第8話 ぎくしゃくメジローずで、ましまし(1)


 曇天模様どんてんもようの冬空を背景に、つい先日まで世間は赤とみどりの配色であった。

 スーパーに行けば、繰り返し聴かされる浮かれた歌。お惣菜コーナーをのぞけば、いつもより割高の刺身盛りだの、オードブルだの、焼いた鶏の脚の数々。

 そう。季節はクリスマスであった。

 恋人も夫婦もチビっ子も浮かれるクリスマス。だがわたしにとってここ数年のクリスマス行事など、ないも同然。

 割高なクリスマス飯を食べるくらいならば、カレーうどんでもすすっている方が余程マシだ。美味いし、安い。

 しかし世の中には一人であっても、きちんと世間のイベントに適応しているやからもいる。身近でいえば、早崎くんである。


 浮かれクリスマスが終わって、出社した昼休みであった。

「クリぼっち用の、お一人さまケーキ美味かったです」

 早崎くんはそう言うと、スマホに保存している写真を、得意げにわたしへ見せた。

 そこには上品なピンクのクリームをまとった、三角錐さんかくすいのケーキが写っている。


「栗なのに桃色なのか?」

 わたしの指摘に早崎くんが、「やだなあ。主任」と、シニカルに笑った。

 早崎くんのくせに生意気な笑みである。

マロンじゃなくて、クリスマスに一人ぼっちで過ごすの、クリぼっちです。ボクや主任を指す言葉です」

 ますますもって、生意気だ。少なくともわたしは一人ではなかったぞ! 

 扶養家族が三羽もいるんだ。断じてそれを一人とは言わん。


「美味しそう! ベリーのケーキですか?」

 横からスマホを覗き込んだ斉藤さんが、可愛らしい歓声をあげる。肩にはにーくんメジロが乗っている。なんだか顔が寂しげだ。ケーキの画像を見るも無言。いつものかしましさが、まるでない。

「ほらほら、見てください」

 早崎くんは、ぐいぐいわたし達へ画像を見せつける。

 ケーキの天辺には苺。まわりはベリー各種。

 それらが、やたらファンシーな花柄の皿にでんと乗っている。ケーキの周りには、しろい粉雪を意識した粉砂糖と、フルーツてんこ盛り。隣にはまるいティーポットと、紅茶のつがれたこれまたファンシーなカップ。ご丁寧にもヒイラギ模様の、ランチョンマットまでひいてある。

 まさかこれが、早崎くんの日常ではあるまい。まさか、まさかだ。

 問いただすと、「ケーキ屋で食べました」平然と言う。


「クリスマスに?」

 と、わたし。

「無論です。限定ケーキですから」

「クリスマスに、一人でケーキ屋で?」

「だからそうだって、言っているじゃあないですか」

 早崎くんが不思議そうに言い返す。いや、その堂々たる態度が、わたしにとっては、もはやミステリー。

 なんだってお前は、そんな自虐的行動にでられるんだ。ケーキ屋なんてカップルとファミリーの巣窟なんじゃないか。心が折れないのか? お前はいつ勇者になったのだ。


「いいなあ。どこのお店です?」

 斉藤さんが食いついてくる。目がきらきらしている。

 そうか。若い奴らには普通なのか。これがジェネレーションギャップってやつか。わたしは物寂しさをひっそりと噛み締めた。

「ペシェ・ミニョン。お茶セットで1,080円。これはクリスマス限定のイチゴとベリーのケーキです」

「うわーー。いいなあ」

「普段ならチョコと抹茶味もありますよ」

 そう言って更にタップする早崎くん。出て来る。でてくる。いくらでもスイーツなる画像が続く。

 早崎くんと斉藤さんはふたりで、きゃっきゃと盛り上がる。わたしは置いてけぼりだ。


 早崎くんよ。お前はスイーツ男子であったのだな。

 わたしは初めて早崎くんに驚愕した。わたしにはできない所業だ。1,080円あったら、わたしは迷わず定食を選ぶ。わたしにこの話題で、若い二人と共に盛り上がるのは無理である。

 見切りをつけて立ち去ろう。そう思った時である。

「ちょっと」

 わたしを引き止める者がいた。

 いつの間にいたのか。我々の背後にいるのは広瀬さんだ。彼女はわたしの肩に、手をぐっと置く。本日も目の周りのシャドーに力がはいっている。茶髪のパーマネントも、ぐりんぐりんだ。

 なんだかやたら真剣な眼差しをしている。なんだ。なんだ? まさかくだんのケーキ屋にわたしと共に、行きたいと言うんじゃないだろうな? 

 まさか。イヤです。勘弁してください。

 ケーキ屋に高額を落とす甲斐性も。広瀬さんと差し向かいで、ファンシーなケーキをつつく気力もありません。

 しかしそんな思いは、おくびにも出さず、「なんでしょうか?」

 社会人として全うな対応をした。偉いぞ、わたし。


「ケーキよ。前迫くん!」

 広瀬さんが力強く言う。

 くそ。やはり行きたいんですか? しかし勘弁してください。

「それは是が非でもご主人か、御子息たっ君とお願いします」

 わたしは冷静かつ、丁寧に応えた。だと言うのに、広瀬さんは「はあ?」と怪訝けげんそうな声をだす。

「なに言ってんの? 全然違うわよ。作るのよ! 前迫くん。あなたが、ケーキを作るのよ!!」

「はあああっ?」

 今度はわたしが怪訝な声をだした。


「この頃のメジロちゃんは、メジロちゃんじゃないわっ」

 作戦会議だと称して、わたしを会議室に連れ込んだ広瀬さんは、口角泡こうかくあわを飛ばす勢いでそう切り出した。

「いえ。十分メジロです。スズメにもインコにも見えません」

 わたしの反論に、ばっかじゃない? と言わんばかりの態度で、広瀬さんが睨む。決して被害妄想などではない。よく女性が無言でする目つきだ。

「馬鹿じゃないの」

 ほら、言った。ここで口にしてしまうのが、広瀬さんの広瀬さんたる所以ゆえんだ。

「そんな生物学的な視野で話せって言っているんじゃない。メジロちゃん達がぎくしゃくしているって、言っているの!!」

「あーー。ああ」


 それなら少しだけ、わたしも感じている。

 今だってそうだ。にーくんは斉藤さんの肩にいた。

 やっくんは、靴下へびのぱく君のなかでごろごろしている。

 まっしーは一羽で外出中だ。

「いい? 前迫くん。メジロちゃん達はメジロ押し状態で、ぎゅうぎゅうしてこその、愛くるしさ倍増なのよ」

「そうですかあ?」

 うざったさ倍増の間違いではなかろうか。

「そうよっ」

 広瀬さんが宙高く振りかざした拳を、ぎゅっと握りしめる。

「三羽で仲良くしてこその、メジローずじゃない!!」

「うーーん。けどなあ……」

「いいからっ! 問答無用にそうなのっ」

「あ、ハイ」

 妙齢の女性に、上から目線で激しく主張されると思わず頷いてしまうのは、わたしの悲しき性分だ。


「クリスマスで、少しはまた仲良しになっていると思ったら。全然駄目じゃない。一体ナニやっていたの?」

「……うどん食べて、寝てました」

 ここで胸をはれないのは、矢張りわたしがおっさんだからだろうか。

 早崎くんに負けた気分だ。情けない。

「はあああ? ケーキは? ツリーは? メジロちゃん達へのプレゼントは?」

「えーーっと。あ、プレゼントなら蜜柑! それも豪勢に温州みかんでした」

「……」

 広瀬さんは、いぶかしむ目つきでわたしを凝視する。

 ここで目をそらしたら負けだ。

 猛獣とは目を合わせて、勝負をしなければならないのだぞ、前迫篤。ふんばれ! ふんばるんだ。そしてあくまで下出に。けれどそこはかとなく、自分の正当性を主張するのだ。


「一羽につきなんと! 三個もあげました」

 但し。蜜柑の出どころは大家さんだけど。それを口にする義務はないと、即座に判断する。

「まあ。ないよりはイイけど。それにしたって……」

 ながいため息をつくと、広瀬さんはわたしの両肩にがばと手をかけた。

 そのままぐっと上目遣いでわたしを見つめる。やだ。なにこれ。コワイ。

「いい? 前迫くん。あなたはメジロちゃん達のお父さんなの。そこの覚悟を、きちんと持たなきゃ駄目」

「はあ……」

「思春期の子ども達が、ぎくしゃくしている。ましてやその経緯を、あなたは把握している。だったら、お父さんが率先して行動に移し、家族間のわだかまりを解消する必要がある」

「はあ……」

 面倒だ。思いっきり面倒だ。

 しかも独身でお父さんなんて荷が重い。重すぎる。せめて複数で分担したい。


「ではお母さん役は?」

「あら」

 わたしの一言に、広瀬さんがにっこりと微笑んだ。

「前迫くんがどうしても。って言うなら、わたしがお母さん役でも良いのよ? はりきっちゃうわ」

「いえ。責任もって一人で対処致します」

 背筋を伸ばし、速攻断る。

「分かればいいわ。そこでケーキよ」

 話しは振り出しに戻ったのであった。



 それが五日前。

 そして本日。十二月三十一日。大晦日。

 朝からわたしは台所に立っている。

 朝食はいつも冷やご飯をチンして、納豆かけて食べるだけだというのに、ボールを片手に悪戦苦闘している。天井には広瀬さんと斉藤さんから渡された、金銀のモールがぶら下がっている。これゼッタイ、クリスマス飾りの残りですよね。そう訊きたかったが、無言で借りた。もはや議論する気力もない。

 ここまでお膳立てをされて、ケーキ作りの放棄は許されない。

 本日の成果を除夜の鐘が鳴るまでに、わたしはラインにあげる約束をさせられている。松岡所長をはじめ、皆がみな希望を胸に待っているのだ。


 これと言うのも、全ては君のせいだ。

 わたしは八つ当たりと思いながらも、にっくき敵ののほほんとした顔を脳裏に思い浮かべた。

 全部。ぜんぶ。君のせいだぞ。

 インコのココちゃんっ!

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