第28話 迫るタイムリミット
誰かと電話をしていたかと思うと、急に窓際に寄って外を見るやいなや壁を殴ったイザの様子に、他の乗客たちには動揺が走る。
「……ど、どうしたんだ……?」
バートがイザの肩を掴んで、様子を覗く。しかし、イザの顔色を見て、驚いた。血の気が引くとはこういうことかと思うくらい、イザの表情は青ざめている。
「何があったんだ?」
「……時間が、なくなった」
呟くイザの言葉の意味がわからず、バートは「なんだって?」と聞き返した。
イザは、じっとバートの顔を見る。
そして、今度は乗客みんなの方を向いて、その場にいる全員に聞こえるように言った。時間がない。手間取っている場合じゃない。
「この飛行機は、いつの間にかスピードを上げてモスクワに近づいていた。もう、100キロ地点は目の前だ。それで、ロシアの大統領府の最終決定があった。……この飛行機は、9時10分に撃墜される」
イザの言葉に、その場にいた全員が息をのんだ。
こういうとき、人は悲鳴などあげられないんだな……と、自分の中の冷静な部分が観察している。
ただ、静かな沈黙が、そこにあった。
さっきまであった、みんなで助かりたいという一致団結した気持ちも霧散してしまったように、イザは感じる。
言わなきゃよかったのか?
でも、言わないと、のんびりされても困るのだ。本当に時間はあとわずかなのだから。
しかし。あまりに短いタイムリミットを突き付けられてしまったことで、誰もが動けなくなってしまっていた。
諦め……という言葉がよぎる。
「無理だよ! そんな短い時間で、どうにかなるわけない!」
誰かが叫んだ。やらなきゃいけない、そう分かっているのに、脱力してしまって体が動かない。そんな空気が場を支配していた。
「計画通りやろうよ。それしかないだろ?」
劉が声をあげる。しかし、賛同する声は続かない。
残り、あと5分。
なんとか、しなくては。
このままだと、本当にここで終わってしまう。
イザは意を決して、大きく息を吸い込むと。
「……なぁ。お前ら、こんな気持ちのまま死にてぇの? 」
搾り出すように。
みんなに気持ちをぶつけた。
「俺、嫌だよ、そんなの。死にたくない。でも、それ以上に、こんな諦めの中で死にたくない!」
声を荒げたイザに、自然と乗客たちの注目が集まる。
「俺は、今までずっと諦めるばっかりの人生だったけどさ。諦めるのって、一番簡単なように見えて、本当は一番苦しいんだよ。諦めるのは一瞬でも、その後悔はずっとあとになっても続くんだ」
上手くなんて言えない。ただ、今思っている素直な気持ちを口にする。
「この残りの5分を諦めちまったら、俺、死んでからもずっと後悔し続けると思うんだ。この5分を諦めなかったら、生き延びれたかもしれないのに。会いたかった人にも会えたかもしれないのに。もっと、先の人生を生きれたかもしれないのに、って」
誰も。言葉をさしはさむ者はいなかった。
「だから、諦めたくないんだ! 死ぬ瞬間まで、生きることを諦めたくないんだ! もう、後悔して苦しむのは嫌だ! でも、俺一人じゃそれはできないから。どうか……どうか、手伝ってくれよ。頼むよ! 一緒に、やってくれ! 一緒に、地上に帰ろうよ!」
しん、と静まり返る機内。
やっぱり、誰も動いてくれないのか……とイザが思いかけた、そのとき。
イザに近づいてくる者があった。
バートだ。
バートは、イザの肩に手をのせる。
「もがこうぜ。最後まで。そういうときこそ、奇跡ってのは起こるもんだ」
パートはそう言ってウィンクした。そのパートの手の震えが肩越しにイザにも伝わって来る。バートも怖いのだ。でも、それを押し込めて、なんでもないように振る舞っている。
もう一人近づいてくる。フョードルだった。
「ああ。イザのいう通りだ。最後の最後まで、後悔ないようにやるしかないよな」
フョードルも隣に来ると、イザの背中を軽く叩いた。
イザは、服の袖で目元を拭う。
「やりましょう!」
勢いよく拳を突き上げたのは、劉。
空気が変わった。
今度は劉の言葉にほかの乗客たちも呼応する。
初めの計画どおり、みんな位置についた。
残り、あと4分。
東京
カフェで圭吾たちはワンセグのスマホでニュース映像をみていた。
ニュース番組でキャスターが言う。『ロシアのトムスクからモスクワに向かっていたS7812便と通信ができなくなり、ハイジャックされた可能性が高いとのことです……』
ロシア上空
ハイジャックされた飛行機についていたロシア空軍の戦闘機は、ハイジャック機の後方上空を飛んでいた。
攻撃開始時間まであとわずか。戦闘機のパイロットは、空対空ミサイルの発射ボタンに指を置いて、いつでも押せる態勢に入る。
ハイジャック機S7812、機内。
反撃に出る前にツイッターで乗客同士で作戦の相談をしたときに、客室乗務員(CA)のリンダが教えてくれたことには。
飛行機のコックピットに入るためのドアは、基本的にコックピットの内側からしか開けられないということ。
通常は、インターホンで機長か副機長に許可をとり、彼らに中から開けてもらうことでしかCAたちはコックピットに出入りできないことになっている。
リンダ『でもね。万が一、機長と副機長二人ともが意識を失うようなことになったら、コックピットに誰も入れないのは命取りになってしまうでしょ? だから、緊急番号があるのよ。コックピット脇のトイレ横のところにテンキーがあって、そこでその緊急番号を打ち込むの。すると、コックピットではドアの開閉を要求していることを表すブザーが鳴って小さな開閉ランプが点滅するわ。それから30秒間、コックピットで何もしなければドアは開くの。ただし、その30秒の間に、コックピットの中で『開閉拒否ボタン』を押されてしまうと、ドアは開けられないの』
コックピットの外側から強制的にドアを開 開けてコックピット内に入るには、その緊急番号を使う方法しかなかった。
しかし、開閉要求ブザーが鳴ってしまい操縦席にいるテロリストに開閉拒否ボタンを押されてしまえば、どうしようもない。
そのため、乗客たちは作戦を立てていた。
それを実行するしかない。
あと、撃墜まで4分。
アメリカ人のバートと、ロシア人のフョードル。この乗客の中で最も体格がよくて力があると思われる二人が、配ぜん用のワゴンをもってコックピットのドアの前にスタンバイする。
二人は、トイレ横のテンキーの前にいる客室乗務員のリンダに頷いた。
リンダも頷き返す。
リンダは、緊急時のために暗記させられていた緊急番号をテンキーに打ち込んだ。
ここから、命運を左右する30秒が始まる。
リンダが数字を打ち終えて、最後に『enter』というボタンを押す。
ボリスという小太りの男性が、スマホのストップウォッチを見ながら叫んだ。
「カウント開始!」
それと同時に、
「「せーの!」」
バートとフョードルが腰をためて、勢いよくワゴンをコックピットのドアに打ち付けた。
派手な音を立てて、コックピットのドアがしなる。
しかし、機関銃で撃っても破損しないように作られたドアだ。傷はつくものの壊すことはできない。それで構わない。こちらの目的は大きな音をたてて、コックピットの中で鳴る開閉要求ブザーの音にテロリストたちが気づかないようにすることなのだから。
二人は足を上げると、息を合わせて思いっきりワゴンを蹴り続けた。
コックピットの中では、二人のテロリストが突然のことに驚いていた。
ドアが絶え間なく撃ちつけられる音が響く。
一人のテロリストが立ち上がって、ドアの覗き穴から外を見る。ドアにワゴンで攻撃を与え続けているバートとフョードルの姿が確認できた。
「どうするんだ! 乗客たちが暴れだしたぞ!」
運転席に座った学生風のテロリストは、「落ち着けよ」ともう一人を諭す。
「9.11以降、ハイジャック防止のためにコックピットのドアが強化されたんだ。銃で撃たれたって壊れっこない。ハイジャックを防ぐための機構が、俺たちを守ってくれるんだよ」
コックピット内には、バートたちがワゴンを打ち付ける音が絶え間なく響く。
そのため、テロリストたちは気づかなかった。
開閉要求ブザーが鳴っていることに。
「15秒!」
スマホのストップウォッチを見ていたボリスが叫ぶ。
それを合図に、バートとフョードルがワゴンを急いで引き戻す。
それと入れ替わりに、コックピットのドアの前に三人の男が立つ。
イザと、中国人の劉、それにインド人のオム。
三人は手にテロリストから奪った拳銃をもって、銃口をドアに向ける。
「撃て!」
イザの合図で、三人は
弾丸の数には限りがある。
ドアに次々に銃弾が撃ち込まれる。
コックピット内はさらなる騒音に襲われた。
その騒音の中、開閉要求ブザーは鳴り続ける。
「20秒!」
ボリスが叫ぶ。
劉『そんな狭い範囲に3人で撃ちつけて、跳弾の心配はないんですか?』
ツイッターで相談してるときに、そんな疑問を劉から持ち掛けられたが。
イザ『フランジブル弾なら、硬いものにあたると粉々になって跳ね返ってはこないから、跳弾の心配はあまりないと思う。ただ、全部が全部砕けるとも思えないから……跳ね返ってきたのが当たったら、ごめん、我慢してとしか言えない』
そんなやり取りを事前に交わしていた。
今のところ、跳弾した弾が跳ね返って3人の誰かを傷つけるということもなく、三人は次々に
「25秒!」
あと、5秒。
(どうか、弾が尽きないで、もってくれ……)
そう祈りながらイザは
最後の弾が発射されたその時、
「30秒!」
ボリスの声が響く。
その声を合図に、銃を持った三人は一斉に撃つのをやめた。
テンキーに緊急番号を打ち込んでから、30秒が経った。
もし、コックピットのテロリストたちが開閉要求ブザーの音に気付かず、開閉拒否ボタンを押していなければ、ドアは開くはずだ。
脇に控えていた客室乗務員のリンダがすぐさまコックピットのドアに飛びつき、開閉レバーを下げた。
(開いてくれ……!!!!)
(お願い、開いて!)
(神様。奇跡を)
見守る乗客すべてが、祈った。
リンダは、力を入れてドアを手前に引く。
かちゃり、という音がやけに大きく機内に響いた気がした。
そして。
ドアは、開いた。
リンダが勢いよく、ドアを外側に開く。
それを確認して、ヒジャブという布で頭部を覆うイスラム教徒の小柄な女性、サニヤが消火器のホースをコックピットに向けて一瞬消火液を放った。
大量に消火液を放ってしまえば操縦席のフロントガラスが曇って運転に支障がでてしまうが、ほんの少量であれば煙幕がわりになる。
ドアの前で様子を伺っていたテロリストの一人は、サニヤの放った消火液に視界を阻まれた。その男が怯んだその隙に、イザ、バート、フョードル、劉の四人がコックピットに走りこむ。
入口にいた男を、フョードルが掴んで押し倒し、劉と二人がかりで身体を押さえつける。その横を通ってイザとバートが操縦席に座るテロリストのところに駆け寄る。
操縦席のテロリストの男が立ち上がってつかみかかってきたのを、イザは男の両手を掴んで対峙した。急に足下がぐらついた気がしたが、なんとか踏みとどまる。
二人の力が拮抗して押し合っているところに、バートが男の後ろから腕を回して男の首を締めあげた。男はしばらくもがいていたが、すぐに身体から力をなくしてぐったりと項垂れた。
ようやく、これでテロリスト全員を押さえ込んだことになる。
ほっと安堵の気持ちが湧く。
そのとき、フョードルが悲鳴のような声をあげた。
「飛行機が、降下してる!!!」
弾かれたようにコックピットの面々は操縦席のフロントガラスに目を向ける。
ロシアの広大な大地が目の前に広がっていた。
明らかに機体の角度がおかしい。フロントガラスの大部分をロシアの茶色い大地とそこに生える針葉樹林の風景が覆っている。
操縦席にいたテロリストが、立ち上がる寸前、機首を思い切り下に向けさせたようだ。
S7812便は急速に降下している。
「くそっ……!」
イザは操縦かんに飛びついた。しかし、イザは飛行機の操縦などしたことがない。とりあえず、機首を上げようと操縦かんを思い切り引いた。
しかし、操縦かんだけでは機体は動かないようで、機体は持ち上がらない。
コックピット内では、異常に高度が下がっていることを告げるアラームが鳴り続けていた。
フロントガラスには大地がどんどん迫ってくるのが見えている。
もう、激突まであとわずか。
イザは、迫りくる死の恐怖に思わず目をつぶった。
同時刻。東京のカフェ。
最後にイザに電話をしたあと、圭吾たちは祈る気持ちで次のイザからの連絡を待った。
テーブルに置かれた圭吾のスマホは、刻一刻と表示する時間を変えていく。
9時8分
・
・
・
9時9分
・
・
ついに、9時10分を超えた。
もし、ハイジャック機をテロリストから奪い返せていなければ、ロシア空軍の戦闘機からの攻撃が開始されたはずだ。
誰も何もしゃべらない。ただ、そのスマホに表示される時間を見つめていた。
ワンセグのニュース報道も、まだ何も変化はない。
(どうか……どうか、無事であってくれ)
圭吾は、組んだ指を額にあてて目を閉じ、じっと祈った。
その緊張感を、けたたましい音が破る。
9時12分。
圭吾のスマホが鳴った。
その表示は……。
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