第14話 シリアからの告白

 4月下旬。

 イタリア、ミラノ。

 イザは成田からミラノのマペンサ空港へと直通便で飛び、そこから鉄道で市街地へ向かってミラノ中央駅で降りる。

 そこで一旦ホテルに行って荷物を預けてから、再びミラノ中央駅に戻ってきた。そして今度は、さらに地下鉄に乗り換え、目当ての駅まで向かう。


 空港からNPO法人の事務所への行き方は、予めNPO法人の人に教えてもらっていたので、迷うこともなくあっさりと現地に到達できた。


「ここ……か?」


 イザは目の前の建物を見上げた。

 背後では、石畳の道路をオレンジ色の路面電車がゴトゴト言いながら通り過ぎていく。


 イタリアでは一般使用の建物でも築200年、300年という歴史あるものが少なくないらしく。日本のビルと比べて壁がぶ厚くて窓が小さい建物が多い。


 イザの目の前にある建物もそうだ。

 5階建てで、外壁は全体的に薄黄色のような色味を帯びていて、一階に階段ホールへの入り口が一か所ついている。


 木製の扉を押してその入り口に入ると、目前には階段が上階へと伸びているのが見えた。エレベーターは無さそうなので、諦めて階段を一歩一歩登っていく。

 途中で煙草を吸いたくなったが、イタリアでの喫煙ルールってどうなってるんだっけ?と思い当たり、いちいちスマホで検索するのも面倒くさいのでそのまま大人しく階段を昇り続ける。


 5階につくと、そのフロアには廊下に5つのドアが並んでいた。その一つに、金色のプレートがかかっている。

 プレートには黒文字のイタリア語で何か書いてあり、その下に英語で小さく目当てのNPO法人名が刻まれていた。

 ここで、間違いない。


 ドアの横には小さなスイッチのようなものがあったが、これが呼び鈴なのかどうかよく分からなかったので。とりあえず、ドアを右手でノックしてみた。


 しばらくすると、部屋の中でガタガタと物音がしたかと思うと、がちゃりとドアが内側に開く。

 中から顔を出したのは、ブロンドで青い目をした目鼻立ちのくっきりした女性だった。肩につきそうなボブの癖っ毛が軽やかに跳ねている。


「はじめまして。東京のヤサカホールディングスの者です。CEOの御堂圭吾から頼まれてきました」


 ああ! と彼女は明るい声をあげ、遠いところを来てくれてありがとう、どうぞこちらへと言ってドアを大きく開けてくれた。

 中に入ると、そこは一般の住宅をオフィスとして使っているような印象だった。中にはデスクが6つくっつけて置かれており、彼女のほかに3人のスタッフがパソコンなどに向かって仕事をしている。


 開け放たれた小さな窓からは、外の爽やかな風が入り込んでくる。今日は日差しの温かい日だった。


 彼女は自分を、このNPO法人の代表、アンナ・ロッシだと名乗りイザに手を差し出す。イザも手短に自己紹介して軽く握手を交わすと、アンナはイザに、そこに座ってと手近なデスクの前で椅子を引いて促した。


「えっと、あの小切手のことだったわよね。ちょっと待ってね。今、取ってくるから。あ、その間、コーヒーでも飲んでて。アレッシオ! この方に、飲み物を!」


 奥に座っていたダークブラウンの髪にブラウンの目の男がアレッシオなのだろう。のっそりと立ち上がると、マグカップをいくつか持って戻ってくる。一つを、イザの前に。残りを他のデスクに乗せ、最後の一つは自分用だったようで口をつけて飲みながら自分の席に戻っていった。


 イザの目の前に置かれたカップからは、香しいコーヒーの香りが湯気とともに立ち上る。

 一口飲むと、芳醇な苦みと酸味が口の中に広がった。インスタントではなく、豆から挽いて淹れたものらしい。


 ふとデスクの端に目をやると、石ころのようなものが幾つか並んでいた。よく見ると、瓦礫の欠片のようだ。その欠片に、花や鳥などの可愛らしい絵が描かれている。


 絵の描かれた瓦礫の欠片を眺めながらコーヒーを飲んでいると、奥の部屋に行っていたアンナが戻ってきた。


「ああ、その欠片はね。アレッポの空爆で壊された建物の欠片なの。うちのNPOは、それにシリアの子どもたちに絵を描いてもらったものを売って、寄付金を集める活動もしているのよ。良かったら一つさしあげるわ」


 なんとなく「いらない」といえる空気でもなかったので、一番手前にあった瓦礫の欠片を一つ、イザは手に取った。掌にすっぽり入るくらいのサイズで、大きな黄色い花の絵が描かれていた。


 それを見てアンナはにっこりと目を細めると、手に持っていた一枚の封筒をイザの前にそっと置く。

 イザがアンナを見上げると、どうぞと言うようにアンナは手で促した。


 マグカップをデスクに置き、イザは封筒を手に取ると中を開ける。封などはされておらず、中には一枚の細長い紙が入っていた。

 少し厚めの紙質で、うっすらと模様の入った下地に銀行名などが英語で印字され、真ん中に手書きで$500,000の数字がある。


「これが、その小切手よ。銀行で換金しようとしたら、時間がかかるって言われて。なんだろう?って思っていたら、貴方たちから連絡がきたってわけ」


「……本当に、頂いて行ってもいいんですか?」


 イザの確認するような言葉に、アンナは肩を大きく竦めて見せた。


「貴方たちが本当の持ち主なんでしょう? 仕方ないわ。本当は……このお金があれば、とても助かるのだけど。沢山の医療品や学用品を買うことができる」


「御堂は、代わりに個人的に貴方がたへ寄付をしたいと申しています」


「ええ、そうね。それも、とても有難いわ」


 といって、彼女は向かいのデスクに座ると、にっこりと笑った。それは、嫌みのない気持ちのいい笑みだった。

 イザは足元に置いていた自分のデイバッグに、小切手を封筒ごと仕舞う。

 そしてもう一口コーヒーを喉に流し込むと、アンナをじっと見つめた。

 アンナはカップを口元にあてたまま、ん?とこちらの視線に気が付いてイザを見た。


「……この小切手を貴方がたのところに持ち込んだ人物のことを、教えていただけませんか?」


 イザの問いに、アンナは一瞬表情を曇らせたようにイザには見えた。しばしの沈黙の後、アンナは重そうに口を開く。


「この小切手は……私たちが支援をしているシリアのアレッポという街で、私たちの団体の拠点に持ち込まれたものなの。これを持ち込んだ人物の名前は……エルカシュ・アフマド。元はアレッポの街でシステムエンジニアをしていた男性よ。でも、空爆で弟を亡くして」


 窓から入ってきた風が、室内のモノを撫でて通り過ぎていく。アンナは風に遊ばれた髪を軽く手で搔き上げながら続けた。


「悲しみにくれた彼は、いつの間にか街から姿を消していた。久しぶりに会った彼は、すっかりISアイエスの戦士になっていたわ。彼が、どこからその小切手を手に入れたのかは……ごめんなさい、私たちには分からないの」


「そう……ですか……」


 アンナの瞳は悲しみに陰り下を向く。


「……エルカシュと弟のナディムは、とても仲のいい兄弟だった。ご両親を騒乱で亡くしたとかで、二人だけで暮らしていたの。私たちはあの頃、アレッポで子どもたちを集めて小さな教室をやっていてね。空爆が激しくなって、学校が閉鎖されてしまっていたから。……子どもたちに少しでも希望を持ってほしくて続けていたの」


 顔をあげたアンナの瞳は、どこか遠くを見ているようだった。きっと、アレッポが激しく空爆を受けていた頃に意識が戻っているのだろう。


「ナディムは、大学で教員になる勉強をしていたらしいわ。だから、私たちの教室にもよく顔を出してくれて、教師をやってくれたり色々とお手伝いをしてくれた。子どもが好きで堪らない優しい人だった。エルカシュも、そんなナディムに釣られて、ちょくちょく私たちの所に顔を出しに来てたわ。パソコンの接続を手伝ってもらったこともあった。あの二人が、こんなことになるなんて……」


 アンナが言葉を途切れさせた後は、沈黙が室内を支配した。重い空気が圧し掛かってくるようだ。それは、あの頃のアレッポに漂っていた空気の一端なのかもしれない。ほんの欠片に過ぎないが。


 もう、これ以上ここで話を聞いていても新しい話は出てきそうもない。そう思ってイザは、出されたコーヒーを飲んだら礼の言葉をアンナに告げてここから去るつもりだった。しかし、イザがコーヒーを飲みほしていると横から声がかけられる。

 見ると、先ほどコーヒーを運んできてくれたダークブラウンの髪の男、アレッシオだった。


「なぁ。エルカシュのことが知りたいんなら、シリアのアレッポにいる奴らに直接聞いてみるか? 俺もよくアレッポには出入りしてるけど、あそこにはエルカシュをよく知る友人たちもまだ残ってるだろうしさ」


 飲み終わったカップを片付けると、アレッシオはイザのデスクに自分のノートパソコンを持ってきて置いた。

 そしてイザの横に腰をかがめて、マウスで操作する。アンナも寄ってきた。


「なになに? アレッポに繋ぐの?」


「そう。ちょっと待ってね」


 ノートパソコンのディスプレイにスカイプが起動される。アレッシオがリストから相手を選ぶと、画面は呼び出し表示に変わった。

 30秒ほど待ったあと、突然画面が切り替わる。

 スカイプの窓に、アラブ系と思われる女性の映像が映った。アレッシオがディスプレイの前に顔を乗り出すと、スカイプ画面の下のほうにアレッシオの姿が小さく映り込む。どうやら、カメラはパソコンのディスプレイ上部に内蔵されているらしい。


『はーい。アレッシオ。いま、イタリア?』


「チャオ。ハラ。元気そうで良かった。今日は、こっちにお客が来てるんだ。その人が、エルカシュのこと知りたいんだって。ほら、覚えてるかな、あのナディムのお兄さんの。こないだ、そっちに来ただろ?」


『ええ。もちろん、覚えているわよ。今日ちょうど、海外からの援助品が届いて。その分配の手伝いに来てくれてた人たちの中にあの兄弟の知り合いがいるかもしれない。ちょっと待ってて』


 そう言って、ハラと呼ばれた女性は一度席を立つと、数分後に画面の前に戻ってくる。彼女と一緒に数人のアラブ系の青年が画面に映り込んだ。


『アレッシオ! ナディムの兄ちゃんが持ってきた小切手、ちゃんとお金に換えられた?』

『エルカシュのこと、知りたいんだって?』

『アンナいる?』

『ほら、あなたたち。そんなに画面にくっつくと、カメラに全員入らないでしょ、下がって下がって』

 画面の向こうが、いっきに賑やかになる。

 青年たちは思い思いに喋ってくるが、彼らが話しているのは北シリア・アラビア語なのでイザにはさっぱり理解できない。


 アレッシオは愉快気に笑うと、身を引いてトンとイザの背中を押した。ほら、話しな、というように。


「アラビア語、わかんないよな。俺が通訳してやるから。とりあえず、話してみ?」


 アレッシオの身体が目の前からどいたので、スカイプの下の小さな画面にイザの顔が表示される。相変わらず目つき悪いなと思うが、今はそんなことは関係ない。


「こんにちは。俺は、イザっていいます。その、エルカシュって人のことを知りたいんだけど。知っていることがあったら、なんでも教えてくれないかな」


 イザが英語でしゃべったことを、すぐに横でアレッシオがアラビア語に通訳して画面に話しかける。


 それに反応して、アレッポの青年の一人がイザに向かって何やら必死に語りだした。一生懸命こちらに語り掛けていることはわかるのだが、イザには何を言っているのかさっぱり分からないので、助けを求めるように隣に立つアレッシオを見上げる。


 そのアレッシオの顔は、それまでの緩やかな雰囲気が一転して、どこか強張っているように見えた。


「……どうしたんだ? あいつは、何て言ってる?」


 通訳を促す、イザ。

 アレッポ側の画面からは、まだ青年が必死な様子で語り掛けてきている。

 アレッシオは、顎に手を当てて薄く生えた顎髭を触りながら。でも、目は画面を凝視したまま離さないでいた。


「……アレッシオ」


 アンナに促されて、ああとアレッシオは我に返った。


「……すまない。いま、訳す。エルカシュが、この前、小切手を渡しに来た時に友人の一人に言ったんだそうだ」


 ごくりと、アレッシオは唾を飲み込み。続けた。


「ついにメンバーに選ばれた。俺は天国に行ける。今までないくらいの大規模なジハードだ。悪魔のようなロシア人たちが沢山死ぬだろう。これから、ロシアに向かう。ここにはもう戻らない。今までありがとう……って」

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