第18話 サヨナラだけが人生だ。で、ましまし



 二月。

 風はまだ冷たい。というか冬真っ只中だ。下手したら年末年始よりうんと寒い。

 その寒風のなかを、我々は揃いもそろって野外に居た。目の前には雄大にながれる川。とおく見えるは鬱蒼とした森。

 斎藤さんがさっきから挙動不審で、川をチラ見している。砂金か? 砂金を掘りたいのか? しかし止めた方が良い。下手しなくとも風邪をひく。


「今って、如月きさらぎ望月もちづきの頃なんすよね。なのに、なんだって寒いんすかね?」

 その質問をおまえがするな、早崎くん。全くキャラじゃないぞ。そしてわたしにふるな。そんなの分かるわきゃないだろう。

「西行法師の歌は旧暦なので、今とは一月半くらい差があるからです」

 川から視線を外し、読書家の斎藤さんが説明をする。

 早崎くんが「へええ」と言う。

 わたしも、へええだ。初めて聞いた。そして速攻で忘れる自信がある。

「じゃあ、一月? 三月?」

 しかし早崎くんは、しぶとく質問を繰り返す。

「桜がでてくるので、三月です」

「なるほど」

 早崎くんはやっと納得したのか、口を閉ざした。

「桜の頃なら。もう少し華やかで、寂しくなかったかもしれない」

 斎藤さんが、ひとりごちた。

 メジローずに言わせると、斎藤さんは感受性が強い。確かに冬の川辺は風がびゅうびゅう吹きすさぶばかりで、もの悲しい景色だ。そうだな。これが桜の時期であったなら新緑が目に鮮やかで、心浮き立つ光景だったかもしれない。


「皆さん、いいですかね」

 丹羽水道サービスの車から、善三が降りて来る。その手には竹で編まれた洒落しゃれた鳥籠がある。なかに居るのはまっしーと三羽の若鳥たち。すっかりメジロっぽくなった、たまごちゃん達だ。

 やっくんは善三の右肩に。にーくんは左肩にとまっている。二羽ともきりっとした顔つきで、いつもより格段と凛々しく見える。

「ちょい寒いですけど、予定通りここで写真撮影会いきたいと思います」

 善三の言葉に、皆がわらわらと寄って来る。

 今日は我が社以外にも、信金レディースの永井さんが居る。

 山田准教授が居る。大家さんも居る。

 たまごちゃん見守り隊勢ぞろいの図だ。

 

 たまごちゃん達は見事に成長した。

 緑の羽毛に、くりくりした黒目を囲む白い輪。

 ただし、共にいるまっしーと比べると、尾羽は短い。その為まんま「うぐいす餅」だ。顔つきだってまだあどけない。そして緊張の色がうっすらとある。

 それもそのはず。たまごちゃん達にとっては、初めての遠出であった。不安からか、たまごちゃん達はまっしーの両脇にぺたりとくっつき、ぎゅむぎゅむのメジロ押し状態だ。たまごちゃん達の雌雄はまだ不明だが、まさに両手に花。

 しかもたまごちゃん達は片言で、「にーちゃ」「にー」「にー」とまっしーを呼ぶ。まっしーはデレデレ。耳にした所長以下一同もデレデレだ。

 今日はたまごちゃん達の、巣立ちの日だ。これまでも押し合いへし合いしては、巣箱の入り口から顔をだしたりしていた。

 善三は暫定的ざんていてきに、「ひい」「ふう」「みい」とたまごちゃんを呼ぶ。

 やっくんとにーくんの区別はついても、わたしには一二三の区別は難しかった。わたしが悔しがると、善三は細い目をよりほそくして、「経験の違いだからねえ」と、悦にはいった。

 むかつく奴だ。しかしこの男が居たからこそ、わたしはメジローずに会えた。そう考えると、うざい男ではあるがありがたい。もっとも口が裂けても、そう言ってやる気はない。言えば、ますますつけあがるだけであろう。メジローずと一緒だ。


「はい、いきます!」

 早崎くんがさっそく自撮り棒で、メジローずと共に写真を撮りだす。それ、お前のか? お前普段からそんなもん使っているの? それでスイーツ食べる自分でも撮影しているのか? 

 訊きたいがやめた。早崎くんの底知れぬ趣味に加わる度胸はない。

「次、こっちで」

 所長はタイマーつきのお高そうなカメラで撮影に挑む。三脚つきだ。所長の膝にメジローずとたまごちゃんの籠を乗せ、全員で集合写真を撮る。

 浮かれたやっくんと、にーくんはサービス精神満載で、あちらこちらの肩やら頭に乗ってはポーズを決める。たまごちゃん達も、親鳥のはしゃぎっぷりに安心したのか、徐々にリラックスした様子になる。


「凄いだろう?」

 写真撮影の場から抜け出した善三が、見物していたわたしの隣に立つ。

「何がだ?」

「俺のメジロボールは、世界をちょびっと平和にできるんだぞ」


 斎藤さんと永井さんの合わせた手のひらのなかに、まっしーがすっぽりはいってポーズを決める。

 やっくんが、広瀬さん。にーくんが大家さんの頭上に、果敢かかんにも突入していく。広瀬さんの場合、見た目はまんま鳥の巣にはいる鳥。「あらあら」ご婦人お二は笑っている。

 山田准教授が籠越しにいれた指先を、たまごちゃん達が競う様に甘噛みをする。所長はその可愛らしさに涙ぐみながら、何枚も激写している。所長、その写真すべて買わせてもらいます。

 早崎くんはおすすめマフィンを、やっくんに差し出している。マフィンは女性陣の分もぬかりなく用意されている。永井さんは、水筒の熱い紅茶を皆にふるまう。たまごちゃん達も興味津々で、マフィンを眺めている。まっしーが、「まだ早いで、ましまし」一丁前にたしなめる。皆が微笑んでいる。

 躯は寒いのに、眺めているだけで心の奥からあったかくなってくる。そんなちいさな幸せが、あちこちにある。

 善三の言う通りだ。

 皆がメジローずを助けてくれた。

 メジローずは皆を幸せな気持ちにさせてくれる。

「世界平和にはメジローずだな」

「だろ?」

 善三が満足げに笑った。

羽鳥組うちのメジロは世界一だ」

「わたしのメジローずだ」

「そうだっけ?」

「そうだ」

 わたしは大きく息を吐き出した。

「わたしが引き当てた福だ。そして皆に助けられて大きく育った福だ」

「ソレ、俺もはいる?」

遺憾いかんではあるが無論はいる」

「なんだその言い草」

 うひゃひゃひゃと、善三が高笑いをもらす。

「おーい、わたしも一緒に撮るぞ!!」

 両手を振って、わたしは輪にむかって歩く。

 すると、「ご主人!」「待っていたで、あります」「遅いで、ましまし」

 三羽が騒がしく話しながら飛んで来る。

 目には見えない糸で、わたし達は今この瞬間、しっかりと繋がっている。近くでも。遠く離れていても。どこに行っても糸は変わらずあるはずだ。わたしにはそう思えた。そう願った。


「では」

 にーくんが鳥籠を覗き込みながら言う。重々しい声だった。

「はじめるで、あります」

 やっくんが宣言をした。

 やっくんの視線の先は、善三の持つ鳥籠にそそがれている。にーくんも、まっしーも。わたしも。皆が、固唾をのんで見つめた。鳥籠の入り口が、おごそかに開けられる。

 籠の中の三羽はしばらくの間、不思議そうに外を眺めては、鳥籠のなかで跳ね回っていた。このままずっと入っているのか。巣立ちにはまだ早いのか。それならそれで良い。まだ、たまごちゃんのままでいて欲しい。

 そんな気持ちをはばむように、にーくんが鳴いた。

 高くひくく。たまごちゃん達をうながし、励ますように鳴いた。

 やっくんも鳴いた。鳴きながら籠の周りをぐるりと飛んだ。

 母鳥の飛行に、たまごちゃんの中の一羽がつられる様に、籠の入り口から躯をだした。やっくんが更に鳴く。こっちへ来いと、お前の翼で飛んでみろと鳴く。

 一羽のたまごちゃんが、ついと飛んだ。不格好な羽の使い方。頼りない飛び方。けれど飛んだ。

 善三が「ひい」と告げた。

 二羽目は速かった。一を追いかけるように、トトとわずかばかり歩いてから、羽を広げ空へと舞った。

みい

 善三が告げたのは、三番目のたまごちゃんだった。

 残された一羽は、不安そうに入り口と籠のなかを往復している。

 顔を少しばかりだしては、また引っ込む。残されているのはふうだ。

 一はなんとか水平飛行で、やっくんと低い場所を飛んでいる。

 三は飛んだものの、すぐにもべしゃりと地面に落ちた。それをにーくんが見守っている。

 二は未だに外に出るのを戸惑っている。

「こっちで、ましまし!」

 二を呼ぶのはまっしーだった。

 音痴で、異種鳥の後ばかり追いかけ回していた末っ子まっしーが、こずえの上から二を呼ぶ。二がまっしーをじっと見上げる。

「にー。に」

 まっしーをか細い声で呼ぶ。まっしーは二の元にはいかない。

「吾らメジロは自由な鳥で、ましまし。もう籠から出る時期で、ましまし!」

 まっしーが梢から飛び上がる。地面に落ちていた三も、いつの間にかにーくんと共に再度羽ばたいている。

「にー!」

 二が舌ったらずな声で、再度まっしーを呼ぶ。まっしーはやはり迎えにはいかない。やっくんも、にーくんもだ。お前の翼で出て来いと、待っている。二が飛ぶと信じている。

「にー!」

 ついに二が出た。おっかなびっくりといったていで、翼を広げる。

「行くで、あります!」

 やっくんが呼ぶ。

「飛ぶで、あります!」

 にーくんも呼ぶ。

「こっちで、ましまし!」

 まっしーが。一と、三も。揃って空で待っている。

 二が飛んだ。よろよろと。おぼつかない格好で。それでも飛んだ。

 六羽のメジロが、わたし達の頭上を飛ぶ。人間が焦がれても叶わない、己の翼で飛んで行く。

「げんきでねー」

 誰だったんだろう。一人が声をあげた。すると次々とせきを切ったように、叫びだす。

「またねー」「喰いすぎんなよお」「遊びにきなさいねえ」「困った事があったら帰ってきなさーい」叫び。手を振り。皆が別れを惜しみ、けれどしっかりと見送った。

 わたしは叫べなかった。

 口を開けば、戻って来いと言ってしまいそうで。ただただ黙ってあいつらの飛んで行った空の彼方を、見つめているばかりだった。



 あの日。福引きで偶然わたしが手にしたメジロボールは、ビニール袋に入ったまま、事務所の机の引き出しの奥に突っ込まれていた。袋の中には取扱説明書があった。

 雛達を育てようと決めた日に、わたしは善三にうながされて、はじめてきちんと目を通した。

 善三がわたしに求めた、最後の覚悟であった。

 メジロボールの取扱説明書には一行目にこう書かれていた。


「おめでとうございます。

 あなたは本日福を引き当てました。開けてびっくりのメジロボールです。

 尚メジロボールには有効期限があります。雌雄ペアが卵を産み、雛が巣立つ時。メジロ達は、メジロのもりへと還って行きます。その時あなたは、メジロ達にサヨナラをしなくてはいけません。

 それでもよろしければ、どうぞあなたの手で蓋を開けてみてください。きっと素晴らしい出会いがはじまります。

 短い期間ではありますが、どうぞよろしくお願いします。

                   羽鳥組代表 丹羽 善三     」




 メジローずを見送ってから、「では」「また」「お疲れ様でした」と、一人ふたりと帰路へついて行った。

 最後まで川辺に残っていたのは、わたしと善三だった。仲良しだからではない。愛車ビアンキで来るのには、遠すぎた為わたしは丹羽水道サービス車に同乗したからだ。


「行ったな」

「ああ」

「サヨナラだけが人生や」

 取扱説明書に書いてあったサヨナラの言葉を、善三が口にした。

「お前らしくない言葉だ」

「井伏鱒二だ」

「ますますお前らしくない」

「爺の受け売りだから。これ言うのが、羽鳥組みのお約束だから」

「そうか」

 あいつらの影も形も見えなくなった冬空を、ふたり揃って見上げる。

 風が強い。厚い雲がながれて行く。夜半から雨が降るかもしれないと、天気予報は告げていた。心配だ。どこに行っても。どんなに時間がたっても。きっと心配になってしまうだろう。これは親になったものの宿命だ。このうずく胸とり合いをつけながら、わたしは明日から又生活して行くのだ。


「行くか」

 善三がきびすを返した。

「ああ」

 わたしも川辺をあとにする。

 森の向こうから、かすかに鳥のさえずりが聴こえてきた気がしたが、わたしも善三も振り返らなかった。




 


 

 

 

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