第11話 襖のむこうに待つものはで、ましまし(1)
丹羽善三から、巣箱が送くりつけられ、わたしの周囲は
別に巣箱が怪しいわけではない。どこにでもありそうな、素朴な木製の巣箱である。問題は使用目的であった。そう、にーくんのまさかのカミングアウト。
妻が卵産みます宣言に、社内は上を下への大騒ぎ。
早く。はやく。一刻も早くお嫁さんを呼び寄せて、産卵準備をしようじゃないかと、松岡所長以下一同わたしをやいのやいのと
「何をどう待つのかね?」
松岡所長は眉を寄せ、不信感まるだしでわたしを問いつめた。その背後では社員全員が不満げにわたしを見つめている。
「所長、あいつらはメジローずなんですよ!」
わたしはそう言うと、素早く所長の腕をがっしと掴み会議室へと直行した。理由はひとつ。皆の前で語ると、様々なツッコミが機関銃乱射のごとく降りしきり、圧倒的に不利だからだ。
後ろ手にドアを閉めると、「いいですか? 腐ってもメジローず。そんじゃそこらのメジロじゃありませんっ。あいつらは特別なんです」
わたしの台詞に松岡所長は、顔を輝かせ大笑いを浮かべた。
「いやあ。君からそんな素直な賛辞がでるとは感激だ。なんだ、前迫くんも
得意そうに無茶苦茶いけ好かない事を言う。
内心でわたしは舌打ちをした。
あんなけったいな鳥類の虜などになるわけがない。断じてない。単なるいち保護者の立場でもの申しているに過ぎない。この距離感だけは死守するつもりだ。だがここで所長と議論しても不毛なだけだ。広瀬さんあたりが防衛ラインをいつ突破して来るとも限らない。わたしが今ここで行なう事は、たったひとつ。
「とにかくですよ。なんとも貴重な生物である事は間違いありません。そうですよね?」
「まったくだ」
「しゃべって、チータカチータカ踊る鳥なんて天然記念物。いえ、国宝級です。つまりは
「ん?」
所長が首を傾げる。
よし、いけ。相手に反撃のチャンスを与えない間に、たたみかけるんだ、前迫篤。ここで営業手腕を見せずにいつ見せる。
「つまりですよ。ここで産卵方法を誤ったら、元も子もなくなるのではないでしょうか。あんな珍妙な、いえ、稀少なメジローずが普通の鳥とおなじような産卵方法をとるでしょうかね? もっと、こう。我々の思考の斜めうえをいくような特殊な事態が起こりえる可能性は捨てきれません。
我々一同は、その時に
「それは……とどのつまり、どういう事かね?」
所長が腕組みをしながら、前のめりに訊いてくる。
よっしゃっあ。話しにのっかってきたああぁ。
わたしは脳内ガッツポーズ状態。しかしあくまで表面上では冷静をよそおい、声をひそめた。老人相手に詐欺行為をしているような、
「うまい具合に、にーくんの
やっくんの番に関しては、お口チャックだ。これ以上の狂乱と混乱は避けなければならない。
「ふむ」
「つまり嫁が来る前に、メジローずの神秘に満ちた……かもしれない? 産卵方法及び子育てに関して、我々はまず知識を得るべきです。それがゆくゆくは物事のスムーズな進行につながるのではないでしょうか」
わたしは熱弁をふるった。
ほぼ口からでまかせ。思いつき。しかし購買者の、いや、所長の気持ちをつかめれば営業的にはOK。
わたしは息をつめて所長の出方をうかがった。
「ふうううむ」
腕組みをしながら、天を仰ぐ松岡所長。かつての敏腕営業相手に太刀打ちできるか否か。わたしの営業センスが問われる瞬間だ。
「まずは下調べって事か。……ま、一理あるわな」
やがて重々しい口調で所長が頷く。
やった! やった!! 万々歳だ。脳内でわたしは小躍りする。
「では。そういうわけで、嫁さんを呼び寄せるのは後日という事で……」
長居は無用。所長の気が変わらぬうちに、会議室を出て行こうとした。しかし無情にもわたしの背に、所長の「ちょい待ち」が、かかった。ここで聴こえぬ振りをして逃げだせば良かったのだ。しかしそこは悲しい社畜。身に染みた上司の「まて」に、足は条件反射で止まってしまう。
「前迫くんの言う事はもっともだ。だが具体的な対策はあるのかね?」
それは毎月の定例会議で良く訊かされる耳たこのひとつーー君たちのヤル気は分かるよ。けれど目標数字をクリアできる具体的な対策はどうなっているのだね? 訊かせてくれたまえ。を、
「え、え〜っと」
わたしは後ろ頭をかきながら、ゆっくりと所長に向き直った。
本音を言えば、産卵から子育てまでを、メジロ共にぶん投げるつもりであった。いくら話すといっても所詮は鳥。人間の
要はわたしのメンタルダメージを最小限で抑える為に、社内のメジロ推し社員の目の届かぬところで、ひっそりと出産をしてもらえればそれで良いのだ。
簡単なところで、大家さん家の庭の樹にでも巣箱をかけさせてもらえれば、後は野となれ山となれ。メジロ共が勝手に、産めよ増やせよしてくれるであろう。と、いうざっくりとした計画しかないのであった。
無論上記を所長に告げるわけにはいかない。
孫可愛らしさで暴走気味の爺状態だからである。
「え〜、それはですねえ」
冷や汗が背を伝う思いであった。
「なんだ? まさかそこんところがノープランなのか?」
所長の目つきが険しくなる。マズイ。
「え〜っと、そ〜ですねえ。まずはメジロボールについて書物で調べて、そこからでも……」
苦し紛れで言いだした途端である。「それだ!」所長が両手をぽんっと打ち鳴らした。
「メジローずの専門家に意見を訊けば良いじゃないか!」
「専門家?」
「ちょうど良い。ほら、巣箱だよ。あの送り主が最適だ」
「え!?」
「なにせメジロボール製作所の代表なんだろう? だったらメジローずのエキスパートだろう。君、至急連絡とって会いたまえ」
「ええっ!? わたしがですか?」
あんな胡散臭いメジロ共の父親ポジションの人間に会いに行く。
考えるだけでウンザリだ。ゼッタイ面倒事に巻き込まれる。及び腰になるわたしに、「お前以外誰がいるって言うんだ。さしずめメジローずの父親対談だな。考えるだけでワクワクしてくるぞ。おーい、早崎くん! 巣箱の送り状持って来て!」
動揺しているわたしの隙をつき、所長は会議室のドアを開けると、すぐさま早崎くんを呼びつけた。
こうしてわたしは問答無用で、所長以下社員一同の前で、丹羽善三なる人物宅へ電話をかけさせられるはめになったのだった。
※ ※ ※
それがわずか三日前。
迅速モットーが売り言葉の所長の命により、わたしは土曜日の貴重な休みを削って、件の人物宅を訪れるはめとなった。
時刻は午後五時。冬の夕刻は日が暮れるのが早い。辺りはすでに闇にとっぷりと沈んでいる。
「これ。つまらないものですが」
広瀬さんご推薦の、
綿入りちゃんちゃんこを羽織った躯は、小柄で細身。渋い名前から、高齢であろうと勝手に思っていたのだが見当違いであった。多分わたしと近い年齢であろう。愛想の良い
ここは丹羽善三の職場件自宅である。
製作所というのだから、それなりの工場的建物を想像していたが、純和風の古びた平屋であった。前庭には桜だろうか、葉をすっかりおとした大木がある。
「まずは入ってはいって」
そう言うと背を向けて狭い廊下をさっさと歩いて行く。どうやら来客用のスリッパなるものは存在していない様である。
「お邪魔します」
わたしは男の背に頭をさげると、足を踏み出した。体重のかかった板張りが、ぎいっと軋む。空気はしんしんと冷え、かすかに
ここでやつらが生まれたのか。なんだか能天気なメジローずとは噛み合ない、
今日はわたし一人である。五月蝿いメジロ共は、置いて来た。今ごろは大家さん家の
さて。通されたのは八畳の和室であった。
ここもやはり黴くさい。段違い棚にはうっすらと埃がたまっているし、電球も暗い。善三が部屋の隅に置いてある灯油ストーブのスイッチを押す。じじじじと唸りながらストーブが点火したが、部屋全体がぬくまるまでは、時間がかかりそうであった。
わたしは進められるまま、コートは脱がずに
畳に座布団。得意ではないが正座をする。足が痺れてこないか心配だが、さすがに初対面で足を崩すまではできない。一方善三は「よっこらしょ」と年寄りめいた動作で腰をおろすと、
「本日はお忙しいところ、誠に……」
「あ、そういうの。イイから」
わたしの形式的挨拶を、丹波善三は右手をあげて
「あと、営業トークもイイから。別に俺ら仕事関係同士でもないし。ちゃっちゃと話そうよ」
確かに。ざっくばらんに話しをした方が速いであろう。わたしは頷いた。
「……分かりました。話しはメジロ共の事です」
「だよね」
善三はにっかり笑う。愛想が良い男である。しかしどうにもその笑みが、底知れぬように思えるのは気のせいであろうか。
「電話でお伝えした通り、あなたから先日巣箱が届きました」
「うん」
「三羽のうちの一羽の番がもうすぐ産卵だと言います」
「うん。もうすぐだと思う」
善三はわたしの恐れていた未来予想図を、涼しい顔で肯定する。歯ぎしりしたい衝動をおさえ、わたしは質問を続けた。
「なんでこのタイミングでなんでしょう?」
まるで測ったようなタイミングの良さで巣箱は届いた。
「なんでって。そういうスケジュールなもんで」
善三が応える。
スケジュール? 首を傾げると、「これ」善三が背後に手を延ばしつかみ取ったA4ファイルを卓上に置く。
「うちの対メジロマニュアル」
「マニュアル? メジローずにマニュアルなんてあるんですか?」
わたしの言葉に今度は善三が首を傾げた。
「メジローず? そう呼んでいるんだ」
そして又もや笑う。
「随分仲良くやっている様で、なにより」
くつくつ笑う。
「いえ、まあ。三羽もいるんでまとめて呼ぶ時は、そう呼んでいます」
「一羽余計にはいっちゃったんだよね。個別の名前はあるの?」
「ああ、はい。
わたしの説明に、善三の糸目がほんの僅かだけ開かれる。ちょっとぱかーんとした顔つきだ。
よくよく考えると、飼育しているメジロの名をアラサー男が意気揚々と説明する図は滑稽だ。まるで女子学生ではないか。そう思った途端、一気に
「え。いや。つけたのはわたしではなく。社の人間です。主に女性陣ですっ」
あたふたと言い訳をしてしまう。
「いやあ。嬉しいなあ」
わたしの動揺をよそに、善三は満面の笑みを浮かべる。
それを目にし、わたしは初めて悟った。今までの笑みにどこか違和感を覚えていたのは、それが上っ
「メジロ共が産卵時期まで、あなたの所にいるはずだ」
「はあ、まあ。それであの。本当にこれから卵が産まれるのでしょうか?」
わたしは再度問う。
答えは分かっているのに、悪あがきみたいなものだ。
「もちろん。保証しますよ」
そう言うと、善三はわたしがもっとも恐れていた事を告げはじめた。
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