第7話 おひさまの君で、ましまし
わたしが勤める事務所と、同じ並びにあるH信用金庫とは、ふるい付き合いである。夏の商店街主催の祭りの時は、隣同士で夜店をだす間柄だ。
社の口座があるので、日に一度、経理担当者が預け入れに訪れる。一定金額以上の預け入れの時は、女子社員に男性社員が付き添うのが社内規定だ。
いつもなら早崎くんあたりがするのだが、あいにくその日は有給で不在であった。なのでわたしが、つきあった。この日は広瀬さんではなく、斉藤さんが銀行回りであった。
信金にはいってしまえば、後のやりとりは斉藤さんにお任せだ。わたしは長椅子に座って、作業が終わるのを待つばかり。手持ち無沙汰だからといって、スマホに集中するわけにはいかない。昼休みではないのだ。一応辺りに警戒する必要はある。
午後の信金は、なんだか暇そうな雰囲気が充満していた。
店頭にいるお客さんの数はまばら。壁に貼られた色あせたポスターのなかでは、名も知らぬおんなの子が微笑んでいる。多分新人女優かアイドルなのであろうが分からぬ。近頃のおんなの子の顔は、皆同じにみえてきた。ヤバいと感じているのだが、いかんともしがたい。
おんなの子の見分けはつかぬが、この頃メジロの見分けはついてきた。
今。背広のポケットのなかで、ごぞごぞと動き回っているのは、まっしーだ。
ましまし。ましまし
まっしーは、このH信用金庫のお供が好きらしい。二羽がリラックマタオルのうえでお昼ね中だというのに、ついて来た。
まっしーは今までも、斉藤さんにくっついては度々訪れているらしい。
H信金のカウンターの端には、どういうわけなのか鳥籠がある。
金融機関に鳥籠。
不思議であるが、広瀬さん
わたしは鳥には詳しくないが、このセキセイインコという小鳥は、とにかく派手だ。目に鮮やかなみどり色。頭のうえから顔にかけては黄色。羽は黄色の縁取りのあるくろ模様。長い尾はぴんとして、実に立派なものである。
同じ鳥類でこれだけ差があると、なんだかメジロが地味に見えてしまう。いや。だからといって
とにかく、このど派手なインコにまっしーは夢中らしい。だからといって、声をかけたりはしない。ポケットから顔をだしては、ちらちらと見つめているばかりだ。
「気になるなら見に行けばよいだろう」
カウンターに鳥籠をどうどうと置いてあるのだ。よもや羽毛アレルギーの行員などいないであろう。籠のなかは清潔だし、きっと我が社に劣らず鳥好きが多いとみた。
だが館大の
「インコさんは見ているだけで満足で、ましまし」
「そうなのか?」
「インコさんは眩しすぎるで。ましまし」
はにかんで(あくまでわたしの主観であるが)そんな健気なことまで言う。
ウグイス相手に積極的にでた時は、正直途方にくれた。だがこうも
ポケットのなかで、まっしーがたたらを踏む。
「こけてしまうで、ましまし」
まっしーの抗議の声を聞き流し、わたしはカウンターへと近づいた。
「こんにちは」
わたしの挨拶に、
「ご用件がおありでしたら、番号札をお願いします」
営業スマイルで、カウンターに並ぶ三名の女子社員が微笑む。わたしは素早く名札を確認する。
二十代とおぼしき女子が二名。髪のながい藤原さんと、ショートカットの永井さん。残る一人だけが、おんなの子からちょっとだけ離れたご婦人だが、コワくてそんな事は口にはできない。
しかし彼女ーー西本さんがこの三名のうちで、主導権を握っているのは間違いない。祭りの時の仕切り具合からも明白だ。
「いえ、違うんです」
わたしも負けず劣らず、営業スマイルで応える。狙いは西本さんだ。
「ちょっとインコを、見せていただいてよろしいでしょうか」
「え? ええ。どうぞ」
母親に連れられて来た子どもならいざ知らず。アラサー男がインコ見たさに頼んでいる。思わず鉄壁の笑顔がちらと崩れたが、そこはベテラン。西本さんは、すぐにも元の笑顔をつくる。
「ありがとうございます」
わたしはインコの籠に顔を近づけた。
「インコがお好きなんですか?」
ショートヘアの永井さんが尋ねてくる。
「ええ。好きです」
なにせインコは日本語を話しはしまい。メジロにくらべたら、楽勝もんだ。
「わたしも飼っているものですから」
「まあ、インコを?」
「いえいえ」
そう言って、ポケットから、そっとまっしーを取り出して見せる。
途端女子行員三名の顔から営業スマイルが消える。現れるのは、素の満面の微笑み。
「まあ」
「あら」
「可愛い!」
それみた事か。自分を信じろ。
お前は一瞬で、ご婦人方を
わたしはまっしーを、カウンターへと置いた。突然のわたしの行動に、まっしーは、しばしキョトンとした顔をしていたが、そこは愛嬌が売りの奴である。
「お邪魔しますで、ましまし」
頭をちょこんとさげて挨拶をした。
「いやあ、可愛い!」
「しゃべったあああ」
「きゃあああ」
カウンターが一気に盛り上がる。奥にいる年配の男性行員が、「しっ」と軽くたしなめる。
「すみません」
素早く二十代コンビが背後へ頭をさげる。西本さんはスルーである。
さあ。まっしー。ここまで来たのだ。男なら腹をくくれ。そう思って、まっしーの背を軽く押した。緊張しながらも、まっしーが鳥籠に近づく。
編み目越しに、インコとご対面だ。
インコは籠に取り付けてある餌箱にとまり、まっしーをじっと見る。見慣れぬであろうメジロの出現に、インコは不思議そうに小首をかしげる。その様が可愛いぞ、インコ。
「いい匂いで、ましまし!」
籠にぐっと近づくと、感に堪えたようにまっしーが呟いた。
「いい匂い?」
何の事だろう? はてと思うわたしへ、信金レディース三人組みの藤原さんが、「ココちゃんの匂いですね。きっと」そう言った。
「ココちゃん。この子の名前ですか?」
「ええ。そうです」藤原さんが頷く。
「インコはうしろ頭から、匂いをだしているんですよ」
「なんと!」とましまし。
「へえ……」とわたし。
どれどれと、わたしも顔を近づける。うん、確かに。こうなんというか、香ばしさにも似た匂いがするような。しないような。
「ふんふん。ふんふん」
マッシーはもう大興奮だ。籠にがばっと掴まる。インコが驚いたように、一瞬羽を広げた。
「ふんふんふん。これは! アーモンドクッキーの匂いでましまし」
言いながら、黒目を縮めた顔がコワいぞ。お前。おまけに妙に鼻息が荒いのも。なんだその……変態チックだ。
「ふんふん。そして、おひさまの匂いでましまし! ふんふん。ましまし。ふんふん。ましまし」
「おい」
慌ててわたしはまっしーを、籠から離そうと両手で包んだ。
なのにまっしーは、がっしりと爪先で籠に張り付いたまま動こうとしない。意地でも離れない。さっきまでの恥じらいを、お前はどこに置いてきた!? わたしは心中でそう叫んだ。
「……その小鳥、大丈夫?」
西川さんが怪訝そうに聞く。
ああ。はい。大丈夫じゃないけど、大丈夫です。
「いやあ。ホント。うちのメジロ、なんか喜んじゃって。あはははは」
手に力をこめる。
離れない。
左右に振ってみる。
離れない。
それどころか、まっしーは網越しに、ココちゃんに向かってぐいぐいと顔を押し付け始める。
「ましまし。ましまし。いい匂いでましまし。可愛いでましまし。ココさんは美人さんでましまし」
終いには興奮して早口で話しだす。
信金レディースが一斉にひく。
「お待たせしました。あら。どうしたんですか?」
この混沌の場に現れた斉藤さんが、わたしには救いの女神に見えた。
「あ、終わったんですか?」
「はい」
「おい、まっしー。終わった。帰るぞ。帰る」
「いやでましまし。ここの子になりたいで、ましまし」
まっしーは頭をぶんぶん振り回す。
お前。いつもご主人と共にいきますとか、言ってるじゃあないか。そんな口先メジロだったのか。がっかりだよ。
「あら、ましましちゃん。ココちゃんとお友達になりたいのねえ」
斉藤さんが、善意の固まりのような暢気な声をだす。
いえ、斉藤さん。今のこいつにそんな純粋な気持ちはありません。まっしーが胸にひめているのは、友情を飛び越えた恋情です。
籠のなかのココちゃんも、若干引き気味だ。どこか迷惑そうな顔に見えるのは、気のせいであろうか。いや、きっとそうに違いない。自分よりかなりチビすけのオスメジロが迫っているのだ。そりゃあひく。ひきまくりだ。ココちゃんにも選択の自由があるのだ。
「この子。インコになりたいんですか?」
永井さんが
「ははは。どうなんでしょうねえーー」
わたしは乾いた笑いを浮かべた。
「インコは集団生活をする鳥だけど、流石にメジロは仲間だと思わないんじゃない」
西川さんが、まともにきりかえす。
「そりゃあそうだけど。でもココちゃん、藤原さんは仲間だと思っているじゃあない」
永井さんが果敢にも反論する。
「あら。たしかにそうね」
西川さんがちょっとだけ、
「そうなんですか?」
わたしは好奇心にかられて永井さんへ尋ねてみた。
この頃の鳥類はそうなのか? 皆がみな。そろって人間と同格だと、主張するのであろうか?
「セキセイインコは元々集団行動をする
「きゅうあい?」
わたしは永井さんの回答に思わず素っ頓狂な声をだした。
奥から又もや「しいいい」とたしなめる声がする。まずい。あの人確か課長さんだ。わたしは無言で頭をさげた。
「インコって人間にプロポーズするんですか?」
声をひそめて聞く。
「やだ、プロポーズだなんて」
永井さんと藤原さんが、きゃっきゃと笑い合う。
見てくださいね。そう言うと藤原さんはココちゃんの籠の入り口の留め金を外した。まっしーも思わず動きを止める。
藤原さんは右手を籠に差し入れた。待ってましたと言わんばかりの早さで、ココちゃんが手に乗る。俗にいう手のりインコだ。
まっしーはナニが起こるのだと言わんばかりに、ココちゃんをじいっと凝視する。
やがて藤原さんの
スイング。スイング。スイング。
恐ろしい勢いで上下に動かす。そうしながら黒目をすうっとすぼめる。なんだかまっしー並みにコワイ顔だぞ。ココちゃん。
ココちゃんはぐちゅぐちゅと寄生を発しながら、
なんと言って良いのやら。できれば……感想は控えたい。
一方の見守る信金レディースの眼差しは生暖かい。
イヤがっているようには見えない。
それはそうであろう。イヤなら積極的に手を差し入れないはずだ。しかしわたしだったら
わたしはチラとまっしーを横目で確認した。まっしーは呆気にとられて、お口がぽかんと開いている。。
「ココさんは。ココさんは」
「どうした? まっしー」
「ココさんはもしかして……オスさんで、ましまし!?」
「そうよ」
「インコは鼻の頭の色で、雌雄がはっきり分かるんです。青はオス。茶がメス。ココちゃんはおとこの子です」
「……オス」
まっしーが力なく呟く。
籠のなかで、ココちゃんは勘違いメジロを
「スキスキ。スキスキ」
ココちゃんの片言日本語に、藤原さんがあまい声で「はいはい」と応える。
まっしーが、ずささと籠からすべり落ちる。実に無様な格好のまっしーを、華麗にスルーするココちゃん。頭の中は藤原さんでいっぱいなのであろう。
「スキスキ。ダイスキ。テイキモヨロシク。フユノボーナス。マッテ。マーース」
ちゃっかり定期貯金の宣伝までしながら、ココちゃんは夢中で藤原さんの指先を甘噛みしだす。
わたしはすっかり伸び切っているまっしーを回収してココちゃんの愛の巣から、ほうほうの
強く生きろ。まっしー。
そして雌雄はきっちり見極めてから、恋をしろ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます