第4話 業務上横領事件
都心にある60階建ての総合複合施設。
低層階は各種ブランド店が並ぶショッピングセンターになっており、休日ともなるとたくさんの買い物客でにぎわっていた。
中層階、高層階はホテルやオフィススペース、医療機関など多彩な施設から構成されており、一つの大きな街のようになっているビルディング。
その40階に位置する、100㎡以上は優にあると思われる広い執務室。
壁の一面はガラス張りになっており、東京の街並みが遥か階下に一望できた。
とはいえ、ガラスは遮光処理が施されているため、窓から差し込む光は思いのほか柔らかい。
空調も、この部屋の主の希望で低めに抑えられているため、暑すぎるはずはないのだが。
白髪交じりの男は、しきりにハンカチで汗を拭った。
この執務室は、木製の大きな両開き扉を入るとすぐに革張りの応接セットがあり、その右手奥にこの部屋の主が日ごろ業務を行っているダークブラウンを基調としたウォールナット材の大きな執務机がある。
その執務机の前2メートルほど離れた場所に立って、白髪交じりの男はハンカチを握りしめると深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした!」
その男を、執務机の上で軽く手を組んで、どこか冷めた視線で眺めている40代半ばの男。彼が、この執務室の主だった。
ヤサカホールディングスCEO、
ヤサカホールディングスは、金融、商社、運輸、IT、ホテル業、病院・介護など多義にわたる企業を傘下に持つ持ち株会社だ。
ヤサカホールディングス自体は、従業員は千人程度しかいないが。
傘下の企業をすべて合わせると、5万人以上の従業員を抱える一大グループ企業である。
通常の業務は傘下の各子会社が独立して行っているが、全体にかかわる意思決定や経営戦略などは親会社であるヤサカホールディングスが行っている。
その親会社のトップを15年以上務めてきたのが、圭吾だった。
圭吾の目の前で頭を垂れたまま固まっているのは、子会社である、とある商社の代表取締役(以下、
表情一つ変えないまま、圭吾は目の前の代取に告げる。
「わかりました。今回の事は、こちらでも外部専門家を交えたプロジェクトチームを作って調査に当たらせます。内部監査の報告書はすべて、あげてください。警察へもすぐに業務上横領事件として被害届を出してください。ある程度調査がまとまったら、マスコミにも情報を流します。その際は記者会見を開くことになると思いますので、心づもりはしておいてください」
淀みなく告げられる凛とした圭吾の声に、代取はさらに頭を低くするのだった。あのまま下げ続けたら、そのうち地面に着くんちゃうか?と思うが、これも心の中だけにしまっておく。
代取が何度もお辞儀をしながら執務室を後にすると、圭吾は一つ大きくため息をついて革張りの椅子に体を凭れさせた。
(面倒なことになったもんやな……)
代取から今しがた報告を受けた内容は、こうだ。
毎年行っている商社内の内部監査を今年も通常業務として行ったところ、どうしても帳簿上数字が合わない部分が出てきた。
その額、20億円。決して小さな数字ではない。
内部でその原因を精査したところ、契約部門で数ヶ月前までの5年の間に不正経理操作が行われている形跡が見つかった。
その不正経理を行ったと思われる人物は、契約部の
天笠は、すでに数ヶ月前に退職しており、社内の住所録にあった居住地は引き払った後だった。
天笠の両親にも連絡を取ってみたが、会社を辞めていることすら青天の霹靂といった様子だったという。
(つまり。20億持って、とっととどこかに逃げたっちゅうわけやな)
大体、日本人の大手企業正社員が定年まで働いた場合の生涯賃金は2億円程度になるという。20億というと、ざっとその10倍だ。
それほどの大金を、どうしようというのか。
現在は、天笠のご両親に警察へ行方不明者届を出してもらって警察に天笠の所在を探してもらっている。
額が額だけに、商社内やヤサカグループの中だけでもみ消せるようなものではない。
そもそも一個人がそんな大金を横領して、会社を辞めるまで周りが気づかないという社内体制自体に問題があるのだ。
そのあたりも、早急に原因究明と二度と横領事件が起こらないような堅固な社内システムを作り上げる必要がある。
とはいえ、一度大きな悪評が出てしまうと、なかなか人々の記憶から消せるものではない。
これはヤサカグループ全体の信用にも関わる問題になってくるかもしれんな、と圭吾は暗鬱たる気分になってくるのだった。
業務上横領事件、失踪事件として警察で捜査してもらう一方。社内のプロジェクトチームを作って、どういう経理操作の上、横領が行われたのかの調査を進めた。
結果、分かったことがある。
横領の主なやり方はこんな風だ。
天笠誠は、商社の契約部に所属し、日ごろから世界各国の企業と億単位の取引契約をしていた。その日常業務の中に、フェイクを紛れ込ませたのだ。
その道具として、天笠はイギリス領ケイマン諸島にダミー会社を設立していた。
ある日の業務では、天笠本来の商社の仕事として、フィリピンの現地法人からバナナを5千万円分購入している。しかし、天笠はこの時、社内に残す契約書を偽造していた。フィリピンの現地法人からバナナを5千万円分船で送ってもらう一方で、ケイマン諸島のダミー会社から1億円で買い上げたことにし、そのダミー会社の口座に商社から1億円を支払っている。
そして、そのダミー会社からフィリピンの現地法人に5千万円分の支払いをするのだ。それによって、商社からダミー会社へ移った金のうち5千万円分がそのまま残ることになる。
こういった操作によって、結果的に20億円もの大金を横領することに成功したのだ。
このダミー会社の口座にストックされていた残高は、天笠が会社を辞めた直後に、半分の10億がとある口座番号のところに数回に分けて振り込まれていた。
その口座番号は、国内の金融機関のものではない。
圭吾が懇意にしているメインバンクの伝手をたどって、その口座番号を使っている金融機関を調べてみると、一つ該当があった。
それは、香港にあるプライベートバンクの口座番号だったのだ。
そのプライベートバンクにその口座を作ったのは、『クーロン・トレード・リミテッド』という香港の法人だった。
残りの半分の10億については、おそらくマネーロンダリング業者の手を使って処理しているのだろう。世界中の金融機関の口座間で移動を繰り返しているため、現在まだ追跡調査中だ。
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