第6話 魅惑のアンドーさんで、ましまし

 

 メジロ共が夢中である。素敵に惹かれる、魅惑のアンドーさん。

 ましましいわく、アンドーさんにハートを打ち抜かれたそうだ。

 わたしはあいつ等の語る、アンドーさんを知らぬ。

 知るわけもない。

 なにもメジロの行動全てを、把握しているわけではないのだ。二十四時間あいつらと一緒にいてみろ。確実に、わたしのなかのナニかが壊れる。だからといって、全く気にならぬわけではない。愛情とか、心配という気持ちではない。あえて称するのならば、責務と言おう。


 そうとも。わたしの保護しているメジロ共が、世間の方々に迷惑をかけていないか、確認する義務がわたしにはある。だから今まさにしている事は、飼い主としてのまっとうな、責務に基づいた隠密行動なのである。


「だからって、何でこんな張り込みしている刑事みたいな事するんですか。直接聞けば良いじゃないですか」

 わたしの隣で、そう言うのは早崎くんだ。

 五月蝿い。黙れ。

 今。わたし達は真昼の公園にいる。ちいさな寂れた公園だ。先ほどまで二組の母子おやこ連れがいたが、わたし達を見かけた途端出て行った。きっと昼飯なのだろう。


 無人の公園にいるのは、わたしと早崎くん。そしてわたし達から見て、一時の方角にいるメジローずだけだ。三羽揃って、すっかり葉を落としたプラタナスの枝にいる。寒いのだろうか。べったりとくっついてメジロ押しだ。

 わたしと早崎くんはスーツ姿。どっからどう見ても、平日の公園で、ちょっとさぼっているサラリーマン。何の不信感もないはずだ。更に弁明するのならば、さぼっているわけではない。昼休みである。


「主任、聞いてます? ボク、」

「しっ!」

 わたしは、早崎くんの口を片手で塞いでやった。

 やつらに見つかるわけにはいかない。これはわたしの矜持きょうじの問題だ。なのでこうやって、ぞうさん滑り台の、塗料の剥げたお尻の部分にはりついているんじゃないか! 

 好きでやっているわけではない。それなのに、なんだってお前は不用意に声をあげるんだ。営業だったらもう少し気を使え。空気を読め。

 そんなんじゃあ、お前はにーくんにも劣ってしまうぞ、早崎くんよ。にーくんは、気配りが一丁前にできるメジロだ。

 お前は知らないだろうが、にーくんには嫁だっているんだぞ。知ったら最後。お前はきっと、「きゃっ」と叫んで己の敗北に打ちひしがれるだろう。しかしお前が、事実を知る未来はないはずだ。

 何故ならわたしは、先日知ったこの驚愕の事実を、誰にももらしていないからだ。一言でも、もらしてみろ。家族を呼び寄せろと、松岡所長が説得しにかかるに決まっている。

 所長の行動は孫見たさの爺さん的なものであるが、あなどれない。なにせ所長は若い頃、そりゃあ凄腕の営業だったと聞く。鳥頭のメジロ共の説得くらい朝飯前であろう。

 説得されたらどうなると思う? 更に扶養メジロが二羽増える。そこからはもう無限の増殖だ。そう考えると頭が痛い。なのでメジロの嫁問題は、トップシークレット扱いだ。わたしだけで、収めるべき問題だ。

 感謝しろよ、早崎くん。

 これでお前は、負け犬の遠吠えを叫ばずともすむのだ。わたしは早崎くんの瞳の奥を睨みつけながら、ハードボイルドに、「ここにいたいなら、静かにするんだ」囁いた。


「ふぁい」

 口を塞がれたまま、早崎くんが頷く。

 よしよし。やっと分かったか。手を離す。するとすぐにも、「主任。寒いです」早崎くんが弱音をはく。


「……君。先に事務所に帰っていなさい」

 わたし達の足元を、北風に飛ばされた枯葉が舞う。もう、いいよ。そもそも誘ってもいないのに、なんでここにいる?

「えーでも、気になるじゃないですか。魅惑の安藤さん」

「だったら、大人しくしていろ」

「えー」

 もう無視だ。そしてこれ以上五月蝿くしたら、強制退場させよう。

 わたしは意識をメジロ共に集中した。


 メジロ共の話しをもれ聞くと、どうにも昼間の某公園で安藤さんと密会を繰り返しているらしい。いや、わたしが盗み聞きをしたわけじゃあない。わたしはそこまで暇ではない。

 情報源は主に広瀬さんだ。そして今日。たまたま「やぶ源」の帰りに、ちょっと遠回りをした結果、この公園でメジロ共を見かけただけだ。


「美女でしょうかね? 魅惑のって言うくらいですから、若い美女ですよね? まさか広瀬さんクラスじゃないですよね」

 早崎くんが小声で尋ねる。

「わたしが知るものか」

「でも主任の家のメジロじゃないですか。好みのアイドルとか女優の話しとか、しないんすか?」

 するか! 馬鹿!! 

 なんだってアラサー独身男が飼っている小鳥と、好みの女のタイプを語らなければいかんのだ。そんな絵づら、端から見たら痛すぎるだろう。


「鳥なんだから、とりっぽいのが好きなんじゃないか」

 わたしは適当に応えた。

「ええー? トリっぽいって、何ですか。鶏ガラみたいな子ですか? それはボク、イヤだなあ。少しふっくらしていて、胸のおっきい子が良いです」

「お前の好みなんか知らん」

「主任はどうです?」

「人間」

 わたしは即答した。適当にあしらったつもりだが、わたしの頓珍漢とんちんかんな答をどう解釈したのか、

「主任、ふところふかいですね。いやあ僕じゃあ、そこまでの境地にはまだまだ……」と、しきりに感心している。


「寒いのならば、温かいコーヒーでも買ってこい」

 もうこいつに付き合うのは、面倒だ。わたしは財布から五百円玉をだすと、早崎くんへ握らせた。

「主任の奢りですか?」

「わたしの分もだ」

「御馳走さまです」

「ここで買うなよ。公園の敷地外の自販機を探すんだ」

 公園内にも自販機はある。まさかそこまで軽卒な行動はするまいと思うのだが、念のために釘をさす。


「了解です」

 早崎くんが駆け出す。

 その後ろ姿に、わたしは唖然あぜんとした。

 よりによって、メジロ共の方角へ行く。もはやわたしに対する、嫌がらせかと思える行動だ。

 確かに公園の入り口横に、やつらのいるプラタナスがある。だからってそっちを選択しなくとも、反対側に出口があるだろう! 現にわたし達はそこから入って来ただろうにっ。

 お前はバカなのか!? ああ、そうなんだな!! 

 静止する間もなく、メジロの一羽が早崎くんに気がついた。


「早崎さんで、ましまし」

 気がついたのは、ましましだ。枝からすいと早崎くんの肩へと飛び移る。

「お仕事で、ありますか?」

「サボリだったら、言いつけるでありますよ」

 やっくんと、にーくんもやって来る。

「やだなあ、サボリじゃなくて昼休みだよ」

 早崎くんが弁明する。

「そうでありますか!!」

「ご主人は、共にいるのでありますか?」

「ボク……は、自販機に行くところ」

 流石に質問には答えずに、早崎くんが話題を変える。自販機の言葉に、メジロ共が目の色を変えた。


「ジュースでありますか!?」

「ジュース! ジュース!」

「まっしーは午後ティーが、いいでましまし」

 早崎くんの肩で、メジロ共は、「奢れ。おごれ」と大騒ぎだ。

 全く意地汚い。

 まるでわたしが常日頃、飲み食いさせていないようではないか。今朝だって、リンゴジュースを腹一杯やったろうっ!!


「え〜でも、いいのかなあ?」

 頭をかきながら、早崎くんが応える。

 迷っている素振りをしながらも、躯はすでに外へと向かっている。メジロ共のおねだりに目がくらんだようだ。メジロ共は、早崎くんの肩のうえで大喜びだ。

 お前は一体何をやっているのだ、早崎くん。これでは、こっそりと張り込んでいる意味がない。

 わたしは早崎くんの考え無しの行動に怒れるあまり、ぞうさん滑り台から飛び出しかけた。

 五百円返せと、セコくも叫ぼうとしたその時だ。


「あら」

 涼やかな声がして、見知った顔が公園の入り口に現れた。

 黒のタートルネックに、メジロによく似た深緑のダウンジャケット姿。相も変わらず切り過ぎたような髪は、山田准教授ではないか。

 わたしは慌てて、再度ぞうさんのお尻に張り付いた。

 ご近所なのであろうか? 

 いくら営業先とはいえ、先生方の住所までは知らぬ。肩から鞄をさげ、手にはレジ袋を持っているところを見るとご近所っぽい。


真希まきさんでましまし」

 浮かれた声で叫ぶなり、ましましまっしーが飛んで行く。やっくんと、にーくんも続く。

「今日はご主人に、くっついていないのね」

 可笑しそうに、山田准教授が言う。この場にメジロ共がいるのを、不審がっている様子がない。

 まさか……嫌な予感に、胸がざらりとする。

「先生!」


 早崎くんがメジロ共に遅れて、慌てて素っ飛んで行く。腐っても営業。取引相手の顔は忘れていないようだ。

「山田先生。お久しぶりです」

 早崎くんが、深々と腰をおる。

「お久しぶり。今日は早崎くんがメジロ当番?」

「え? ええ。まあ、その……」

「早崎さんは、吾らにジュースを奢ってくれるで、ましまし」

「あら、良かったじゃない。じゃあ、早崎くんもご一緒しましょう」

 わたしはその言葉に確信を得た。メジロ共と山田准教授は約束をして、今日ここで落ち合っているのだ。


「アンドーさんで、ましまし!」

 まっしーが歓喜の声をあげる。

 アンドーさん。アンドーさんと、やっくんと、にーくんも浮かれ騒ぐ。

 三羽そろって、ちーたか。ちーたか。山田准教授の肩にのり、脚を上げ下げして踊りだす。

 安藤さん? メジロ共はなにを言っているのだ。彼女の名は山田だぞ。にーくんならば知っているはずだ。わたしの疑念を、早崎くんが口にする。

「先生、もしかして姓が変わられたんですか?」

「あら。どうして?」

「だってメジロ達が、魅惑の安藤さんに会っていると、さんざん事務所で吹聴ふいちょうしていたんです。安藤さんって、先生なんでしょう?」

 そんな。いつの間に結婚していたんだ。

 わたしはぞうさんのお尻に隠れ、うなだれた。


 決して、死ぬ程恋いこがれていたわけではない。告白する予定もなかった。はなから諦めていた女性だ。だからと言って、ショックを受けないわけではない。

 幼稚園児時代からの、失恋回数を指折り数える。

 うつうつと下がっていく気分を、「違うわよ」山田准教授の、呆れた声が破った。わたしはその一言に、がばと頭をあげた。


「安藤さんは、わたしじゃない」

「なんだ、てっきり」

「安藤さんじゃないわ。安納あんのうよ」

「あんのう?」

「ええ。安納いも」

 そう言って。山田准教授は手にしていたレジ袋から、さつまいもを取り出した。


「つまりメジロちゃん達は、公園で山田先生から焼きイモを、もらっていたってわけ?」

 広瀬さんが、早崎くんに確認している。

 昼休みが終わり。どっと疲れたわたしは、机で冷めたコーヒーをすすっている。冷めたのは、早崎くんのせいでだ。

 早崎くんはわたしをほったらかしにして、メジロ共と山田准教授と、きゃっきゃっとベンチでイモを喰っていたのだ。わたしはぞうさんの陰から、その光景をわびしく見つめた後に、ひとりで帰って来た。

「主任。コーヒーです」

 ご機嫌で後から戻って来た早崎くんから渡された缶コーヒーは、生ぬるくなっていた。


「すっごい美味い焼き芋でした」

 早崎くんは、にこやかに広瀬さんに報告している。

「甘くて、ねっとりとしているんです。サツマイモで作ったお菓子を食べているみたいでした」

「あらあら、そうなの」

 そんなに美味しいのなら、今度皆で食べよう。メジロちゃんにも御馳走だ。と、広瀬さんを中心に皆が盛り上がる。

 わたしは和気あいあいと盛り上がっている皆から距離をとり、生ぬるいコーヒーを一人ですする。

 メジロ共は山田准教授にひっついて、大学まで遊びに行ったらしい。


「ちょうど良いじゃあないか。引き取りに行くついでに、前回の汚名返上だぞ。前迫くん」

 所長がわたしの肩をぽんとたたき、机上に真新しいパンフレットを置いた。

「今度は途中で逃げずに、売ってこい」

 無慈悲な上司命令が、沈んだ心にさらなる打撃をかけるのであった。

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