第6章 飛行機
第23話 ハイジャック
5月9日昼過ぎ。東京。
この日は休日ということもあり、都心にあるカフェはお喋りを楽しむ女性客や、一人でタブレットを弄るスーツ姿のサラリーマン、コーヒー一杯でねばって勉強をしている受験生など、空席がないほどに賑わっている。
スーツ姿の圭吾は腕に嵌めた腕時計を見ながら、しまったなぁという顔をしてカフェへと入ってくる。そして客席をキョロキョロと見回して。目当ての顔を見つけると、「ごめんっ」と言いながら、すまなそうにその席に近づいた。
「ごめんな。俺の方から呼び出しときながら、待ち合わせに遅刻してもーて。ちょっと会議が長引いて」
謝りながら向かいの椅子に腰を下ろす。
そこにいたのは、友香だった。
「別に、いいです。どうせ、暇だったし。……それより、用事ってなんですか?」
圭吾とは、友香の自宅で初対面で会って以来、会うのは2回目だ。イザとは、一緒に香港まで行ってきたが。
友香に促されて、圭吾は手に持っていたキャメル色のビジネス鞄をテーブルの上に置くと、中からクリアファイルを取り出す。
クリアファイルには、一枚の紙が挟まれていた。
圭吾はビジネス鞄を足元に置くと、そのクリアファイルから紙を取り出して、友香の前に静かに置いた。
それは、友香のパスポートのコピーだった。
「え……これって……?」
コピーを手に取る友香に、圭吾はにっこりと笑みを向ける。
「ようやくな。香港のFIU(資金情報機関)の働きで、『クーロン・トレード・リミテッド』は法人を解散させることになったんや。そんで、法人登記申請のときに使われた友香のパスポートのコピーをな、一刻も早く返してもらえるように頼んでたんやけど。昨日の夕方、これが国際便で手元に届いたから。少しでも早く友香に渡したった方が安心するかな、思うて」
正式な法人解体にはまだもう少し時間がかかるが、とりあえずこのコピーだけでも先に返してもらえないかと働きかけていたのだ。
「あ……ありがとうございます! じゃあ、もう私があの会社の代表取締役だっていう登記も消えるのね!」
「そうやな。香港まで行って、情報集めた甲斐があったな。お疲れさん。そのコピーは貴方に返すわ。破るなりシュレダーするなり、好きにしてや」
好きにしてと言われて、友香は嬉しそうにパスポートのコピーをびりびりに何度も破った。
「はぁ。すっきりした! これで、一件落着ね」
晴れ晴れした顔で言う友香。それを、目を細めて眺めていた圭吾だったが、その圭吾のスマホが鳴る。
誰からの着信か確認するが、アドレス帳に登録されていない相手からの着信のようで、画面には電話番号しか表示されていない。電話番号の頭には、どこかの国の国番号が表示されている。海外からの架電だ。
圭吾は通話ボタンを押すと、スマホを耳につけた。
「はい」
電波が遠い。雑音が混じる中、聞こえてくるのは英語のようだった。圭吾は英語で問いかける。
「Pardon? Please say it once more.(すみません、もう一回言ってもらえませんか?)」
『Do you know where Iza is? I’m Elkashi. I have what I should say him.(イザ、どこにいるか知ってるか? 俺はエルカシュ。イザに話さなきゃいけないことがあるんだ) 』
「エルカシュ!?」
圭吾に電話がかかってくる数分前。
エルカシュが撃たれてから10分後。
「……う……」
地面に仰向けに倒れていたエルカシュは、意識を取り戻す。次の瞬間、盛大に咳き込んだ。身体を起こして何度か咳をする。胸が苦しい。
(あ、あれ……?)
記憶を辿ってみる。銃口を向けられて。銃声が聞こえたと同時に胸に衝撃を受けて……。
(俺、撃たれなかったっけ?)
自分の胸に手をやってみる。すると、シャツの左胸。心臓あたりのシャツが破け、何やらパラパラと手についた。砂のようなものが、指につく。
(……なんだこれ)
胸元に視線を落とすと、左胸ポケットのあたりが破けて千切れたシャツが垂れてはいるが、自身の身体は左胸が赤くなってはいるものの銃傷のようなものはない。代わりに、左胸の端に身体をかすめるように一直線に背中に向けて赤い筋が走っていた。血が滲んでいる。
それは、銃弾がエルカシュの身体には当たらずかすめたことを示していた。
(運よく、弾の軌道がそれたのか?)
でも、なんで。司令官の銃の腕前は確かなはずだ。こんな真正面で撃たれて外すとは思えない。
ほとんど傷の残っていない身体の代わりに、なくなっているものがあった。
(あ……イザからもらった、アレッポの瓦礫がなくなってる)
そこではたと気づく。手についた砂のようなものは、瓦礫が砕け散った跡だということに。
司令官は確かに、エルカシュの心臓に向かって銃弾を撃ち込んでいた。
しかし、胸ポケットに入れていた瓦礫に弾丸があたり、軌道が逸れたおかげでエルカシュの身体をほとんど傷つけなかったのだ。
エルカシュは、胸のシャツをぎゅっと握りしめた。
守られた気がした。
そしてすぐに立ち上がると、その場から走って逃げ出す。大丈夫、足腰はしっかりしている。走れる。
走りながら、ズボンのポケットに入れていた携帯電話を取り出した。イザから貰ったものだ。アドレス帳には三つの番号が登録されていた。
IZAと書かれた番号に電話を掛ける。が、何度コールしても出ない。
あとの二つは、KEIGO と UMAR とある。
ウマルには、今、話してもどうにもならない。
(早く。早く知らせないと……テロはまだ実行中だって)
もう一つの番号。KEIGOに架電した。
何度かの呼び出し音のあと、相手が出る。相手が何語でしゃべっているのかわからなかったが、とにかく英語で話し続けた。
「イザ、どこにいるか知ってるか? 俺はエルカシュ。イザに話さなきゃいけないことがあるんだ」
同時刻、日本。東京の某カフェ。
「俺は、圭吾って言うねん。イザの知り合いや。イザは、あんたに会いに行ったんちゃうん? 一緒にはおらへんのか?」
『イザとは一昨日別れた。たぶん、今はヘルシンキにいるはずだ。最初イザに電話かけたんだけど、繋がらなくて。だから、あんたでもいいや。テロは、まだ終わってなかったんだ! 一番やばい計画が、いま実行されてる!』
「え…………どういうことなん?」
ロシアの6か所の都市で、計10個以上のテロ計画が未然に防がれ、大量の
実際には、それですべてのテロ計画が未然に防げたわけではなく。
ニュース報道によると、少し前にロシアの二つの都市において大学と役場での小競り合いのような銃撃と、一つの市場で自爆テロが起こって死傷者は出ていた。
それでも、当初のテロ計画の規模から比べると、比較にならないほどの小規模なテロ行為だったといえる。
それ以外に、一番やばい計画が実行されている?
『ロシアのトムスクからモスクワに行く飛行機に、
エルカシュの言葉をきいて、すぐに圭吾は友香にいう。
「友香! ロシアのトムスクが、どこにあるかを検索してや。それと、モスクワに向かう飛行機が何便あるのか」
「へ? あ、は、はい。わかった」
それまで英語で誰かとしゃべっていた圭吾から、いきなり指示が飛んできて友香は慌てるものの。すぐに自分のスマホで言われたことを調べ始める。
「えっと……トムスクはロシアの、ほぼ中央あたりにある小さな街よ。トムスクからモスクワに出る飛行機は……と。ちょっと待って…………あ、わかった。1便! 1便しかないわ。朝の10時トムスク発で、10時20分にモスクワに着く予定ね。トムスクとモスクワは飛行機で4時間20分かかる距離だけど、トムスクとモスクワの時差は………4時間か」
圭吾は腕時計を見る。今の日本時間は昼の12時30分。モスクワと日本の時差は6時間だから、モスクワは今、朝の6時半だ。トムスクは今、10時半。
たしかに、もう飛び立ってしまっている。
「友香。モスクワで今日行われるはずの戦勝記念日の軍事パレードは何時からか、わかるか?」
「ちょっと待って。ええっと……あ、あった。モスクワの10時から11時よ。1万人の軍人たちが軍事パレードするって」
「そこにぶつけて来たんか……」
圭吾は歯噛みする。あと四時間程しかない。
どうする?
とにかく。エルカシュには知らせてくれたことへの礼を言う。
「ありがとう。こっちからすぐにロシア政府に情報流してみるわ。エルカシュは、これからどないするん?」
通話は不安定で所々途切れがちではあったものの。
『俺はもう
「わかった。気ぃつけてな」
その会話を最後にエルカシュとの通話は切れる。
次に圭吾は知り合いのロシア高官の携帯電話に直接架電し、エルカシュから聞いた話を全て伝えた。
その電話を終えると、今度はイザのスマホに架電する。エルカシュは繋がらなかったと言っていた。確かに繋がらない。
10分後もう一度架電すると、今度は数回の呼び出し音ののちに、イザ本人が出た。
「ああ。イザか? さっきエルカシュから俺の携帯に電話があってな……」
と、トムスクからモスクワへ向かう飛行機に
その話を一通り聞いたイザの反応は、圭吾の予想だにしないものだった。
『それって、便名わかる?』
「ああ、ちょっと待って」
圭吾は、友香に調べてもらった便名を告げる。S7812便。それがトムスクからモスクワへ向かう飛行機の便名だった。
『へぇ、当たった。それなら今、俺、乗ってるよ』
「………え?」
『だから。そのS7812便に乗ってんだって、俺』
イザが言ってる意味が理解できず、圭吾は何度も聞き返してしまう。
「だって、お前。ヘルシンキに戻ったって、エルカシュも言うとったで?!」
『一旦ヘルシンキに戻ったけど、連絡もらってロシアにもう一回戻って来てたんだよ』
イザの説明によると。
ソチにいたときアエロフロート・ロシア航空で知り合ったCAと遊んだ際、イザは彼女にあのポリマー拳銃のパーツの実物と、そのほかネットから拾ってきた拳銃のパーツの画像を見せて『テロの可能性があるから、空港の保安検査で、金属探知機に反応しないこれと同じようなパーツを持ってるやつを見かけたら教えてほしい』と頼んでいたのだという。
彼女が、サンクトペテルブルクの空港の保安検査場で、保安検査員たちと親しげに話していたのを見ていて思いついたらしい。
彼女は快諾してくれ、知り合いの保安検査員たちに画像をネットで送ってくれ、さらにその保安検査員たちが知り合いの同業者にも拡散してくれて、ロシア全土の保安検査場に情報が広がっていた。
彼女たちからいくつかあがってきた情報を調べたところ、そのほとんどの目撃情報では客の行き先はイザが
一人だけあの指示書にはない空港行きの飛行機に乗った客がいた。
その客が向かったのが、トムスクだったのだ。
その情報がどうしても気になったイザは、ヘルシンキからトムスクへ向かい、5月9日に唯一出るモスクワ行きの飛行機S7812便に乗ってみたのだという。
「……お前の女癖の悪さも、たまには役に立つんやな。というか、だからってハイジャックされるかもしれん飛行機に、分かってて乗るなや! なんで、そんなことすんねん! ちょっとは自分の身の危険も考えろ!」
『……んな、怒んなよ。まぁ、なんとかなるかなぁって思ってさ』
このイザの楽観的な性格が、心配性な圭吾にはたびたび腹立たしくなる。しかも、いままで『なんとかなる』っていう楽観性で実際のところ何とかしてきてしまっているから、なおさら
「お前、犯人たちの目星はついとるんか?」
『いや。香港で襲われた時も、そうだったけどさ。
その時、圭吾のスマホにキャッチが入る。ごめん、ちょっとキャッチや、と断って圭吾は通話をキャッチの方に切り替える。
架けてきたのは、先ほどテロの情報を流したロシアの高官だった。
『御堂さん。先ほどはご連絡ありがとうございました。対国家テロ委員会と大統領府でいま対応を詰めていますが。管制塔でハイジャックが確認できた段階で、当該飛行機は軍で処理することになりそうです。日本人らしき搭乗者の名前は登場リストに一人だけ確認できますが、御堂さんの関係者ではないですよね?』
高官の口から出た名前は、イザがよく使う偽名の一つだった。おそらく、その名前で偽造パスポートを作っていたのだろう。
「……軍で処理って、どないするんですか」
『地対空ミサイルを使うか、戦闘機を使うかをいま協議中ですが……人的被害の少ない地域を飛行中に当該機を撃ち落とすことになります』
高官の口調は端的だった。
それは、ハイジャックが確定した時点で、乗客乗務員すべての命を犠牲にしてモスクワを守るというロシア政府の強い意志の表れだった。
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