだ。
俗に言うゆるキャラである。
青空をモチーフにした青白まだらの頭に顔が張り付いたようなデザインは、個人的な意見を言わせてもらえればかなり不気味に感じる。
人気はないって聞いていたのに思わぬところでファンを見つけてしまった。
この情報をどう役立てればいいのかはさっぱり分からないが。
あーでもないこーでもないと店の中をいったりきたりして小一時間。
ようやく案がまとまってきた。
カウンターで勘定を済ませて品物を包んでもらう。
肌触りのいいビロードの小袋。
「ああ、そうそう、例のやつが出来てるよ」
思い出したように、店主が店の奥から何かを持ってきた。
それは透明なビニールに詰められた、薄桃色にきらめく砂だった。
「うわぁ!すごくいいね!ありがとう!」
中佐はそれを受け取ると、ひどく浮き足立った様子で店内をうろうろしだす。
店の明かりに砂を当てたり、商品棚に並んだ色々な綺麗な物と、見比べるようにきょろきょろしている。
「飛獣の灰を混ぜて、ガラスの砂を作るんだ」
店主は椅子に座って、また頬杖を付いた。
「どうしてそんな注文をするのか、あの子の考えは知らんけどね」
町で出会う人々、その一人一人の顔を覚えている。
同じ支局で働く人たちの誕生日を一人一人覚えている。
死んだ飛獣の灰で、ガラスの砂を作る。
柊中佐にとって、何が失われてはいけない物なのだろう。
俺はそんな事を想像しながら、店を出た。
時刻は夕方に差し迫っている。
中佐と並んで、迷路のような地下街を歩いていく。
噴水広場に戻ると、行き交う人々の数は更に増えていた。
俺と中佐は並んで噴水の縁に座って、人通りを眺めている。
仕事帰りのサラリーマン、学生、地下建築作業員の若者。
その誰もが、和やかな表情をしている。
まるで飛獣に脅かされる生活のことを忘れてしまったように。
その穏やかさが、何だか無性に俺の心臓の辺りをぞわぞわさせた。
「柊中佐は、どうして戦うんですか」
ほとんど無意識に、そんな言葉が出てきていた。
もっと言葉を選ぶべきだったかもしれない。
けれどそんな時間の猶予があるのかどうかも、俺には分からなかった。
中佐と二人きりで話す機会は、もう二度と来ないかもしれない。
浦賀准尉の重さの幻覚が、まだ俺の腕の中にある。
「ボクは他に行く宛が無かったから」
中佐は白い髪をかきあげて、柔らかに微笑んだ。
「両親がボクを施設に置いていったんだって。2歳くらいだよ。父さんの顔も母さんの顔も、全然覚えてない」
おおよそ20年前、飛獣が初めてこの世界に現れた。
その後数年間、世界中は大混乱に陥った。
飛獣は人の多く集まる都市の真上に現れる。
土地や物の価値が滅茶苦茶になり、人の生活と命の価値も、滅茶苦茶になった。
その恐慌の中で、産まれた子供を手放そうとする親は少なくなかったらしい。
「ここがボクに与えられた居場所だから、それがボクの価値だから、戦ってる。つまんない答えだよね」
柊中佐の声が段々と、細く、小さくなった。
その横顔。
いつもと同じ笑顔だが、普段とはどこか違うように見えた。
「飛獣と一緒なんだ。何かを作ったり、生み出したりしない。いつか地面に落ちたら、それでおしまい」
「俺は、意味があると思う」
また、口をついて言葉が出る。
訂正している時間はない。
仕切り直している猶予は無い。
俺たちの時間は無くなっていく。
気持ちを、今、言葉にしておかなくてはいけない。
「この町の人たちが安心して眠れるのは、アリアがいるからだ」
それで。
だから。
俺があの日、中佐に命を助けられるまで、ずっと柊アリアについて思っていた気持ちを、今、言葉にしておきたい。
「ヒーローは人の心を救うんだよ。それは無駄じゃない。すごく大事なことなんだ。俺はそう思う」
対空警邏が青空を飛ぶ。
それで俺たちは、まだ東京の空が失われてない事を思い出せた。
その救われる気持ちを、アリアに伝えたい。
伝わって欲しい。
アリアは俺の肩に腕を回した。
引き寄せられて、肩がぶつかる。
「ありがとう、マグ」
忘れないよ、とアリアは耳元で囁いた。
「人の心を救うのがヒーローなら……」
立ち上がり、こちらを向く。
アリアはいつも通りの輝くような笑顔で笑っていた。
「やっぱり、マグもヒーローだよ」
一緒にがんばろう!と、柊中佐は俺の方に手を差し伸べてくる。
俺は押しあがってくる自分の弱気に苦笑した。
高千穂曹長のこと、そんな大それた気持ちではいたくなかったけど、話の成り行き上仕方ない。
本物のヒーローが言うんだから、俺にだってちょっとくらい格好付ける権利はあるはずだ。
だから俺は、准尉の言葉の影に隠していた本当の動機を引っ張り出す。
俺だってこの世界で、誰かの心を救うために何かがしたい。
俺は中佐の手を取って、立ち上がった。
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