第25話 飛行機の中
時間は少し戻って。
飛行機機内。
『お前は、ハイジャックの方を何とかしろ。無理すんな……とは今回は言わへん。……何やってでも、生きて帰ってこい』
「……わかった。了解」
圭吾との通話を切ったイザは、さて、どうしようかな、と座席に深く座って思案する。
正直、勢いでハイジャック予定の飛行機に乗ってしまったが、さほど明確な案があるわけでもない。
自分が知っていることといえば、あのポリマー拳銃のパーツを持ってる奴らが
この飛行機はボーイング737型機。
国内線ということもあり、さほど大きくもない飛行機なので客席はビジネスとエコノミーしかない。ということは、スマホを使ってネットで調べたらわかった。
飛行機が離陸して上昇し、水平飛行を始めたころ、CA(客室乗務員)たちが軽食を配り始める。飲み物と、スクランブルエッグとハム、それにパンというような軽い食事が乗ったプレートがイザの前にも配られた。
イザの乗る座席は、エコノミー席の中でもかなり後方だった。さほど大きくもない飛行機なので、エコノミーゾーン全体がイザのいる座席から見渡せる。エコノミーのさらに前方には壁があり、通路の部分だけ開いている。
その向こうは、ビジネスクラスの座席があって、さらにその先にパイロットたちがいるコックピットがある。
煙草吸いたいなぁなんて思いながらも、飛行機内は禁煙なので叶わない。
仕方なく、もそもそとフォークでスクランブルエッグを食べる。そうやって適当に過ごしながら、なんとなく周りを見ていると。
ある一人の乗客が、目についた。
イザが座る座席からは、斜め前方。通路の向こう側の10列ほど先にいる乗客だ。
座っているイザからも見えたのは、その乗客が何度も立っては、頭の上の荷物入れを開けて荷物を取り出したり、またしまったり。というのを2度、3度繰り返していたからだ。
(何やってんだ? あいつ)
ちょっと様子を見てみるか、と。
イザは席を立つと、不審な男よりもさらに前方にいるCAの女性のところへと歩いていった。
「すみません。喉乾いたんで、水もらってもいいですか?」
イザの言葉に、CAはにこりと笑顔で答えると、いま席にお持ちしますねと後方に歩いていく。この飛行機の場合、CAたちが飲み物などを準備するスペースは飛行機の一番後ろに設置されていた。
イザはCAについて行きながら、先程の気になる動きをしていた乗客の横を通る。
それは、ビジネススーツを着て髪を綺麗に刈りこんだビジネスマン風の西洋人だった。そのビジネスマン風の男はさっき上からおろしていた小型キャリアケースを開け、そこから何かを取り出して、黒いビジネス鞄へと移し替えていた。
ちらりと見えたソレは、細長く黒いものだった。
おそらく周りの人間には、その場面を見ても男が何を移し替えているのか分からなかっただろう。
しかし、イザには一目で分かった。
普段、仕事でよく目にするもの。イザ自身も、何丁も持っている。
あれは、拳銃のスライド部分だ。
ビジネスマン風の男は、複数のバッグに分散して隠してあった銃のパーツを手荷物として機内に持ち込んでいたらしい。それを、あのビジネス鞄にすべて移し替えようとしているのだ。とイザは気づく。
何のために?
決まってる。拳銃を組み立てるためだ。
(間違いない。あいつ、テロリストの一人だ)
イザは自分の席に戻る。水を持ってきてくれたCAに礼を述べると、あのビジネスマン風の男の行動を注意深く観察することにした。
しばらく経った後、ビジネスマン風の男がおもむろに立ち上がるのが見えた。
そして、通路を後方に向かって歩いていき、イザの横を通り過ぎる。手にはあの黒いビジネスカバンをもっていた。男はさらに後方まで進むと、トイレの扉を開けて中に消えた。
それを確認して、イザも席を経つ。
男が入ったと思われるトイレの前に立つイザ。
実は、飛行機のトイレのドアというのは外から開けることができる構造になっている。本来は、トイレ内で乗客が倒れた時などに乗務員が使うためのものらしいのだが。
(えっと……これか)
トイレの『Occupied』(使用中)の表示のすぐ上の部分に、でっぱった部分がある。そこを上手く押すとカバーが空いて、中にツマミが見えた。そのツマミを横にスライドさせると。
トイレの表示が『Occupied』から『Vacant』(空き)に変わった。トイレのドアの鍵が外れたのだ。
イザはトイレのドアを躊躇いなく手で押して開ける。中の男は驚いた様子で振り返った。
本当にトイレの最中だったら申し訳ないなとちらと考えたけど、予想通り男はトイレの中で何やら作業をしていた様子だ。ズボンが下りてたりはしない。
イザは驚いて振り返った男の口を左手で抑えると、その首筋に右手の袖の中に隠し持っていた注射器を素早く突き立てた。中の液体をすぐに男の首の筋肉に注射する。
液体の中身は、5MeO-DMT……通称ゴメオ。ドラッグだ。それを過剰摂取(オーバードーズ)させる量。
闇ブローカーのイザには、入手が困難なものではない。
液体をすべて注入した後、イザはすぐに手を放して注射器を再び袖に隠した。
通りがかったCAが、何事かと近づいてきたが。
イザは困ったように苦笑を浮かべて。
「トイレ入ろうとしたら、ドアが開いてて。閉め忘れたのかな。ああ、でも、なんかこの方、体調悪いみたいなんですが……」
イザの言葉通り、すでに薬が効き始めたのだろう。男は手で頭を抱える。
何事かを周りにつぶやいてはいるが、呂律が回っておらずもはや何を言っているのかわからない。
男は支えようとするCAの手を振り払って、何とか鞄をつかむと自分の席へふらふらと戻っていった。
(はじめは酩酊感。そのうち昏倒する)
イザの狙い通り。男は10分も経ったころには、座席に座ったまま意識を失った。周りからは、単に居眠りしているだけのように見えただろうが。
(効果は数時間。ことが終わるまでは眠っててくれるはず)
イザはその男の座席まで行くと、男の肩を強く揺すってみた。案の定、男は力なくぐったりするだけで抵抗はしてこない。
「なんだ、こいつ。寝ちまったのか? すみません、ご迷惑おかけして。こいつ、飛行機乗る前から飲んでたから、気圧のせいで酔いが回っちまったみたいで」
と、隣の席に座る初老の女性に謝る。女性は、いいえ、と朗らかに笑って返してくれた。
「おい。しょーがねぇから、俺が代わりにお前の仕事やっといてやるよ」
そう言うと、イザは男が足元に置いていた黒いビジネス鞄を手に取る。先ほど、男がトイレに持ち込んでいた鞄だ。
すぐに自分の座席に戻ると、そのビジネス鞄を開けて中に手を入れ中身を確かめた。
イザの手に、硬く大きな物があたる。
形状からして、間違いない。拳銃だ。
マガジンリリースボタンを押して、マガジン(弾倉)を引き抜き、中に弾丸が十分詰まっていることも確認する。
(15発、か……)
マガジンを元に戻すと、イザはビジネス鞄から手を出して、ふぅと小さく息をついた。
性分なのか、拳銃を持っていると妙に精神が落ち着いてくるのを自覚する。
(テロリストは、あと何人いるんだろうか……)
イザの行動を、不審に思ってこちらを見ているものがいないか気にしていたが。見渡す限り、こちらに注意を向けているらしき人物は見えない。
ほかのメンバーは、ここよりもさらに前方に座っていてイザの行動に気付いてはいないのだろう。
それからしばらくは、平穏な飛行が続いた。乗客たちも、CAたちにも通常と違った様子はまったく見えず、機内は穏やかな空気が流れている。
その空気が、変わったのは離陸から1時間半が経った頃だった。
モスクワ時間7時30分。飛行機内。
コックピットで機長は、インターホンを使ってビジネスクラス担当のCAに連絡を取った。
「チェルネンコだ。すまない。ちょっとトイレに行きたいので、お願いできるかな」
『はい。承知しました。チェルネンコ機長』
チェルネンコ機長は、頼むよと言うように副機長の肩を叩くと操縦席を立つ。
そして、コックピットの出入り口に立った。
機長から連絡を受けたCAは、コックピットとビジネスクラスの客席の間にあるカーテンをさっと引く。
コックピットを出てすぐ横のところにトイレがあり、そこは機長とビジネスクラスなどの上位クラスの客のみがつかえるトイレとなっている。
しかし、防犯上の理由から、客と鉢合わせしないようパイロットがトイレを使うときは、一般客を立ち入らせないためにCAがカーテンを引く決まりになっているのだ。
カーテンが引かれたことをコックピットのドアについている覗き穴から確認した機長は、副機長に「いいよ」と声をかける。その声を受けて、副機長がドアの開錠ボタンを押した。
そうやって、はじめてコックピットのドアは開けることができるのだ。
これもまた9.11の同時多発テロの教訓から飛行機に取り付けられるようになった防犯上の機構である。基本的にコックピットのドアは外からだけでは開錠できずコックピット内で開錠ボタンを押す必要があるのだ。
チェルネンコ機長はコックピットのドアを開けた。すぐにトイレに入るつもりだった。
しかし、その時、ビジネスクラスの座席に座っていた乗客の一人が通路に仁王立ちになる。
学生風の男だ。その手には、拳銃が握られていた。
学生風の男は、拳銃をまっすぐ構えると、仕切りとして引かれたカーテンに向かって数発発砲した。
銃声とともに、カーテンが撃たれた反動でひらりと舞う。
弾はカーテンの布など何の障害にもならず貫通し、その奥にいたチェルネンコ機長の身体を撃ちぬいた。
「きゃぁあああ!!!!」
悲鳴を上げたのは、事態を通路脇で見ていたCAだ。
銃を持った学生風の青年は、悲鳴などお構いなしで通路をコックピットへと走る。
その青年に、近くの席に座っていた2人の男たちが呼応したように後に続いた。
青年は、勢いよくカーテンを開ける。そこには、血を流してうつぶせに倒れるチェルネンコ機長の姿があった。コックピットから出ようとしたところで倒れたので、ドアに体が挟まってコックピットのドアは開いたままだ。
青年は、後ろに続く男たちに何かを叫ぶと、機長の身体を通り越してコックピットへと押し入った。
そして、事態に驚いて操縦席に座ったまま後ろを振り返った副機長の頭を、銃で殴る。発砲しなかったのは、操縦席の機械類を流れ弾で壊さないためだ。
副機長は慌てて両手を挙げて抵抗しようとするが、二度、三度と殴られ、彼の身体はぐったりと力なく座席から垂れた。
その副機長の身体を椅子から引きずりおろし、学生風の男ともう一人の男……テロリストたちは操縦席に座った。
無線から声が聞こえる。
『S7812……今の音はなんだ? 報告を求む。S7812……応答せよ。S7812……』
学生風の男は無線を無視し、見知った様子で操縦席の機器をいじる。オートパイロット機能を停止させ、操縦かんを握った。
これで、飛行機を彼らの目的どおりに飛ばすことができる。モスクワ空港ではなく、モスクワのクレムリンに向けて。
クレムリン横の赤の広場でも、もうすぐ戦勝記念日のパレードが始まるはずだ。
そこに集まった観客たちは、予期せぬ恐ろしいショーを見ることになるだろう。
男は、操縦かんを握ったまま、祈りの言葉を口にした。
スーツを着たテロリスト三人目の男が、ドアに挟まっていた機長の身体を雑に引っ張ってコックピットから出すと、コックピットの扉を外から閉めた。これで、もう誰もコックピットに入ることはできない。
そのスーツの男は拳銃を手にすると、何事かと騒ぎ始めていたビジネスクラスの乗客たちに向け、叫んだ。
「この飛行機は、我々敬虔なるカリフ国の兵士たちが占拠した」
カリフ国の兵士……とは
「おとなしくすれば危害は加えない。逆らうようであれば、アッラーの名において制裁を加える」
嘘だった。いずれ、この飛行機は墜落することになる。それまでの間、目的地まで支障なく飛行機を航行できるよう乗客たちを抑えるのがこの男の役割だ。
男は数発の弾丸を虚空に向けて撃つ。
パンパンと銃声が狭い機内に響き渡った。
ビジネスクラスの乗客たちは、突然のことに男を凝視して固まっていた。思考がついていけない。
男は銃を持っている。さっき、誰かが撃たれた。
ハイジャック……その言葉が、どの乗客の脳内にもよぎる。
男はおとなしくすれば危害は加えないといった。しかし、既にコックピットのドアの前で誰かが撃たれて倒れている。血が床のカーペットにどす黒いシミを作っていた。
「あれは……パイロットじゃないのか!? 死んだのか!? 俺たちも殺すつもりなのか?」
誰かが叫んだ。
それが引き金になった。
「わぁああああああああああ!!!!」
ビジネスクラスの一番後方に座っていた小太りの乗客が、緊張に耐え兼ね立ち上がり、船尾の方へと通路を逃げ出した。
「止まれ! 撃つぞ!」
テロリストの男は構えた銃の引き金を引こうとした。しかし、小太りの乗客が後方に逃げたのを皮切りに、ビジネスクラスにいた乗客たちが一斉に席を立って後方に向かいだした。前を行く乗客を突き飛ばさんばかりに前へ前へと行こうとする。パニックだ。
そして、ビジネスクラスの席には、逃げ遅れたCAと、客席に座ったまま動けなかった足の悪い老婆が残されるだけになる。
管制塔からハイジャックの可能性ありとの報告があったと、ロシア連邦運輸省に連絡が行ったのは、そのすぐ直後だった。
そしてその報告はすぐに、大統領府に伝えられる。大統領府に設置されていた対策チームはすぐさま、ロシア国防省へ撃墜準備の要請をかけた。
近くの空軍基地で待機していた戦闘機二機が飛び立ったのは、その10分後だった。
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