第3話 新人研修(香澄編)
四月二日 月曜日 美海市南東部
突然ですが、私こと香澄莉子はただ今山を登っています。
時刻は朝の七時、冷たい風が朝露残る草木を駆け抜けて清涼感を与えてくれ、更に雲間から覗く太陽が眠っていた脳を徐々に呼び覚ましてくれるおかげで気力がみなぎってきた。
森林浴って素晴らしい!
そう思っていた時期が私にもありました。
「まずい、迷いました」
香澄莉子は山で遭難した。
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高知県美海市、四国から南へ約千キロメートル離れたところに浮かぶ人工島は複数のブロックを組み合わされて作られた。
一九八一年六月に新たなリゾート地としてプロジェクトが始動し、十五年後の一九九六年四月に各港で施工が開始される。
二〇〇〇年一月、南アフリカで初の奇獣が発見される。当初は奇獣に対する脅威は低く美海市プロジェクトも通常通り運行していた。
二年後の二〇〇二年九月、南アフリカ共和国が奇獣に制圧される。その後奇獣はナミビア、モザンビーク、ジンバブエ、ボツワナと次々とその支配地域を拡大していった。僅か半年で奇獣はアフリカ大陸の半分を制圧した。
奇獣はその後も世界各国で出現するようになる。
日本も例外では無かった。事態を重く見た日本政府は奇獣と戦う事のみに軍事力を使う事を条件として憲法九条を限定解除した。
軍事力に力を入れるため土台まで出来上がっていた美海市プロジェクトを強制凍結、その予算を軍事力にあてることになった。
以降十年間、美海市は中途半端に出来上がった街を海の上に放置する事になる。
二〇一三年十二月、民間軍事企業アークカンパニーが美海市を買い取り、プロジェクトを引き継ぐ。
二〇一八年三月、アークカンパニーはもてる財力を駆使して、僅か五年で美海市を完成させた。
たが完成した街は当初計画されたリゾート地では無く、対奇獣戦に特化した傭兵部隊(後に警備隊及び警備兵と呼ばれる)の集まる軍事都市だった。
これが美海市の歴史を短くまとめたものである。
因みにこれは美海市のHPにも記載されています。
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「つ、着いたぁ」
莉子は肩で大きく呼吸をして激しく脈打つ鼓動を鎮める。
一度山を無理矢理降りた莉子は、付近の住民に登山道の有無を尋ねた。親切に応えてくれた住民は莉子を山の入口へと案内してくれた。
何と莉子が通ってきた道は獣道なのだそうだ。そういえば道幅が広かった割には舗装されておらず無駄にグネグネしていた。
そして案内された登山道は舗装されていて歩きやすく、所々に案内板が設置されている。素敵だ。
「ギリギリ間に合ってよかったぁ〜、でも、ホントにここであっているのでしょうか?」
莉子の目には廃墟と化した学校と思しき建物が写っている。グラウンドには自分の背丈と同じ高さの雑草が伸びきっており、校舎の壁面には蔦がビッシリ。一階の窓ガラスはほぼ全部割れている。
校門の鉄扉は赤錆がこびり付いて動きそうもない。
よく見ると校門のところに「株式会社ジッパー」と書かれたB6サイズの紙が貼られている。
その紙も突然吹き上がった風に飛ばされ、空の彼方へと消えていった。さらば紙。
「あっ、ここ通れそう」
莉子は雑草だらけのグラウンドの真ん中をこじ開けたかのように広がる獣道のような通路を発見した。新しいタイヤ痕が確認出来た事からここが正規ルートなのは間違い無さそうだ。
道沿いにグラウンドの真ん中まで歩いた頃だ。校門からでは背の高い雑草に阻まれてよく見えなかったが、グラウンドの真ん中には一本の杭のようなものがつき立っていた。
そしてその杭には以前莉子を助けた山岡泰知が逆さに括り付けられていた。
「い、いやあああああ! 死んでるぅっ!」
「いえ生きてます」
生きてた。
「ど、どうして逆さに縛られているんですか?」
「しいていうなら、罰ゲームかな。 後ジッパーへようこそ!」
「意外と冷静ですね。よろしくお願いします」
莉子は逆さの泰知に小さくお辞儀をした。
微妙な沈黙が二人の間に流れる。途端に周囲の音がよく聞こえるようになった。雑草同士が触れ合いざわめく音、耳をなでる風、小動物が草をかき分ける音。
「……」
「……」
「……そろそろ下ろして貰っていいかな?」
「……あっハイ」
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「今日からお世話になります。香澄莉子です。よろしくお願いいたします」
莉子が斜め四十五度の角度でお辞儀すると、パチパチとまばらな拍手が注がれた。
頭を上げて周囲を確認する。莉子がいる部屋は元は視聴覚室として使われていた部屋。そこに莉子含めて五人がそれぞれ席に座っている。
事前の調べでは社員数は社長を除いて三人、これで全員集まっている事になる。
「では我々の自己紹介といこうか、改めて名乗らせて貰おう。私が社長の
「よろしくお願いします」
最初に名乗ったのは莉子の隣に立つ大男、二メートル近い巨体に服の上からでもわかる程盛り上がった筋肉、全体的にイカツイその男が社長だった。
次に名乗りを上げたのは黒髪の青年、山岡泰知だ。
「既に自己紹介を済ませてるけどもう一度、山岡泰知です。こうして挨拶するのは三回目ですね」
「え? 三回目?」
一回は今で、二回は船の上、三回目は無い筈。いや待った、そういえば山岡さんとは以前にも会ったような、そう二ヶ月程前。
「ああ! 面接官!」
「やっぱり忘れてたかぁ」
思い出した。二ヶ月程前ジッパーの採用面接の時に面接官を務めてたのが山岡だ。
頭スッキリした。
「じゃあ次はウチやな、ウチは
「はい、よろしくお願いします」
関西人特有の喋り方をするのはこの会社では唯一の女性だ。赤みがかった長い髪を後ろで束ねている。
見た感じ歳も近そうだ。
続いてこの会社では一番の年配である初老の男性が立ち上がる。
「ワシは
「よろしくお願いします」
中島の髪は色素が抜けて白く、目付きが鋭い。ヒビ割れた手にはタコが出来ていた。
「自己紹介はこれで終わりだ。香澄君は適当なところに座ってくれ、それでは次に各作業の進捗と今日の作業内容を報告してくれ。まずは村井君から」
熊木に言われ一番手近な席に腰を下ろす。
ここからはミーティングになる。自分も近いうちに参加する事になるからしっかり聞いておかないといけない。
最初は村井静流だ。
「今月の予算報告と発注書類はもうじき出来上がります。まあどっかのアホが余計な事してくれたさかい割と予算圧迫しとるけど」
「うっ」
山岡が肩を震わせた。何かやったのだろうか。
「後は書類作成を終わらせたら源緑のじいさんを手伝います」
「うむ、では次に山岡君」
「はい、まず書類整理と装備の修繕は終わっています。今日の予定ですが、午前中は香澄さんの身体測定と座学、午後からはシミュレーターを使った訓練を行います」
身体測定と座学、シミュレーター。今山岡が口にした予定をメモに書き留めておく。
「最後に中島さん」
「うむ、カドモスの完成度は八十パーセントといったところじゃ。明日には完成するじゃろう」
カドモスとは何でしょうか、戦車? いやこんな小さな会社が戦車を買う予算があるとは思えない。となると武器だろうか。
あれ? 戦車が無いなら私のいる意味って……考えない事にしよう。
「これで全員だな、私は中央市街のアークカンパニー本社に赴いて仕事をとってくる。ではこれで朝礼を終了する」
熊木の号令で各自バラバラに視聴覚室を出ていった。部屋に残ったのは莉子と山岡だけだった。
「それじゃあ香澄さん、行こうか。身体測定はここじゃなくてエッツェル研究所ってとこでやるんだ」
「は、はいわかりました」
エッツェル研究所、確か美海市のパンフレットに載っていた。中央市街の西側にある大きな研究所と書いてあった。研究所と名乗っているがその活動内容は幅広く、兵器開発や製薬、診療まで行っている。
という事を思い出しているところに山岡が紙袋を莉子の目の前に差し出した。
「これは?」
「ランニングウェア、体力作りと経費削減兼ねて走って行きましょう」
「え? あの、私山登りでかなり足をやられているんですけど」
「それが何か?」
「いえ、何でもありません」
よくよく考えれば山登りだって事前の調べを怠ったのが原因だ。つまり自業自得、莉子にものを申す権利は無かった。
因みに着替えながら軽く調べてみたところ、エッツェル研究所までは約十キロメートルあった。
――――――――――――――――――――
十一時十二分 エッツェル研究所受付ロビー
「ではこちらが測定結果になります」
「はい」
身体測定が終わってロビーに出て間もなく莉子は受付に呼ばれた。内容は測定結果の受け渡し、また診察券の作成手続きだった。
待ち時間ほぼゼロでこの対応、神がかってます。
測定結果と診察券は電子データなのでタブレットに移す。
入社記念に買った最新のタブレット、普段は十五センチメートル×八センチメートルのポケットサイズの板だが、スイッチを押すと三十センチメートル×十七センチメートルのタブレットへと展開する。
最大容量は二千テラバイト、ぶっちゃけこんなにいらない。
「はい、これで終了ですね。会社の方へはこちらで送信しておきますので」
「はい」
受付が終わり、山岡を電話で呼び出そうとした頃。廊下の奥が何やら騒がしいことに気付いた。小規模な人混みが出来ている。
何だろうと思いながら人混みに近づくと一組の男女のこんな会話が聞こえてきた。
「廃棄物処理施設で喧嘩だってよ、何でもたった一人で六人を返り討ちにしたらしい」
「やだ怖〜い」
「六人全員全治一週間以上の大怪我だってさ、しかも一人は右足にナイフが刺さっているらしい」
「えぇっ! それもう絶対奇人の仕業だよぉ!」
「お前そんな都市伝説信じてんのか、大方スーツ着用した警備員に喧嘩売ったんだろ? たまにいるんだよそんな身の程知らず」
「えぇでもでも奇人ってどこに潜んでるかわからないしぃ」
どうやら廃棄物処理施設で喧嘩があったらしい。
「僕としては奇人より警備員説の方が濃厚だと思いますけどね」
「そうですね……ってうひゃあ!」
いつの間にそこにいたのか、山岡が莉子の背後に立っていた。
びっくりして思わず変な声出しちゃった。
「脅かさないで下さい。そういえば今までどこにいたんですか?」
「ん? ちょっと暇つぶしに外出てた」
「そうなんですか、あれ? 山岡さん、手から血が出てますよ」
山岡の右手は赤くなっていて血が滲んでいた。止血してないせいか服のあちこちに血が飛び散っている。
「ちょっと受付行って消毒液と包帯貰って来ますので、山岡さんはそこで座ってて下さい」
「え? これぐらい放っておいても」
「駄目です! ちょっとの傷が大きな病気に繋がるんです!」
「あっ、はい」
――――――――――――――――――――
十二時三十分 ジッパー本社
身体測定が終わって会社まで再び走って帰って、着いたころには正午を大幅に過ぎていた。
「ゼェ……ゼェ……も、もう走れません。足がガクガクです」
「一応体力作りのために毎日ランニングするよ」
「う、うへぇ」
大きく息を吐いて机に突っ伏す。莉子は今食堂にいる。本社1階の中央にある食堂、カウンターの奥の厨房には、割烹着を着たふくよかな中年の女性が調理器具の後片付けをしていた。
彼女はパートとして雇われている。
そして厨房の横には購買がありパンやおにぎりが申し訳なさ程度に置いてあった。
廃校になる前はここで戦争が起きていたのかもしれない。
「はい、日替わり定食」
「ありがとうございます」
山岡が二人分の料理を持ってきた。机に置いて莉子の向かいに座る。
山岡の顔にランニングの疲れは見えない。至って涼しい顔だ。
「美味しいですね」
おばちゃんが作った料理はどこか昔懐かしく優しい味がした。
「さて、午後からの予定だけど。座学は明日にして今日はこのままシミュレーター訓練を行おうと思う」
「すいません、私の体力が無いばかりに予定をくるわせてしまって」
「いやいいよ、というか香澄さんは体力あるほうだよ、遅れたのは身体測定受ける人が多くて混んでたのが原因だから気にする必要はないよ」
「は、はい」
莉子のせいでは無い。そうは言っても実際莉子は山岡に追いつく事は出来なかった。何度か休憩をして足を止めさせてしまったし、最後は背中を押してもらった。
流石に呆れられたかもしれない。
「うん! 今日もおばちゃんのご飯はおいしい! 愛してるよおばちゃん!」
おばちゃんは背中越しに親指をグッと立て、直後下に下ろした。
なんてファンキーなおばちゃんだ。
「おばちゃんつれない。さてじゃあ十三時半にグラウンド横の格納庫に来て、それまでは休憩」
「わかりました」
「シミュレーター訓練の前に、まず香澄さんには自身の相棒に会ってもらおうかな」
「相棒?」
「うん、君の相棒、人型戦車にね」
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