第14話 君にさえずる愛の唄で、ましまし



 メジロ共が我が家に来るまで、わたしは友人知人宅のペット自慢を、話半分で聞いていた。

 いわく。我が家の××ちゃんはこちらの言う事を理解している。

 いわく。我が家の◯◯ちゃんは我が子同然。意思の疎通ができている。果てはどこからどう見ても同じにしか見えない、金魚やら、十姉妹じゅうしまつやらの個体区別がつくと言われても、こちらにすれば眉つば話。もうそれ動物生態学者なみの観察眼か、単なる思い込みだろう。そう思っていた。

 しかし違った。

 今なら自分の視野のせまさを認められる。

 他人から見たらほぼ同じ顔。ほぼ同じおおきさのやっくんとにーくんの区別など朝飯前だ。野性のメジロとぎゅうぎゅうに並んでも、メジローずの見分けができる自信がある。

 だからこそ、わたしは固まった。

 ここにいる。妙におすまし顔のメジロはうちの子じゃない。君は一体どこの子だ。そして肝心要かんじんかなめのやっくんはどこに行ったというのだ。どうかわたしに教えてくれ。


「え、え〜と。きみ。話しはできるのかな?」

 端から見たら、痛い図だ。分かっている。

 幼児ならばセーフ。幼さを残した小学生から、メルヘン女子高生までなら、なんとか容認できるであろう。場合によっては、可愛らしいのかもしれない。が、いかんせんアラサーのおっさんだ。

 顔はまだ洗ってないし、無精髭はそのまま。小鳥さんに話しかけて許される人種ではない。だが事は急を要する。やっくんの行方を追わねばならない。わたしの恥など、遠く銀河の彼方に投げ捨ててやる。


「ここはわたしの家で、わたしは前迫篤と言う。この巣箱はやっくんメジロが使っていたんだ。わたしの言っている事が分かるかい?」

 メジロは無言。それどころか、かなりシビアな目つきで睨まれている気がする。小鳥のそういう機微が分かってしまう自分が恨めしい。それにしても、なんというか雰囲気のあるメジロだ。凛々しいというか。小さきながらも、威厳いげんさえ感じるたたずまいだ。


「困ったなあ。え〜とねえ、」

 わたしはドリトル先生じゃない。メジロボールのメジロ以外とはコンタクトのとりようがないのだ。どうすればいい? そう思った時だ。狭い室内に、突然美声が響き渡った。

 音源は見ずとも分かる。音痴枠のまっしーの可能性はゼロ。にーくんに決まっている。

 果たしてにーくんは短い足をこれでもかっ、と精一杯伸ばし、テーブルの上で囀っている。その足元には、仰ぎ見るように見上げるまっしー。

 なんだ、バカだなわたしも。ここに対メジロ適任者がいたではないか。しかし囀りを中断させるには、忍びない迫力が今のにーくんにはある。

 神々しいばかりの鳴き声は、夢路の囀りと似て非なるものであった。いん々と響く歌は甘ささえ含んでいるようだ。さすがはメジロ。マニアの間で歌会が開かれていただけある。うっとりする。心が洗われるような美声ではないか。

 ……しかし。長くないか? 

 わたしは少しれてきた。一体いつまで歌い続けるのだ。まさかプッチーニのオペラでも歌っているわけじゃないよな、お前。

 わたしが貧乏ゆすりをしていると、まっしーがそっとやって来た。

「しっ! で、ましまし」

 まるで行儀の悪い子供をたしなめる母親みたいな仕草で、注意された。

「あれはにーくんの愛の唄で、ましまし」

 なんと!

 そういう事か。ならば合点がてんがいく。

 あのおすましメジロは、にーくんのつがいの相手なのだろう。久しぶりに会う、妻メジロへの愛の囀り。確かに邪魔をすべきではない。くだんのおすましメジロを横目で確認すると、目を閉じ聴き入っている様子だ。人間でいえば、さしずめ頬を染めている状態であろう。

 わたしはまっしーに分かったと、無言で頷いた。


 了承はしたものの、歌は終わりがみえない。

 もう、本当にプッチーニやワーグナーであったとしても驚かない。ただし、どちらも名称しか知らない。まっしーは感動に包まれた様に、うっとりと聞き惚れているが、正直わたしは飽きている。元々文化的教養のうすい人間なのだ。

 床にだらーりと寝そべりながら、聞いている振りをする。気分はすっかりリラックマ。すまんな、にーくん。そして妻メジロ。粗忽そこつな男なんだ。

 飽きてくると、心配になってくるのはやっくんだ。居たはずの場所からいなくなり、変わりに現れた妻メジロ。

 謎を握る見知らぬメス。消えたやっくんの謎を追え! 

 まるで推理小説か、崖がでてくる二時間サスペンスだ。消えた男か…… 手品みたいだな。

 この巣箱にメジロをいれます。はい、ご注目。ワン・ツー・スリーで見事、箱のなかのメジロは消え失せます。

 手品だと美女だが、まあそこは関係ない。巣箱と、いうのがミソだったのではないだろうか。あの巣箱になんらかの仕掛けがあって、はいったメジロは……

 そこまで考えて、わたしはガバリと躯を起こした。

 灰色の脳細胞にひらめくものがあるぞ。

 善三は「メジロが消える」と言っていた。

 飼い主と折り合いが悪くなったメジロは、煙のようにドロンすると、奴は言っていた。むろんわたしとメジローずの仲は円満だ。だが病気などのイレギュラーケースも、「消える」要因になるのではなかろうか? メジロが消えた先が常世の春であったならば。わたしはそこまで考えて、呆然と巣箱のおすましメジロを見つめた。

 彼女は消えたやっくんと入れ違いで、常世の春からやって来たのかもしれない。巣箱はきっと、あちらとこちらを結ぶ分岐点的場所なのだ。そうだとしたら、わたしを夜中包み込み、いやしてくれた囀り。あれは常世の春のメジロ達からの、やっくんを呼ぶ歌声だったに違いない。

 だから善三は、治療らしいものをしなかったのだ。あいつはやっくんが消えてしまうのを知っていたのだ。なんたることだ。わたしはこみ上げてくるものを、押さえる為に目頭めがしらをきつく押さえた。

 別れの言葉さえ交わせなかった。なんて不甲斐ふがいない飼い主なんだ。

 にーくんの歌声が胸に染み渡る。愛の歌がわたしの耳には、哀愁あいしゅうをおびた別れの歌として聴こえた。


 次に気がついた時には、まっしーの「ブラボーで、ましまし。素晴らしかったで、ましまし」という黄色い声が聞こえてきた。

 あ、終わったんだな。うっかりやっくん喪失の胸の痛みから、わたしは床で寝てしまっていた。

 座卓の上ではにーくんが羽を広げ、ば・ばーーんといった感じで、聴衆に向かってお辞儀を繰り返している。わたしも慌てて拍手をした。いやはや、終わって良かった。よかった。妻メジロもさぞ感動の嵐だろうと、思いきや。……思いっきり寝てるよ、この子。あれは頬を染めていたのではなかった。最初っから居眠りモードだったのだ。まあ、分からんでもない。長かったもんな、愛の歌。

 にーくんは拍手と歓声のなか、しずしずと妻メジロの元へ行く。

「おはようで、あります」

 そしてキリっとした顔つきで、至極普通の挨拶をした。こういうところが安定のにーくんだ。にーくんに気障きざな台詞や仕草を似合わない。一方妻メジロは、無視。ぐうぐう寝ている。とんだマイペースっ子。

 にーくんは彼女のつれない態度に、動じる素振りもなし。慣れている様だ。くるっとわたしを振り返ると、

「ご主人。おはようで、あります」

「あ、うん。おはよう」

 わたしはなんだが照れくさい。そして恐ろしい。

 これから毎朝愛の歌会だったら、地味に苦痛だ。どうにかして欲しい。


「あのな、やっくんの事なんだが」

 妻メジロは寝ている事だし。まずは気になる事から訊いてみる。

「その、なんだな。大丈夫なんだろうか?」

「もう平気であります」

 にーくんが太鼓判を押す。

 そうか。そうなのか。里帰りをして元気になったのか。神さんの国だもんな。ならば別れの挨拶など、そんな些細ささいな事はどうでも良い。元気にさえなってくれたら、わたしはそれで十分だ。


「そうか。そうなのか」

「そうで、あります。やっくんは食べ過ぎでありましたな。これからは気をつけてやらなければいけないで、あります」

「これから? これからが、まだあるのか?」

 希望の光が胸にともる。

「もちろんで、あります」

「もしかして、やっくんとは今後も一緒に、その、暮らすことになるのか?」

「もちろんで、あります」

 やったぞ! 万歳!! わたしは胸の内でガッツポーズだ。

 無論飼い主としての責務にのっとったうえでの喜びだ。生き物を飼ったのならば、最後まできちんと世話をしなければならない。それが大人としての責任だ。可愛いとか、そういう問題ではない。そうとも。いやあ、良かった。よかった。


「なんだ、そうか。なんだよ、チクショウ。悩んで損しちゃったじゃないか。

 しかしアレだな。やっくんはさ、やさぐれているし、怒りっぽいし、デブだし。まったくけしからん奴だよな。でも、まあ最後まで、わたしはきちっと世話はするぞ」

 家族あるあるで、わたしはやっくんをけなしながらも、喜びを噛み締めていた。にーくんは、わたしの言葉に顔を強張こわばらせ、「ご主人!」わたしの言葉にストップをかける。

「ダメです、ご主人。やっくんはデリケートな時期であります。しーです。ご主人」

「デリケート? あいつが? まさか!!」

 はっはっは。わたしは高笑いをあげた。するといつ目が覚めていたのだろう。巣箱の妻メジロがむくっと顔をあげる。

「あ!」と、わたしは叫び。

「ああ〜」と、にーくんは動揺した。

 そこは感動の再会だろ? 変な奴だな。そう思っていると、妻メジロがわたしを睨む。

「うるさいっで、あります!!」

 おすまし顔はどこへやら。声は苛立ち、迫力さえある。いや、その前に……しゃべっている!! 話せるのか、妻メジロ。

「疲れているのに、歌は長い。ご飯はない。水もないっ!! この待遇の悪さはなんで、ありますか!?」

 そしてすくっと、立ち上がる。

「ああっ!?」と、わたしは叫び。

「あ、」と、にーくんは素っ飛んで行った。

 妻メジロの足元にあるのは、まごうこと無き卵ではないか! え? なに、それ。いつのまに卵なんて産んでるの? にーくんよ、お前はもう父親なのか? 

 わたしの頭はもうパニック寸前であった。これ以上の混乱はない。ありえない。そう思っていたのに。事実はさらなる混乱を、わたしへ突き付けた。


「気をつけなければ卵がひえひえになってしまうで、あります」

 うろたえるにーくんに、妻メジロは言い放った。

「交代で、あります。やつがれは、お腹ペコペコで、ありますっ!!」


 

 

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