第13話 出張お医者さんサービスで、ましまし(2)
善三がしたことは部屋にはいるなり、「タオル用意して。汚れても良いやつ」と、それっぽく言い。その後寝かせただけだった。
もう一度言おう。多少説明を追加しよう。
部屋にはいる。タオルを用意させる。送りつけて来た巣箱を勝手に開く。タオルをひいて、やっくんを巣箱に寝かせる。以上。
善三の行動を、正座して見守っていたわたしは、
感動の「地上の星」は遠い彼方に消えていった。
「はいはい。ゆっくり寝るんだぞ」
善三はわたしのブリザード並みに冷ややかな目つきに気がつきもせずに、巣箱の蓋を閉める。タオルの上で丸まっているやっくんの後ろ姿が、ちらとわたしの視界をかすめた。ひとりぼっちで、かすかに震えている。
これで良いのか? 良いわけがあるまい。
「おい、巣箱に寝かせるだけか?」
わたしは立ち上がると、善三に詰めよった。
「そだよ」
「巣箱は暫定的に我が家にあるだけだ。返却するかもだったんだぞ」
腹をくくって使うしかないとは思っていたが、この男に真実を告げる気にはなれない。
「え〜ケチケチ言うなって。また必要になったら売るだけあるんだ、売ってやる」
金とるんかよ。と思ったものの、違うチガウ。巣箱うんぬんはこの際何の問題もない。やっくんを休ませるのは理にかなっている。そこに文句はないのだ。
わたしが言いたいのは寝かせる前に、
なのに善三は、「ほい。終了」と宣言すると、糸目はそのままで口元には全開の笑みを浮かべた。それは一仕事終えたぜ! と言わんばかりの笑顔であった。わたしは完全完璧に裏切られた気分であった。
「……これで終わりなのか?」
「そだよ」
同じセリフを繰り返し、他にナニか? という顔つきだ。
「本当に? これで終わり? あとは何もないのか?」
「だから、そうだって。ところでまえちゃん、わりと部屋綺麗にしてるね。ここ築何年?」と、興味は既にやっくんから離れ、部屋をぐるりと見渡しながら訊く。
「終わりって事はないだろう。薬とか。せめてマッサージとか。そういう
本当ならば善三の襟ぐりを掴み、がしがしと揺らしながら、大声で問いつめたかった。しかしにーくんとまっしーの目がある。二羽は不安そうに、ぺっとりとくっつき合って、
「あっ!」善三が手を打ち鳴らした。「忘れてたわ!」
だろう。これで終わりは酷すぎる。
「なるべく暗くてあったかい方が良いから、巣箱の上からバスタオルかけといて」そうのたまった。
メジローずの就寝タイムに、バスタオルなんて基本中の基本だ。いつだってかけとるわいっ。
「ほかにはっ!?」
「他あ〜? なんかあるかなあ?」
そう言って、腕組みをして斜め上を、ぽやんと眺める。その様子に腹がたつ。わたしの苛立がこいつには全く伝わらない。早崎くん以上の、ぽややん男なのかもしれない。ああ、イライラする。
「善さん。マッサージはしないでありますか? 吾らチビの時、うんちがでないと、マッサージがあったであります」
にーくんが箪笥から飛んできて、わたしと善三の間にはいる。その気遣いの姿に、うっかり涙がにじみそうになる。
空気を読む能力は、善三<早崎くん<<<<<にーくんだ。間違いなく、にーくんの一人勝ちだ。
「マッサージかあ……うん、大丈夫。大学でやったし」
確かにしていたな。時間にして、わずか五分たらずだが。
「だったら。わたしが……」
そう言うと、「だめ」善三が、そっこうで却下をだす。
「トーシローがして、内臓傷つけたらどーすんの。ダメ、絶対」
偉そうに言う。
「確かにわたしは素人だ。だが、このまま手をこまねいてなどいられない。わたしができる事はないのか?」
「ない」
自信満々で、善三は即答する。
わたしは肩をおとした。
善三だったらやっくんを、すぐにも治してくれるんじゃないかと期待した。なのに、この有様だ。ほい終わりで、納得できるわけがない。
どうする。一か八かで、やっくんを診てくれそうな獣医を探しに行くか。
どうする。なにが最適な選択だ?
「ご主人」
右肩から声がかかった。混乱しているわたしに向かって、にーくんが言う。
「ここは善さんを信じるで、あります」
その声はいつものにーくんと比べたら、わずかばかり弱々しかった。けれど、しっかりとした意思を感じさせる力があった。
「不安は吾も同じで、あります。しかしメジローずを善さん以上に理解している人間は、おそらくいないであります」
「……ああ」
分かっている。
初対面の獣医が、善三以上に頼りになる可能性が低いのは予想できる。それでもまだ迷いを払いのけられないわたしに、
「ホント。大丈夫だから」
善三が、わたしの肩をぽんっと叩いた。
「前迫さんは便秘だって分かった時、なんだそんな事かって思ったでしょう。そのスタンスで今は良いから」
「けど、お前が死ぬって言ったんだぞ!」
善三に責任はないが、わたしは不安から声を荒げてしまった。
「それは可能性として、告げなくちゃまずいから言ったんだ。
なんだ便秘だからって思って、ちょっと体調が戻ったらどうする? お腹が空いたってねだられたら、食いもんあげちゃうんじゃないの? そんな事したら助かるもんも助からなくなるよ。だから最悪を俺は告げたんだ」
「……」
言い返せない。
そもそもダイエットしろと言いながら、食べ物を与えていたのは飼い主のわたしだ。わたしがもっときちんと管理すべきだったのだ。善三は悪くない。反省すべきはわたしだ。
「まあさ。うちのメジロは強いから、そんなネガティブにならないでよ。それに俺の言葉は死ぬってだけじゃない。前迫さん忘れちまったの? 俺は言ったよ、こいつらは神さんだって。神さんだったら強い。そうだろ?」
神さまが便秘になるのかよ。バカ! もうちょい上手い慰めを言えよ。だが気持ちは伝わってくる。
「とにかくでるもん出るまで、絶食させる事。欲しがったら水だけはOK。ただし少しずつ。そして静かで暗い環境においてやる事。それで明日には好転している。大丈夫」
「……そうなのか?」
「うん」
善三がおおきく頷いた。
「俺を信用できないのは前迫さんの勝手だけど、今無茶をして獣医に連れて行っても、多分同じ対処法しか言われない。かえって移動でダメージを受けるだけだ」
「……わかった」
「うん。それともうひとつ。病気のやっくんを心配するのは仕方ないけど、こっちの肩に止まるはずの家族も心配してあげな」
「え?」
善三の手はわたしの左肩にある。右にはにーくんだ。そう言えば、もう一羽の姿がない。
わたしは部屋の中を見回した。帰って来た時の状態のままで、まっしーは箪笥の上にぽつねんといた。うつむいている姿は、さみしげだった。そうだ。こいつはまだ、若鳥なんだ。多分凄く不安になっている。けれど動揺し苛立っているわたしに対して我慢していたんだろう。
「すまん、まっしー。おいで」
まっしーに手を伸ばす。うつむいた顔をあげると、まっしーはすんすん泣いていた。
「まっしーは怖いで、ましまし」
「大丈夫だ。善三が診てくれた。大丈夫」
今はそう言ってやるしかない。わたしは腹をくくった。
「やっくんは治るで、ましまし?」
「明日にはけろりだぞ、きっと」
わたしがそう言うと、やっとまっしーは手に乗って来た。重さをほとんど感じないちいささを改めて実感した。やっくんも同じだ。にーくんもだ。このちいささで、こいつらはしっかりと生きている。
「やっくんは強いメジロで、ましまし」
まっしーの言葉に、「そうだ。そうだな」わたしは頷いた。
善三を100%信じきれていない。
それは自分の知識と経験不足のせいもある。だからこそ与えられた情報のなかで、今できる事をしなければならない。
大人のわたしが、しっかりしなければならない。いたずらに混乱していれば、巣箱のなかで苦しんでいるやっくんにも良い影響は与えないだろう。
「暗くする、静かにする。安静にさせて、絶食させる。水分は欲しがったら少しずつ。これだけで良いか?」
わたしは善三に向き合うと、再確認をした。
「うん」
「水分をやる時は
「それなら、スポイトが車にあるからやるよ」
「わかった。できる事をする」
「バッチリ」
善三がブイサインをかかげる。
「頑張れ、まえちゃん」
玄関先で善三は、「まいど」と言いながら、診察代三千円と出張代二千円。しめて五千円を請求した。
この料金が相場なのか、高いのか全く分からない。給料日前には痛手であるが、やっくんの命がかかっているのだ。値切るのは
わたしが金を渡すと、善三は車からとって来た袋を差し出した。
「スポイトにしてはでかいな。なんだ?」
開けてみると、スポイトの他にもうひとつ入っている
「まえちゃんに、秘密グッズの進呈」
「秘密グッズ?」
その語感に一抹の期待をわたしは抱いた。
最後のさいご。実はやっくん対策の、あっと驚くグッズでもあるのかもしれない。それ故に自信をもって大丈夫を連呼していたのかもしれない。そうか。こいつは、もったいつけていたのだな。
わたしはソレを取り出した。メジロボール程の大きさの球体が三ヶ繋がっている。色は緑ではなく、しぶい茶色だ。一見して団子だ。串にささった団子のおもちゃみたいなものだ。
目にした段階で一気に期待値は駄々下がり。最低値更新だ。
「ナニコレ?」
台詞が棒になるのは、わたしのせいではない。
「じゃーん! なにを隠そう。羽鳥組限定の新作試供品!!」
善三は場の空気も考えずに、自らぱふぱふ叫び、両手を打ち鳴らした。はっきり言って、うざい。
「その名も、みたらしすずめ団子!! もちろんすずめは、まだ入っていないけど。どうよ、コレ?」
すっげえ自慢げな口調が、最高に腹立たしい。躯の横で握った
「いやあ、メジロボールは基本一ヶに二羽でさ。これはどの組みも代々同じなんだよね。でもさ、まえちゃんとこのメジローず三羽を目にして、ひらめいちゃって。三羽ってのもイケルんじゃね? これ団子にして作ったら可愛くね? みたいな……」
わたしはしゃべり続ける善三を力ずくで追い出し、奴の鼻先でドアを閉めてやった。
礼儀にかなっていない事は重々承知である。しかし一応は世話になった人間だ。殴りたくはない。暴力よりは非礼の方がいくぶんマシである。
閉じたドアの向こうからは、「おーーい。まえちゃん! あっれー。どうしちゃったの?」という善三の叫びが聴こえたが、きっと空耳だ。わたしはこれからやっくんを見守らなければならない。両手で耳を塞ぎ、ドアを背にした。
にーくんと、まっしーがじっとこちらを見つめている。
「善さんが、残念で」にーくんが呟く。
「ごめんで、ましまし」まっしーがぺこりと頭をさげる。
おまえ達のせいじゃないさ。
今晩は我々で、やっくんの看病だ。わたしは巣箱に意識を集中させ、ドアの向こうの雑音を、速攻忘れる事にした。
その夜。
わたしは細切れの夢を観ては、暗闇のなか起きた。
巣箱からは時おり唸り声が聞こえてくる。その度に、心臓のあたりをぎゅっと掴まれるような気持ちになった。
夜半になってから、やっとまっしーは寝ついたが、にーくんとは夜中に何度か目が合った。にーくんも熟睡できない様だった。
夢のなかで、わたしは鳥の
わたしの不安を
朝。
淡いひかりのなかで目覚めた時、にーくんとまっしーは静かに眠っていた。わたしはひとりで、ぽかりと天井を見上げた。巣箱の中はしんとしている。唸る声は聞こえてこない。
現実の朝日のなかにあっても、夢路の鳥の歌声は余韻として残っていた。昨日はあんなにも苛立、不安であったというのに、わたしは至極たいらな気持ちで起きだした。
きっと大丈夫。今なら善三の言葉に素直に頷ける。充足感に満たされたわたしは、迷わずに巣箱の戸を開けた。
タオルのうえにちんまりと座る、メジロの後ろ姿があった。
もうどこも震えていない。躯も不自然に丸めていない。まるで幸せの象徴のような。ちいさな、綺麗な姿をしたメジロだった。
「やっくん。元気になったか?」
わたしはひそめた声で、尋ねた。
すると、ちいさな頭を心持ち傾けて、くりんと振り返る。
深緑の躯。きいろい喉元。黒目のまわりの白い円。いつもと同じ姿。健康になった姿だった。
だというのに、わたしはなんとも言えない違和感を覚えた。
目の前の状況が情報として脳に繋がり、真相を理解するのにややしばらく時間がかかった。その間も、まっくろい
「だれだ?」
そう口にした途端。わたしを満たしていたはずの、囀りの充足感がすでに消え去っていたのを感じた。
「ピっピピ」
メジロが短く鳴く。
そこにいるのは、やっくんではなかった。
同じ色。同じ顔つき。けれど見知らぬ一羽のメジロであった。
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