第27話 反撃
同時刻、東京のカフェ。
圭吾と友香はまだ、そのカフェにいた。
交渉を手伝ってくれた人たちも、急ぎの用事があるという人を除いて、まだそこに残っている人たちが何人もいた。
みんな、知りたかったのだ。
ハイジャックは、どうなったのか。
飛行機は、無事なのか。
みな、特にしゃべることもなく、それぞれがそれぞれでスマホなどで情報を検索していた。
ロシアのテロについて検索すると、引っかかるのはほとんどが今朝がた起きた3件の小規模なテロ事件についての情報ばかりだったが。
交渉の手伝いをしてくれた隣の席の青年が、ワンセグのスマホで見ていたテレビ番組を圭吾に見せる。そこには、「ロシアが、テロの恐れがあるため主要都市の空港使用を停止」という緊急速報が流れていた。
その緊急速報が流れた後、しばらくするとテロップの情報が変化した。
ロシアのトムスクからモスクワへ向かっていた飛行機が一機、管制塔との交信が途絶えているという速報に変わる。
墜落した……という情報は、まだなかった。
圭吾は祈る気持ちで、テロップに流れる緊急速報を見る。テロップの内容が、変わるのが怖かった。
いまにも、「飛行機が行方不明」と表示が変わるんじゃないかと。
レーダーから消えて行方不明と表示されることは、つまり飛んでいないということになるから。不時着したのならまだいいが、今の状況を考えると撃墜されたか墜落したかという可能性の方がはるかに高い。
マスコミに情報が出始めている時点で、ハイジャック自体を秘匿にしておきたいというロシア政府の思惑は外れてしまったわけだが、だからといって撃墜される可能性が減ったわけでもない。
(どうか……無事で……)
心の中で。ただそれだけを、ひたすらに祈った。
飛行機内。
イザたち乗客は、反撃のための準備を始める。
まず、インド人のオムという青年の声掛けで、乗客の一人から2リットルの未開栓ダイエットコーラを提供してもらう。ダイエットコーラを持っていたのは、高校生の女の子だった。この飛行機は国内線なので、ペットボトルの飲料などは自由に持ち込めるらしい。
『僕。昔、ユーチューバー目指してたんだ。んで、やっぱ古典的なメントスコーラーロケットいっとかなきゃだめでしょって思って、結構練習したんだよ。バイトで貯めたお金、ぜーんぶコーラにつぎ込んでさ。今じゃ、完璧さ』と、インド人のオムは言う。
彼はダイエットコーラのキャップを開けると、自分の持っていたメントスをセロテープでひとまとめにして、一気に投入。そして、キャップを絞めるとコーラのペットボトルをよく振る。ペットボトル内は容器がガチガチに硬くなるほど、急激に発泡した。
『準備できた。いいよ』
オムは、イザとは反対側の列の4つ前の席にいる。イザも、ビジネス鞄の中にあった銃を手に取ると、スライドを引いて初弾を充填した。
テロリストAはエコノミー席の前方で、銃を手に見張りを続けている。
『こっちも、オーケー』
ツイッターでイザは返すと、スマホはズボンの後ろポケットに仕舞った。
「いくよ!」
オムがおもむろに立ち上がると、手に持っていたパンパンに膨れたコーラのペットボトルを通路に向かって投げた。投げるとすぐ、オムはテロリストが銃口を向ける前に機敏に座席の背もたれの陰に引っ込む。
ペットボトルは通路に、キャップを下にして叩きつけられた。ペットボトルの底がテロリストAの方を向いている。角度は完璧。
ペットボトルが通路に接したと同時に。軽い破裂音がして、ペットボトルのキャップが破損。次の瞬間、ペットボトルは発泡した泡を吹き出しながら勢いよくテロリストAに向かって、蛇行しながら飛んでいく。
ペットボトルが通路に沿ってテロリストの方に飛んでいくのと同時に、イザは通路に飛び出てテロリストAに向かって全力で走りこんだ。
テロリストAは、自分に向かって飛んでくるペットボトルに慌てて、一瞬イザに気づくのが遅れる。
イザは数メートル距離を縮めると、足を止め、両手で銃を構えた。フロントサイトにテロリストの胸部を捉え、
テロリストAが自分の銃を構える前に、イザはテロリストの胸を撃ちぬいた。初弾で胸部に命中していたが、確実に絶命させるために残り2発を撃ち込んだのだ。
テロリストAは虚空を睨みつけたまま、そのままその場に倒れこみ動かなくなった。
発砲音を聞いて、通路のさらに奥。ビジネスクラスの席の方でパンパンと弾ける音がした。
そして、そちらから、弾丸が飛んできて先ほどまでまイザが居た場所をすり抜ける。ビジネス席にいたテロリストBが発砲したのだ。
イザはすぐに座席の方に戻ると座席の上から背もたれの上へと昇って、背もたれから背もたれへと前の席へ移動していく。
通路は使えない。テロリストBのかっこうの餌食になってしまうから。
途中、前にテロリストAが威嚇のために撃った跡の傍を通ったので、そこの壁を手で触ってみる。内装の壁紙は破けていたが銃痕は浅く、外側にある飛行機の外壁には穴は開いていない。そして、銃痕の周りが若干粉っぽい。
(やっぱ、フランジブル弾だな)
それを、確認すると再び座席の背もたれの上を通って、エコノミー席とビジネス席の間にある壁まで移動する。
その反対側の列でも、一人の大柄な白人の男が立ち上がった。彼は、アメリカ人のバート。
CAのリンダが投げた消火器を受け取ると、イザと同じように座席の背もたれの上を渡って前方の壁まで行く。
通路を挟んで、左側の壁際にイザ。右側の壁際にバートが立つ。ビジネス席の通路では、テロリストBが拳銃を構えて警戒していた。
バートは額を腕で乱暴に拭う。極度に緊張しているようだ。無理もない。
「大丈夫か?」
通路越しに、イザが尋ねる。
バートは、大柄の体でこくこくと頷いた。
「ああ。……大丈夫だよ。俺、先月、子どもが生まれたばかりなんだ。帝王切開で大変だったんだよ。なんせ双子でさ」
緊張を御するためか、バートはペラペラと自分のことを話し出した。
「息子と娘なんだ。まだ、首も座ってないんだけど。もう一週間以上会ってない。また、少し大きくなってるのかもしれないな」
イザは、銃を握る手を胸元まであげて構えながら、小さく笑った。
「そりゃ……なんとしても、帰らなきゃな」
「そうだよ。そうなんだよ。だから……俺は、こんなところでくたばるわけにはいかないんだ。……イザ。あんたは家族とかいるのか?」
バートも消火器を構えると、黄色い安全ピンを引き抜く。
「……ああ。娘が一人いる」
「へぇ……もう大きいのか?」
「大学生だよ。早いもんだよな。あっ、という間に、でかくなんぞ。子どもって」
イザも、銃のセーフティを外した。
「あっという間か……」
「ああ。来月、娘の彼氏と三人で夕飯食べる約束になってんだよ。初めてなんだけど、俺。娘の彼氏見るの」
バートは、ははと声をあげて笑った。軽口を交し合ったことで、少し緊張がほぐれたようで、心なしか表情が柔らかくなっている。
「あんたも、絶対帰らないといけないだろ、それ」
「そうだな」
イザも微笑を返す。
次の瞬間、二人は視線を交わした。それが合図になる。
まず、バートが通路に踏み込むと、ビジネス席の奥にいたテロリストBに消火器のホースを向け、消火液を吹きかけた。パウダー状の消火液がテロリストBを襲う。
それを目隠しに、イザが通路に踏み込むと、銃をまっすぐ構えてテロリストBに数発発砲した。
今度はイザの方もターゲットへの視界が悪くなるため、当たりはしたようだが完全に絶命させることはできず。テロリストBがよろめきながらも撃ち返してくる。
弾丸がイザの頬をかすめ、血がにじんだ。が、イザは舞い散る粉の中、相手が動いたことによる影をはっきり目で捉えて、そこへ数発撃ち込む。
それっきり、反撃はこなかった。
これで二人、仕留めた。
あとテロリストは、残り二人だ。
「もう大丈夫だ!」
イザが後方に声をかけると、数人の乗客がイザの横を通り抜けて前方のコックピットへと急いだ。そして、そのドアの前で倒れているチェルネンコ機長のもとへと行く。彼らの中の一人。黒人の女性がチェルネンコ機長の首元に手をあてた。彼女はキャロル。医者なのだという。
「生きてるわ! 機長は生きてる!」
キャロルの言葉に、乗客の間に歓声があがった。
「ここにいると危ないから、運んで」
キャロルの指示に従って、数人の乗客の男たちが機長を持ち上げ、コックピットの前からどかして非常口の前の開いているスペースへ運んでいく。
そこでキャロルはCAから受け取った救急パックをつかって応急処置を始めた。
エコノミーの座席の方でテロリストAに撃たれていた女性も、看護師をしている別の乗客が止血などの処置にあたっている。
残った乗客たちも、ビジネス席側に集まってきていた。
「あとは、このコックピットのドアを開けて、テロリストたちを引きづり出せばいいわけだよな」
ロシア人のフョードルがいう。彼もまた、アメリカ人のバートと負けず劣らず良い体格をしている。
「でも、これが厄介なんですよね」
と言ったのは劉。中国からきたビジネスマンなのだという。
その時、飛行機が急に上昇を始めた。イザは体を大きな力で押さえつけられているような感覚に耐えられず、床に膝をつく。
ほかの乗客たちからも、悲鳴が上がった。
機体が右に左にと揺れる。客席の天井からは、酸素マスクが一斉に降りてきて機体とともに揺れる。
それは、運転席にいるテロリストたちからの攻撃だった。乗客の反乱に気づいたコックピットのテロリストたちが、乗客を大人しくさせるためにワザと体に負荷をかける飛び方をしているのだ。
しかし上昇しすぎたのだろう。上から押さえつけられるような力が弱まったかと思うと、今度はジェットコースターに乗ったときのように、ふわりと体が浮かぶ感覚が襲う。
乗客たちは悲鳴をあげる余裕さえなくなっていた。これもこれで、立ち上がれない。イザも、急下降が収まるまで待つしかなかった。
長い時間下降していた気がしたが、ほんの数十秒だったのかもしれない。
運転席にいるテロリストたちも、あまりに急激なアップダウンには耐えられないのだろう。
機体は再び上昇を始める。今度は、ゆるやかな上昇だった。
イザは、ほっと息をつく。
そのとき、自分がズボンのポケットに入れていたスマホが鳴っていることに初めて気づいた。ずっと鳴っていたのかもしれないが、機体の急激なアップダウンに煽られて気づかなかったのだ。
「はい」
電話の主は、圭吾だった。
『なんですぐ出ぇへんねん!』
「うるせぇな! こっちだって、それどころじゃなかったんだよ! ……どうした?」
圭吾の声は、ひどく慌てていた。圭吾が狼狽しているのが声で分かる。
そのことが、イザの心に不安を煽る。ただならない雰囲気を感じた。
嫌な予感がする。
『イザ。まずいことになった。機体のスピードがずいぶん上がってたんや。予定より早く100キロ地点に到達してしまう』
「いつなんだよ。……いつなんだよ! 100キロ地点超えるのは!」
『モスクワ時間の9時10分に、戦闘機による攻撃が開始される。それが現時点での大統領府の最終決定や』
イザは腕時計を見た。今、9時3分。
窓に寄って外を見た。今まで、つかず離れず護衛するように飛んでいた戦闘機が見えない。機体より上方に移動して攻撃態勢に入ったのだ。
(くっそ……!!!)
イザは思わず、機体の壁を拳で殴っていた。
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