第12話 ネクタイとやさぐれと冴えない恋愛事情で、ましまし(1)


 ネクタイがブームである。

 無論わたしではない。ネクタイなんぞ、社会人になってからイヤというほどしめてきた。あれは社畜の目印のようなもの。愛着などほとんどない。

 ネクタイに夢中なのは、メジロのましましまっしーだ。


「シジュウカラさんのきりっとしたネクタイ姿! なんとも凛々しくカッコいいで、ましまし」

 そう言って空をぶんぶん飛び回る。ちいさなみどり色の体には、真っ黒い不吉な紐が……いや、なんちゃってネクタイがたなびいている。まっしーはシジュウカラになりきっているつもりだが、どこからどう見ても不審なメジロ。残念な奴だ。

 ちなみにここはわたしの取引先。館大たてだいのキャンパス内だ。斎藤さんや早崎くんより、さらに若く幼い男女が闊歩かっぽしている。なかにはまっしーを指差す者もいるが、少数派だ。なにせメジロはちいさい。スズメよりさらにチビ。しかも野鳥に興味をもつ若者はすくない。

 というわけで、わたしは安心して休憩中である。

 

 しかしなんだな。以前から感じていたのだが、まっしーの異種鳥に対する食いつき具合は凄まじい。何かコイツはメジロである自分に、引け目でも感じているのだろうか。

 わたしはまっしーから視線を外し、にれの樹の下のベンチで、「良く分かる! こどもの心理学」なる本の続きにうつった。なにも外で文学青年を気取っているわけではない。

 本の帯には「こどもの心がわからないとなげく全国のお母さん! お父さんへ!」と謳い文句がバーーンと書かれている。千円以上を書籍にかけるのはいつ以来であろうか。折角の投資だ。元はとらねば。ページをめくる。


 丹羽善三の家から戻って数日がたっている。

 わたしとメジロ共との関係に変化はあまりない。

 よくよく考えてみれば、以前から得体のしれない奴らだったし。善三も得体のしれないタイプだし。そもそも善三の話しも、どこまで本当か分からない。分からないものをあれこれ悩んでも、答えはでない。

 あの日は「ご主人!」「まっしー!」「ご主人っ!」「にーくん」とひしと抱きあって、なかなかの感動であったのだが、それも長くは続かなかった。ちなみに、やっくんだけは無言で、わたしの側頭部にケリをいれていた。きっと頭にきていたのであろう。

 他の二羽だって小一時間もしたら、元の我が儘きままメジローずのままであった。相変わらず世話がやける。

 出身が常世とこよの春であろうが、常夏のハワイであろうが、目の前のメジロ事態になんら変わりはない。いちいち悩むのが面倒になったのが本音だ。だがひとつの家に共にいる。理解できるところはしておくべきだろう。その為の勉強だ。ページをめくる。


 思春期の子供の憧れとは一種のコンプレックスの裏返しであると、著書は語っている。ふむふむ。

 思い返せば、最初にウグイスに懸想けそうして追いかけていたのは、鳥類でありながら音痴な自分に対する引け目なのかもしれん。その理論でいくと派手なセキセイインコを好くのは、地味なメジロだからだろう。人間の地味男としては、分からんでも無い心理だ。

 しかしメジロは地味なだけではない。

 日本の早春。梅の樹に極楽鳥ごくらくちょう孔雀くじゃくがいて似合うだろうか? 似合わんだろう。ちぐはぐもいいところだ。現実の街中でおこったら、いっそ通報ものの珍事だ。

 春先の淡い色をした青空のもとで、ぽつぽつと咲きほころぶ梅や桜。これらに似合うのはメジロだ。断じてメジロだ。日本人であれば皆そう思うはずだ。決してわたしだけの意見ではない。そうとも。あいつらを評価しているわけではない。あくまでも一般論だ。

 そんなわたしの思いなどおかまいなしで、まっしーは目ざとくシジュウカラを見つけては、突撃していく。そして逃げられる。ま、そりゃそうだ。シジュウカラにしてみれば、迷惑千万であろう。


 ちなみにシジュウカラのネクタイとは、首から腹にかけての真っ黒い縦線を指す。近頃のまっしーは、それを真似て悦にはいっているわけだ。

 黒い紐もとい、なんちゃってネクタイは斎藤さんのお手製という徹底ぶりだ。しかしあれは白×黒×グレーのシジュウカラだからこそえるもの。メスへの求婚アピールの為だ。メジロがネクタイをしめる意味など全くない。無用の長物であろう。

 それにしても、まっしーはどこでシジュウカラを見初めたんだ? 

 全く気の多い奴だ。

 こうしてつらつらと思いかえせば、コンプレックスの裏返しなどというデリケートな部分はいまいち感じられない。ただのミーハーなのかもしれん。

 いや。それとも幼少期のトラウマが絡んでいるとか? トラウマは重要なキーワードだと本にも書かれている。確かあいつはやたら自分を「おみそ」だと卑下ひげしてメソメソしていたっけ。

 わたしは鞄から付箋ふせんを取り出し、ページに貼付けた。ここは後日再読決定だな。


「ご主人はナニをしているので、ありますか?」

 肩のうえからそう訊くのは、にーくんだ。首には黄色の毛糸が蝶々結びになっている。北風が吹くと毛糸がたなびく。すると毛先がにーくんの顔を横切るので、顔をぶんぶん左右に振る。


「ちっくんちっくんするし邪魔くさいで、あります」

 そう言いながらも、まっしーに付き合ってあげるあたりが安定のおかんポジだ。

「そんな紐。カッコいいもんじゃないで、あります。やつがれは馬鹿バカしくてやってられないで、あります」

 一方やっくんは、興味ゼロ。付き合う姿勢もゼロ。そして安定のデブのままだ。

 わたしはため息をついた。


「お前の運動のためにも来ているんだぞ。少しはまっしーみたいに飛び回れ」

 わたしの言葉にも反応ゼロ。知らんぷりで、わたしのダウンジャケットのポケットに入ったままだ。なんだかこいつはずっと反抗期だ。やさぐれている。

「寒いからイヤであります」

 鳥の分際で、やっくんはそんな事を言う。

「おいおい。ナニを言う」

 寒いのはわたしだってそうだ。だが家に居てダイエットになるものか。だからこそ寒風のなか出て来たのではないか。


「だったらシジュウカラやスズメはどうする。いや、野性のメジロを目の前にして、お前はそんな軟弱な戯言を口にできるのか!」

 わたしは真剣な思いでやっくんに語りかける。

 メタボメジロのまま、成人病にでもかかったらどうする気だ。お前は妻をおいて先に逝くような、薄情メジロだというのか。わたしは熱弁をふるう。だというのに、やっくんはますます深くポケットにもぐり込む。阻止すべく、ポケットに手を突っ込もうとするわたしを、そっとにーくんが止めた。


「ご主人。無理強いはダメであります」

 わたしの伸ばした腕にとまり、にーくんは頭を横に振る。黄色の紐も左右に揺れる。

 そして白い輪にかこまれた、真っ黒な目玉でわたしを見つめる。わたしは、コイツのこの目に弱い。真面目なにーくんの言葉は重い。いつだって真摯しんしなのだ。


「……しかし、デブは体に悪いぞ」

 伸ばした手をそっとひっこめ、にーくんに言い聞かせる。すると途端に、「デブではないで、あります!!」やっくんがポケットの中で暴れだす。

 脚でゲシゲシ蹴ってくる。またか! なんだって足癖がこんなに悪くなったのだ。


「止めろ! ポケットが破れたらどうするんだ。一昨年おととしのユニクロだけど、デザインと色が気に入っているんだぞ!!」

 わたしは慌ててポケットを上から抑えた。

 無論そっとだ。ぎゅっとやって、やっくんを握り潰すのは気持ち悪すぎる。しかしそんなわたしの気遣いなど意にかえさず、やっくんは蹴りをやめない。


やつがれは、ぽっちゃり愛されメジロであります!!」

 相変わらず自己主張だけは激しい奴だ。

「あーはいはい。愛されメジロ。はいはい。そうです」

 おざなりに同意してやる。

「ご主人。やっくんはデリケートな時期なのでありますよ」

 にーくんが言う。

 デリケートおぉ? この傍若無人メジロが、でりけーとぉ? ちゃんちゃら可笑しい。へそが茶を沸かすぞ、にーくん。お前に臍はないがな。

 まっしーがトラウマこじらせデリケートならばまだ理解できる。なにせ若い。しかしやっくんは妻帯者だぞ。思春期など、とうにどこかに置いて来たメジロではないか。

 そうだ。わたしなんかより、こいつは余程リア充男だ。そう考えると段々腹がたってきた。ちょっとばかりポケットのうえから、やっくんを押さえつけてやる。ちょっとだ。あくまでちょっと。

 すると、「うげえっ!」やっくんが奇声をあげた。大袈裟な奴め。


「ご主人っ!!」

 にーくんが声高らかに叫ぶと、わたしの顔付近まで、すすすっと寄ってくる。アップで見ると、まるい目玉の奥がらんらんと光っている。どうにも怒っているようだ。

「やっくんを潰す気で、ありますか? だとしたら吾にも考えというものが……」

 結構シビアな声をだす。顔つきもいつもの五割り増しで凛々しい。お前どこのイケメン俳優だよという気迫である。

「滅相もないっ」

 わたしはギブの意味で、両手をたかくあげた。笑顔もつける。

 メジロに突かれるのは、地味に痛い。今までもさんざん経験済みだ。そして普段温和なにーくんは、怒るとコワイ。本気モードで突かれる。


「……まあ、今のはやっくんも非があるでありますから」

 万歳バンザイポーズが功を奏したのか、にーくんが引く。

 もそもそとポケットから、やっくんが這い出てくる。

「ヒドイ目にあったで、あります」

 羽毛がばっさばさだ。早崎くんあたりがいたら、飛びついて撫で回しそうな、ばさばさ感だ。そして恨めしそうな目つきで、わたしは見上げる。

 ふん。お前には謝らんぞ。そもそもやっくんが悪いのだ。

 勿論口にはださない。お口ミッフィーで、わたしは微笑む。こどもに対しては引き際も大事。右手に掲げている本にそう書いてあった。読書による知識で、わたしは父親力レベルアップだ。千円以上だしたかいがあったというものだ。

 内心でほくそ笑んでいると、頭上でまっしーが叫んだ。


真希まきさんで、ましまし!!」

 その言葉に、わたしのデリケートなハートがきゅっと縮まる。

 そうだ。デリケートなどという言葉は、メジロ共にはもったいない。わたしの様な寂しい独身男のための言葉である。

「こんにちは! メジロちゃん達」

 やって来たのは、山田真希准教授。

 昨年同様の深緑色のダウン姿に短すぎる髪型。

 夏は常にTシャツ×ジーンズ×ビーサンだしな。この女性ヒトはお洒落にとんと興味がないようだ。それなのにうっすらと良い女感がでるのは、耳を飾るピアスのせいだろうか? なんだか又増えている様な気もする。いつか肩にとまったメジローずが突くのではないかと、わたしは内心ハラハラだ。


「山田准教授。ご無沙汰しております」

 わたしはベンチから立ち上がると、直立不動でお辞儀をする。なんといっても取引先のNo.2だ。

「月曜日に来ていたじゃない」

 ハハハと笑いながら、山田准教授が言う。

 確かにそうだ。しかし腐っても営業。通いつめるのも、これまた仕事。

「この時期はできる事なら毎日顔をだしたいくらいで」

 わたしは脳内もみ手状態で、そう言った。無論スケベな意味ではない。仕事上でのもみ手である。ここから先はレッツ商売だ。

「ああ、そろそろ入札時期かあ」

 山田准教授は、さして興味ない顔でそう言った。


 ビンゴである。

 今最大のわたしの使命。それは来週おこなわれる入札に勝つ事である。

 このご時世。大抵の大学では、高額な備品購入は入札制度をとっている。研究機械も右に同じ。館大でも五十万を超えるものには、購入開示をして業者が入札をする。

 昨年。商品説明の最中に教授を置いてけぼりにして、メジロを追いかけるという失態をおかしたわたしは、信頼回復すべく黒崎教授にはりついた。そしてなんとかかんとか説得のうえで、冷却遠心機の売り込みに成功したのだった。

 そのお値段なんと、百五十万円越え! 松岡所長もご満悦であった。

 しかし。問題はここから。そう、真の営業勝負はここからなのだ。

 冷却遠心機の購入をすすめたのはわたしだが、我が社から購入される保証はどこにもない。入札制度がある限り、とんびに油揚げ状態で他社にかっさらわれる事だってなきにしもあらずなのだ。

 だからといって社の利益を割るほどの値引きはできない。

 ギリギリの。本当のギリギリの線で、入札に勝ってこその営業だ。


「どうですかね〜。アレ、他からも声あがってますか?」

「どうかなあ……」

 山田准教授はイマイチ興がのらない声をだす。

 そりゃあそうだ。別にこの人のポケットマネーで買うわけではない。研究予算内で買うと決まった大学関係者にとっては、一、二万の値引き差など些細なもの。入札などどこ吹く風だ。だがわたしはめげない。脳内もみ手続行だ。

「ほら。S社の関くんとか。Kの原田さんとか。この頃顔だしていませんか?」

 商売敵の名をだす。すると山田准教授が反応した。

「ああ、原田さん」

「来ていますか?」

 喰いつくわたし。

「そういえば来てた。原田さんが来ると一局打てるって教授ご機嫌なんだけど、仕事がとどこおるんだよ」

 やっぱりそうかあ。来ちゃったかあ。

 わたしは内心で唸った。Kの原田さんはわたしより一回り上のベテランだ。そして黒崎教授とは将棋仲間。残念ながらわたしも早崎くんも、そっちの知識は皆無だ。ぐぎぬぬぬ、とほぞを噛む。


「一局とはなんで、ましまし?」

 飛ぶのに飽きたのか。シジュウカラがのってきてくれないからか。まっしーがすいと山田准教授の肩に乗る。さして興味があるとは思えない顔つきだ。多分話しに混ざりたいだけであろう。

「将棋」

 山田准教授が答える。

「それは美味しいものでありますか?」

 まっしーの疑問に山田准教授が吹き出した。

「全然。食べられないしね。それよりコレはなに?」

 そう言って山田准教授は、まっしーのなんちゃってネクタイを引っぱった。




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