第9話 追跡者
イザがその気配に気づいたのは、友香に言われるままに連れていかれた九龍地区の白加士街にある松記糖水店を出たところだった。
すでに、この店でスイーツ店のはしご3軒目だった。
甘いものがあまり好きではないイザが、すっかりウンザリして何も頼まずにスマホを弄る横で。
友香はご満悦で、タピオカやフルーツやよくわからないプルプルしたものがどっさり入った器に、どろっとしたマンゴーソースがふんだんにかけられている何かを完食した。スイーツは別腹だよねーとか何とか言いながら。
友香はスイーツ用の別腹をいくつも持っているらしい。
そして店を出るなり、「えっと、次は……」とガイドブックを捲り始める。
今日はもう、カロリーを気にするのはやめたらしい。
そういうのをやけ食いっていうんじゃないかと思いつつ、何か口を挟むと数倍になって帰ってきそうだったので黙って隣にいたイザだったが。
何気なく視線を巡らせた雑踏に、見覚えのある顔を見つけた。20前後と思しき白人の若い男。壁に寄りかかって、耳にはヘッドフォンをしている。
一見、誰かを待って手持ちぶさたに音楽を聴いているように見えるが、あの男。前に立ち寄った店の近くでも、その前の店の付近でも見かけた気がする。
(……つけられてる)
そう判断して、イザは黙って友香の腕をつかむと男とは反対方向に歩き出す。
「え? 何? 何?」
突然のことに戸惑う友香に、イザは顔を近づけると押し殺した声で彼女だけに聞こえるように囁いた。
「黙ってついてこい」
先ほどまでのぼんやりとしたイザの雰囲気が一変して、鋭い気配を纏っているような空気。イザの緊張が、友香にも伝わる。
イザの言葉に気圧されて、友香はただ頷くしかできず腕を引かれるままイザについて歩く。
イザは友香に話しかける時に、視線だけ後ろに巡らせて背後を確認していた。あの白人の男は二人が店の前から離れるとすぐにこちらに向かって歩いてきている。
あちらの方が歩行スピードが速い。
イザは少し足を速めた。背の高いイザが早足になると、小柄な友香はほとんど小走りになってしまう。
「イザ! ちょっと待って。どうしたっていうのよ、急に!」
「……つけられてる。というか、追われてる」
「え?」
友香は足をとめて、後ろを振り返る。
「ばかっ。こっちが気づいてること、気づかれんだろ」
すぐに友香の腕を引いて、走り出す。
白人の男がこちらに向かって、走ってきているのが見えたからだ。
男は通行人にぶつかって跳ね飛ばしても、気にしない様子で追ってくる。
(あいつは、俺たちをただつけてたんじゃない。捕まえる機会をうかがってたんだ)
自分ひとりだったら何とでもなるが、友香が一緒だと追いつかれるのも時間の問題だ。
(どうする?)
イザは逃げながら、考える。友香も今は必死についてきてはいるが、荒い呼吸音が聞こえてくる。そんなに長い時間は走れないだろう。
人込みを縫うようにして、友香の手を引いて走りながらイザは、もう片方の手で自分のズボンの後ろに触れる。
そこに固いものが触れた。
(まだだ。こんな人が多いところじゃまずい)
ふいに、二人の前方に一人の男が立ちはだかった。
アラブ系と思われる30前後の男。
両手を横に広げて、イザと友香を通せんぼする。
(くっそ。挟まれてた)
イザはそのアラブ系の男が両手を広げてこちらを見ているのが視界に入った瞬間、踏み込んだ足に力を入れて方向を転換する。
「きゃっ!」
急に方向を変えたイザに、友香は振り回されてしまった。
「ごめん。こっち」
イザは今しがた通り過ぎた脇道へと足を向けた。
その脇道は、表の方とは違ってめっきり人けが少ない。ちらほらとたまにすれ違う人がいるだけだった。
イザはさらに通りの奥、人けの少ない方へと友香を連れて逃げる。
あの二人の目的はイザと友香を挟み込んで人けのない方に誘導することだったんだろうが、それはイザにとっても願ったりかなったりだった。
人の目が多いところだと、こちらもあいつらに手が出せない。
背後から迫る追っ手の足音は、今のところは2つ。
(もう、このあたりでいいか)
イザは適当な建物の陰に身を隠して、友香を自分の後ろにやると彼女を引いてきた手を放した。
そして、背中のシャツの下から、ズボンに挿してあったものに手をかけ取り出す。
昨日、
そのスライドを引いて初弾を込めると、
鈍く黒光りするソレを見て、友香が小さな悲鳴を上げたのが聞こえた。
「そ、それ……」
イザは注意深く建物の陰から後ろをうかがいつつ。
「これから見ることは、誰にも言うなよ?」
低い声で念押しをした。
友香が狼狽しながらも頷くのを見て、イザはにっこりと笑むと。
両手で拳銃を握り、建物の陰から半身だけ出して後方に向かって2発撃った。
弾は意図して、追っ手二人のすぐ横を掠めるように放つ。
追っ手二人は、すぐに反応した。手近な建物に身を隠すと、すぐにこちらに向かって撃ってきた。
イザたちの隠れる建物のすぐ脇で、壁や地面が弾け飛ぶ。
「やっぱ、銃持ってやがったか。しかも、慣れてんな、あいつら」
なんであんたも慣れてんのよ!と友香は言いたかったが、邪魔してはいけないと口を噤む。
お互いに数発の撃ち合いをした後、イザは意識を追っ手の方に向けたまま友香の名を呼んだ。
「……なに?」
怖くて少し離れて隠れていた友香だったが、名前を呼ばれてイザのもとへ行く。
「お前、自撮り棒持ってたよな。あれをそっから出して、あいつらの写真撮れるか?」
「ええええ????」
何を言い出すかと思えばこの男は、と呆気にとられていると。イザが、どっちなんだよっ、と少し強めに声を荒げたので。
「た、たぶん、撮れるとは思う」
また、近くの地面が爆ぜた。それに応じて、イザは数発あちらに撃ち込む。
「じゃあ、俺がタイミング作るから、写真撮ってよ。どっちか一人だけでもいいから」
「わ、わかった」
こくこくと友香は頷くと、ショルダーバッグから自撮り棒とスマホを取り出す。そして、スマホを自撮り棒にセットして棒を伸ばした。
「準備できた。でも、私にはあいつらがどこにいるのか分からないんだけど」
かといって、銃弾が飛び交っているところに顔を出して覗いてみたくはない。
「鏡、持ってる?」
「あ、うん。それくらいなら」
友香はごそごそとショルダーバッグをかき回し、手のひら大の手鏡を取り出すとイザに差し出した。
それをイザは目で確認しただけで受け取らず、くいっと道路の方を顎で示すと。
「そっから、その鏡出して見てみ? あいつらの大体の位置と距離が分かるから」
「え?」
言われた通り、手鏡を建物の陰から出して背後を映してみると、たしかにイザと友香が隠れているのと同じ建物の反対側。その陰からちょこちょこと動く人影が見えた。狭い通りを挟んで隣の建物の陰にももう一人見える。
「……本当だ。そんなに遠くにいるわけじゃないのね、ひゃっ!」
すぐ近くに銃弾が被弾して、友香は鏡をひっこめた。
「拳銃の射程なんて、たかが知れてるしさ」
「うん。これくらいの距離なら、なんとかなりそう。セルフィーの友香と呼ばれてるくらいなんだから。頑張ってみる」
「さんきゅ。俺が合図したら、棒だけ出して連射モードで写真とって。暗いからフラッシュ忘れんなよ」
そう言うとイザは再び半身を出して、二回
いままでは撃つとすぐに身を隠していたが、今度は撃ったあとわずかにそのまま追っ手の様子を見ている。
チャンスだと思ったのか、アラブ系の男の方があちらの建物の陰から顔を出した。
ただ闇雲に撃つだけなら腕を出して撃つだけでもできるが。
ちゃんと照準をとらえて正確に撃とうと思うと、
だからどうしても、上半身をこちらに向ける必要があるのだ。
「いまだ」
イザが身を隠すのとほぼ同時に、先ほどイザがいた場所を弾丸が飛んでいく。
友香は言われた通り、自撮り棒を出して連射した。
フラッシュの光とともに、ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃとスマホが写真を撮っていく。
そして、スマホを撃ち抜かれる前に自撮り棒をひっこめた。
「どう? 撮れた?」
画像を確認していた友香は、うん、ばっちりとスマホの画面をイザに見せる。友香が指で画像を引き延ばすと、かろうじて人物の顔が分かる程度の鮮明度で追っ手の顔が確認できた。
「すげー。さすがはセルフィー友香。さてと。じゃあ、後はあいつらをどうにかするか」
イザはマガジンを空のものからフルに弾丸の詰まったものに取り換える。
数回の応酬のあと、アラブ系の利き腕と、白人の足を撃ち抜いたのを最後に。追っ手二人はこのまま撃ち合っていても勝機はないと悟ったのか、逃げてしまった。
それを確認して、イザは手早くその場に落ちた薬莢を身をかがめて回収しポケットにねじ込むと、友香を連れてすぐにその場を後にする。
銃声を聞きつけた市民が通報したのだろう。香港警察のパトカーの音が近づいてきていた。
その後。
まずは、
次に、あのスマホで撮った写真を持って、友香を香港警察に行かせ被害届を書かせた。
友香には、警察で、自分の名前が不当にとある会社の法人登記に使われていて、それを調べていたら道で突然暴漢二人に襲われ背後から撃たれそうになるが、物陰にかくれていたらパトカーの音を聞いて暴漢は逃げた……というような適当なストーリーを作って話させた。
これで、何らかの捜査があの法人と二人の男に対して入るはずだ。上手くすると、あの男たちの身元くらい判明するかもしれない。
友香が警察から戻ってくるのを待つ間、イザはとりあえず娘に頼まれた亀ゼリーは入手しておいた。買い忘れたら、あとで何を言われるかわかったものじゃない。
そして、友香に対する警察の事情聴取がすべて終わるとすぐに、二人は香港を後にした。
数日後、香港警察から友香の元に連絡がある。
写真の男の身元がわかったというのだ。
男はアラブ系の移民で、
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