第5話 No.2のおとこで、ましまし(2)
「いえ、あの。その。山田先生の肩のソレが……いやあ、なんだろうなあ。って」
震える指先で指し示すと、「ああ、これ。さっき歩いていたら、いきなり乗って来て驚いたのなんの。でも大人しいんだよ」
無邪気に山田准教授は破顔した。
わたしの視線はメジロに釘付けだ。白い輪のなかは糸目になっている。
この目を閉じているメジロは、やっくんか? にーくんか? ましましか?
そして、どうしてお前は、そこにいる。わたしの緊迫した雰囲気になにを悟ったのか、誰も一言も発しない。そのなかで、丸まっていたメジロが、うーんと躯を伸ばした。
その姿に
「にーくんっ!!」
伸ばした首もとにあるのは、鮮やかな黄色の羽毛。にーくんは、たんぽぽ色の首筋なのだ。
わたしの声に、メジロがはっと目を開ける。真っ黒いつぶらな瞳が、わたしをとらえた。目と目が合う。
途端メジロが鳴いた。泣くのではない。
ぴいい、ぴぴちち、ぴいいい。
高く。ひくく。
肩のうえで、せわしなく飛び跳ねながらメジロは歌う。
ぴちちちち、ぴいぴぴぴ。黄金の声と称される歌声が研究室のなかに響きわたる。
「ああ、いいねえ」
黒崎教授は聞き惚れている。
同感です。こいつらにも、取り柄はありました!
思えば初めて耳にした、こいつらのまともな歌だ。
こいつらときた日には、おいおいと泣く事はあっても、滅多に鳴かない。鳴いてもせいぜいが「ちちち」くらいだ。うっかりメジロである事を忘れてしまう要因のひとつは、こいつらの日常における態度のせいもある。わたしのせいではない。
ところがどうだ。この美声!!
メジロの歌声は求愛の為だ。愛を高らかに
この黄金の歌声を求め、かつて野生のメジロは愛好家から乱獲された。なかには巣ごと卵が持ち去られたりした。捕らえられたメジロ達は狭い籠のなかで、くるはずのない恋人を求めて、喉を震わせる。歌声を競うために育てられる。
これがメジロの唄会だ。やがて唄会は、勝負事になり、現金の飛び交う賭け事になった。その為に野鳥が生涯閉じ込められるなど言語道断。日本でのメジロの捕獲飼育は全面的に禁止された。
わたしは囀るメジロへ向かって、手を伸ばした。
「こっちだ!」
わたしの呼びかけに、さっと飛んで来る。
「ご主人。探したであります」
にーくんの言葉に黒崎教授が、「おおっ!」山田准教授が「えええ?」と声をあげる。
我が社の人間に比べて、マトモな驚きっぷりが実に新鮮だ。しかし感動している場合ではない。とりあえず、二人に背を向けてスルーを決め込む。
「どうした? 外で待っている約束だぞ」
「約束を守れなくて、面目ないであります」
一人と一羽。どちらからともなく声をひそめる。にーくんは空気を読める奴だ。
「実はましましが」
「どうした? 吐いたか?」
「いえ、そちらは大丈夫であります」
「じゃあ何だ? 襲われたのか? 猫か、カラスか。まさか人間か?」
「いえ。そういうんじゃないであります。鶯であります」
「ウグイス?」
鶯がどうした。餅屋にでも行きたいのか?
「前迫くん?」
教授がわたしに呼びかける。
「ナニかあったのかね? そのメジロは……」
「きょーじゅっ!!」
わたしは教授の言葉を、失礼を承知で、声高らかに
「教授。すみません。ちょっと急用ができました。おって商品の新しいパンフレットをお持ちします」
「ちょっと。君」
「すみません。ホンットに、ホント、すみません」
米つきバッタのごとく、高速で頭を下げる。下げつつにーくんを両手で隠し、後ずさる。視界には、呆れた顔をした山田准教授の姿がかすめる。
「ではっ!!」
わたしは脱兎のごとく、研究室から飛び出した。
減給だ。減給だ。げんきゅうだ。クレームが入ったら、絶対確実に減給ルートだ。
頭のなかに、現実的な警報が鳴り響く。だというのにわたしの足は回れ右で、戻ろうとはしない。一心に外に向かって駆けて行く。
「で、ウグイスと何があったんだ?」
走りながらにーくんに問いかける。ばつの悪い顔で、にーくんが「それが……困っているであります」と、呟く。
歯切れが悪い。いや、メジロに歯はないが。
まさか真っ昼間の大学キャンパスで、鶯との喧嘩勃発か。戦ったらどっちが強いんだ。
確かメジロってスズメよりも、ちっこいよな。ちっこいなかでも、さらにちっこいましましだぞ。
鶯に喧嘩売ったら、ぎったぎたにされるんじゃないのか。五体満足なのか。 大丈夫なのか。最悪の想像が頭を駆け巡る。
廊下を走り、要返却の来訪者カードを首から下げたまま、大学事務室の横を突っ切る。玄関を抜けた先に広がるのは、冬の風景。葉を落とした大木は、確か桜だ。小さな三つの黒点が枝先を飛び交い、鳴いている。
先頭をいくのは、けきょけきょと鳴く特徴的な声。それを追いかけるちっこい奴。最後尾のやつは、切羽詰まった鳴き声をあげている。
とりあえず飛び回るほど元気いっぱい状態なのを確認し、わたしは一気に脱力した。
「にーくんアレは……?」
「鶯さんであります」
「けきょけきょ鳴いているのが、鶯だな。しかしなんだって鶯を、あいつらが追いかけ回しているんだ?」
「正確にはましましが、鶯さんを追いかけまわし。彼らを、やっくんが追いかけているであります」
「……なんで?」
「求愛であります」
「は?」
わたしは改めて、三羽を眺めた。
鶯は、メジロ共よりやや大きく全身これ茶系。いやあ、鶯て本当に地味だな。変なところで感心してしまう。
メジロの比ではない地味さだ。
「ましましが、鶯さんにせまっているであります」
「……」
言われてみると、確かにましましは鶯を。鶯のみに狙いを定めて追いかけている。桜の
そりゃあそうだ。なにせメジロとウグイス。違うもんな。国際結婚以上のハードルの高さだ。
しかも。
「あいつ下手だな」
「……下手であります」
ナニが。と確認する前に、にーくんが肯定する。にーくんの美声と比べて、同じメジロかと疑うレベルで下手である。
ちちちちましまし。ぴぴぴまっしー、と聴こえて来る。ほとんど冗談レベルの囀りだ。
「ましましは、季節外れに生まれて、まだちっこいのであります」
ましましを弁明するように、にーくんが言う。
「そうなのか?」
「メジロも産まれた時から、上手いわけではないであります。何事も練習が必要であります」
「そうか……」
「ましましの初恋とはいえ、相手は鶯さん。ご主人に、とめて欲しいであります」
「うん。まあ、そうだな」
馬に蹴られるつもりはないが、鶯もさぞや迷惑であろう。わたしは「来訪中」の札を事務へ返すと、靴を履き替え桜へと大股で歩みよった。
「帰るぞ!!」
腰に手を当て、一言叫ぶ。
「ご主人であります! ましまし、僕は戻らねばならないであります」
やっくんがホッとした様に言う。
それに対して、「まだいたいで、ましまし」ごねるましましは、鶯の尻を追いかけ回している。
「ご主人と共にあってこその、メジロでありますぞ!」
「いやで、ましまし」
「帰るで、あります」
「恋はとまらないで、まっしー」
「戻るで、あります」
ダメだ、こりゃ。
業を煮やして、「いい加減にしろ!」わたしは叫んだ。そんなわたしを、行き交う学生が、遠巻きに見つめては去って行く。くそ、不審者通報されたら、お前等のせいだからな。
「ついて来ないと、今晩は野宿だぞ!
多分梟も、メジロの密猟者も、街中の大学になどいるわけがない。ただの脅し文句だ。
「もう知らんからな。帰る!」
わたしが大股で駐車場に向かうと、渋々といった
帰りの車中は静かであった。追いかけっこに疲れたのか、ましましとやっくんの二羽は、後部座席で爆睡だ。にーくんだけが助手席で目をぎょろりと開けている。
「おい」
わたしはにーくんに呼びかけた。
「なんでありますか?」
「……なんで山田准教授の肩に乗っていたんだ?」
わたしはずっと疑問に思っていたことを、問いただした。
「困っている時に、外でお見かけしたであります」
「山田准教授を?」
「桜の下を歩いていたであります。ご主人がどの部屋にはいったのか知らなかったので、連れていってもらおうと、失礼を承知で乗せてもらったであります」
「そうか」
「はい、であります」
「けどさあ……」
信号が赤になる。わたしはなるだけゆっくりと静かに止める。ここで、がっくんと止めると、ましましが車酔いをおこすかもしれないのだ。
「どうして山田准教授が、わたしの訪問先の相手だって知っていたんだ? 偶然か?」
「写真を見たであります」
しゃらりと、にーくんが応える。
「しゃしんだと?」
思わず視線を、信号から助手席のにーくんへ移す。にーくんは全く悪びれることない顔つきで、「ご主人のスマホの写真アプリにはいっていたであります」そうのたまった。
待て! まてまてまて。ちょっと待て。
わたしは内心の動揺を顔にださない様に努めながら、信号機を凝視した。目は信号機を見つめながら、頭はにーくんの爆弾発言でいっぱいだ。
まず。何でにーくんが、或はこいつら三羽が、わたしのスマホに興味を持つのだ。しかも何で写真アプリなんだ。いつからひとのプライバシーに、首をつっこむメジロになったんだ!?
「なんでわたしのスマホを見たんだ?」
努めて冷静な感じをよそおいながら問いただす。すると、「頼まれたであります」そう応える。
「頼まれた!? 誰にだ?」
「所長さんに、であります」
「しょちょー? 松岡所長にか!?」
「そうであります」
「なんで?」
「我らの秘蔵写真を、送って欲しいと頼まれたであります。あ、青になるであります」
席からうんと伸びをして、にーくんが言う。
わたしは車を発信させながら、痛む頭をおさえたかった。運転中でなければ、突っ伏して記憶喪失になりたかった。所長。なに、阿呆らしい指示をメジロにだしているんです。
「前迫くんは、ツンデレだから、我らの写真をナイショでたくさん所有しているはず。それを探し出して、あわよくば送信して欲しい。というのが、所長さんからのミッションでありました。面白いゲームでありますな」
いや。お前。それゲームじゃないから。単なるプライバシーの侵害だから。
「そこで美人のおねーさんの写真を見たであります。お知り合いでありますか? 恋人さんでありますか?」
「……取引相手の、おしりあいだ」
「そうでありましたか! ご主人の恋のお相手かと思っておりました」
「ちがうよ!」
勢いこんで、全否定しておく。
「そうでありますか」
「そうだ」
……ウソだ。片恋の相手だ。それは言葉にせずに、飲み込んだ。
山田准教授とは年も近いし、よく顔を合わせる。サバサバしていて、話すと面白い。颯爽とした立ち姿は、イカしている。しかし相手は大学の先生だ。ハードルが高い!
ましましの鶯相手よりはマシだが、それでも遥かに遠い、高嶺の花だ。
思えば学生の頃から、手の届かない相手を好きになる。
高校生の時は、学年トップの女子だった。新入生代表の挨拶をした横顔に一目惚れ。わたしは普通科。彼女は特進コース。三年間一度も話せずに終わった恋だった。
大学にはいってから、一世一代の告白をして付き合った彼女は、いわゆるできる女だった。勉学もサークルも、果ては就活も、気がつくとわたしは常に彼女の背ばかりを見ていた気がする。彼女はずっと先を行っていて、わたしは置いてけぼり。結果、自然消滅した。
ああ、そうだ。認めよう。自分をかえりみず、賢くできるタイプの女性が好きなのだ。突き詰めて考えると、めろーんとなってくる。いかんいかん。切り替えよう。
そもそも山田准教授と、お付き合いできるとは思っていない。あの写真だって、あれだ。学会に新商品発表のブースをもらった時、会場で偶然彼女をみつけて、つい撮っただけなんだ。深い意味は……あるが、ない。ないという事に、しておきたいんだ。
「ご主人。突っ込んではいけない話題でありましたか?」
にーくんが、恐るおそる聞いてくる。その目には気遣いの色がある。
お前やっぱりいい奴だな。うざったいメジローずのなかで、空気を読めるいい奴だ。わたしもお前も、同じ地味キャラ同士。前迫くんはいい人だけど。そう言われて終わるNo.2の男同士だ。わたしは、にわかにわきだした、にーくんへの親近感から軽口を叩いた。
「いや、なんでもない。気にするな。それよりお前もモタモタしていると、ましましに先を越されるぞ!」
はっはっは。大人の余裕をみせて笑うわたしに、不思議そうに、にーくんが首を傾げる。
「先を抜かれるとは、何のことでありますか?」
「なにって、彼女だよ。ましましは積極的じゃあないか。お前もガンバらないとな!」
「……ご主人」
にーくんが、微妙な目つき、でわたしを見上げる。真っ黒い瞳に、憐れみのひかりがあるように思うのは気のせいだろうか。
「恋人はいらないのであります」
「え?」
「妻がいるので、今さら他のメスに、恋唄を歌うなどしないであります」
「え?」
「妻。で、あります。卵を産んでくれる
「ええ? え?」
わたしは衝撃のあまり、危うくハンドル操作を間違えるところであった。あっぶねー。
「お前、妻帯者だったのか?」
「そうであります」
「ましましは?」
「独身であります」
「やっくんはっ?」
「番がいるであります」
なんてこった!! 三羽のうち二羽が番もち。仲間意識が、音を立てて崩れ落ちる。
いや、待てよ。これって不味いんじゃあないか。もしこいつらのメスメジロが、やってきて、卵が産まれたら。さらに
メジロがメジロ押しで、メジロ饅頭どころか、メジロ鏡餅だ。
自分の想像に青くなる。イヤだ、ムリだ、ゆるしてくれ。
三羽で、いっぱいいっぱい。持て余している。もう、これ以上は勘弁してくれっ!!
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