第60話 殺人鬼を…… 〜後編〜
森田の無慈悲な開始宣告の後、矢島と花恋は急いで待ち合わせの校門へと向かった。
そこに心音と森田の姿は無く、あるのは春の気温に晒されて冷えきった血だまりと、傷口を押さえて蹲る熊木の姿だった。
「熊木っ!!」
「熊木さん!!」
慌てて駆け寄る矢島と花恋、矢島が熊木の肩に手を置くと僅かに震え、そして短く小さな唸り声が聞こえた。
それをもって生きている事に二人は安堵するも、依然として出血は収まらないらしく抑えている指の間から漏れ出ていた。
花恋はジャケットからタンパクスプレーを取り出して傷口に吹きかける。ノズルから発射された特殊スポンジの成分を含む泡が血液を吸って固まり、みるみる傷口を塞いでいく。
銃創で一番怖いのは大量出血による失血死だ、これでとりあえず出血は抑えられたが未だ安心はできない。
「これだけじゃだめ、急いで救護班を!」
「う、うん!」
促されて矢島は士官学校の救護室へ電話を掛ける。慌てないように、冷静に務める。実戦で負傷兵を守りながら衛生兵を呼んだ時の事を必死に思い出した。
内容は簡潔に、「校門前に重傷者、傷は銃弾によるもの、貫通した様子はないためおそらく盲管銃創、出血はタンパクスプレーで抑えている。意識は無い」
連絡してから五分も経たずに救護班が駆けつけてきた。
最初に二人やってきて熊木の容態を確認する。一分もかからないうちに視診を済ませて何事かを他の救護班へ無線で伝える。
直後、三人の救護班がストレッチャーを持ってきた。
四人がかりで熊木をストレッチャーに乗せ、バネを伸ばしてストレッチャーを運びやすいようキャリー形態にする。
「あとは我々に任せてください」
救護班の一人が言う、この後は市内の病院へ移されて手術となるだろう。
「私達は森田を追いましょう」
「うん、でも何処へ」
「これを見てください」
花恋は矢島に何かの受信機を渡した、USBメモリのようなサイズの小さな受信機は携帯端末に繋いで使用する。
取り付けるとモニターに周辺地図と移動する光点が写った。
「これって、森田?」
「もしくは心音さんかと、おそらく熊木さんは撃たれる直前にどちらか二人につけておいたのでしょう」
「流石熊木、ちゃっかりしてる」
「はい、こんなに逞しい彼がそう簡単に死ぬ筈ありません」
「そうだね、うん……行こう。僕は車をとってくる」
「私は後藤さんや 手塚さん等、残っている士官学校生達に声を掛けて応援を求めます」
「じゃあ、十分後にここへ集合てことで」
二人は頷き合ってそれぞれのできる事を行う。
森田はこれをゲームと言った。そして妹を助け出してみせろとも、つまり心音の命はまだ安心できる。
しかしそれもいつまでかはわからないし、性的暴行を受ける可能性もあるのでのんびりはしていられない。
ゆえにとる手段はシンプルな人海戦術、ほんとは警官隊にも頼みたいところだが、手記を見る限り警察にも協力者はいるようなので迂闊に頼めない。
よって信頼できる士官学校の三年生に頼む事になる。
――――――――――――――――――――
十和田市某所、十七時を過ぎて間もない頃。
日の入りは大分進み、街灯もつき始めてあたりが薄ら明るくなってきた。殺人鬼こと士官学校所属の戦術教官森田は、興奮した様子で鼻息も荒く、目も見開いた状態でミニバンを走らせていた。後部座席には眠らせている矢島心音が横たわっていた。
ここまで来るのに信号無視をいくつか犯し、制限速度ギリギリで走ってきたから目立ちすぎたかもしれない。
それでも彼の暴走は止まらない。北部の畑地帯についてしばらく、街灯の無い道を走っていたら車の前輪が道を外れて斜面を滑り出してしまった。
豪快に畑に突っ込んで車は停止した。
「ここまでか」
車を降りる。後部座席の心音を外に出し、肩に担いで斜面を登ろうとした時ポケットに入れている携帯端末が震えた。これは私用や仕事用ではない、その二つは後を付けられないようにするため学校に置いてきた。
この三つ目の端末はある組織との通信用だ。
そしてこの端末に掛けてくる者は大分限られている。
「私だ」
通話にでる。
「やあ森田教官、聞くところによると派手にやっているみたいですね」
耳に心地よい爽やかな男の声、耳障りが良すぎてむしろ不快感をおぼえる嫌な声だ。
「同士、あなたが散々私の趣味を邪魔するからですよ、今回ばかりは何を言ってもやめません、精々後始末を頑張ってください」
これは森田の反撃だった、これまで森田が趣味と実益を兼ねて殺人を繰り返してきた、そしてその度に同士が後始末をして証拠を全て消し去り、又はブラフをばらまいて森田への痕跡を消していた。
だがここしばらく同士は森田の殺人を容認しなかった。無理に強行しようとしても必ず邪魔をしてきた、そのため森田の欲求不満は募り、同士のいないこのタイミングで決行したのだった。
一度実行してしまえば同士は後始末に走り回らなければいけなくなる。
「それなら心配いらない、既に完了している」
予想外の反応に森田の顔が怪訝なものに変わる。
「なに?」
「君と僕達の繋がりは全て消し去った。たとえ君が何をしようが、そこから僕達の所へたどり着くようなことは無い。だから好きにやりたまえ」
「貴様それでは私を見捨てるというのか!?」
「見捨てたりはしない、しっかりとデータはとらせてもらう。まあもう君がいらないのは確かだけどね」
「データ……だと?」
「その様子ではまだ気付いていないようだね。君は不思議に思わなかったのかい? 自分の変化に、気性が荒くなってきている事にさ」
「なにを、言っている」
「これは失敗作から生まれた副産物なんだけど、奇人薬は知ってるよね? 君が散々人に打ち込んで奇獣に変えてきた化物生成薬、あれの改良を重ねてる時に、新しく別の薬ができたんだ。
その薬に人間の体を作り替える作用は無い、しかしながら人間の性格を変える事はできるみたいでね。試しに君へ飲ませて経過をみる事にしたんだ」
「い、いつから!?」
「一年半前ぐらいだろうか、木野美代を覚えてるかい? 私に好意を寄せていた士官学校生だ。私と食事してから別れた後、君が倉庫へ連れ込んで強姦し、奇獣へと変えた彼女だ。確か遠野という生徒と幼馴染みだったかな。
あれはいいデータになった。あれの直後だよ。食事に混ぜて薬を飲ませたのは。
面白い事に、時が経つにつれて君はどんどん気性が激しくなってきた。学校では隠していたが、私達の前では暴れ狂っていたね。たまに殺人を犯させたり、おあづけしたり、その変化を観察するのは実に有意義だった」
「私を
「まさか、私は君を
一拍置いて。
「大事な玩具だったよ」
「ふざけるなあああああああ!!」
森田は端末を怒り任せに地面へ叩きつけた。汚く罵りの言葉をぶつけながら何度も何度も踏みつける。
全てあの男に踊らされていた。おそらくこうなる事も見越して、いつでも切り捨てられるように準備していたのだろう。
「なんてことだなんてことだなんてことだ!」
長ったらしく怨嗟の呪いを口にしようにも語彙が頭に浮かばない、ゆえに単調な怒りを繰り返していた。
「うっ……ううん」
不意に肩に担いでいる心音が目を覚まし始めた。イライラしすぎて心音の存在を忘れていた、そうだ彼女を担いでいたのだ。
その事を思い出した森田はある行動にでる、それは雄の本能そのもの、俗に性暴力と揶揄される犯罪行為であった。
怒りのあまり彼は正常な思考というものを失っていた。それすらも例の薬の影響かもしれない。
対象は十一歳と女性としては未成熟だが、そこそこの膨らみと女性ならではの色っぽさはあった。むしろ歳の割に成熟していて将来が末恐ろしいくらいだ。
森田は心音が後ろ手に縛られているのを確認してから、その衣服を剥がそうとボタンに手を掛け……。
銃声が轟いた。
「心音から離れろぉ!」
矢島太陽の怒声が乱入してきた。
――――――――――――――――――――
熊木が残した受信機に従って車を進めると、十和田市北部の畑に出た。街灯もない真っ暗な道をライトで照らしながら慎重に探す。受信機の光点は移動を止めていた。
そして畑に突っ込んでいる車を見つけ、その周辺を探すと。
心音を今にも強姦しようとしている森田を見つけた。
腰のホルスターから拳銃を取り出して空中に一発、空砲を鳴らした。
「心音から離れろぉ!」
いつになく怒り心頭の矢島である。
続いて車のライトを森田に当ててから花恋が矢島の隣に立って銃を構える。
「森田教官、あなたには失望しました」
のそりと森田は立ち上がる。片手を心音の腰に回し、自身の前にだして盾にした、そして袖からデリンジャーを出して心音のこめかみに当てた。その時になってようやく心音が目を覚ます。
「What!? これは何事!?」
「おや、お目覚めですか」
振り返るとすぐ目の前に森田の顔がある。
「あなた! さっき熊の人を殺した人!?」
「ええ、そうです。今面倒な状況ですのでしばらく大人しくしててください」
銃口を頬に擦りつける、これだけで心音は自身が危険な状態にある事を把握した。
「よせ! あなたは一体何が目的なんだ?」
「兄さん! 助け……いたっ」
「おっと、大人しくしてくださいと言ったでしょう」
森田は腰に回していた手を離して、即座に髪を引っ掴んだ。何本かブチブチと引き抜かれる音がする。
「森田!!」
矢島が勢い任せに威嚇射撃を行う。弾は全て森田から大きく外れた位置に着弾する。
「矢島さん、あなたの射撃の腕では私に当てるのは難しいでしょう? 下手をすれば大事な妹さんに当たりますよ。
フフ、どうやって居場所がわかったのかは存じませんが、可愛いこの娘に傷を付けたくなければそこの車をお譲りしてください」
「くっ」
「矢島さん、ここは私が」
そう言って花恋がしゃがみ、膝立ちで銃を構える。心音を避けるように慎重に狙い、その隙に森田は心音のこめかみに当てていたデリンジャーを前に出して三回引鉄を引く。
三発の弾は、二つは花恋の周りに着弾し、一つは花恋の銃をピンポイントで弾いた。
「これでも私は教官ですよ、射撃教練も務めている事を忘れましたか?」
「ちっ」
「さあ、車を渡してもらいましょうか。ほんとは矢島さんに見つかった段階で自殺しようと思ったのですが、殺したい人がでてきたので」
「あなたは一体何がしたいんだ」
「趣味ですよ、私は人を殺すのが好きだ。軍に入ったのも合法的にテロリストという名の人を殺せるから。ところが何の因果か教官職についてしまったので、こうしてたまに街に出ては良さそうな人を殺して回っていました。
好きだからしょうがないじゃないですか、恋するぐらい私は殺人が好きなんです」
「狂ってる」
「そう、狂ってる! 現に私は感情のままに動くというらしくない行動をとってしまった!! 全部あの男のせいだ! あの男が!」
「やっ! ……いたっ」
森田はヒステリックを起こしてその場で暴れ回る。片手で心音の髪を掴んでいるため、激しく揺れる度に心音が苦悶の表情を浮かべて短い悲鳴をあげる。目には涙が溜まっていた。
「その手を離すんだ! これ以上心音を傷つけるな」
「はっ、御立派な愛情ですね」
「家族を愛して何が悪い!!」
「兄さん……」
それは、ある意味で心音が一番聞きたかった言葉であった。元々矢島は養子なため心音とは血の繋がりは無い、そのせいか矢島は家族の中でも一定の距離を置いてるように感じられたのだ。士官学校に入ってからはその傾向がより強く、連絡らしい連絡も無い。去年のねぶた祭りに一度会った時もどこかよそよそしかった。
最早家族の愛情は失せたのか、そんな不安に駆られて心音は士官学校にやってきた。
それゆえに、矢島のその言葉は千の慰めよりも心強いものだった。
「青臭いのは嫌いで……っ」
森田が最後まで言い切る前に、遠方から「タンッ」と乾いた発砲音が反響して聞こえ、そして森田の銃が弾き飛ばされた。
「狙撃っ!?」
森田が怯んだ。どこから誰が狙撃したのかはわからないが、これを逃す手はない。矢島は弓弦から射られた矢のように駆け出す。土手の半ばで飛び上がり、未だ立ち尽くしている森田の顔に飛蹴りをめり込ませる。
首の骨ごと折ろうかという勢いで飛蹴りをくらった森田は、心音の髪を離して錐揉みしながら後ろへとふきとんだ。
「心音!」
「兄さん!」
心音が矢島の胸に飛び込んで泣きじゃくる。
今まで気丈に耐えていた反動で涙が止まらない。
「兄さん、兄さん兄さん! 凄く怖かった、怖かったよ。でも、さっきの兄さんの言葉のおかげで怖さが半分くらいになった」
「そっか、ごめん」
「謝るんなら、お詫びにもっとこまめに連絡して」
「善処する。ていうかいつもの英語忘れてるぞ」
「why!? なんてことないないない」
ほのぼのとした麗しき兄妹の会話、微笑ましいものだが問題がまだ残っている。
そしてその問題が今、体を起こして立ちふさがろうとしていた。
「森田」
矢島は心音を後ろに下がらせ、自分が盾になるようにする。
その時矢島の携帯端末が震えた。後藤からだった。
「はあい、あたしの狙撃はどう?」
さっきのは後藤の狙撃だったらしい。
「ナイスだね」
「ふふん、いつでもあたしの胸筋に飛び込んできていいのよ。それはそれとして、狙撃班はいつでもいけるわ、他も包囲は完了している」
その言葉を証明するように、森田の背後から車が一台、花恋の隣にバイクが一台止まった。車からはアサルトライフルを構えた同級生が三人、バイクにはゴルゴン戦の時、矢島の観測係を務めた依子が現れた。
それぞれ森田を中心に扇状に展開する。
「お待たせしました。警察には森田を児童誘拐及び殺人未遂の容疑で指名手配してもらいました。私達の行動も犯罪者を取り締まるものとして処理されます」
依子は淡々と口にする。彼女は戦闘よりもこういった事務処理が得意だった。戦闘以外で彼女程頼れる存在はそうそういない。
「殺人未遂?」
森田が呟いた。鼻に詰まった鼻血を飛ばして、怒りに満ちた眼を依子へむける。
「そうです、熊木さんは一命を取り留めました」
最後に「ギリギリですが」と小さく呟いたのを花恋は聞き逃さなかった。
しかし森田には相当堪えたらしく、怒りから青ざめた表情に変わる
「そんな、殺し損ねただと。ゲームには敗れ、レイプも失敗、挙句同士には利用されて。私は何のために今回の騒動を起こしたというのだ!! 殺しすら出来ないなどと許されるはずがない!!」
「諦めろ! 全部無駄に終わったんだ。観念して同士の正体 を吐くんだ」
「同士だ? そうか矢島は手記を見たんだったね、いいよ教えて上げよう、同士は君達のすぐそばにいるあの――」
パシャ。
森田の側頭部がザクロのように弾けた。脳漿はぶちまかれ、血液と一緒に白いブヨブヨした脳味噌が地面に散乱した。
明らかに狙撃であった。
「後藤!」
「あ、あたし達じゃないわよ! 狙撃班は一人も撃ってないわ」
「じゃあ一体……まさか口封じ?」
一同の心にモヤを残す事になったが、あっけなく森田の暴走は止まった。
この後は警察の死体処理班に任せるのだが、その前に矢島と花恋が森田の死体から取れるだけ証拠を取ろうとした。結局血液サンプルぐらいしかめぼしいものはとれなかったが。
そして翌日――――。
――――――――――――――――――――
十和田市中央病院。
正午すぎ、矢島太陽は一人熊木の見舞いに来ていた。手術が無事に終わって意識が回復したからだった。
医師が言うには、残念な事にいくつか障害が残ったらしい。
銃弾は貫通せず体内に留まったため、銃撃の衝撃を体全体で受け止める事になってしまった。そのため見た目よりも体内の損傷が酷く、膵臓が破損していた。また神経系を傷つけたようで、左足が付随となり歩けなくなってしまった。
これはリハビリをすれば日常生活に差し障りないレベルで快復するらしいが、かつてのように走り回る事は難しいとのこと。
しかし、それでも熊木一助は生き延びた。
矢島は病室の引き戸をコンコンとノックした。中から「どうぞ」という声が聞こえたので、ゆっくり戸を引いて病室へ入る。
個人部屋の一番奥、窓際のベッドにて熊木が文庫本片手にこちらを見つめていた。
障害はもう一つある。
出血多量により、脳へ運ぶ血液と酸素が足りなくなったゆえに引き起こされた障害。これは運が悪かったと医師も言っていた。
「初めまして、僕は矢島太陽。君の友達だよ」
「やじ……ま。友達?」
熊木一助は健忘障害となっていた。
生まれてから十八年の記憶を全て失っていたのだ。
「そう」
矢島はベッドのそばにある椅子をひいて座る。そして熊木の瞳をじっと見つめて言葉を紡ぐ。
「僕だけじゃない、片岡誠司や若宮隆明、そして今はもう会えない所にいる遠野健二と委員長」
「なんだか、懐かしい響きだ」
そして堪えきれなくなったのか、矢島の瞳から涙が溢れてくる。
「うん……そう、皆友達なんだ……戦友、だったんだ!」
ポタ、ポタとベッドのシーツに染みをつくりながら矢島は語る。この後矢島は何を言ったのかはよく覚えていない。ただ子供のように泣いていたのは事実だ。
そして熊木の方は、その涙の意味をついぞ理解する事はなかった。
なぜなら、熊木一助という個人の人格は既に死んでいたのだから。
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