俺は朝から201号室の前でウロウロしていた。

頭の中に用意した段取りを何度も繰り返す。

今日を逃せばこの作戦は2度と通用しない。

意を決して、扉をノックする。

返事はない。

数秒の間を空けて、もう一度扉を叩く。

扉の向こうから物音が聞こえた。

やがて、扉が僅かに開く。

扉の隙間から、高千穂曹長の目がこちらを覗いた。

虚ろな、疲れきった目だった。

どこかに行けと、訴えかけられているような視線。

俺は怯まない。

引き下がったら、二度とやり直せない。


「俺は最近……」


用意してきた台詞を頭の中で手繰り寄せる。

目は泳いでいたと思う。


「最近……とびまるくんが気になってて、ファンになりそうなんだ。あの……まだら模様な感じがいいよな」


曹長の表情は変わらない。

ただ無言で、こちらをじっと見ている。

俺は怯まない。


「それで明日、青嘴あおはしの方できぐるみショーがあるって言うから。曹長殿に詳しいところを……」


「あんたさ」


高千穂曹長は、冷ややかな声で言葉を遮った。


「気使ってるでしょ」


声が震えていた。

はちきれそうな何かを、押さえつけているような声だった。


「あたし、そんなに情けない?」


そうよね。

言葉と共に乾いた笑いが、曹長の唇から漏れた。

彼女は俯いて、拳を握り締める。


「肝心な時に何にも出来なくて、ササメの事も、お父さんも、お母さんも」


いつも浦賀准尉と一緒にいた曹長。

飛獣災害で家族を失った曹長。

俺には今、この人がどんな気持ちなのか、分からない。

俺は高千穂曹長とは違う。


「ガキ以下よ。いらない奴だわ」


俯く高千穂曹長の頬を伝って、涙が落ちた。

扉は閉じられていく。


俺には彼女が分からない。

分からないけど。

違うけど。

それは引き下がらなきゃいけない理由にはならない。


俺は扉の隙間に手を伸ばし、曹長の腕を掴む。

高千穂曹長が、真っ赤な目でこちらを睨んだ。


「嫌なんだよ。知ってる奴が、苦しそうで、これまで通りじゃなくなっていくのは、悲しくなってくる」


まとまらない思考を、一つずつ言葉にしていく。


「あんたが嫌だとか、悲しいとか、そんなのあたしの知ったことじゃない!」


破裂するように、曹長は怒鳴る。


「あんたに何が分かるの!惨めで、馬鹿みたいで……消えちゃいたいって気持ちが!」


「だったらこっちの気持ちは分かるのかよ!」


俺も声を荒げた。

こんなの全然、最初の想定と違う。


俺たちは黙って睨みあった。

高千穂曹長は泣きそうな顔をしていた。

俺も気を緩めると、涙が出そうだった。


「俺は本当に、何にも出来ないのか」


そんな事、聞いてどうするんだよ。

なんとかするつもりで来たのに。

人の心を救うとか、大それたこと言ってたくせに。


やっぱりヒーローになんかなれっこない。

俺は自分を、情けない奴だと思った。

でも、せめて、この掴んでいる手だけは離さないでおきたい。


このまま部屋の中の暗闇に曹長を戻すくらいなら、俺を殴りつけるためにこっちに来てくれた方が、ずっといい。


結局、根負けしたのは曹長の方だった。

部屋から出てきた高千穂曹長は泣きながら怒り、怒りながら泣いていた。

俺は廊下の壁にもたれて、曹長と並んで座りながら、泣き止むのを待った。

俺たちはそうして、雨が止むのを待つように、しばらくそこにじっとしていた。


翌日、青嘴からの帰り道、俺と曹長はとびまるくんショーの内容について語り合っていた。


「……あ!最後に出てきたとびまるくんグレートって、とびまるくんのお父さんだったのか?」


「今頃気づいたの!?ちゃんと説明あったじゃない!地下トーナメント編、普通にテレビ版でもやってたわよ!」


「テレビ版があるのか……」


「サードシーズンまであるんだけど」


知らなかったそんなの。

というかとびまるくんにそんな一大サーガが付随しているのも全然知らなかった。


「あんた、本当は全然とびまるくんに興味なかったでしょ」


高千穂曹長がじろりとこっちを見る。

俺は図星に目を逸らす。


「まあいいわ!これからみっちり教え込んでやるから覚悟しなさい!」


会場で貰ったとびまるくんバルーンを片手に、曹長はふふん、と鼻を鳴らして笑った。

実のところ、割と楽しみな申し出だ。

今まで気持ち悪いと思っていたデザインも、アクションを絡めると意外にかっこいい。

瓢箪から駒で、俺は実際とびまるくんにハマりつつあった。


2人で駅に向かう途中に差し掛かった通りで、道路の真ん中に固まる一団が目に付いた。

一団の人々は道を練り歩きながらプラカードを掲げたり、チラシを配ったりしている。

そこに写っているのは、都営軍の軍服を着た若者だった。


そして代表らしき人物が先頭に立って、メガホンでしきりに熱弁している。

対空警邏は都に不要だ。

予算を地下居住設備の拡大に回せ。

主張しているのは大まかにそんな内容だった。


勢いでチラシを受け取ってしまって、高千穂曹長と俺は何とも言い難い表情で顔を見合わせた。


「反重力種を標的にするタイプの飛獣が、また現れたそうだ」


振り向くと、道端のアイスクリーム屋台の前に、山上中尉が立っていた。

上下共に黒のジャージ姿だ。


「第三支局の戦闘員が2人死んだ。順調に我々は全滅に向かっているな」


「何やってるのよ、こんな所で」


「SNSでここいらにデモ隊が来ているという情報を見かけたので、ジョギングついでに見に来た」


中尉はアイスクリームを三つ買って、二つをこちらに差し出してきた。


「アイスクリーム、粗悪な脂肪と糖分の塊だ。おまけに体も冷える。だが時々食べると旨い」


「あたしイチゴがいい!」


イチゴのアイスととびまるくんバルーンを両手に持つ高千穂曹長の小学生っぷりは最早尋常の領域を超えており滅茶苦茶面白く、吹き出すのを堪えるのが大変だった。


俺は緑のメロン味だった。

アイスクリームを齧りながら兵舎に向かって歩く。

爽やかな甘さと舌触り。

背後のデモ隊の声は遠ざかっていく。


「対空警邏が無くなった時の事も、考えておくべきかもしれん」


滅びかけとはいえこの国は民主主義だからな。

コーンの縁をぱりぱりと噛みながら、中尉はそんな事を言う。

冗談なのか本気なのか。

この人のポーカーフェイスからそれを見分けるのは難しい。


「お前は浪人生に逆戻りか」


「言わないでください」


想像するだに、気が重い。

高千穂曹長は、ただ俯いていた。

曹長の生体揚力は戻るのか、戻ったとして、対空警邏に残るのか。

それはまだ、誰にも分からない。


「でも、対空警邏が無くなったら、飛獣はどうするんですか」


「ロシアや中国と同じだろう。片っ端から居住とインフラを地下に移して、無人戦闘機を出す。アメリカが良しとすればな」


また一口、中尉はコーンを齧った。


「地下暮らしも慣れれば楽しいと聞いてる。悲観することでもない」


地下の暮らし。

青空の無い暮らし。

それはどんな気分なんだろう。

俺にはまだ想像が付かない。


「中尉は、不安とか無いんですか。これからのこと」


「不安か。もしも飛獣と戦えなくなったら、残念ではある」


「残念」


「空を飛び回り、スリルのある戦いをこなし、地上に降りる。そういう日のダンベルの重みは素晴らしく心地いい」


この人もちょくちょくぶっ飛んだ世界に生きていることを伺わせる時がある。

柊中佐ほどで無いにせよ。


「それだけですか」


「それだけだよ」


山上中尉は歩きながらこちらを見た。


「犬飼とかお前はナイーブだから言っておいてやるが、戦う理由があればいいって物でもないだろう」


ナイーブ。

俺と犬飼少尉ってそういう感じでくくられているのか!?

何気にショックな物言いだった。


「逆に理由があれば戦わなければいけないってわけでもない」


高千穂曹長の肩が、歩きながら少し揺れた。

ように見えた。


そのまま俺たちは電車に乗り、少し歩いて兵舎まで戻ってきた。


「私はもう一走りしてくる」


兵舎の前で、山上中尉はくるりと俺たちに背を向け、走り出した。

が、数歩で足を止めて、こちらに引き返してきた。


「な……何よ」


立ち止まり、ジッと見下ろしてくる中尉に曹長が睨み返す。

山上中尉の長身は、曹長にとってはさぞ威圧感があるだろう。


中尉はそのまま屈んで、曹長を抱え上げて立ち上がった。


「ちょ、な、ギャァー!」


急激な視点の上昇に、高千穂曹長が悲鳴を挙げた。

よくよく考えると、高度数十メートルでの戦闘を経験しておいて不思議な話だが。


「ジッとしてろ。ほら」


中尉は子供をあやすように、曹長の背中をぽんぽん叩いた。

しばらくの間、曹長はじたばたと抵抗を試みたが、やがて観念したかのようにぐったりと中尉に体重を預けるままになった。


「降ろしなさいよー……」


耳を赤くして情けない声色で訴える曹長。

その姿はかなり面白い。


「いいだろう。少しくらい」


山上中尉は曹長の背中をさすりつつ、憮然と言った。

そして小さな声で、一言だけ、付け加えた。


「……私だって、心配してたんだ」


山上中尉は、犬飼少尉のことを阿呆なんて言ってたけど。

この人だって、大概不器用だ。


中尉は満足したのか、曹長を降ろしてそのまま通りを走り去っていった。

俺たちは並んで、その背中を見送った。


「いらない奴なんて、もう言うなよ」


ごすっ。

腰骨の辺りに衝撃が走った。

真横に向かって振り下ろす頭突き、そういうパターンもあるのか。


「説教臭くてムカつく!何様よあんた!下っ端のくせに!言われなくても分かってるわよ!」


痺れる痛みに崩れ落ちた俺を見下ろしながら、高千穂曹長は俺を指差してキャンキャンと言う。

その瞬間、俺は一つの志を新たにした。

……このガキ、いつか泣かせてやる。


俺は腰骨をさすりつつ扉に向き直り、兵舎の鍵を取り出す。

その時、強い横風が吹いた。


「あっ」


声に振り向くと、バルーンが曹長の手を離れて、ふよふよと空に舞い上がっていた。

しょうがないから、取りにいってやるか。

俺はしゃがんで狙いをつける。


曹長は、それを掌で遮った。

こちらを見て、首を横に振る。

飛ばされていくバルーンに向き直り、曹長は目を閉じ、祈るように、握った右手を額に翳した。


こつ。

軽い音を立てて、曹長の靴が兵舎前の石段を蹴った。

ふわりと、その体が舞い上がった。

バルーンの紐を掴んで、緩やかに道路に降りてくる。


高千穂曹長は、こちらに駆け寄って、笑った。


「ちゃんと見てた?」


「見てたよ」


俺も何だか嬉しくなって、一緒に笑った。


「何やってんだ、お前ら」


兵舎の扉の前に、いつの間にか犬飼少尉が立っていた。

戦闘用のインナーを着込み、眉間に皺を寄せている。


「飛獣だ。さっさと出ろ」


懐の携帯電話が鳴っている事に気付く。

俺は少尉に向き合って頷き、それから曹長の方を見た。

彼女の笑顔は、既に消えていた。


「私も出るわ」


高千穂曹長は戦う人の眼差しで、そう言った。

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