第8話 ぎくしゃくメジローずで、ましまし(3)
風が冷たい。頬にも。ハンドルを握る掌にも冷たい。
ちょっとそこまで。そう思って来たので、きちんと支度をしなかったのが、まずかったのかもしれない。だが
上着の右ポケットにやっくん。
左に、まっしー。
にーくんはネックウォーマーの内側で、わたしの首にぴとりとくっついている。分散された熱が、温かいにもかかわらず、どこか寂しく感じるくらいには、こいつ等と一緒にいる。
得体の知れぬメジロだ。そもそも鳥類なのかも定かではない。普通の鳥類ならば、しゃべったりしない。
それでもひとつ屋根の下で暮らしてきた。世話をした。
だからこんなにも、このぎくしゃくした状態が
指定された公園へ着くと、こちらへ向かって手を振る男女がいる。
微妙に開いた距離が彼らがカップルではないと、無言で伝えてくる。
「待たせて悪い」
わたしは彼らに向かって右手をあげた。
ジーンズに、よく見知った黄色のダッフルコートは早崎くんだ。
隣に立つショートコートに白のニット帽子は斉藤さん。なんというか、こうして私服で休日に会うと、改めてかわいいと思う。
無論わたしは早崎くんに、その手の好意は持ち合わせていない。斉藤さんにも右に同じ。ただただ。二人の未熟でいながら、
「主任遅いです。五分の遅刻です。いつもボクには時間厳守って、言っているじゃあないですかっ」
早崎くんが、口を尖らせぶうぶう言う。
前言撤回。上司になんたる生意気な。矢張りお前は可愛くない。
「早崎くんで、あります」
声を聞きつけ。右からやっくんが顔をだす。
「まさかのデートでありますか? ヒューヒューでありますな」
にーくんが目を輝かせて問いただす。
「いやあ……」
照れる早崎くん。だが、
「ぜんぜん」
バッサリ切る斉藤さん。早崎くんの肩がやや落ちる。ざまあみろ。
「ましましちゃんは?」
「……ここで、ましまし」
斉藤さんの問いかけに、まっしーがやっと顔をだす。
「こんにちは」
斉藤さんは膝に手をあて、中腰の姿勢をとる。
そうして、まっしーの目の高さと同じになる。
「こんにちはで、ましまし。今日は斉藤さんと遊ぶので、ましまし?」
「さあ、どうかなあ?」
斉藤さんが意味ありげにふふっと笑う。
メジロ三羽が一斉に首を右に傾げて「?」のポーズをとる。
仲違いをしていても、こういう動作は癖なのか、見事な連携である。
「それはそうと、主任。できましたか?」
斉藤さんが心配そうに、わたしへ尋ねる。
そうすると中腰なので、自然上目遣いになる。広瀬さんの上目遣いとは、別の意味で心拍数があがる。いや、恋情ではない。これは男としての自然の法則である。
「一応できたと思うんだが」
わたしは持って来た紙袋からタッパーを取り出し、斉藤さんへ差し出した。斉藤さんが蓋を開けて確認する。早崎くんがひょいと覗きこむ。
「うへえ……これホントに美味いんですか? ビミョーな色具合っすよ」
早崎くんよ。上司のお手製に難癖つけるのはよしておこう。そう思うが、無言で通す。なにせ作ったわたしも同じ意見だ。
「広瀬さんのレシピ通りなんですよね?」
斉藤さんが尋ねる。
「ああ」
分量は測っていないけど。そこのところは
だいたい計量カップや、計量スプーンの類いを持っている独身男なんて、どれだけいるんだ? 決してわたしだけが度外れたアバウトではないはずだ。
「じゃあ、イケると思います。広瀬さんのお友達が毎冬作っては、お庭で餌付けしているらしいですから」
「世の中変わった趣味もあるもんすね」
早崎くんがぼそりと言う。
いや。ソレお前が言うかよ。男のお一人さまケーキ屋も、かなりニッチな趣味だと思うぞ。さらに上を行くのは、斉藤さんだけど。
しかしソレ等には触れない。基本、ひと様に迷惑をかけない限り、わたしは個人の趣味嗜好に難癖をつけるつもりはない。
「では行きますか。こっちです」
道案内をしてくれる斉藤さんの後ろから、わたしは愛車を押してついて行く。
メジロ共は首を傾げたままである。
斉藤さんに案内されたのは、住宅街の一軒家であった。
三角屋根が可愛らしい洋風二階建て。門柱脇には小さなピンクの薔薇が枝を伸ばし、その根元には真っ白い小ぶりの花と、パンジーが植えられている。なんというか、やや少女趣味な感じでだ。
インターフォンを、斉藤さんはためらいなく押す。すぐにも軽やかな女性の声が聞こえ、わたし達は玄関まで進んだ。
ドアを開けて出て来たのは、若いーー斉藤さんと同年代の女性であった。
「ミサちゃん、年の瀬にごめんね」
斉藤さんが気安く声をかける。
「ううん、大丈夫。あ、いらっしゃいませ」
そう言って頭を下げる女性に、左ポケットから顔を覗かせていたまっしーが息を飲む。
「ココさんとこの……」
流石はまっしー。
相手が女性だとバツグンの記憶力だ。そう彼女は、信金レディース三人組の一人。ショートカットの永井さんだ。
わたしと早崎くんは、玄関前で職業病的なかっちりお辞儀をして、永井家の居間へと通された。
少女趣味は、居間も同様であった。
花柄のカーテン。花柄のソファーカバー。もこもこの、うすピンクのスリッパ。ここの家の
と、思ったのも束の間。意外にわたしの早計だったかもしれないと悔いた。それというのも、だされた紅茶カップに、早崎くんが
「ウエッジウッドのワイルドストロベリーだ」
「あら、凄い」
永井さんが感動したように、ぱんと両の手を胸の前で合わせる。
「詳しいんですね。男性でシリーズ名まで知っている方って珍しい」
「えへへ。好きなんです」
照れたように、早崎くんが後頭部を掻く。
「実は結婚したら、茶器セットはワイルドストロベリーで揃えるのが、夢なんす」
そう言って。まっ赤な苺と、白とピンクの花柄カップを手に、早崎くんは爽やかに微笑む
「……」
このラブリーな食器を、お前が揃えるのか?
わたしは思わず絶句した。
驚いた。先日のお一人様ケーキより驚いた。いや。そう考えるとケーキは伏線であったのだな、早崎くん。
「紅茶は……レディグレイですか?」
紅茶を一口含むと、そう訊くではないか。
「凄い。すごい」
永井さんはもう大喜びだ。
ナニソレ? わたしも飲んでみたが、紅茶は紅茶の味しかしない。酒ではないのだ、味の違いなどさっぱり分からん。
紅茶といえば、投入する砂糖とレモンとミルクの違いしか分からんぞ。大体お前。わたしと一緒の時は喜んで缶コーヒーを飲んでいるじゃないかっ。ボクお紅茶が好きなんですなんて話し、入社以来聞いた事ないぞ。
「そんなに美味しいんで、ありますか?」
謎の爽やか男と化した早崎くんに、にーくんが興味津々で尋ねる。
今メジロ共は、真っ白のサイドテーブルを覆う薔薇の刺繍をほどこしたテーブルクロスの上にいる。
薔薇にメジロ。なんというか。正直桜や梅ほどには、しっくりこない。やっくんと、にーくんはかしこまって大人しいが、まっしーは落ち着かなく歩き回っては辺りを見回している。
「熱いから飲めないわよ」
斉藤さんが言う。
「まっしーは午後ティーが好きで、ましまし」
まっしーがすかさず会話にはいる。
「あら、そうなの? けれど市販のジュースは糖分が多いから飲み過ぎたらダメよ」
「ご主人はちょっとしか、くれないでましまし」
「変わりに蜜柑を絞って、蜜柑ジュースを毎朝作ってくれるで、あります」
にーくんが言う。
「へえ? 主任マメですね」
早崎くんがのにやけ顔が癇に障る。
なんだ、その小馬鹿にしたような笑みはっ!
「もらいものの蜜柑が、ごっそりあるんだよ」
「はいはい。分かりました。わかりましたから、むきにならないで下さいよ」
くそ。何だよ、その生暖かい目つきは。
わたしは決してマメな男じゃないぞ。いい加減で、ずぼらなんだ。
これ以上勝手に、わたしという人物像を
「永井さん。そろそろ……」
わたしの言葉に、
「あ! はい。そうでした」
永井さんが、ソファーからぴょこんと立ち上がった。
我が社の斉藤さんと永井さんが意気投合したのは、地元商店街協賛の夏祭りの事であったらしい。
我が社は焼きそばの屋台。お隣のかき氷の屋台がH信用金庫さんであった。
女子はコミュニケーションスキルが総じて高い。それでなくとも、お
わたしは知らない。焼きそばを作るのだけで、精一杯だったのだ。決して仲間はずれだったわけではない。
「そこで互いに趣味がかぶっているのに、気がついて、盛り上がっちゃたんですよね」
永井さんが嬉しそうに言う。
我らはぞろぞろと一列になって、居間から別室へと向かっている。
メジロ共も一緒だ。わたしの肩と頭に乗っている。
「ミサちゃんが行く川に、わたしもちょくちょく行っているのが分かって、嬉しくなって」
斎藤さんが言う。
「砂金掘りっすか?」
早崎くんが食いついてくる。そう言えば、こいつは儲かるのか気にしていたな。
「砂金はわたし。ミサちゃんは川で写真」
「写真? 川のっすか?」
早崎くんが訊く。
「いいえ。我が家はこれです」
そう言って、永井さんがドアを開けた。
途端。なんとも
さらに生き物の糞と、食物。それに生物そのものが発する濃厚な匂いが、誤摩化しようのないものとして漂ってくる。
「おおっ!」
「これは!」
「ましまし!」
三羽が一斉に、わたしの肩から。頭の上から部屋を覗きこむ。
六畳程の洋室は、鳥籠だらけであった。
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