第11話 秘密の取引

 アマガサに向けた拳銃が、夕陽を受けて赤く鈍い光を放つ。


「な、なんだよ、それ。どういうことなんだ?」


 突然銃口を向けられたアマガサは、戸惑いをエルカシュに向けた。当然だろう。


「上からの命令だ。お前はまだ多額の金を隠し持ってる。それも差し出せ」


「ないよ! ここに入るときに口座に入れた1000万ドル。あれが全てだ」


 アマガサは抵抗の意思が無いことを示すためか、両手を上げる。


「嘘をつくな」


 エルカシュは指で拳銃の安全装置セーフティを外す。銃口はアマガサに向けたまま逸らさない。


「本当だよ! 僕を信じてよ!」


 アマガサは自分の胸に手を当てて、訴えてきた。


「お前は、礼拝もまともにやらない」


「まだ、慣れてないだけだって!」


 基本的にISアイエスに来る異教徒の外国人構成員は全員、イスラム教スンニ派に改宗する必要がある。しかし、外国人構成員の中には、おざなりにしかイスラム教を理解せず、学ぼうともせず、実践しようともしない奴らもいる。

 その多くが、ただ単に銃をぶっぱなしたいとか、人間の首を切ってみたいとかそういう欲求を満たしたくてISアイエスに入ってきた連中だ。


 普通、そういう殺戮願望を満たしたいだけの理由で入ってきた連中は、最前線に送られる。ISアイエスの上層部も、そういう人間たちを信用なんてしていない。


 アマガサがそういう人間なのかどうかは、よくは知らない。

 ただ、日に5回あるメッカへの礼拝も、真面目にやっているところは数回程度しか見たことがなかった。

 ISアイエスに入るまでは、決して敬虔とは言えないような生活をしていたエルカシュだったが、そのエルカシュにすらアマガサの不信心な態度は目についた。

 職場上、周りに敬虔な人間が多いだけ、余計に気に障る。


 でも、外国人であるアマガサは組織中枢の一角を担うアムニに入ってきた。おそらく1000万ドルの献金と引き換えに何らかの取引をして入ってきたのだろう。ただ単に、彼の持つネットや財務知識が目について引き抜かれただけなのかもしれないが。


「お前は、信用できない」


 エルカシュは、アマガサのすぐ脇に向けて引き金トリガーを引いた。鋭い音を立てて、アマガサの足元の床が弾ける。

 ひっ……という声がアマガサの喉から漏れた。


「言うなら、今のうちだ。言わないのなら、ここでお前を殺す」


 殺せとの命令は貰っていなかったのでハッタリだったのだが。アマガサから何らかの金を引き出せなければ、エルカシュの望みは叶わない。


「……わ、わかったよ! わかった、言うよ! だから、その銃口を下してくれ!」


 アマガサが緊張に耐え切れず、早口に捲し立てた。

 夕日に染まってよくわからないが、おそらく彼の顔は蒼白になっていることだろう。

 少し迷ったが、エルカシュは引き金トリガーにかけていた指を外して、銃口を下す。それを見て、アマガサは体中の力が抜けたようにぺたりと崩れ落ちるように座り込んだ。


「ああ、もう嫌だ。やっぱりこんなところ来るんじゃなかった……もう少ししたら、絶対出て行ってやる。酒も飲めないし、タバコも吸えないし」


 やけっぱちになっているのか、エルカシュが傍にいるにも関わらずアマガサは頭を抱えて愚痴り始める。宗教警察に聞かれればすぐに逮捕されるような内容だというのに。


「……お前、なんでISアイエスなんて来たんだよ。元は、イスラム教徒じゃないんだろ?」


 エルカシュの問いに、アマガサは自嘲気味に片方の口端を上げて微笑を浮かべた。


「……アクシデントだったんだ。務めていた会社で同僚と結託して、会社の金を横領していた。2000万ドル(20億円)くらい貯めたかな。でも、その同僚がある日、自殺してしまったんだよ。理由は知らない。罪の意識に耐えかねたのかもしれない」


 アマガサの独白を、エルカシュは黙って聞く。銃口は下したものの、未だ銃から手を放してはいない。完全に警戒は解かず、アマガサの様子を見張る。


「自殺を知って僕は驚いた。社内で僕と彼、二人でそれぞれの持ち場で書類を偽造していたからこそ、バレずに済んでいたのに。僕一人では、横領が発覚するのは時間の問題だった。2000万ドルを抱えて、僕は途方に暮れたんだ。夜逃げしても国内にいたら、すぐに見つかってしまう」


 夕陽は刻々と傾き、室内に伸びる二人の影は一層長くなる。


「そんな時だったよ、たまたまISアイエスの広報サイトを見つけたのは。ISアイエスは犯罪者を匿ってくれるっていう噂もネットに流れてた。その時は、渡りに船だと思ったんだ。元々、僕と自殺した彼とで半分ずつ分ける予定だったからね。彼の取り分だった1000万ドルをISアイエスに支払って、僕はここに逃げてきた。ほとぼりが冷めるまでここにいて、忘れられた頃にどこか他の国に逃げようと思っていた」


「じゃあ……残りまだ1000万ドルがどこかにあるって、ことなのか?」


 エルカシュの問いに、アマガサは声には出さず弱く苦笑した。それを、肯定の意味だとエルカシュは受け取る。


「でも……もう1000万ドルも払ったんだ。これ以上は極力、財産を減らしたくない。僕の金だ」


 お前のじゃなくて、お前の会社の金だろう……と思ったが、口には出さず、話を促すようにアマガサを見る。


ISアイエスには、あと数百万ドル支払う。それで全てだと言い張りたい。だから、協力してほしいんだ、エルカシュ」


「へ?」


 突然、協力しろなどと言われて、今度はエルカシュの方が驚いた。

 そのエルカシュの足元に、アマガサが四つん這いで這い寄ってきて足に縋りついた。


「な? 頼むよ。僕一人では無理なんだ。君の協力があれば、なんとかなる。もちろん謝礼は払うよ」


 協力してほしい内容というのは、大したことのない内容だった。

 1000万ドルはマネーロンダリングの末、イギリスのシティにある銀行口座にまとめて預けてある。その一部を別の銀行の口座に移して、その移した口座ごとISアイエス側に渡し、それで全てだと主張したい……というようなことだった。


 でも、そのためにはイギリスのシティに行くか、ネットバンキングを使って手続きをする必要がある。


 しかし、ISアイエスでは個人のスマホ所有は認められておらず、アムニのパソコンを使えば痕跡が残ってしまう。


 だから、どこかから衛星スマホを借りてきてほしい。そして使用後そのスマホは壊したい、というのがアマガサがエルカシュに頼んだ内容だ。


「どうか、頼む。お願いだ」といつまでも泣いて縋りついてくるアマガサの頼みを断り切れず、エルカシュはとうとう折れた。

 ありがとう!とべちゃべちゃの顔で抱き着かれたときは、折れた事をちょっと後悔しかけたけど。


 その頃には太陽はすっかり西の空に沈み、夜空には無数の星々が煌めいていた。






 翌日。

 エルカシュは、仕事上のやりとりのために広報省へと出かける。そこで、広報省の知り合いに、海外からのツイッターへのサイバー攻撃の防御状況をスマホ端末でも確認したいとかなんとか言って、衛星スマホを借りた。


 その衛星スマホを、職場に戻ってこっそりアマガサに渡す。アマガサは、再び泣き出しそうな程喜んで何度もエルカシュに頭を下げた。




 数日後。

 夕方仕事が終わって帰宅しようとしたエルカシュを、アマガサが後ろから走って追ってきた。


 あの日の一件以来、アマガサはしきりに親しげにエルカシュに話しかけてくるようになった。そういえば、思い返すとアマガサには他に友人らしきものもいなかったように思う。

 もしかして、異文化の中に一人っきりで友人もおらず、心細かったのかもしれない。


 一緒に並んで、他愛もないことを話しながら帰路についていると、アマガサがコートのポケットから何かを取り出してエルカシュに渡してきた。

 それは小さな紙袋だった。


 何?とエルカシュが受け取って紙袋を開けると、中にはエルカシュが数日前に貸した衛星スマホが入っていた。


「……もういいのか? これ」


「ああ。助かったよ。本当に」


 その衛星スマホと一緒に、見覚えのない紙切れが一枚紙袋に入っていることにエルカシュは気づく。

 手に取ると、それは何やら英語で色々と印字された細長い紙だった。真ん中に、手書きで『$500,000』と書いてある。


 その紙を手に取り、なんだこれ?と不思議そうに眺めるエルカシュに、アマガサは表情を崩して笑った。


「礼だよ。いろいろ、便宜はかってくれたことの。それは、小切手だ」


 え?とエルカシュは弾かれたように、アマガサの顔を見た。

 50万ドルといえば、とんでもない金額だ。

 シリア騒乱が起こって以来、シリアの通貨リラ(国際表示はシリアポンド)は国際価値が急落している。そのためシリア国内でも、国際通貨である米ドルの価値は高まる一方だ。

 驚くエルカシュに、アマガサは宥めるように肩にポンと手を置いた。


「受け取っといてよ。僕の気持ちさ。君は僕の恩人だ。ただ、それを換金するときは国外の金融機関を使った方がいいと思うけどね」


 エルカシュはしばらく小切手を眺めていたが、あまりの金額に急に恐ろしくなって、紙袋にしまいこみクシャクシャと紙袋の上を丸めて閉じ小脇に抱える。とりあえず小切手のことは忘れることにした。




 自宅に戻ると、エルカシュはアマガサから返ってきた衛星スマホを、汲み置きしておいたバケツの水に浸けて故意に水没させた。

 翌日、広報省に赴き、仕事で使っていたらマテ茶をこぼして壊してしまったと説明して始末書を書いた。



 エルカシュの軍への異動が正式に決まったのは、その一週間後のことだった。






 軍への新入りは、まず初めに訓練キャンプに送られる。


 軍の施設は、普通の村落を使うことが多い。

 いかにも兵舎然としたものや軍事施設っぽい建物は、容易に有志連合の空爆の対象となってしまう。

 そのため、普通の村落に潜み、一般の住民を装うのだ。

 もちろん、周りには普通の住民も住まわせている。

 そのため万が一軍事施設が空爆された場合、民間人にも死傷者がでることになる。そうやって『有志連合は民間人を狙う非道者』という体裁を作り上げていくのだ。


 訓練キャンプも、他の軍施設同様、普通の村落に作られていた。

 訓練生たちは10人一組となり、寄宿舎として割り当てられた農家で寝食を共にする。エルカシュも、他の訓練生たちとともに並んで床に敷かれた毛布の上で眠り、女や子どもたちが作るシチューなどを食べた。

 ISアイエスは、肥沃な土壌を持つユーフラテス川流域を支配しているため、食料には事欠かない。

 その訓練キャンプにも食料は十分にあり、食糧難に苦しむ地域の出身者たちはいたく感激していた。



 訓練期間はおよそ、一か月から40日間程度。

 午前四時半に起床し、まずは早朝の祈りを捧げる。

 そして毎日二回の肉体訓練と、イスラム教指導者イマームからのイスラム教の再教育を徹底して受けるのだ。

 肉体訓練は、アフガン人やチェチェン人といった実戦経験の豊富な指導者のもと、壁を飛び越えたり、丸太の下を這ったりという基礎訓練から、アサルトライフルの使い方や接近戦の仕方、戦術に関するものなど多くを学んだ。


 イスラム教の指導者イマームからは、ひたすら講義形式で教えを受ける。

 講義の内容は、そのほとんどがジハードと殉教じゅんきょうへの賛美だった。


 ジハードとは、イスラム教の聖典クルアーン(コーラン)にイスラム教徒の義務として書かれている言葉で、本来は『神の道のために奮闘することに努める』といったような意味である。

 しかし、クルアーン(コーラン)の中でジハードという言葉が『異教徒との闘い』や『防衛戦』を意味する箇所でも使われており、このため異教徒討伐の意味でも使われるようになった。


 ここISアイエスで主に使われているジハードという言葉も、内外からの弾圧や攻撃からイスラム共同体を守るために戦う防衛戦という意味で使われることが多い。

 ちなみにイスラム教では、異教徒の改宗目的での戦いや改宗強制はクルアーンによって禁止されており、むしろ異教徒をないがしろにしてはならないとまで書かれている。

 あくまで、ジハードは自分たちや自分たちの信仰を守るための闘いなのだ。


 訓練生たちは、何度も何度もひたすらに、ジハードの中で勇敢に戦って死ぬことの素晴らしさを説かれる。

 ジハードで戦死すれば、その者はこの世の終わりの最後の審判で、来世として天国へと行くことが約束される。

 その天国は、緑豊かな大地に果実はたわわに実り、清らかな川が数多く流れて、気持ちのいい風がつねに吹きわたっている清浄なところだと言われている。そこには、いくら飲んでも酔わない美酒や最上の食べものがあるという。


 訓練生たちは皆、指導者イマームの言葉に魅了され、自分たちもいつかはジハードに参加したいと心に刻む。


 エルカシュも、その一人だった。



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