第21話 潜入
エルカシュの話によると。
エルカシュ本人が知っているテロの計画は、このソチで計画されたものだけだという。
テロには大きく分けて二種類ある。
一つは、政府組織や軍などをハードターゲットを狙ったもの。
そして、もう一つは。民間人の多い、学校や劇場、レストランなどソフトターゲットを狙ったもの。
ソチで計画されていたのは、政府高官などロシアのセレブ達の別荘が多くある別荘地のレストランを狙った銃撃テロ。
それに、ソチからモスクワへの飛行機をハイジャックして、大統領府のあるクレムリンに墜落させることを狙った飛行機テロ。
その二つ。
日時は、やはり予想通り5月9日の戦勝記念日だった。
エルカシュは、飛行機テロに参加する予定だったのだという。
二つの大きなテロを計画しているだけあって、このソチには
そして、それだけの人間が同じところに潜んでいると当然周りに怪しまれるため、いくつかの支援者の自宅などに分散して準備をしているのだという。エルカシュがほかの数人の仲間たちと潜んでいるのも、そういった支援者の家だ。
「だけど。今回のテロは、ロシア全土で同時多発的に行われる予定になってるはずなんだ。うちの司令官も、そんなこと言ってこの前、皆を鼓舞してた。俺、軍に入る前は情報機関にいたんだけど。その頃から、このテロについては色々な準備がされてたしさ」
「だったら、その司令官って人なら、計画の全容を知ってるのかな?」
ウマルの問いに、ベッドに座ったエルカシュは口元に手を当てて少し考え込む。
「そうだな……間違いないと思う。今回のは同時多発的に行うことに意味があるんだ。それで、ロシア全土を恐怖に陥れるんだって言ってた。だから、司令官たちは互いに連絡取り合って実行計画の微調整してるんだと思う」
「そんなら、その司令官ってのとっ捕まえて吐かせればいいのか?」
と、これはイザ。しかし、エルカシュはイザの言葉に首を横に振る。
「俺たちの司令官は、もとはチェチェン紛争で活動してた戦歴経験の長い人だ。いままでも、何度も拘留されて拷問を受けたことがあると言っていた。殺すまで拷問したって口を割らないと思う」
「じゃあ、どうすれば……」
ウマルの言葉に。エルカシュは顔をあげ、たぶん……と呟いた。
「司令官が持ってる指令書を盗み見れれば、計画の全容が分かると思うんだ。指令書は、司令官が自室の鍵付きの戸棚に仕舞ってるのを見たことがある」
「指令書? いちいち、紙で指令を出してるのか?」
イザの問いにエルカシュが頷く。
「
この伝達部門は、
支配地域内であればどこでも数時間で届けることが可能だ。
「うちの司令官が、その指令書らしきものを読んでるのを何度か見たことがある。さすがに、支配地域の外に出てからは携帯電話とかも使ってるみたいだけど。ただ、その指令書は鍵のかかる棚にしまいこんでたから、まずは鍵を見つけてこないとな」
「その棚についてる鍵って、普通の鍵か? 電子錠とかじゃなくて?」
イザの問いに、エルカシュはしばし記憶を探るような顔をしてから、こくりとうなずいた。
「ああ。覚えてる限りじゃ、普通の鍵。そんな、ハイテクなものじゃなかった」
「それなら、俺、開錠できるよ」
ポケットから、開錠道具である針金などが入った小さな革製のケースを見せる。どこに行くときも常に持っているものだった。
なんで、そんなことできるんですかという表情をしているウマルに、イザは苦笑する。
「悪いことは、大抵やりつくして来たからね。案外便利なんだよ、これ。じゃあ、あとはいつ潜入するか、だよな? 夜のほうがいいのか?」
「……いや。司令官は自室で寝起きしているから、夜は危険が大きい。それよりも、だいたいいつも司令官は昼過ぎになると他の潜入先に様子見に行くんだよ。その間が狙い目だと思う」
「よし。じゃあ、それで決まりな。……そうと決まったら、もう少し寝ていい?」
ぽてっとベッドに横になって毛布をかぶってしまったイザを、ウマルは仕方のない人だなぁと苦笑する。
「……イザさん。今日も朝帰りだったんでしょ……」
返答はない。
ベッドに横になってうつらうつらしていたイザの耳に、隣のベッドに座ってあれこれ懐かしそうに話をするウマルとエルカシュの声がいつまでも聞こえていた。
昼過ぎ。
ウマルをホテルに残し。イザはエルカシュたちが潜伏しているアジトの傍まで来ていた。そこは住宅街の一角にある公園。そのベンチに座って、時間つぶしにスマホのアプリで遊んでいた。最近流行している他愛もないパズルゲームだ。
昼下がりの公園は、手をつないで仲睦まじそうなカップルや子ども連れが行きかい、明るい声で満たされている。
「……くっそ。……これ以上課金はしたくねぇな」
パズルゲームが先に進めなくなってしまった。ゲーム画面を消すと、娘の
ラインを開くと、『サークルの新歓合宿に行ってきます』とある。紗夢は、高校のころから弓道部に所属していたこともあって、大学に入ってからも弓道のサークルに入っていた。
(そういえば、日本はいま、ゴールデンウィークなのか……)
『いってらっしゃい。俺も、GW明けには帰れると思う』と打ち返す。
すぐに『はーい』とキャラクターが喋っているスタンプが返ってきた。
『いま、どこにいんの?』
『ロシア』
『ふーん。お土産、よろしく。ロシアか……ロシア、なんだろう! マトリョーシカ以外で、よろしく』
イザは柔らかく苦笑すると、『わかったよ』と返すとスマホを仕舞って代わりに煙草を取り出し、咥えると火をつけた。イザが吸うのは、子どもの頃からずっと赤のマルボロ。
ロシアは、日本よりも喫煙している人を多く見る気がする。煙草代も安くてびっくりした。日本の3分の1くらいの値段だ。喫煙者にとっては、住みやすい国なのかもしれない。
そうやって公園で待っていると。公園の入り口に見知った顔が見えた。エルカシュだ。小走りにイザの元にやってくると、息を弾ませる。
「イザ。たったいま司令官が出ていった。いまが、チャンスだ」
イザはすぐに煙草を携帯灰皿でもみ消すと、ベンチから立ち上がりエルカシュについていった。アジトの民家にはほんの数分で辿り着く。
「……今、建物には何人くらいいるんだ?」
「司令官入れて3人が、さっき出ていった。あと、買い出し行ったり、用事で出ている者もいるから、建物の中にいるのは2、3人ってとこだ。そこでちょっと待っててくれ。いま、周りに人がいるかどうか見てくるから」
イザを外壁の外に置いて、エルカシュは建物の中へと入っていった。イザは路駐されたバンの横で、ぼんやり待つ。無意識にシャツの後ろに手を回した。普段は、ズボンの後ろに拳銃を挿していることが多いのだが、今はあの慣れた硬質な感触はない。
こういうとき、拳銃がないのは何とも心細い。香港のときは知り合いから拳銃を手に入れられたが、あいにくソチの裏社会には顔見知りがおらずナイフくらいしか手に入らなかった。
そのとき。外壁の向こうから、エルカシュが顔を出して、手招きするのが見えた。
イザは普通の速度で歩いてエルカシュに近づく。そして、エルカシュがまず様子を見に先に進み、安全を確認してからイザを呼ぶ……ということを繰り返して民家の中へと入り、二階にあるという司令官の自室へと向かった。
廊下を歩いていると、どこかの部屋で人の話し声が聞こえた。どうやら、リビングの方に数人、
階段の下で待っていると、エルカシュが上から手招きするのが見えた。音を立てないようにして階段を駆け上る。
が、階段をすぐのぼったところでエルカシュの背中が見えた。どうした?と思って、エルカシュの視線の先を見ると。
そこに、一人の男の姿があった。
男は、何やらアラビア語で話しかけてくる。語気が荒い。
どう考えても、『そいつは誰だ! エルカシュ!』的なことを怒鳴っていることは、イザにも分かる。
(あーあ。見つかっちゃった)
エルカシュが、男に言葉を返す。しかし、動揺していることはエルカシュの口調からも明白だ。明らかに、言葉がつっかえてどもっていた。
そのエルカシュの背中を、男に見えないようにイザはとんと手で触れる。大丈夫だから、というように。
そして、「エルカシュ、訳せ」と横を通り際呟くと、エルカシュの前に出た。
イザは男を見やると、「わめくんじゃねぇよ、うっせぇな」と気だるそうに言葉を投げる。
「お前らが俺を呼んだんだろ。来なくていいなら、帰るけど」
エルカシュが、イザが英語で言ったことをそのままアラビア語に訳して男に伝える。
「あ? なんだ、お前は。誰に呼ばれた」
男が話したことを、今度は英語に訳してイザに伝える。そうやってエルカシュが間に入ってお互いの言葉を訳しながら、会話を続ける。
「知らねぇよ。名前は言ってたけど忘れた。なんか、偉そうな奴だったな」
「……ああ。ガハールか?」
「そんなような名前だったかもしんね。俺は電気屋だよ。照明が点かなくなったって呼ばれたんだ」
男は、どこか胡散臭いものを見るような目でイザを見る。
「電気屋? それにしちゃ何も持ってないじゃないか」
「様子見に来ただけだからな。道具は、裏に止めた車に積んであるよ。あんたも修理してるとこ立ち会うか?」
男は、しばらくじっとイザを見ていたが、ゆるゆると首を横に振った。
「……いや、いい。立ち合いなぞ、エルカシュ一人で十分だろう。私は忙しい」
男はそういうと、イザたちの横をとおり、階段を下って行った。男の姿が見えなくなり足音が遠ざかるのを耳を澄ませて確認する。そして足音がしなくなってから、エルカシュは胸の中に溜まった空気を吐き出した。
緊張のあまり、呼吸がうまくできなかったことを今更ながら自覚する。
「あんた、よくそんなに堂々とデタラメ言えるな」
「普段、はったりで生きてるからね。部屋、どこだ?」
司令官の自室は廊下の突き当りにあった。まず、エルカシュがノックして、ドアの中へ声をかけてみるが、中からは誰の反応もない。
そっとノブを回して扉を開ける。隙間から覗き込んでみるが、部屋の中は無人だった。
「大丈夫だ」
イザもエルカシュに続いて室内に入り、ドアを後ろ手でそっと閉めた。
室内のインテリアは、思いのほか簡素だ。
部屋の奥にドア側を向いて大きなデスクとチェアー。その横の壁沿いに本棚と戸棚がいくつか。
デスクの脇には小さなシングルベッドがある。
エルカシュは一つの戸棚へと歩み寄る。2メートルほどの高さの木製戸棚だ。
上半分に観音開きの扉がつき、下半分に引き出しが数段ついている。
「この戸棚だよ。ここに例の書類をしまうのを見たことがあるんだ」
扉の取っ手を掴んで引き開けようとするが、鍵がかかっているため、多少がたつくだけで扉は開かない。
「ちょっと、どいて」
イザはポケットから開錠道具を取り出すと、デスクの上に広げる。その中から二本の先の曲がった針金を取り上げると、扉の中央あたりについている鍵穴に向かう。一本を深めに差し込んで中を探りながら引っかけたあと、もう一本を浅めに突っ込んで二本で中を探った。
ものの一分ほどで。イザが針金を回すのに合わせて、カチリと小さな音がした。
針金を引き抜いて、そっと扉の取っ手を引くと、なんの障害もなく扉は開く。
「……すげー。あっさり開くもんなんだな」
驚き目を丸くするエルカシュに、イザは目くばせする。
「ほら、こん中のどれが、その指令書なんだよ」
戸棚の中は数段に分かれていて。そこに様々な紙の束や筒がいくつも収められていた。
「ああ……いま、調べる」
イザが戸棚の前からどくのに代わって、エルカシュが戸棚の前に立ち、中を漁った。そして、テロに関する指令書や計画書の類だと思われるものを、エルカシュは次々にデスクの上に置いていく。
それをイザは広げて、一枚一枚スマホで写真を撮った。
部屋に入ってから20分ほど経ったころには、めぼしい書類はすべてスマホに収めることができた。
あとは片づけるだけ、という段になって。
廊下から人の話声が聞こえてくることにエルカシュとイザは気づき、はっと作業の手を止めた。
耳を澄ますと、声の主は廊下をまっすぐこちらに向かってきている。
エルカシュたちは、急いでデスクに広げた書類をまとめると、戸棚に仕舞って観音扉を閉める。
どうしよう、このまま室内にいると潜入したことがバレてしまう。
とっさに窓の外に逃げようかとも思ったが、窓の外を見ると生憎、庭に人影が見える。これでは窓から飛び降りて逃げるわけにもいかない。
声の主は、部屋の前で一旦足を止め、命令口調で一緒にいた人間に指示を飛ばすと。
部屋のノブを回し、ドアを開けた。
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