第10話 ハイスペックメジロ!? で、ましまし


「動物とおんなの子は、ちょっとくらいもふもふもっふん、している方が可愛いじゃないっすか」

 わたしの杞憂きゆうを早崎くんは一蹴いっしゅうした。


 昼休み。

 昨日のやっくんデブ疑惑が真実となった今、わたしはやっくんにダイエットをさせねばならない。

 メジローずは斎藤さんとのお昼の読書会で、会議室にこもっている。これ幸いと昼食後、缶コーヒーで釣って社の廊下で早崎くんに相談したのだが、すぐにも人選を誤ったと悟った。


「やっぱ、もふんもふんですよ! もふもふサイコー」とか、知性の欠片もない事をのたまっている。

 わたしの目は奴への侮蔑ぶべつで、腐ったしじみのごとくよどんでいく。

 早崎くんよ。今可愛がるだけと、将来を考えて育てるは違うのだぞ。

 昨今のペットブームで、肥満は重要案件として話題にあがっている。

 大事にされるペット達。豊富な食べ物。快適な暮らし。

 その末の肥満によって引き起こされる病気の数々。飼い主なら後悔しないわけがない。その現実をよく考えろ。わたしがそう訴えると、早崎くんはなんともいえない目つきになった。

 なんというか。生ぬるい。イヤな感じの目つきだ。例えるなら偽物くさい菩薩像と言ったところか。

 しじみVSエセ菩薩。


「なんだよっ」

「いえ。何と言うか」

 早崎くんが目じりを抑える。わざとらしい仕草がかんさわる。

「感無量というか」

 声はやや涙声だ。


「なんだよっ!」

「主任……成長しましたね」

 そう言って、わたしの肩をぽんと叩く。

 おい、お前はひらでわたしは上司だぞ。なんだ、その慣れ慣れしい態度。

「なんだよ、もう!」

 早崎くんの手をどける。


「あれだけメジローずをうとましくしていた主任が、可愛がるだけではなく、飼い主として健康管理にまで気をつかうとか……感動っす」

「うっさいわい!」

 お前にやっすい感動を与える為に、缶コーヒーまで奢ったわけではない。

 病気になったらなったで困るのはわたしだ。病院どうするんだとか、薬代とか、看病とか。色々面倒だから、気にしているだけだ。


 早崎くんにしたのは、人選ミスであった。

 週末にでも、鳥愛好家の永井さんに尋ねてみよう。彼女とはメジロ情報限定のライン友達だ。そうだ。そうすべきだったのだ。週末と言わず、今夜すぐでも良いかもしれない。

 未だ廊下の隅で、感動だか笑いだかの発作にとりつかれ、肩を震わせている早崎くんを追いて社内に戻ろうとした時だ。


「お荷物でーす」

 快活な声と共に、宅配便の兄ちゃんがやって来た。

「はいはい」

 広瀬さんが印鑑片手に荷物を受け取る。

 日常的に見慣れた光景である。わたしは気にもとめずにデスクに向かおうとしたところを、「前迫くん」広瀬さんに呼び止められた。


「なんですか?」

 期日のすぎた領収書でもあっただろうか。反射的に身構えたが違った。

「あなたによ」

 そう言って渡されたのは、配達されたばかりの荷物だ。結構な大きさの段ボールであった。

「あ、どうも」

 社でこんな荷物を受け取る覚えがない。

 だと言うのに何故なのか、手にした途端イヤな予感に背筋が震えた。どういう事だ。

 宛先を確認すると、「丹羽善三」とある。知らぬ名だ。大きさの割りに軽い。振るとガサリと音がする。

 デスクに持って行き開けると、くちゃくちゃの新聞紙に包まれた箱状のものが現れる。


「なんだ……? これ」

 木製の立方体だ。何の飾りもない。

 丸い穴が上部に1箇所だけ空いている。これは、もしやもしや……いや、しかし何でこんな物が注文もしていないのに届くのだ?

 わたしの驚きに追い打ちをかけるように、広瀬さんが、「まあ、巣箱じゃない!」明るい声をあげる。しかも声はでかく、無駄によく通る。二次会のカラオケで毎回高得点をたたきだすだけはある。


「メジロちゃん達のね」

「いえ、全然」

「じゃあ、なに? その巣箱……あなた、まさかっ」

 そこで広瀬さんはくわっと目を見開いた。

 こってり塗っているファンデーションが、目じりの皺から浮き上がる。勘弁してください。コワイです。


「他の鳥を飼うつもりなの? まあああああっ!」

「え?」

 思いもしない発言に、わたしは咄嗟に返答が遅れた。

 それが悪かった。広瀬さんのスピーカー、いや、台詞にわらわらと集まって来た皆は、口々に勝手な事をしゃべりだす。


「前迫くんがなあ」

「メジローずだけじゃ物足りなくなったってわけか」

「これって浮気か?」

「いや、浮気じゃないだろ。色々なタイプと付き合ってみたいのは、男のさがだ」

「じゃあ、メジローずは我が家で預かろう」

 最後の台詞は所長である。

 なにどさくさに紛れて、欲望まみれの主張しているんですか。

 わたしは背後の所長に向き直ると、「メジロはあげません。他の鳥など飼いません。わたしは浮気はしない信条です。それと巣箱は知りません!」そう叫んだ。


「おおおっ!」

 一斉にその場にいる皆が、感嘆の声をあげる。

 なんだよ、この連帯感。

「よく言った。前迫くん。それでこそ一家の主だ」

 所長が、うんうんと大きく頷く。

「こどもを育て、共に成長する父親かあ。久しぶりにクレイマー・クレイマーが観たくなったわ」

 広瀬さんが胸のあたりで手を組み、宙に視線を走らせる。

 わたしはパンケーキもホットケーキも焼かないぞ。焼いてたまるか。やっくんダイエット月間なんだ。そう言いたいが、賢いわたしはお口にチャック。逆らわない。

 とにかくこんな商品は知らない。

 着払いで返却だ。巣箱を箱に戻そうとした時だ。


「何事でありますか?」

「なにやら感動の渦ができておりますな」

「この一体感。ナニがおこっているで、ましまし?」

 厄介な奴らが斎藤さんの肩にのって登場した。

 大人しく舌きりスズメでも読んでりゃ良いものを。「チッ」わたしは短く舌打ちをした。


「前迫くんが巣箱を買ったのよ」

 うふふと広瀬さんが微笑む。いや、だから知らないと言ったではないか。やだよ、もう。誰か正常なコミュニケーションできる人、つれて来てくれ。


「なんとっ!」と、やっくん。

「それは」と、にーくん。

「素晴らしいプレゼントで、ましまし」と、まっしー。

 三羽そろって巣箱に飛んで来る。


「ダメだ。ダメ。ホント、知らないんだから。汚すなよ」

 万が一メジローずが巣箱に入って粗相そそうでもしてみろ。返品不可になるではないか。

 しかしメジロ共は巣箱を前に、ぴたりと止まった。


「なんとっ!」と、やっくん。

「これは」と、にーくん。

「善さんで、ましまし!」まっしーが叫ぶ。


「ぜんさん? 誰それ?」

 わたしの疑問に、

丹羽善三にわぜんぞうであります」

 にーくんが神妙な顔つきで答える。


「丹羽って、ああ、この送り主か。なに、お前らの知り合いなの?」

 まさかこの渋い名前の送り主は、メジロなのか? 

 考えたくはないが、字を書き、宅配便を送るハイスペックメジロが存在するのか? 

 わたしの頭のなかに、ネクタイをしめ、眼鏡をかけ、翼の先で器用にボールペンを持つ巨大メジロの図が咄嗟に浮かんだ。

 恐ろしさに鳥肌が立つ。

 わたしの心配をよそに、三羽は生真面目な顔でジッと巣箱を見つめる。ははは、まさかね。そんなけったいな生物がいてたまるか。しかし事実確認は必要である。社会人の基本だ。


「おい……」

 大丈夫。そう思いながらも、ためらってしまう。荷物を受け取った時のイヤな予感が脳裏をよぎる。

 知りたくはない。だが聞かねばならない。

 そうでなければハイスペックメジロの幻影に精神をやられる。


「丹羽善三さんと、お前らの関係は……」

 わたしはかすれた声で訊いた。

やつがれたちのお父さんであります」

 やっくんが、しゃらりと応える。


 きたーー! 来ちゃったよ! 

 謎の未確認生物到来だよ。

 わたしは膝を折り、絶望感から地中深く潜りこみたい気分に襲われた。


「ーーやっくんの父親。そうなのか?」

 再度確認する。

「吾ら皆のお父さんであります」

「そ、そうなのか……」


 にわのにわとり、ならぬ、にわのめじろなのか。

 わたしはチラと宅配便の宛名を再度確認する。

 当たり前だが郵便番号から住所に電話番号まで書かれている。

 筆圧の高い、右肩あがりのくせ字だ。自宅のあるメジロ。仕事をするメジロ。住民票やマイナンバーカードとかまで持っていたらどうしよう。

 阿呆な事ばかりが浮かんでは消える。米神こめかみがずきずき痛む。胃もしくしくなきだす。

 さっき飲んでいた缶コーヒーが逆流してきそうだ。気持ち悪い……


「ちょっと……失礼」

 口元を抑え、わたしはその場からトイレへと向かう。

 誰もわたしを引き止めない。

 メジロ共と巣箱を中心に和気あいあいだ。

 ああ、あの三羽もいずれハイスペックメジロになるのだろうか。なるんだろうな。第一会話をするんだぞ。そこからしてキテレツだった。メジロ共との日常にまぎれて、わたしの常識はすっかり鈍化どんかしていた。

 くそっ。育てる責任感はあるが、まさか今後高校とか大学進学などと言われたらどうしたら良いんだ。いや、待てよ。嫁がいるんだった。ならば今さら学業は考えにくい。その点は安心しよう。だが逆に、ハイスペックメジロがわらわらと増えていくという事態は考慮せねば。ああ、わたしの給料で賄えるのだろうか? 


「丹羽の善さんはーー」

 まっしーの無邪気な声が、とおく聞こえてくる。

 わたしは事務所のドアを開け、廊下へと出る。


「羽鳥組の代表で、ましまし!」

 え?

 ドアに手をかけ、わたしは立ち止まった。羽鳥組。ソレ聞き覚えあるぞ。


「まっしーはナイショでボールに入ったから、きっと善さんに会ったら怒られるでありますよ」

 やっくんが、からかうように言う。

「善さんのげんこはコワイで、ましまし」

 まっしーが情けない声を出す。


 待て、待て、まてよ。わたしはドアを閉めると、デスクへと素っ飛んで戻った。

「おい!」

「どうしたんで、ありますか?」

 にーくんが首を傾げながら、

「ご主人。顔がコワイであります」と、言う。

 知るか、それよりも今は知るべき事がある。


「丹羽の善さんという人はお前らの父であり、羽鳥組みの代表なんだな?」

「そうであります」

「それで、人間なんだな? そうだな? 頼むそうだと言ってくれ」

 わたしの鬼気迫る嘆願たんがんに、三羽は一様に、ちいさな頭をかくかくと振った。縦にだ。たて。すなわちイエスだ。

 イエス! イエイ! わたしは拳を天たかくあげた。


「よし!」

 なんだ。

 馬鹿だなわたしも。

 ついついメジロ共の言動に惑わされ、トンでも発想に至ってしまった。ハッハッハ。前迫篤。しっかりしろ。アラサーで馬鹿みたいな発想をするな。


 わたしの様子に、メジロ共と社の皆は多少ぽかんとした表情を浮かべたが、あえてツッコミをいれてこない。ありがとう皆。ありがとう神様。ハイスペックメジロなどいるものか! ハレルヤ、神様! やったぜ、わたし!

 しかしかかげた拳を下ろす前に、神はわたしに別の試練を与えたもうた。

 残酷すぎる宣言は、よりによって皆の前で行なわれた。


「どうして巣箱が送られて来たの?」

 それは何の悪意の欠片もない斎藤さんの質問であった。

 答えたのはにーくんだ。にーくんは深緑色の頬を染めながら、それでも誇らしげな声で高らかに言った。


「妻がもうすぐ卵を産むからで、あります」


 事務所中が歓喜の坩堝るつぼに飲まれたのは言うまでもない。

 所長の目がひかる。広瀬さんと斎藤さんが「きゃー」と黄色い悲鳴をあげる。早崎くんがガッツポーズで団扇を振る。団扇には「LOVE MEJIROーーず」の文字が蛍光色で書かれている。手書きでそんなものを作っていたのか、お前は。わたしは一人うなだれた。

 しまった。馬鹿か、わたしは。

 メジロ共に家族についての箝口令かんこうれいをひくのを忘れていたなんて。前迫篤一生の不覚。妻メジロがやって来たら、皆は歓喜し、わたしの人生はさらなる混乱におちいるに違いない。

 わたしの試練はまだ続く。安息の未来は遥か彼方であろう。







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