第12話 ネクタイとやさぐれと冴えない恋愛事情で、ましまし(1)
ネクタイがブームである。
無論わたしではない。ネクタイなんぞ、社会人になってからイヤというほどしめてきた。あれは社畜の目印のようなもの。愛着などほとんどない。
ネクタイに夢中なのは、メジロのましましまっしーだ。
「シジュウカラさんのきりっとしたネクタイ姿! なんとも凛々しくカッコいいで、ましまし」
そう言って空をぶんぶん飛び回る。ちいさなみどり色の体には、真っ黒い不吉な紐が……いや、なんちゃってネクタイがたなびいている。まっしーはシジュウカラになりきっているつもりだが、どこからどう見ても不審なメジロ。残念な奴だ。
ちなみにここはわたしの取引先。
というわけで、わたしは安心して休憩中である。
しかしなんだな。以前から感じていたのだが、まっしーの異種鳥に対する食いつき具合は凄まじい。何かコイツはメジロである自分に、引け目でも感じているのだろうか。
わたしはまっしーから視線を外し、
本の帯には「こどもの心がわからないと
丹羽善三の家から戻って数日がたっている。
わたしとメジロ共との関係に変化はあまりない。
よくよく考えてみれば、以前から得体のしれない奴らだったし。善三も得体のしれないタイプだし。そもそも善三の話しも、どこまで本当か分からない。分からないものをあれこれ悩んでも、答えはでない。
あの日は「ご主人!」「まっしー!」「ご主人っ!」「にーくん」とひしと抱きあって、なかなかの感動であったのだが、それも長くは続かなかった。ちなみに、やっくんだけは無言で、わたしの側頭部にケリをいれていた。きっと頭にきていたのであろう。
他の二羽だって小一時間もしたら、元の我が儘きままメジローずのままであった。相変わらず世話がやける。
出身が
思春期の子供の憧れとは一種のコンプレックスの裏返しであると、著書は語っている。ふむふむ。
思い返せば、最初にウグイスに
しかしメジロは地味なだけではない。
日本の早春。梅の樹に
春先の淡い色をした青空のもとで、ぽつぽつと咲きほころぶ梅や桜。これらに似合うのはメジロだ。断じてメジロだ。日本人であれば皆そう思うはずだ。決してわたしだけの意見ではない。そうとも。あいつらを評価しているわけではない。あくまでも一般論だ。
そんなわたしの思いなどおかまいなしで、まっしーは目ざとくシジュウカラを見つけては、突撃していく。そして逃げられる。ま、そりゃそうだ。シジュウカラにしてみれば、迷惑千万であろう。
ちなみにシジュウカラのネクタイとは、首から腹にかけての真っ黒い縦線を指す。近頃のまっしーは、それを真似て悦にはいっているわけだ。
黒い紐もとい、なんちゃってネクタイは斎藤さんのお手製という徹底ぶりだ。しかしあれは白×黒×グレーのシジュウカラだからこそ
それにしても、まっしーはどこでシジュウカラを見初めたんだ?
全く気の多い奴だ。
こうしてつらつらと思いかえせば、コンプレックスの裏返しなどというデリケートな部分はいまいち感じられない。ただのミーハーなのかもしれん。
いや。それとも幼少期のトラウマが絡んでいるとか? トラウマは重要なキーワードだと本にも書かれている。確かあいつはやたら自分を「おみそ」だと
わたしは鞄から
「ご主人はナニをしているので、ありますか?」
肩のうえからそう訊くのは、にーくんだ。首には黄色の毛糸が蝶々結びになっている。北風が吹くと毛糸がたなびく。すると毛先がにーくんの顔を横切るので、顔をぶんぶん左右に振る。
「ちっくんちっくんするし邪魔くさいで、あります」
そう言いながらも、まっしーに付き合ってあげるあたりが安定のおかんポジだ。
「そんな紐。カッコいいもんじゃないで、あります。
一方やっくんは、興味ゼロ。付き合う姿勢もゼロ。そして安定のデブのままだ。
わたしはため息をついた。
「お前の運動のためにも来ているんだぞ。少しはまっしーみたいに飛び回れ」
わたしの言葉にも反応ゼロ。知らんぷりで、わたしのダウンジャケットのポケットに入ったままだ。なんだかこいつはずっと反抗期だ。やさぐれている。
「寒いからイヤであります」
鳥の分際で、やっくんはそんな事を言う。
「おいおい。ナニを言う」
寒いのはわたしだってそうだ。だが家に居てダイエットになるものか。だからこそ寒風のなか出て来たのではないか。
「だったらシジュウカラやスズメはどうする。いや、野性のメジロを目の前にして、お前はそんな軟弱な戯言を口にできるのか!」
わたしは真剣な思いでやっくんに語りかける。
メタボメジロのまま、成人病にでも
「ご主人。無理強いはダメであります」
わたしの伸ばした腕にとまり、にーくんは頭を横に振る。黄色の紐も左右に揺れる。
そして白い輪にかこまれた、真っ黒な目玉でわたしを見つめる。わたしは、コイツのこの目に弱い。真面目なにーくんの言葉は重い。いつだって
「……しかし、デブは体に悪いぞ」
伸ばした手をそっとひっこめ、にーくんに言い聞かせる。すると途端に、「デブではないで、あります!!」やっくんがポケットの中で暴れだす。
脚でゲシゲシ蹴ってくる。またか! なんだって足癖がこんなに悪くなったのだ。
「止めろ! ポケットが破れたらどうするんだ。
わたしは慌ててポケットを上から抑えた。
無論そっとだ。ぎゅっとやって、やっくんを握り潰すのは気持ち悪すぎる。しかしそんなわたしの気遣いなど意にかえさず、やっくんは蹴りをやめない。
「
相変わらず自己主張だけは激しい奴だ。
「あーはいはい。愛されメジロ。はいはい。そうです」
おざなりに同意してやる。
「ご主人。やっくんはデリケートな時期なのでありますよ」
にーくんが言う。
デリケートおぉ? この傍若無人メジロが、でりけーとぉ? ちゃんちゃら可笑しい。
まっしーがトラウマこじらせデリケートならばまだ理解できる。なにせ若い。しかしやっくんは妻帯者だぞ。思春期など、とうにどこかに置いて来たメジロではないか。
そうだ。わたしなんかより、こいつは余程リア充男だ。そう考えると段々腹がたってきた。ちょっとばかりポケットのうえから、やっくんを押さえつけてやる。ちょっとだ。あくまでちょっと。
すると、「うげえっ!」やっくんが奇声をあげた。大袈裟な奴め。
「ご主人っ!!」
にーくんが声高らかに叫ぶと、わたしの顔付近まで、すすすっと寄ってくる。アップで見ると、まるい目玉の奥がらんらんと光っている。どうにも怒っているようだ。
「やっくんを潰す気で、ありますか? だとしたら吾にも考えというものが……」
結構シビアな声をだす。顔つきもいつもの五割り増しで凛々しい。お前どこのイケメン俳優だよという気迫である。
「滅相もないっ」
わたしはギブの意味で、両手をたかくあげた。笑顔もつける。
メジロに突かれるのは、地味に痛い。今までもさんざん経験済みだ。そして普段温和なにーくんは、怒るとコワイ。本気モードで突かれる。
「……まあ、今のはやっくんも非があるでありますから」
もそもそとポケットから、やっくんが這い出てくる。
「ヒドイ目にあったで、あります」
羽毛がばっさばさだ。早崎くんあたりがいたら、飛びついて撫で回しそうな、ばさばさ感だ。そして恨めしそうな目つきで、わたしは見上げる。
ふん。お前には謝らんぞ。そもそもやっくんが悪いのだ。
勿論口にはださない。お口ミッフィーで、わたしは微笑む。こどもに対しては引き際も大事。右手に掲げている本にそう書いてあった。読書による知識で、わたしは父親力レベルアップだ。千円以上だしたかいがあったというものだ。
内心でほくそ笑んでいると、頭上でまっしーが叫んだ。
「
その言葉に、わたしのデリケートなハートがきゅっと縮まる。
そうだ。デリケートなどという言葉は、メジロ共にはもったいない。わたしの様な寂しい独身男のための言葉である。
「こんにちは! メジロちゃん達」
やって来たのは、山田真希准教授。
昨年同様の深緑色のダウン姿に短すぎる髪型。
夏は常にTシャツ×ジーンズ×ビーサンだしな。この
「山田准教授。ご無沙汰しております」
わたしはベンチから立ち上がると、直立不動でお辞儀をする。なんといっても取引先のNo.2だ。
「月曜日に来ていたじゃない」
ハハハと笑いながら、山田准教授が言う。
確かにそうだ。しかし腐っても営業。通いつめるのも、これまた仕事。
「この時期はできる事なら毎日顔をだしたいくらいで」
わたしは脳内もみ手状態で、そう言った。無論スケベな意味ではない。仕事上でのもみ手である。ここから先はレッツ商売だ。
「ああ、そろそろ入札時期かあ」
山田准教授は、さして興味ない顔でそう言った。
ビンゴである。
今最大のわたしの使命。それは来週おこなわれる入札に勝つ事である。
このご時世。大抵の大学では、高額な備品購入は入札制度をとっている。研究機械も右に同じ。館大でも五十万を超えるものには、購入開示をして業者が入札をする。
昨年。商品説明の最中に教授を置いてけぼりにして、メジロを追いかけるという失態をおかしたわたしは、信頼回復すべく黒崎教授にはりついた。そしてなんとかかんとか説得のうえで、冷却遠心機の売り込みに成功したのだった。
そのお値段なんと、百五十万円越え! 松岡所長もご満悦であった。
しかし。問題はここから。そう、真の営業勝負はここからなのだ。
冷却遠心機の購入をすすめたのはわたしだが、我が社から購入される保証はどこにもない。入札制度がある限り、
だからといって社の利益を割るほどの値引きはできない。
ギリギリの。本当のギリギリの線で、入札に勝ってこその営業だ。
「どうですかね〜。アレ、他からも声あがってますか?」
「どうかなあ……」
山田准教授はイマイチ興がのらない声をだす。
そりゃあそうだ。別にこの人のポケットマネーで買うわけではない。研究予算内で買うと決まった大学関係者にとっては、一、二万の値引き差など些細なもの。入札などどこ吹く風だ。だがわたしはめげない。脳内もみ手続行だ。
「ほら。S社の関くんとか。Kの原田さんとか。この頃顔だしていませんか?」
商売敵の名をだす。すると山田准教授が反応した。
「ああ、原田さん」
「来ていますか?」
喰いつくわたし。
「そういえば来てた。原田さんが来ると一局打てるって教授ご機嫌なんだけど、仕事が
やっぱりそうかあ。来ちゃったかあ。
わたしは内心で唸った。Kの原田さんはわたしより一回り上のベテランだ。そして黒崎教授とは将棋仲間。残念ながらわたしも早崎くんも、そっちの知識は皆無だ。ぐぎぬぬぬ、と
「一局とはなんで、ましまし?」
飛ぶのに飽きたのか。シジュウカラがのってきてくれないからか。まっしーがすいと山田准教授の肩に乗る。さして興味があるとは思えない顔つきだ。多分話しに混ざりたいだけであろう。
「将棋」
山田准教授が答える。
「それは美味しいものでありますか?」
まっしーの疑問に山田准教授が吹き出した。
「全然。食べられないしね。それよりコレはなに?」
そう言って山田准教授は、まっしーのなんちゃってネクタイを引っぱった。
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