第19話 エルカシュの説得
再び72時間の猶予を得て、ソチを訪れたイザとウマル。
まずは、メールをくれたハラル認証食料品店の親父の紹介で、情報提供者と会った。そして彼の案内で、エルカシュらしき人物をよく見るという民家を教えてもらう。
その民家を張り込んで、エルカシュらしき人物がいるかどうかを確認しよう。それらしき人物がいたら、一人になった時を見計らってコンタクトを取ろうと目論んでいたが……そのチャンスは思いのほか早くやってきた。
彼らのアジトになている民家とは同じブロックにある情報提供者の家。その物陰でイザとウマルで交互に張り込むことにしたのだが、イザが張り込みを初めて30分も経たないうちにその機会はやってきた。見張っていた民家から、一人のアラブ系の青年が歩いて出てきたのだ。住宅街の道路をゆっくりと歩いてイザが隠れている前を通り過ぎる。スマホの画像と何度も見比べてみるが、間違いなく、エルカシュ本人だと思えた。
イザは家の物陰から出て、エルカシュらしき男の後をつけた。そして、その男が角を曲り、彼らのアジトからは直接見えない位置まで来た時。他に仲間らしき人影が周りにないこと確認すると、イザはその男に背後から近づき、隣に並んで歩く。イザは自分のズボンのポケットに右手を突っ込んだ。
「……お前、エルカシュ・アフマドだよな?」
その男は、突然名前を呼ばれて驚き目を丸くする。男の背中に、イザは隠していた右手を突きつけた。硬いものが背中に当たり、男の体が緊張で強張るのをイザも感じ取る。
「止まらず、歩け。お前に会いたいって奴がいる」
低い声でそう言うと。イザはそのままエルカシュを、ウマルの待つホテルの一室まで連れていく。イザたちが取ったツインの部屋のドアをノックすると、すぐに中からドアが開いた。出てきたのは、もちろんウマル。
ウマルは、エルカシュの顔を見ると一瞬泣きそうな様子で目を潤ませたが、すぐに笑顔になってエルカシュを迎い入れた。
「……久しぶり。エルカシュ。入って」
室内に入って、ようやくイザはエルカシュの背中に突きつけていたモノを離す。
エルカシュはソレを銃か何かだと思っただろうが。実際はイザがイタリアのNPO法人でもらった瓦礫のオブジェだった。シリアの子どもが描いたという黄色い花の絵が描いてある。
その瓦礫のオブジェをエルカシュの胸ポケットに勝手に突っ込む。
「やるよ。それ。アレッポの瓦礫だってさ。まぁ、適当なとこに座んな?」
エルカシュはまだ強張った表情のまま、傍にあるベッドに腰を下ろした。そして、声をあげる。
「お前ら、なんなんだよ! ウマル! なんでお前がこんなところに!」
サイドテーブルを挟んで隣のベッドにウマルは腰かけ、イザは壁に凭れてウマルとエルカシュの会話の様子をうかがう。まぁ、二人は彼らの地元の言葉で話していたので、何言ってんだかは分からなかったが。ただ、口調で何となく何を言っているかは察せられた。
「エルカシュ! 僕は、君を止めに来たんだ。やっと見つけた。君が、アレッポで皆に言ったこと、あれは本当なのかい……? 今、
エルカシュは、答えづらそうに俯く。それが、肯定を意味していることをウマルも理解する。
「じゃあ、もうすぐテロを起こすってことも本当なんだね……。エルカシュ! お願いだ、そんなこと止めてよ。僕は、君にも、ほかの人たちにも死んでほしくない。もうこれ以上、一人だって死んでほしくない。ナディムだって……」
「うるさい! 黙れ! お前に、何が分かるんだよ! お前に俺の何が分かるって言うんだよ!」
「分かるよ! 僕だってあの時、アレッポにいた。君は僕の一番の親友だった。でも、ナディムを亡くして落ち込む君を、
ウマルは悔しそうに唇を噛む。膝に置いた拳が震えていた。
「……僕だって、沢山の人を亡くした。もう、これ以上、大切な人を亡くしたくない! お願いだから、テロなんか止めてよ! 昔の、エルカシュに戻ってくれよ!」
昔のエルカシュ、という言葉をエルカシュは、鼻で笑う。
「戻れるわけないだろ。もう、ナディムは殺されてしまった。俺だって、
とエルカシュが言いかけたところで。
ウマルが自分のスマホを取り出し、アレッシオから貰った例の動画を再生すると、エルカシュの目前に突きつけた。
「……エルカシュ。ナディムが、本当にそんな殺戮なんて望んでいると思う? あの、心優しかったナディムがだよ? みんなに好かれて、みんなを好きだったナディムがだよ!?」
動画が再生される。北シリア・アラビア語だったのでイザには何を言っているかは理解できないが、空港でウマルに教えてもらっていたから大体内容はわかった。
穏やかそうな青年が、画面には映っていた。ナディムだ。
彼は、話し出す。
『……大切な人に、残す言葉を言えば、いいんだよね? マイクはこっち?』
とナディムは、画面の外にいるのであろうNPOのスタッフに確認するしぐさをすると、すぐにこちらをまっすぐ画面の前に向いて座る。そして、こちらに笑顔を向けて、話し始めた。
『こんにちは、兄さん。僕たちには……もう父さんも母さんもいないから。大切な人っていうと兄さんしか思いつかない。だから、兄さんに向けて言うね』
とても。見る人を安心させるような、優しい笑顔だった。
『兄さん。もし、僕が空爆とかで死んでしまったとしても。どうか、悲しまないでほしい。……僕は、大丈夫だから。最後の審判の時まで眠っているだけだから。今も、ここで子どもたちの先生をやらせてもらっていたり、街のみんなといろんな作業したり。祈ったり、笑ったり。精一杯生きてるから。きっと、自分のことで思い残すことは無いと思う。……それより、何より心配なのは兄さんのことなんだ』
エルカシュは、ナディムの動画に視線が釘づけになる。食い入るように、その動画に見入っていた。
『もし万が一兄さんだけが取り残されてしまったら……兄さんがどうなってしまうのかが本当に心配。兄さんは人を思いやる気持ちが人一倍強くて、父さんや母さんが亡くなったときも、すごく落ち込んで荒れてたから。兄さんが一人になってしまったら、どうなってしまうんだろう、って』
ナディムの表情が陰って俯きがちになるが、すぐに心配を振り払うようにまっすぐに画面のこちら側を見つめてくる。
『兄さん。もし、そうなっても。僕は、兄さんに真っ直ぐ生きてほしい。本当は、僕も兄さんとずっと一緒に生きていきたいけど、もしそれが叶わなかったとしても。僕の望む未来は……兄さんが幸せに生きていく未来。誰かと結婚して、子どもたくさん作って、そしてたくさんの子どもや孫に囲まれて』
スマホに映るナディムを凝視するエルカシュの頬に、透明な滴が伝う。
『みんなが……みんなが、飢えも紛争も空爆もなくて。お腹がすいたらご飯を食べられて。子どもたちは誰でも、学校に通えて。ケガしたり病気になったら、すぐに病院に行けて。そうやって……幸せに暮らしていく未来。誰も、理不尽に死ぬことのない。平穏に笑っていられるような。そんな未来を作ってほしい』
最後にナディムはもう一度微笑むと、立ち上がり画面から消えてしまった。
ウマルが動画を停止させる。しかし、エルカシュはいつまでも画面から目を離せないでいた。
「……この動画、スマホとかあるならメールで送るけど。エルカシュ、スマホ持ってる……?」
身動き一つせず固まってしまったエルカシュに、ウマルは恐る恐るといった様子で声をかける。
エルカシュは、ふっと視線を落とすと、ゆるゆると首を横に振った。
そして、頭を抱えた。
「もう……遅せぇよ。遅ぇよ。もう、どうにもなんねぇよ!!! 今更、そんなこと言われたって。ナディムを殺した奴らが悪いんじゃねぇかよ。アレッポの、シリアの皆を殺しまくった奴らが悪いんだろ!?」
そして、ガバっと顔を上げると。壁に凭れて手を組んだまま、黙って二人の様子を眺めていたイザに向かい、叫ぶ。
「はじめに手を出してきたのは、あいつらの方じゃないか! 俺たちはただ、やられたからやり返そうとしてるだけだ! 最初に、襲ってきたのはお前らの方じゃないか!!」
イザの事がエルカシュにはなに人に見えていたのかはその時は分からなかったが、イザに向かってエルカシュは英語で捲し立てる。
あとで聞いたら、ウマルをドイツから連れてきた人だから、ドイツ人だと思っていたらしい。ドイツも有志連合のメインメンバーのひとつだ。
日本もアメリカの出した有志連合リストに一時期入っていたこともあるので、まぁ、さほど間違っちゃいない。
「ロシアはアサド政権に加担して、シリアをめちゃめちゃにした。ドイツやアメリカ、イギリスがいる有志連合だってそうだ! 反政府勢力に加担して、武器やら何やら渡して紛争を激化させた」
エルカシュは立ち上がると、こぶしを握り締めて、溜まっていた思いをイザにぶつける。
「俺たちシリア人はただ、他のアラブの国と同じように、『アラブの春』の流れにのって民主化したかっただけなんだよ! 住みやすい国にしたかっただけなんだ! それなのに、外の奴らがどんどんシリアの中に戦争を持ち込んで、こんなにしたんじゃないか! そんな中で、俺たちはどうやって生きていけばいいんだよ! 今更、遅ぇよ! 戦争を始めたのは、そっちの方じゃねぇか! 俺たちはただ、黙って殺されてろっていうのか!?」
「……んなこと、言ってねぇだろ」
「同じだよ! 何が、テロとの戦いだ。先に手を出してきたのはお前らの方じゃねぇか! これは、戦争なんだよ! 俺たちだけが悪いみたいに言ってんじゃねぇよ!」
「……お前ら
エルカシュは、イザの胸倉を掴んだ。
「言っただろ。これは、戦争なんだよ。戦争で、人が死ぬのは当たり前だろ」
エルカシュに睨み上げられても、イザは努めて冷静にエルカシュを見下ろす。
「それで死ぬのは、誰かにとってのナディムなんだよ」
「……」
ナディムの名に、ハッとエルカシュの瞳が一瞬揺らぐのを、イザは見逃さなかった。
「ナディムは、お前に何て言ってたよ。その想いを
「……」
ウマルはエルカシュさえ止めればそれで良いようだったが、イザはテロ自体を止めたかった。止めることができなくても、できる限り被害を最小限にしたい。
「俺は、テロを止めるためにお前の協力がほしい。お前が知っているテロの情報をすべて教えてほしい」
イザの胸倉を掴むエルカシュの腕に、すでに先ほどのような力はない。
「で、でもそれじゃ……俺は天国に行けない。ジハードで殉教しないと……」
それはイザに言っているというよりも、もはや呟きのようだった。
「ウマルが言ってた。ジハードは、自分を律したいときに使う言葉だって。そうやって努力するやつに神様は報いてくれる…って。殉教するだけが、天国にいく唯一の手段ってわけでもないんだろ?」
エルカシュはイザを掴む手を離すと、うつむいたまま何もしゃべらない。
嫌な沈黙が流れる。
そして、エルカシュはそのまま黙って室内を出て行ってしまう。
ウマルは「どうしよう? 追いかけるべき?」とイザに戸惑った視線を向けたが、イザは迷った挙句、首を横に振る。
「……俺たちの言いたいことは、もう伝えただろう。なら……しばらく待ってみようぜ。それくらいしか……もう、できることはねぇよ」
エルカシュが消えたホテルのドアを見つめる。あとは、エルカシュの判断に委ねるしかない。
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