第13話 出張お医者さんサービスで、ましまし(1)



 やたら長く感じるコールの末に、「はいはい」と、覇気のない声があがる。瞬間わたしは叫んだ。

「来てくれ! いますぐ、来てくれ!! 大変だ。急患だ。とにかく来てくれっ!!」

 わたしの慌てふためく声に、「え? 誰、あんた。うちは110番でも111番でもないんだけど」と、電話の主はトンチンカンな事を言う。

 お前は阿呆か。それを言うなら、110番でも119番でもだろうが。

 腹を痛がるやっくん急変の事態に、すぐさま電話した先は丹羽善三だ。わたしは善三の発言に頭の血管が切れそうになりながらも、

「前迫篤だ。今、館大たてだいの東棟。農学部前のキャンパスに居る」

 そう言った。

「なんだ、まえちゃんか」

 善三がふざけた愛称でわたしを呼ぶ。

 いい年をした男のちゃんづけ。寒気がする。一体いつからそんな呼び名になったのだ。わたしは認めないぞ! だが今は善三の気色悪さよりも、やっくん急変だ。

「とにかく来てくれ。腹痛だ」

「館大だったら、すぐちかくに内科があるぞ。えーと、なんて言ったっけ」

「ちがうっ!!」

 わたしは怒鳴った。

「わたしが腹痛で、なんで電話するんだ。腹痛はやっくんだ」

「あ〜」

 善三が間延びした声をあげた。

「とにかく、頼む。すぐ頼む」

 なにやらぐずる善三をおがみ倒すし、なんとか承諾を取り付けた。よし営業力が役にたった。後は待つばかりだ。

 獣医について、永井さんに尋ねていたのが実を結ぶ。

 永井さんいわく、小鳥を診てくれる獣医はごくまれであるらしい。鳥の専門医という者もいるにはいるが、わたしの住む地区にはいない。だとしたら最もメジロに精通している善三こそが適任のはずだ。過去にこういったケースはゼッタイあるはずだ。

 速く。一刻も速く来てくれ。わたしは祈る思いで善三の到着を待った。


 現れた善三は「水道修理の丹羽サービス」と胸にプリントされたつなぎ姿。片手には工具箱を持っている。そして緊迫感ゼロの、のほほんとした顔をしている。

「どーもおぉ。丹羽水道サービスただ今到着です」

 そう言いながら、つばの短い帽子をとって一礼する。

「誰?」

 山田准教授がそっとわたしに耳打ちする。声に戸惑とまどいがにじんでいる。そりゃあそうだ。やって来たのは、どこからどう見ても水道修理の兄ちゃん。

 一体全体お前は、なにしてんだよ。しかしこらえる。とにかく今はやっくんだ。善三にやっくんを診てもらうしかないんだ。

「……メジロの、……エキスパートの人。たぶん」

 わたしは口ごもりながらも、山田准教授に説明する。

「あ、どうも。羽鳥組。メジロエキスパートの丹羽善三です。なになに、まえちゃん。平日にキャンパスデートなの?」

 わたしと山田准教授を交互に見ながら、善三が軽口をたたく。

 まったく。どういつもこいつも頭のなかは春なのか。

「取引先の山田准教授だ、失礼なことを言わないでくれ」

 わたしは善三をたしなめた。当然の行為である。

「あ〜。こりゃ失礼しました」

 善三は悪びれもせずに言うと、「では、ちょい失礼」

 山田准教授の手の中から、やっくんを受け取る。

 やっくんは丸まったまま、時々目を開けては、うなっている。


「善さん……」

 にーくんが心配そうに善三の右肩に乗る。

「治して欲しいで、ましまし」

 まっしーが左肩に乗る。

「うん。まず診てみるな」

 メジロ相手には至極真面目に言いながら、やっくんを仰向けにして、腹を人差し指でさすりだした。


「しっかし。すっげえころっころになったなあ、お前。食い過ぎじゃないか、これ」

 何度か腹を押したり、さすってから善三が言った。

「え?」

 わたしは驚いて声をあげた。

「食い過ぎ? 食い過ぎでの腹痛なのか?」

「まあ、ざっくり言って、食い過ぎの結果のふんつまり的な?」

「それって便秘か? 鳥も便秘になるのか?」

「ああ、なる」

「なんだ……便秘か」

 どっと緊張の糸が切れ、わたしはベンチに腰をおろした。山田准教授もながい息を吐いた。

「便秘でも、下手したら死ぬけどな」

 安堵あんどしたのもつかの間。善三がしゃらりと凄い事を告げる。

「死ぬ!? 便秘でか?」

 驚愕きょうがくの事実に目をむいた。

「そう」

 善三が頷く。

「糞が自力ででないと、喰えなくなる。喰えないまま、いつまでたっても痛みはおさまらない。そんでもって体力が落ちて死んじまう。なんせ躯がちいさいから、急激に悪くなってお陀仏だぶつだ」

 善三の無慈悲な説明に、

「やっくん!」

「死んではダメで、ましまし」

 にーくんとまっしーは、はや涙声だ。

「ど、どうすればいい?」

 落ちついてなどいられない。わたしはがばりとベンチから立ち上がった。そのまま、役立たずの熊のごとく右往左往する。

「俺にまかせろ」

 そんなわたしに、力強く善三が言う。

 善三の右手にはやっくん。そして左で己の胸を叩く。その瞬間。わたしは善三の背後に、後光を見た思いであった。手を合わせたい心境であった。

 さすがはエキスパート! プロフェッショナル! 

 なんて頼りになるんだ。糸目のうさんくさい男などと、さげすんでいたわたしを許してくれ。

 君は立派なメジロボール制作者だ。職人のかがみだ。ああ、中島みゆきの「地上の星」が脳内を流れていく。わたしは感動の思いで冬の空を仰ぎみた。


「おだいじに」そう言う山田准教授の声を背に、わたし達はあたふたと善三が路上駐車している車に乗り込んだ。車にはでかでかと、「丹羽水道サービス」と書かれている。

「まえちゃん、仕事は? いいの?」

 運転席に乗り込みながら善三が訊く。

「今日は有給だ」

 わたしはやっくんを手に。にーくんと、まっしーをポケットにいれて、後部座席に乗り込んだ。足元に積み重なる工具類が邪魔で仕方ないが、言及げんきゅうしない。今は善三様さまだ。

「せっかくの休みに取引先? なに、まえちゃんって仕事大好き人間なわけ? それとも、ぼっち? あ、わかった。さっきの彼女狙いでしょ」

「わたしの事はどうでも良いから、早く」

「はいはい」

 善三が車をだす。このまま羽鳥組。すなわち丹羽家に行くのかと思いきや、「で、まえちゃんの家どこ? この近所?」と訊く。

「なんでだ?」

「近かったら、まえちゃん家に行くから」

 当たり前だろうと、言わんばかりの口調だ。

「近いっちゃあ、ちかいけど。でも、診察とか治療とかどうするんだ?」

「あ、まかせて。まえちゃんとこで、全然OK」

「本当か?」

「ホント。ホント」

 その軽い言い草と、今までの会話の流れにイヤな予感が顔をだす。先ほどまで朗々と流れていた「地上の星」は鼻歌程度の音声にさがった。しかし。今この男を信用せずに、いつ誰を信用するというのだ…… 

 手の中のやっくんと、善三の後頭部を交互に見つめる。

 やっくんが薄目を開ける。

「ご主人……」

 弱々しい声をだす。

「なんだ? 痛いか?」

「ごめんで、あります。うそついたから、ばちがあたったでありますか……」

「ナニ、言ってんだ」

 わたしはやっくんのちいさな、まるい頭をそっと親指で撫でた。

「あんなたわいない嘘なんて、嘘にはいるもんか。どこの家族にでもある、おちゃらけだ」

 わたしがそう言うと、「なら良かったであります」そう言いながらも、毛をぶわっと膨らませ、辛そうに目を瞑る。

「おーい? どうすんの。羽鳥組行くわけ? 時間かかるとツライのは、メジロだよ」

 善三が急かす。わたしは腹を決めた。この男に、今はかけるしかないのだ。住所を告げた。

「おっけえ」

 善三がハンドルをきる。車はスピードをあげ、わたしのアパートへと進路をとった。


 

 


 

 


 

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