『おまけの時間』


俺の手の中にカメラがある。

何の変哲も無い、ごくごく一般的なハンディタイプのホームビデオカメラだ。


ボディの色は黒。

年季の入った物のようで、端っこの塗装が若干剥がれている。

側面には、『備品』と黒マジックで書かれた白いシールが、やや斜めって貼り付けられている。


意味も無く、かぱかぱと閉じたり開いたりしてみる。

レンズを覗き込んでみたりする。

レンズに黒い何かのカスが貼り付いている。

爪の先でカリカリとそれを剥がす。

ティッシュで痕を拭き取って、これでよし。

いや、まだ痕が気になるので、濡らしタオルの端っこで磨いておく。

改めて、これでよし。


映像はちゃんと映っている。

きっちり作動する物であることは確からしい。


確認を終えて、俺は上着のポケットにカメラをしまった。


俺は兵舎のベッドの上に座っている。

朝ののんびりした日差しが、窓から差し込む。

四、五日前から、冷え込みが落ち着いて、表は暖かい。

俺は背中を伸ばして大きく、欠伸をした。

春がやってきた。


対空警邏に入隊して、もうすぐ、ひと月半が経とうとしている。

この頃は少し固い感触の寝床にも、そろそろ慣れてきた。

最近はいったん目を瞑れば朝までぐっすりだ。

6時に起きて、10時に眠る。

生活はすこぶる健康的である。


とはいえ毎日十時間以上の訓練と教科で、帰ってくる頃にはへとへとに疲れ切っているのがほとんどだった。

人間は体力を使い果たすと、大概の寝床に慣れる。


最低限の訓練過程を修了しなければ、現場には出られない。

飛行訓練、射撃訓練、白兵訓練、装備取り扱いの訓練、基礎体力の向上。

訓練の習熟、特に戦闘で最も重要になる生体揚力バイタル・リフトのコントロールについては、個人差が大きく出る。


空中を自在に飛ぶために必要なのは、ざっくばらんに言えば個々人ごとにしか実感できないコツという事になる。

そして、先天性の反重力種アンチグラビティではない俺は、それを一から会得しなければいけない。

毎日訓練して最低でも三ヶ月、長ければ一年はかかる。

との事だった。


幸い、教官によれば俺の訓練は比較的順調と言えるらしい。

当分、天井に頭をぶつけるのは避けられそうだ。

あれはめちゃくちゃ痛い。


知識で覚えていかなければいけないことも多い。

第七支局が担当する各地域区画の特徴、詳細なブロック分け、補給コンテナの位置、武装使用の制限、作戦行動の基本的なセオリー、隊員同士のフォーメーションの取り方、連携の取り方、過去の飛獣の出現記録と、戦闘記録エトセトラ、エトセトラ……。

全くこれまで調べもしなかった知識を、頭がパンクしそうなくらい流し込まれる。

辞典のように分厚い教本の中身を、一から十の隅から隅まで覚えていく。

大変だけど、この知識に命が懸かってるんだから、避けようもない。


それにこういう情報の暗記と整理は苦手ということもなかった。

肉体的なしごきの方がよっぽどキツい。

ひたすら受験勉強に打ち込んでいた2年以上がこんな形で役に立とうとは。

浪人生だって、捨てたものじゃない。


ともかく俺がそういう毎日を過ごしはじめて、50日近くが経とうとしていた。


そして今、俺の手元にハンディカメラがある。


これを使って、果たさなければならない仕事がある。

気を引き締めて臨まなければ。


相手は、一癖も二癖もある、いや、癖の化身とも呼ぶべきような存在ばかりなのだ。

いわば正体不明の怪物と戦うのと同じだ。

それは言い過ぎとしても、一筋縄でいかないのは間違いない。


気合だ。

気合を入れよう。

なせばなる。

やってできないことはない。

多分。


そして俺はベッドから立ち上がり、部屋の扉を開いて出ていく。



その日、俺の対空警邏としての初任務が、始まった。

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