第18話 ロシア・ソチでの調査

 サンクトペテルブルクの港に着いた後、国内線に乗るためにイザとウマルは空港へと向かった。

 サンクトペテルブルクの港で入国スタンプを押してもらってから、ロシアに滞在できるのは最大72時間。それまでに、出国しなければならない。


 空港でソチに向かう国内線の搭乗手続きをとる。

 金属探知機を使った身体チェックも受けるものの、やはりイザがコートのポケットに入れていたあのポリマー拳銃のパーツは、金属探知機に引っかかることなくそのまま保安検査を通り抜けた。


(へぇ……やっぱ、全然引っかからないんだな)


 ロシアは広いだけあって、国内線の飛行機を利用する人も多いのだろう。

 保安検査の列は長く、流れ作業のように検査するだけであまり細かなチェックまでは目が行き届かなそうだな、という印象をイザは持つ。


 何列にも並ぶ保安検査の列の横を、すり抜けていく一団があった。

 なにげなくそちらに目をやると、同じ制服を着てキャリーバッグを引いた一団。CA(キャビンアテンダント)たちだった。

 CAの一人が、保安検査員の女性と何やら親しげに会話を交わした後、彼女らは颯爽と奥の廊下へと消えていく。

 なんとなくそれを、イザは目で追っていた。


 ソチ行きの飛行機を待つ間、搭乗ゲート前のラウンジの椅子に腰かけてスマホを弄っていたらメールの着信があった。

 確認すると、イタリアのNPO法人にいるアレッシオからだった。

 メールには簡単なあいさつ文の後、いくつかの画像と、動画が添付されている。


 隣にいるウマルに確認してもらう。


「あ、これがエルカシュだよ。こっちがナディム」


 二人が映っている写真画像だ。

 エルカシュは、意思の強そうな目元が印象的で精悍な顔つきの青年。ナディムは、人当たりのよさそうな柔らかい雰囲気。

 二人とも、どこにでもいそうな20代のシリアの若者だった。


 動画も再生してみる。その動画には何人かのアレッポの青年たちが一人ずつ映っていた。そして、口々に数分ずつ何かをカメラに向かって喋っている。アレッポ地方の方言である北シリア・アラビア語だったので、ウマルに通訳してもらった。

 ウマルは英語に訳しながら、いつしか目を真っ赤に腫らしていた。


 動画に残った最後の言葉。

 ここに映る人たちの、一体何人が今も生き延びているのだろう。

 なんとなくその答えは、ウマルの悲痛そうな表情を見ていると察せられた。

 動画の中のナディムは、始終穏やかに笑顔を交えて話し続けていた。




 ソチへはアエロフロート・ロシア航空の直行便で3時間程度のフライトで着く。

 ソチは、サンクトペテルブルクとはうって変わって温暖な気候の土地だ。4月末のこの時期は平均気温が16度程度で、日本の関東地方とほぼ変わらない。

 コートは全く必要なくなり、半そででもいいくらいの陽気だった。


 ソ連時代から保養地として開発されてきたソチは、人口は30万人程度の都市でありながら温泉も出て療養施設も多く、毎年数百万人の観光客でにぎわう。

 街からは世界自然遺産になっている西カフカース山脈が見渡せ、黒海に臨む海岸には砂浜が続く。

 プーチン大統領をはじめとするロシア連邦の要人たちの別荘が、多くあることでも知られていた。




「……なんか、暑い」


 空港を出て、むわっとした蒸し暑い空気に襲われたイザは不機嫌そうに呟いた。

 先ほど空港で流れていたアナウンスでは、今日の最高気温は20度を軽く超えるらしい。

 コートは流石にしまっていたが、長袖の上着の袖を捲る。半そでを持ってくればよかった。


「さぁ。行きましょう!」


 テンションが戻ったウマルは、元気に拳を空に突き上げた。

 若いと元気だよなーと思いつつ、思い返してみると自分がウマルくらいの年頃の頃も自分は今と大差ないローテンションだった気もするイザ。そんなことを思いながら、キャリーバックをころころ引いて、ウマルの後についていく。


「なぁ。エルカシュ探すっていったって、こんな人の多い都市でさ。アテとかあんのか?」


 イザの問いに、意気揚々と前を歩いていたウマルが立ち止まる。


「それなんですよね。とりあえず、飛行機乗ってるときにSNSとか検索して。ソチに住んでるってプロフィールに載せてる人たちに、片っ端からエルカシュの画像送ってこの人見かけたら教えてください、ついでに拡散してくださいって頼んではみたんだけど」


 首をかしげてみる。


「ちょっと行ってみたいところはあるんです。そこに、これから向かおうかと思ってて」


「……そっか。あと、一応、警察とか公的機関にも話は流しておいた方がいいかもな。こんな不確定な話じゃ、警察が動いてくれることはまず期待できないだろうけどさ」


「そうですね」



 そんなわけで。

 まずはソチの警察に行ってエルカシュの画像を見せ、この人はISアイエスの構成員の一人で、ソチで近々テロを起こそうとしているらしい……というような事は伝えておいた。


 しかし、実はテロの予告といったものは日常的に頻繁に公的機関に届けられる。その殆どは、他愛もない悪戯なのだが。

 今回の話も、今のところエルカシュ自身が話した事以外に証拠というものもない。

 そんなこともあって、警察署で応対してくれた警察官の反応もさほど良いものでもなかった。

 一応、ISアイエスの名を出したことで、調査はしてくれると約束はしてくれたが。


 次に向かったのは、ウマルが行きたいと思っていたところ。

 それは、食料品店だった。

 食料品店と言っても、普通の食料品店ではない。


「ここは、ハラル認証を受けた食料を扱う食料品店なんですよ」


 とウマルは教えてくれたが。


「……ハラル認証って、なんだ?」


 というイザのために、ウマルが細かく説明してくれた。


 ハラルというのはこの場合、ムスリム(イスラム教徒)が食べてもいいとされている食品を指す。


 豚や、獲物を殺すときに牙や爪を使う動物など食べてはいけない食肉ではない……ことはもちろんのこと。

 食べて良いとされている食肉も、イスラム法の規定に忠実に従って処理されていなければならない。と殺は、イスラム教徒が「アラーの御名によって。アラーは最も偉大なり」と祈りを捧げながら鋭利な刃物で行わなければないし。解体は完全に血が抜けてから行わなければならないなど、いくつもの決まりがある。


 酒がダメなのはもちろんのこと、アルコール成分が入った加工物もハラルにならない。

 その他様々なイスラム法上の決まりがあり、それらを全てクリアしムスリム(イスラム教徒)が安心して食べられる食品だという証。それがハラル認証だ。


 日本の会社が味噌をイスラム教徒向けに販売するためにハラル認証を受けようとしたところ、その中に含まれている酒精が問題となり、専用工場で酒精抜きのハラル向け味噌を製造することでようやくハラル認証が下りたという事例もある。


 また、日本の食肉会社が、アラブ諸国でプレゼンした際にハラル認証されていない肉を提供してしまったことで国際問題にまでなりかけたこともあった。


 ……というように、ハラル認証した食品しか食べてはいけないというのはムスリム(イスラム教徒)の間では当然のことであり、かなり重要な事柄なのである。


ISアイエスの人たちは、かなり厳格にイスラム法を重んじます。食べ物は必ずハラル認証受けたものを食べているはずです。だから、ハラル認証食品を多く扱う店で聞き込みすれば、もしかしたら……って思って」


 そこで。イザとウマルは手分けして、ハラル認証食品を扱う店を片っ端から当たってみることにした。ホテルで印刷してもらったエルカシュの顔画像を配って「この人を見かけたら連絡ください」と頼んでおく。店にもビラを貼ってもらう。

 そして店でさらに別の店を教えてもらって、そこへ行く……というのの繰り返しだった。


 そして、夕方には食料品店で教えてもらったムスリム(イスラム教徒)たちが多く集まるハラルのレストランやコミュニティなどもあたってみた。


 とはいえ。


「……やっぱ、雲を掴むような感じですね。どっかから連絡くればいいんですけど」


 何の反応もない自分のスマホを見ながら、ウマルはため息をついた。

 エルカシュ探しのため街を歩き回って、すっかり足は棒のようだ。

 夜も遅くなってきたので、このハラルのレストランで二人で遅めの夕飯をとっていた。


「……まぁ、しゃーないじゃん? やれることやるしか。エルカシュの携帯の番号とか知らないんだろ?」


 ウマルは、フォークで肉を突きながら、こくんと頷く。


「昔使ってたエルカシュの番号は、もう使われてないみたいなんです。SNSの類も全部もうずっと前から動いていません」


「そっか……」


ISアイエスの支配地域では、スマホや携帯の所持は禁止されてるって聞いたことがあります。だから、もうネットとかで繋がれる環境じゃないのかも」


「そうだな……」


 自分の食事を食べ終わると、イザは立ち上がってどこかへ歩いて行こうとする。


「どこ行くんですか?」


「ちょっと煙草吸ってくる。ああ、あと。食い終わったら、一人でホテル帰っててよ。俺も、朝には帰るからさ」


 意味が分からずフォークを咥えたままキョトンとイザを見るウマルに、イザは苦笑して、ああ、わかんなかったか……と説明を付け足す。


「さっき飛行機で会ったCAキャビンアテンダントの子と今晩約束してんだ。だから、夜帰らない、って言ってんの」


 そこまで言われて、「……ああ」とウマルもようやく理解する。イザの行動は、婚前の男女交際を厳しく禁止しているムスリム(イスラム教徒)としてはあり得ない行動だったので、それまで思いつかなかったのだ。

 そういえば、機内でもイザは、一人のCAの人と何やら親しげに話していたなと思い返した。


 行ってしまったイザの後姿を見送りながら、ウマルは呟く。


「……異教徒の人って、自由だなぁ……」


 いや、あの人が特にそうなのかな?と首をかしげつつ、ウマルは残りの食事に取り掛かった。


 そんな風に、3日間ソチの街でエルカシュ探しをしたものの、結局どこからも連絡はなかった。出国期限が迫る72時間ぎりぎりで一旦、イザとウマルはサンクトペテルブルクから再びヘルシンキへとフェリーで戻る。


 しかし、ヘルシンキに戻った次の日。

 ウマルのスマホに、一つのメールが入った。

 それは、一日目に行ったハラル認証食料品店の店員からのものだった。


 メールの内容は、その店の常連の一人が店内に貼られているビラを見て、この人物によく似た人間をしばしば近所でみかけると教えてくれたのだそうだ。その近所の家は今まで一人暮らしの男性が暮らしていた一軒家なのだが、二週間ほど前から数人のアラブ系の男たちが出入りするようになった。


 その男たちの一人に、このビラにある青年とよく似た青年がいる……という情報だった。

 そのメールには情報提供者が撮ったものと思われる画像も添付されていた。

 それを見て、ウマルは。


「間違いない! これ、エルカシュだよ! しばらく会ってないから少し顔つき変わってるけど。エルカシュだ!」


 エルカシュだと確信した。

 そして。イザとウマルは、フェリーと飛行機を使って再びソチに向かうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る