第24話 撃ち落とされるまで

「ちょ、ちょっと待ってください! 乗務員と乗客の命を全部犠牲にするってことですか!?」


 あのS7812便には、イザも乗っている。


『はい。そういうことになります。テロの目的はクレムリンの破壊かモスクワへの攻撃とみられます。クレムリンには大統領府をはじめとしてロシア政府の中枢が集まっていますし、モスクワは1000万人を超える人口を抱える大都市です。乗客乗務員併せて110人程度の命と、どちらを優先すべきかは明らかですから』


 それは、たしかにそうなのだろう……と圭吾ですら思う。


『それに、今日は戦勝記念日でクレムリン周辺には1万人の軍人とそれを見にたくさんの国民や観光客が集まっています。何としてもこちらの犠牲者を出すことなく内々にこのことを処理する必要があるんです』


「それってつまり、飛行機はあくまで事故で墜落したっていう体裁をとって、テロの報道は一切させないってことですか!?」


『そういうことになりますね。不幸な事故、という扱いになるでしょう』


 圭吾は奥歯を噛みしめる。ロシア政府はこのテロは、あくまで秘密裏に事故として処理するということだ。実現しなかったとしてもモスクワを狙われたという事実自体、政府には極めて屈辱的なことなのだろう。


「せめて。せめて、ぎりぎりまで待ってもらえませんか?」


『ぎりぎり、とは?』


「S7812に乗っている日本人は、私の知り合いです。そいつが、ハイジャック犯を何とかしてみせるって言ってます。モスクワに近づくぎりぎりの距離まで、撃墜を待つことはできませんか?」


『…………それはできません。これは、政府としての決定事項です』


 交渉の余地すらなかった。


(くっそ……!)


 思わず、圭吾はスマホをテーブルに叩きつけそうになる。

 罵詈雑言を叩きつけたい気持ちを抑えて、低い声で相手のロシア高官に礼を述べ、搭乗者リストを送ってもらうことと、また何か進展があったらすぐ伝えてもらうよう頼んで通話を切った。


 そして、すぐにイザとの通話に切り替える。


「イザ。よく聞けや。……ロシア政府はハイジャックが確定された時点で、その飛行機を攻撃して墜落させようとしとる。俺、なんとか時間稼ぎをしてみるから。お前は、ハイジャックの方を何とかしろ。無理すんな……とは今回は言わへん。……何やってでも、生きて帰ってこい」


『……わかった。了解』


 そしてイザとの通話も切れる。

 圭吾は目をつぶって額に手をあてると、考える。

 ハイジャックが確定される……というのは、具体的に言うと。おそらくハイジャックが開始されてその連絡をCAやパイロットから管制塔に伝えられたとき、もしくはパイロットと管制塔の交信が途絶えたときに、確定されるのだろう。

 フライトはあと4時間足らず。だとすると、ハイジャック犯が動き出すまでにさほど時間は残されていない。


(あと何時間……いや、何分や。飛行機が撃ち落とされるまで)


 イザもまだISアイエスのメンバーが誰なのか、何人いるのかすら特定できていない。

 それでは、ハイジャック犯が動いてから撃ち落とされるまでに、イザが動ける時間はごくごく短時間になる。


(せめて、その時間を最大限まで伸ばす)


 圭吾はカフェの床に置いたビジネス鞄から、自分のノートパソコンを取り出してテーブルの上に開いた。

 メーラーには、ロシア高官から搭乗者リストがPDF付きメールで届いていた。

 ノートパソコンから自分のデータベースにアクセスして、必要な情報を呼び出しながら、目の前にいる友香にも現状を説明する。


「……て、ことやねん。手伝ってくれへんやろか?」


 圭吾から聞いた突然の話に友香は驚いたものの、こくりと頷く。


「イザには、私も世話になったもの。それに……娘さんとひとり親家庭なんでしょ? あの人」


「……そうや。紗夢じゃむちゃんのためにも、イザを死なせるわけにはいかんのや」





 ロシア高官から送られたS7812の搭乗者リストには、名前のほかに性別と国籍も載っていた。おそらく、通常の搭乗者リストよりも詳細な情報が載っている、航空会社の内部情報を送ってくれたのだろうと察せられる。それが、彼のできる最大限の配慮だったのかもしれない。


 リストにあるのは乗務員は、パイロットが二人、客室乗務員(CA)が4人。乗客が108人。

 乗客の国籍は、様々だった。ロシアやロシア周辺国が多いが、アメリカ、イギリス、ドイツ、メキシコ……15か国に渡っている。


 圭吾は自分のノートパソコンのデータベースにある情報を見た。そこには今まで仕事で関わりのあった世界各国の高官や有力者、著名人の名前と連絡先や携帯番号、プロフィールなどが載っている。


「友香。英語喋れたっけ?」


 圭吾と一緒になってノートパソコンを覗き込んでいた友香が、少し首をかしげながら若干不安げにこくんと頷く。


「大学生のときに半年くらい留学してたことがあるから。日常会話に毛が生えたくらいだけど」


「十分や。じゃあ、ここに電話してくれへんかな。この人、ドイツの通商省の高官やねんけど。話して欲しいのは、ロシアのトムスクからモスクワに向かうS7812便がハイジャックされたこと。それをロシア政府は即時撃墜しようとしていること。その便の搭乗者リストに、ドイツ人のこの人とこの人が載ってるってこと。人命救助のために撃墜を遅らせることをロシア政府に要請してほしいこと。……それを伝えることは、できるやろか?」


「え? え? 私、いきなりそんな偉い人に英語で電話すの!?」


 戸惑う友香に、圭吾は手を合わせる。


「お願いや。俺も色んなとこに電話したり連絡したりしたいねん。少しでも、ロシア政府に影響与えられる人とコンタクトしたいんや」


 確証は全くないけれど。小国でもいいから、少しでも多くの国から外交ルートを通じて撃墜への外交批判がロシア政府に届けば、考え方を変えてくれるかもしれない。一つ一つの国の影響力は小さくても、いくつも集まれば無視できなくなるはずだ。


 圭吾は、この人に電話して、その次はこの人。と、カバンから出したノートに書き記して友香に渡す。


「わ……わかった。なんとか、やってみる」


「ありがとう」


 圭吾は、心底嬉しそうに笑った。






 そうやって二人で手当たり次第に電話していく。圭吾は、日本の外務省や政府関係者、マスコミなど思いつくままに電話していく。その際、圭吾の会社の知名度と地位が役立ったのは言うまでもない。


 一方、友香の方も、架電したもののほとんどが政府高官の個人的な携帯電話だったため、友香のつたない英語力のせいもあり話し始めは不審がられもするが、ヤサカコーポレーションの御堂圭吾に頼まれて電話していると伝えると、「ああ、彼か」という様子で話がスムーズに進むことが多かった。


 とはいえ、一つの連絡先に電話するのにかかる時間は大体5分。二人で電話をしていても、こなせる数は限られている。


(これじゃあ、らちがあかないわよ……)


 カフェは昼の1時近くということもあり、おそいランチを食べに席はいっぱいになっている。

 そんな中で必死に携帯で電話をかけまくっている二人の様子は、傍から見たら少し異様だったかもしれない。

 しかし、周りの人たちはそんなこと気にする様子もなく、ランチやおしゃべりを楽しんでいる。


 楽しそうに歓談する周りの人々。

 一方、ロシア政府に撃墜されようとしている飛行機の撃墜時間を少しでも遅らせようと奮闘している二人。

 友香は、とても孤独な気がした。

 自分も、つい先ほどまでは楽しくランチをしている人たちの側にいたはずなのに。


(そのはずだったのに……一瞬で状況が変わっちゃった)


 自分と圭吾二人だけ、別の世界に行ってしまったような疎外感。


(あれ? ……ちょっと待って。そんな疎外感、勝手に感じてるだけなんじゃないの? そうだよ。私たちだけで手が回らないんなら……)


 友香は、今しがたアフリカのザンビアの高官と通話を終えたスマホをぎゅっと握りしめた。


(人手なら、ここに沢山あるじゃない!)


 スマホを握りしめたまま、がたっと椅子を引いて友香は勢いよく立ち上がった。

 隣で電話をかけていた圭吾が、不思議そうに目線だけで友香を見上げる。


 友香は大きく息を吸い込むと、カフェの喧騒をやぶるほど大きな声を張り上げた。


「誰か! 英語が話せる人いませんか!? 英語じゃなくてもいい、中国語でもフランス語でもいいから。誰かいませんか! いたら、助けてほしいんです!!!」


 カフェの喧騒が半分くらいの音量になり、視線が友香に集まる。


「いま、ロシアでテロがいくつか起きていますが、ニュース報道されていないテロがもう一つ起きています! それは飛行機のハイジャックテロで、いまモスクワに向かっています!」


 友香は、必死に大声を張り上げ続けた。


「ロシア政府は、その飛行機を今にも攻撃して撃墜させようとしています! そうなると、乗客は皆死んでしまう! 私たちの友人も、その飛行機に乗っています!」


 突拍子もない話を叫ぶ友香をみて、周りの客たちは胡散臭そうな迷惑そうな顔を向ける。あからさまに無視している人も少なくない。それでも、友香は言い続ける。


「今、乗客リストに載っている人たちの国の関係者に電話して、ロシア政府に撃墜を遅らせてもらえるよう外交ルートで頼んでもらえるか交渉しています! でも、私たちだけでは手が回りません! どうか、お願いします!!!! 誰か、一人でもいいから! 手伝ってくれる人はいないでしょうか!?」


 はじめは食事の手を止めて友香の方を見ていた人たちも、何のパフォーマンスだ? 頭おかしいんじゃねぇの? あれじゃない? 面白いことして動画とって閲覧数増やそうっていう……そんなことを口々にささやきあって、だれも友香の方をまともに見ようとはしなくなっていた。


「どうか、お願いします! 助けてください!!!」


 そう、友香は深く頭を下げる。

 しかし、カフェには先ほどまでとまったく同じ喧騒が戻りつつあった。

 一瞬にして、すっかり友香の存在は周りの人々から忘れ去られたようだった。

 店員すら、こちらを見て見ぬふりしている。正直、迷惑な客だと思われていることは店員の態度から明らかだった。


 まだ、必死に友香は頭を下げ続ける。


 その友香の姿がいたたまれなくなり、圭吾は友香の腕を優しく引く。


「そこまでしてくれて、ありがとな。……でも、あまりに話が突拍子もなさすぎて、誰も本当のことやとは思えへんのやと思う」


 圭吾にそう言われて、友香は俯いたまま席にすとんと腰を下ろした。そして、服の袖で顔を拭った。

 その友香の頭を、圭吾は慰めるようにポンポンと撫でる。


 と、そのとき。

 圭吾は自分の服を誰かに引っ張られるのを感じて、そちらを振り返った。

 服を引っぱっていたのは、隣の席に座った大学生くらいの青年だった。テーブルには資格試験のものらしいテキストが広げられている。


「今の話……本当なんですか?」


「え?」


 興味を持ってくれる人がいたことに驚いて、圭吾は思わず声をあげる。そして、頷いた。


「いや、俺、ずっと貴方たちが電話してるの聞いてたんですよ。っていうか、席近いからどうしても耳に入っちゃって。Rossian troops とか shout down とか airplane とかの単語言ってたから。その会話聞いてたら、さっきの話が嘘だとは思えなくて」


 そして、その青年はにこりと笑んだ。


「僕で良かったら、手伝いますよ」


「あ、ありがとうございます!」


 友香は思わず立ち上がって、青年の手を強く握った。


 二人が三人になると、作業は格段にはかどる。青年も、圭吾が書き出したリストを見ながら自分のスマホで電話をかけ始めた。


 その様子を見ていたのか。数分後、もう一人のご婦人が加わった。彼女は海外駐在していた夫について数年アメリカに住んだことがあると言っていた。


 そのご婦人と一緒にランチをしていたもう二人のご婦人も、自分たちは英語は喋れないけどほかにできることがあれば手伝うわと言ってくれ、圭吾のノートパソコンと搭乗者リストを突き合わせて、交渉できそうな人物を見つけて書き出すという作業を手伝ってくれた。


 その辺りから、カフェの空気が変わった。


 フランス語ができるから、フランスやアフリカの元フランス領の国籍をもつ搭乗者がいればそっちの交渉は任せてという人や。


 マスコミ関係者に知り合いが多いから、そっちに働きかけてみるという人。


 友人が外務省に努めているから、話してみるという人。


 ご婦人が渡してくれる書き出したメモを見ながら、圭吾と友香のほか5人の人が電話交渉の手伝いをしてくれることになり、それ以外にも自分たちの伝手を使ってあちこちに連絡をとってくれる人が何人もいた。


 そうして。

 圭吾たちが電話を始めてから40分後。


 通話中だった圭吾のスマホにキャッチが入る。

 あの、ロシア政府の高官だった。


 彼は、驚きを隠せない口調で圭吾に言った。


『御堂さん。S7812便の撃墜の予定が変更になりました。当該機がハイジャックされた後、モスクワに100キロの距離の地点に侵入した時点で攻撃を行うことになります。このままの進路で当該機が進み続けた場合、モスクワ時間で9時30分ごろになるかと思われます……御堂さん、貴方、何かしたでしょう。外務省から突然待ったがかかったんですよ。なんでも、いくつかの国の大使や領事からハイジャック機の即時攻撃に抗議が来てるとかで』


 ロシア高官の声は、前回即時撃墜を伝えてきたときよりも、幾分やわらかい気がした。

 礼を言って通話を切ると、隣の友香にいう。


「撃墜、モスクワ時間の9時30分ころまで待ってくれるって」


 腕時計を見た。いま、日本時間で昼の1時半近く。モスクワ時間だと7時半ころ。あと2時間の猶予ができたことになる。


「え、ほんとっ!? やったーーーー!!!」


友香が歓喜の声を上げた。

 圭吾は立ち上がると、カフェにいる手伝ってくれた人たちに言う。


「みなさん。ご協力ありがとうございました! 皆さんのおかげで、飛行機の撃墜を日本時間の3時半まで伸ばすことができました。本当に、どうもありがとうございました」


 そう言って、圭吾はみんなに深く頭を下げた。

 手伝ってくれた人たちが、温かく拍手をしてくれる。

 友香も慌てて立ち上がると、圭吾の隣で頭を下げた。


 そのとき、拍手の音の中、圭吾のスマホが鳴る。

 通話ボタンを押して耳にあてると、先ほど電話をくれたばかりのロシア高官だった。


『御堂さん。本当に、ぎりぎりでしたね。今、連絡が入りました。管制塔からの報告です。S7812便がたった今、ハイジャックされました』

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