第4章 イタリア
第13話 小切手の行方
夕方、仕事で地元の繁華街を歩いていたイザのスマホが鳴った。
仕事用のスマホではなく、プライベート用の方だ。このスマホの番号を知っているのは娘や個人的な友人などごく親しい人間に限られる。画面には、『人喰い鬼』とあった。圭吾だ。
「なに?」
応じたイザに、圭吾は先日香港まで行ってくれた礼を述べた後、実はまた頼みたいことがあるんや、と切り出してきた。
イザたちが香港から戻ったあと、横領事件にはいくつか進展があった。
まず、香港にあった『クーロン・トレード・リミテッド』はFATF(金融活動作業部会)という国際機関において、正式にテロ組織加担企業として認定され、すべての口座凍結と法人に対する徹底した調査が行われている。
しかし、口座凍結したときには、すでに口座の残額はほとんどなくなっていたという。
FATFは、国際的なマネーロンダリングや租税回避、テロ資金対策などを行う国際機関で、OECD加盟国を中心に35の国や地域、2つの国際機関が加盟している(2016年2月現在)。日本はその設立メンバーの一つであり議長国を務めたこともある。
FATF加盟国は、各国内にFIU(資金情報機関)という出先機関を設けて他国のFIUと情報共有を進めている。日本国内においては、FIUは警察庁内に設けられ、JAFIC(犯罪収益移転防止対策室)という名称で呼ばれていた。
そのJAFICが他国のFIUと調査を進めていく中で、今回の横領事件に関して、
当然、ヤサカホールディングスはすぐにその銀行口座の即時凍結を要求する。
しかし、イギリスのシティは、アメリカのウォール街や日本の兜町とは決定的に異なり、その誕生は英国の歴史よりも古く、ゆえにイギリス政府とは独立した独自性を保っている。
その特殊性ゆえに、シティにあるその銀行は横領金の預けられた口座の即時凍結は渋り続けていた。本来の所有者とテロとの関係や、ヤサカホールディングスとの関係が不鮮明というのがその理由だった。
そんな折、JAFICから圭吾の元に連絡がある。
そのシティの口座のものと見られる小切手が、イタリアの金融機関に持ち込まれたという情報だ。金額は$500,000。
圭吾はすぐさま、そのイタリアの金融機関に連絡を取り、小切手を持ち込んだという相手を調べた。
それは、イタリアを本拠地として活動している特別非営利活動法人(NPO法人)だった。
幸い、小切手の換金には時間がかかっており、まだ現金化はされてはいない。
圭吾はそのNPO法人の代表者と電話で話し、その小切手を返してもらうよう交渉した。
NPO法人の代表者は圭吾から事情を聞き、快く小切手の返還に応じてくれた。交換条件に圭吾は、個人的にそのNPO法人に多額の寄付を約束している。
そのNPO法人は、シリアで長く人道援助をしてきた団体で、ここ数年はアレッポで主に活動しているらしい。
「それでな。俺の代わりに、その小切手をイタリアまで取りに行ってきてもらえへんやろか」
金額500,000ドルの小切手だ。しかもまだ、銀行が口座凍結にも応じておらず、小切手の使用停止手続にも時間がかかっている。万が一、郵送で送ってもらって紛失でもしたら厄介だ。
しかし、横領事件や『クーロン・トレード・リミテッド』のテロ資金の関係で、商社の親会社であるヤサカホールディングスもJAFICから調査協力を求められており、CEOである圭吾や社内の関係者も、警察庁にあるJAFICとのやり取りや内部調査に追われている。
事情をよく知り、圭吾の意図通りに動き、かつ秘密を外部に漏らさない人間……ということで、イザに行ってもらおうということになったらしい。
「そんで、ついでに小切手をそのNPO法人に持ち込んだ奴のことを聞いてきてもらえたら有難いんやけど。そのNPOの代表は、そいつと面識があるらしいねん」
いずれFATFの関係者からも事情聴取が行くとは思うが、その前にできる限り自分たちで情報を集めておきたかった。それに、FATFに動かれた後では、関係者とはなかなか自由にコンタクトも取りにくくなる。
「ただ、小切手受け取って、代表に話聞いてくるだけやから」
「別にいいよ」
仕事も特に忙しい時期ではなかったので、別段深く考えることもなく了承するイザだった。
圭吾とは古い付き合いだが、何か頼み事されるときはいつもそれなりの依頼料を払ってくれる。自分が圭吾に何か頼み事をするときもいくらか払うか何かしらの形で返す。
それが、なんとなく二人の間でのケジメになっていた。
でも。今回の依頼が、まさかあんな事態になるとは、この時は露とも思ってはいなかった。
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