第15話 正体はボクっ娘なので、ましまし



 前迫篤。一生の不覚。

 わたしは自分の見る目のなさに、のたうち回っている。

 これではまっしーを笑えない。インコのココちゃんの雌雄間違いどころの騒ぎではない。なにが、やっくんとにーくんの違いなど一目瞭然だ。ぜんっぜん、ダメじゃないかよ。

 突如巣箱にあらわれ、わたしを驚愕きょうがくさせた妻メジロ。

 ちいさな躯に、威厳さえただよわせ。おすまし顔をした妻メジロ。

 なにが見知らぬ子だ。ああ、あの時の記憶を消してしまいたい。

 猫なで声だった。思いっきり、気持ち悪い感じで話しかけていたぞ、わたし。


「ご主人が、わけの分からん事を話しだし、やつがれはびっくり仰天でありました」

 出産後の為か。腹がすいている為か。機嫌の悪い顔つきでそう言うと、「どうぞで、あります」と、にーくんが急いで運んで来た干し柿を、ぶりぶり食べ始める。

 そう、あのおすましメジロこそが、やっくんであった。

 一度は崖のむこう側。いや違った、常世の春に永遠に去っていったと涙を飲んだ。そのやっくんこそが、にーくんの番の相手。愛の唄をささげられ、寝こけていたメジロ。卵を産んだ張本人。その全てだったのだ。


「おまえ、オスなんだろう? そうだよな?」

 頼む雄だと言ってくれ。その卵はさしずめ神秘の力の結晶。神さんからの預かりものだと言ってくれ。そう願い、恐るおそる真実を問いただすわたしへ、

「え?」と、にーくん。

「へ?」と、まっしー。

「ご主人は、阿呆でありますな」と、やっくんは鼻をならした。

やつがれがいつ、オスなどと言ったのでありますか? 物忘れにはちと速すぎませんかな」

「だって、やつがれ。やつがれって……」

 わたしは呆然と呟いた。

「ご主人。やっくんは幼い頃から、ボクっであります」

 そっと、にーくんが耳打ちをする。

「ボクっ娘……」

 女の子で、一人称が「ボク」。それくらいわたしだって知っている。しかし。まさか。メジロがボクっ娘だなんて、誰が想像するっていうんだ。

「じゃあ、年明けに太ったのは」

 わたしの疑問に、

「妊娠のためで、あります」にーくんが冷静に答える。

「じゃあ、やさぐれていたのは」

「出産前で気が立っていたで、あります」

「じゃあ、散々デリケートな時期って言っていたのも」

「ご主人の想像の通りで、あります」

「でも、顔つきだって変わっていたぞ! おすまし顔で可愛かったんだぞ!!」

 わたしのこの発言に、干し柿をむさぼり食べていたやっくんは、にやりと笑う。前言撤回。全然おすましではない。元の憎たらしい、生意気顔だ!

「女性は出産後がもっとも綺麗とは物の道理で、ましまし」

 ちびっ子まっしーにさえ、さとされてしまう。

「じゃあ、じゃあ」

 事実はやっくん→ボクっ娘→メス→卵の産み主→にーくんの妻メジロで決定だ。だが最後のさいご。結果が分かっている負け試合に、わたしはいどんだ。

「糞つまりってのは、何だったんだよっ!? 散々心配したんだぞっ」

「あ〜」

 にーくんが言いよどむ。チラチラと、やっくんを横目で気にしながら、「あれは本当に糞つまりで、あります。メジロは他の鳥類と同じく、うんちも卵も同じ管からでるで、あります。食べ過ぎの便秘の為、卵が出づらくなっての腹痛で、あります」


 わたしはガックリとうなだれた。

 そうか。そうなのか。全てはわたしの勘違いから始まったドタバタ劇だったのだ。そんなわたしに構う事なく、まっしーがテレビのスイッチをつける。こいつは朝ドラのファンなのだ。毎朝会社の会議室のテレビで視聴している。定時に流れてくるおなじみの音を耳にして、わたしは一瞬のうちに跳ね起きた。

 うなだれている場合などではないっ!

 昨日は有給。本日は平日。この音楽が流れるという事は、現在八時。とんでもない大遅刻になるではないかっ!!

 昼に様子を見に戻るから。そう言ってわたしは三羽を残し、愛車ビアンキの鍵を手に、会社へと向かったのであった。


 それが昨日の事だ。

 一夜明け、わたしの心にダメージはまだ傷をうっすらと、残している。

 うなだれるわたしに、「ご主人。はやいとこ立ち直るで、ましまし」慰めてくれるのはまっしーのみ。

 同じすねに傷持つ身だからか。今なら分かるぞ、まっしー。アレだよな。仲の良い友人や、好意を抱いていた人の性別を間違えてしまうという、このなんとも言えないビミョーな失敗。

 事の真相を知った社の人間は、なぐさめる気遣いなどゼロ。ダメージもゼロ。なんたるおめでたい事か、あっぱれと、浮かれるのみだ。

 今も昼休みの会議室に勢ぞろいして、パソコンの前に雁首がんくびを並べている。この状況がさらにわたしの傷心に拍車をかける。その元凶げんきょうは、皆が夢中のパソコンではない。正確にはパソコンの持ち主だ。


「ああっ、動いた! 今、ちょっとだけ動きませんでしたか?」

 と、斎藤さん。

「え? そうか? いかんな見えんかったぞ。眼鏡の度を確かめに行かんと」

 勢い込んで言うのは、松岡所長だ。

「老眼って、遠くが見えづらいんですか? 近くですか?」

 早崎くんは相変わらず場の空気を読まない発言をする。

「黙って! 静かに! 集中して見るのよ」

 ホラ見ろ。広瀬さんに注意されている。しかし、もっとも空気を読んでいないのは、この男だ。

「いやあ、アットホームな会社だね。まえちゃん」

 そう言いながら、会議室の椅子にだらしなく腰かけているのは、丹羽善三だ。


 なんで、お前が我が社の会議室にいるのだ。完全アウェイ。部外者であろう。なのに持参の弁当までひろげている。手作り弁当ではない。スーパーのおいなりさん詰め合わせだ。昨日。今日。善三は昼休みを狙って顔をだす。そして連続おいなりさんを食べている。おまえメジロではなく、キツネ推しなのか?

「どうぞ」

 そう言って斎藤さんがお茶まで淹れる。お新香しんこまでついている。

 そんな気遣い無用ですから。そう言いたいのに、言えない状況。お茶を命じるのは、所長だし。お新香は広瀬さんからの差し入れだからだ。うぐぬぬぬ。わたしはぎりぎり歯ぎしり状態だ。


「あ! ほら、また!!」

「お、今のは見えたぞ!」

 皆が食らいついているのは、善三持参のパソコンだ。そこに映し出される巣箱の中の映像目当てだ。

 この男は持ち主のわたしの許可も得ずに、巣箱に小型定点こがたていてんカメラを設置していた。

 通称USB内視鏡カメラ。善三いわく、水道管の検査などで使っているらしい。もちは餅屋。善三のつなぎ姿は伊達ではなかった。こいつの本業はガチの水道修理屋であった。


「メジロボールだけじゃ食っていけないからさ、爺の爺の代から水道こっちもやってんの」

 などと言い、ちゃっかり社で宣伝チラシまで配っていた。

 そう。善三はやって来た。勝手にやって来ていたのだ。

 わたしの盛大な遅刻の後。昼休みの社に断りも無く、のこのこと現れ、「やっほー!! まえちゃん! Congratulations! たまごちゃんの誕生おめでとう! ぱふぱふぱふ〜」と、ご丁寧にクラッカーまで鳴らしやがったらしい。

 らしいというのは、その時わたしは不在であったからだ。

 約束していた通り、昼休みを利用してメジロ共の様子を見に帰っていた。もし社に残っていたら、速攻善三を確保し、速やかに撤去していた。そうしたら、問題はまだ明るみにならなかったはずだ。

 だが、どんなに悔やんでも過去はかえられない。歴史に、もしもはない。

 社に戻ったわたしが目にしたのは、得意げに巣箱の映像を社員全員に見せている善三の姿であった。


「いやあ、君がメジロボール制作の父なんだな。君とは一度じっくりと話してみたかったんだ」

 はっはっはと高笑いをしながら、所長は善三の肩を叩いていた。その手には「丹羽水道サービス」のチラシもすでにある。ダメだ、この人。陥落かんらく済みだ。わたしが敗北を悟った瞬間であった。


 画面のなかではやっくんが、もっふんと座りこんでいる。その尻の下には三個の卵があるはずだ。皆は見えたみえたと大騒ぎだが、ほぼ見えていない。幻だ。集団幻覚みたいなものだ。見えるとしたら、にーくんが交代する時に一瞬見えるくらいだ。なのにこの熱狂。これで産まれたら恐ろしくてたまらない。なのに…… 

 わたしは、そっと席を立った。

「あれ? まえちゃん、便所?」

 箸を使いながら、目ざとく善三が聞く。こいつはわたしが移動すると、便所の発想しかないのか。

「……館大に顔だす時間だ」

「前迫くん、昼休みが終わってからで良いんだぞ」

 所長が言う。視線は画面に釘付けになったままだ。

「いえ、移動時間があるんで、今のうちに行ってきます」

 わたしは背を丸め、ひとり会議室を出た。背後では歓声があがっている。チラと振り返ると。巣箱のなかに、にーくんが蜜柑を持って現れている。やっくんのおやつだろう。

 こんなに可愛いのに。もうすぐ見られなくなっちゃうのね。広瀬さんの呟きが、わたしの胸をふさぐ。

 わたしはまっしーを肩に外へ出た。


「ご主人。大丈夫で、ましまし?」

 まっしーが、気づかってくれる。こいつは卵が産まれてから、なんだかすっかりお兄ちゃんになった。

「ああ。大丈夫だ」

 そうとも。

 わたしだって負けられない。決断をするんだ、前迫篤。大人になれ。くだらんブロークンハートなど、今この瞬間に忘却の彼方に投げ捨ててしまうのだ。わたしは決意のこぶしを握った。



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