第5話 No.2のおとこで、ましまし(1)


 事のおこりは就業中。僕やっくんメジロの言葉から始まった。

 わたしはデスクで書類を作成していた。一方のメジロ共は朝の食事ーーふかしたサツマイモとオレンジジュースを終え、丸く膨らんだ腹をさすりながら、デスクの上で寝そべっていた。

「ランチタイム読書会での勉強の結果、僕はつらつらと考えたであります」

「うむうむ」

「ましまし」

 斉藤さんを読書会部長と銘打って、一人と三羽の読書会はまだ続いていた。会議室から泣き声や笑い声が響いても、わたしはスルーすると決めている。触らぬ神に祟り無しだ。

「スズメ。ツバメ。文鳥。世の中には古今東西鳥類がでてくる物語が、たんまりあるであります。しかるに、我らメジロの立場は何とも希薄きはくなもの!」

「いきなり」

「どうしたで、ましまし?」

 他の二羽が不思議そうに、やっくんメジロの言葉に耳を傾ける。

「僕は常々メジロの立場を憂いていたであります。たとえば。うぐいすの身を逆さまに初音かな。この宝井其角たからいきかくの句にしたところで、全くの勘違いであるという説があるであります!」

 やっくんの言葉に、ましましメジロが頭を傾げる。

「たからいって、何でましまし?」

「松尾芭蕉門下の俳人であります」

 でかい二羽目が応える。なかなか博識な奴である。わたしは聞いたこともないぞ。

「なるほど。合点でましまし」

 がってん。がってんと、ましましメジロが翼を広げる。少々かわい……否、うるさいぞ。

「ここまでをふまえて、よろしいかな? 諸君」

 やっくんメジロが翼をふりあげる。

 自分では凛々しい顔をしているつもりなのだろうが、それはない。いくら格好つけても、所詮リラックマタオルのうえで、寝転がっているていたらく。いまいちだ。わたしは無視をきめている。仕事中だし文学系の話しに、興味がないという事もあった。

「さて、この句の鶯。なんと、メジロを間違えたらしいという説があるのであります!」

「なんと! 鶯と我らメジロを間違えるなどと、あり得ないであります」

「酷いでましまし」

「そう。その通りであります!」

 我が意を得たり。やっくんは、興が乗ったのか、ばさばさと翼を振るう。

 ……やめような。わたしは横目で奴らを睨みながら、そっと心中で呟く。そっと。というのはなにもメジロ共に、遠慮しているわけではない。断じて無い。

 事務所に羽毛アレルギーの社員はいない。事前にわたしは全員に確認したのだ。それでも周囲に気は使う。真冬で、窓を開けての換気を難しい。

しょうがない。


 興奮しだしたメジロ三羽のうえに、食卓カバーをそっとかぶせる。

 先週ホームセンターで購入したもので、たんぽぽ色の細かな網あみになっている。まさか独身でこんな物を買うはめになるとは思わなかった。どの程度効果があるかは不明だだ、とりあえず飛び交う羽はおさえていると思える。

 食卓カバーにすっぽりとおさまった三羽の姿を、所長と広瀬さんがスマホで撮影しだす。所長はカシャカシャと連続音を響かせ、広瀬さんは録画状態のようだ。

 広瀬さんはともかく。今や所長まで、奴らの魔の手に落ちた。いかんともしがたい状況だ。興奮してスマホをかざすその姿は、孫の晴れ姿を撮りまくっている、おじいちゃんそのもの。


「他にも、桜や梅に鶯と言われておりますが、絵として描かれているもののほとんどは、我らメジロ。鶯もちだって、メジロがモデルであります」

「なんと!!」

「ましまし!!」


 メジロの肖像権が、うんぬんかんぬん。奴らの議論は大盛り上がりだ。

 興奮した一羽が、タオルのうえをごろんごろんと、もんどりうって食卓カバーに衝突した。途端周囲から「ああっ!」と短い悲鳴があがる。しかし次の瞬間には元気いっぱいの姿で、食卓カバーにもたれかかる。そのぽこんと盛り上がった後ろ姿に、「あ〜」と感嘆の声がもれる。

 頼む。先生も走る、師走だ。皆、仕事をしようではないか。

 わたしが周囲を見渡している間に、隣の席から早崎くんが腕を伸ばしてきた。カバーの網あみから僅かばかり飛び出している、メジロの背中の羽毛を撫でまくる。


「うはっ。もふもふ」

 その声にあちらこちらから、羨望の悲鳴があがる。

 早崎くんめ、何たることを。わたしは思わず立ち上がった。

 いかん。いかんぞ。このままでは、我が社の命運はつきる。冬のボーナスどころか、来春までの存続だって危うくなりそうではないか。


「主任どちらに?」

 暢気に尋ねがらも、指先はメジロの背中から離れない。メジロの背中をまさぐるのに夢中だ。

 お前。それ人間相手ならアウトだからな。セクハラだからな。

館大たてだい、行ってくる」

 我ながらひえた声で、馴染みの取引先を告げる。

「ボクも行きましょうか?」

 早崎くんは、全く意にかえすことなく聞いてくる。この鈍感男め。

「いや。いい」

 わたしは食卓カバーをあげると、なかのメジロを素早くかき集めた。早崎くんにいじられていた一羽の背中は、毛が逆立っている。

 残りの二羽が「お、では僕共も」「行くで、ましまし」と、出てくる。では逆立っているこいつは、でかメジロだ。


 やっくんと、ましましに挟まれ、何かにつけて地味キャラに収まりつつある奴。もしくは、大抵やっくんの次にしゃべる奴。広瀬さん達からは常に二番目の、2をもじって、通称にーくんと呼ばれているメジロだ。


「背中がぼさぼさであります」

 にーくんが若干うなだれて言う。

「ああ。そうだな」

 そらみろ、早崎。こいつガッカリしているぞ。わたしはにーくんメジロの背中をととのえ、三羽を背広のポケットにいれると営業に出かけた。

 我が社はメジロ愛好倶楽部でも、真昼の読書推進委員会でもない。規模は小さいながらも、きちんとした、まっとうな会社だ。そうであると信じたい。

 メジロ三羽を助手席に乗せ。営業車内で絶対に飛ぶなと念押しする。メジロ共は神妙な顔で座席に固まって座る。物わかりが良い。実はましましメジロは、車が少しばかり苦手なのだ。

 最初に乗ったとき、興奮しまくり大騒ぎ。その末に車酔いしてしまった。

 あの日はましましメジロを、やっくんとにーくんの二羽が両端から支えて慰めていた。ましましメジロは、「ましまし。ましまし。げー、したいでましまし」と泪目になっていた。今も若干躯を強張らせている。わたしは余り揺れないように、営業車をスタートさせた。


 館大の駐車場に車を止めると、ましましが、「はふんっ」と、盛大に息をはきだす。

 よしよし。頑張った。脇を固める二羽もほっとした様子だ。

「お前等外にいるか?」

 もし酔っているのなら、外気に触れている方が良いであろう。わたしの言葉に三羽が勢いよく頭を縦に振る。

「そうするであります」

「よし。わたしが戻ってくるまで、ここいらから遠くに行くんじゃないぞ」

 そう言って。館大キャンパス内の椿の枝に三羽をとまらせる。

「了解であります」

「いってらっしゃいで、あります」

「待っているで、ましまし」

 大学生が、メジロを捕獲しようとは思わないであろう。第一腐っても鳥。何かあっても飛べば良い。わたしは一人で館大構内へと向かった。


 十日程前。館大。植物学研究室の黒崎教授に、我が社の商品パンフレットを渡しておいた。今日はその後のご機嫌伺いだ。

 パンフレットは教授からのご要望ではない。教授があてた「科研費かけんひ」目当てで、わたしが持ちこんだのだ。

 科学技術研究費。

 通称科研費は文部省から研究者に支給されるビックマネーだ。だれ彼構わずもらえる研究資金ではない。研究者が己の行ないたい研究内容を申請し、文部省が審査する。与えられる者は、ごく僅かの狭き門だ。外れて当たり前。当たればラッキー。そして申請せねば当たらない。しかるに皆狙う。

 なにせ医学部歯学部をのぞく、わが国の国公立大学教員の年間個人研究費は安い。びっくりする程安い。大学教員の60%が年間五十万円以下の研究費に甘んじている。年間三百万円以上の個人研究資金を持つ大学研究者は、全体のわずかに3%にすぎない。

 今回黒崎教授は、科研費を当てた事によって、この上位3%にはいった。そうなるとどうなるか? わたしの様に、理化学機器を扱う代理店社員が営業に向かう事になる。


「お邪魔します」

 事務を通して、本日のアポはとっている。快活に挨拶をしつつ研究室へと入る。セーターに、チノパン。スリッパ履きの黒崎教授は、研究室にいなければ、まるで休日のお父さんといった出で立ちだ。

「おお。前迫くん」

 一休みしていたのだろうか。片手に珈琲カップを持っている。

「教授。先日お渡ししたアレ。見ていただけましたか?」

 わたしの言葉に教授が、「あ、ああ……」曖昧に机の上を見渡す。机上は乱雑に積み重なった書類の山だ。想定内なので、慌てない。

 鞄から早速新しいパンフレットを二部取り出す。どうせ渡してもすぐには見ない。見てもパラ見。いつもそうだ。

「これどうぞ」

 前回教授にお薦めしたページには、付箋を貼っておいた。細胞培養システムパッケージ。

 キャビネットから、インキュベータ。ユニバーサル冷却遠心機その他諸々のパッケージで、7、094、500円也。我が社でも年間1、2台でれば御の字の高額商品だ。

「うーん。でも高いよねえ」

 黒崎教授は煮え切らない。そりゃあ70、000円じゃない。悩んで当たり前だ。

「ええ。けれど3月末までの納品となると、年明けすぐにも決めていただけないと。ちょっと……」

「うーん。そうねえ」

「ええ、3月末ですからね!」

 わたしはここぞとばかりに、声をあげる。


 当たった科研費は3月末までに、納品支払いを済ませなければならない。書類に貼る領収書だって必要になる。年末も近いというのに、使い道に迷っているわけにはいかないはずだ。普通の社会人なら青くなる。だがどうにも大学教員は、マイペースな人が多い。

 黒崎教授も自分時間で生きている。なので向こう側に合わせていたら、商品はなにひとつ売れない。押しかけ、見積もりをとって、目の前にはいどうぞと提示する必要がある。

 さあ、押すぞ。押しまくるぞ。そう思い、内心で腕まくりをした時だ。


「……パッケージじゃなくても良いんじゃないですか? 」

 背後から、声がかかった。

 振り向くと化粧けのない、背の高い女性が立っていた。驚いた。この時間に居るとは思わずに、心の準備ができていなかった。慌てて「お久しぶりです、山田准教授」姿勢をただし挨拶をすれば、「どうも」と軽く頭を下げてくる。

 ざんばらと称して良い程のベリーショートなので、後ろ姿だけだと男子学生と間違えそうになる山田准教授は、右耳たぶに3ヶ。左には2ヶのピアスをしている。わたしと同じ30前後だと思うのだが、相手は女性。年齢を確認したことはない。


「そう思うかね? 山田くん」

 あからさまに助かったという顔で、黒崎教授が問う。

「思います。遠心機は欲しいですが、キャビネットは今あるやつでいいでしょう」

「そうかね」

「はい」

「そうみたいだ。前迫くん」

「……では」

 ここでめげてはいけない。わたしは次のパンフレットを差し出す。

 本命はこちらだ。パッケージ商品は、あくまで売れれば儲け物。ここからが営業の腕のみせどころと、本命パンフを教授に差し出した瞬間。わたしの目は、山田准教授の肩に釘付けになった。

 なんで今まで気がつかなかった〜〜

 絶叫をなんとか飲み込む。 

 山田准教授の肩の上で、ぽってりと丸くなっている深緑の饅頭はメジロではないか! 

「あの、そそそそれ、」

 めちゃくちゃ噛んでいるわたしに、黒崎教授が、「どうしたね? 前迫くん」おっとりとした口調で尋ねる。


 


 


 

 

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