第8話 ぎくしゃくメジローずで、ましまし(3)


 愛車ロードバイクのビアンキで、師走の街を走り抜ける。

 風が冷たい。頬にも。ハンドルを握る掌にも冷たい。

 ちょっとそこまで。そう思って来たので、きちんと支度をしなかったのが、まずかったのかもしれない。だがかまうものか。なにせ天然カイロ、メジロつきだ。


 上着の右ポケットにやっくん。

 左に、まっしー。

 にーくんはネックウォーマーの内側で、わたしの首にぴとりとくっついている。分散された熱が、温かいにもかかわらず、どこか寂しく感じるくらいには、こいつ等と一緒にいる。

 得体の知れぬメジロだ。そもそも鳥類なのかも定かではない。普通の鳥類ならば、しゃべったりしない。

 それでもひとつ屋根の下で暮らしてきた。世話をした。

 だからこんなにも、このぎくしゃくした状態が歯痒はがゆいのかもしれない。


 指定された公園へ着くと、こちらへ向かって手を振る男女がいる。

 微妙に開いた距離が彼らがカップルではないと、無言で伝えてくる。

「待たせて悪い」

 わたしは彼らに向かって右手をあげた。

 ジーンズに、よく見知った黄色のダッフルコートは早崎くんだ。

 隣に立つショートコートに白のニット帽子は斉藤さん。なんというか、こうして私服で休日に会うと、改めてかわいいと思う。

 無論わたしは早崎くんに、その手の好意は持ち合わせていない。斉藤さんにも右に同じ。ただただ。二人の未熟でいながら、たくましい若さが眩しく、かわいく思えるだけだ。


「主任遅いです。五分の遅刻です。いつもボクには時間厳守って、言っているじゃあないですかっ」

 早崎くんが、口を尖らせぶうぶう言う。

 前言撤回。上司になんたる生意気な。矢張りお前は可愛くない。


「早崎くんで、あります」

 声を聞きつけ。右からやっくんが顔をだす。

「まさかのデートでありますか? ヒューヒューでありますな」

 にーくんが目を輝かせて問いただす。

「いやあ……」

 照れる早崎くん。だが、

「ぜんぜん」

 バッサリ切る斉藤さん。早崎くんの肩がやや落ちる。ざまあみろ。

「ましましちゃんは?」

「……ここで、ましまし」

 斉藤さんの問いかけに、まっしーがやっと顔をだす。

「こんにちは」

 斉藤さんは膝に手をあて、中腰の姿勢をとる。

 そうして、まっしーの目の高さと同じになる。

「こんにちはで、ましまし。今日は斉藤さんと遊ぶので、ましまし?」

「さあ、どうかなあ?」

 斉藤さんが意味ありげにふふっと笑う。

 メジロ三羽が一斉に首を右に傾げて「?」のポーズをとる。

 仲違いをしていても、こういう動作は癖なのか、見事な連携である。


「それはそうと、主任。できましたか?」

 斉藤さんが心配そうに、わたしへ尋ねる。

 そうすると中腰なので、自然上目遣いになる。広瀬さんの上目遣いとは、別の意味で心拍数があがる。いや、恋情ではない。これは男としての自然の法則である。

「一応できたと思うんだが」

 わたしは持って来た紙袋からタッパーを取り出し、斉藤さんへ差し出した。斉藤さんが蓋を開けて確認する。早崎くんがひょいと覗きこむ。

「うへえ……これホントに美味いんですか? ビミョーな色具合っすよ」

 早崎くんよ。上司のお手製に難癖つけるのはよしておこう。そう思うが、無言で通す。なにせ作ったわたしも同じ意見だ。

「広瀬さんのレシピ通りなんですよね?」

 斉藤さんが尋ねる。

「ああ」

 分量は測っていないけど。そこのところはせておく。

 だいたい計量カップや、計量スプーンの類いを持っている独身男なんて、どれだけいるんだ? 決してわたしだけが度外れたアバウトではないはずだ。

「じゃあ、イケると思います。広瀬さんのお友達が毎冬作っては、お庭で餌付けしているらしいですから」

「世の中変わった趣味もあるもんすね」

 早崎くんがぼそりと言う。


 いや。ソレお前が言うかよ。男のお一人さまケーキ屋も、かなりニッチな趣味だと思うぞ。さらに上を行くのは、斉藤さんだけど。

 しかしソレ等には触れない。基本、ひと様に迷惑をかけない限り、わたしは個人の趣味嗜好に難癖をつけるつもりはない。

「では行きますか。こっちです」

 道案内をしてくれる斉藤さんの後ろから、わたしは愛車を押してついて行く。

 メジロ共は首を傾げたままである。


 斉藤さんに案内されたのは、住宅街の一軒家であった。

 三角屋根が可愛らしい洋風二階建て。門柱脇には小さなピンクの薔薇が枝を伸ばし、その根元には真っ白い小ぶりの花と、パンジーが植えられている。なんというか、やや少女趣味な感じでだ。

 インターフォンを、斉藤さんはためらいなく押す。すぐにも軽やかな女性の声が聞こえ、わたし達は玄関まで進んだ。

 ドアを開けて出て来たのは、若いーー斉藤さんと同年代の女性であった。

「ミサちゃん、年の瀬にごめんね」

 斉藤さんが気安く声をかける。

「ううん、大丈夫。あ、いらっしゃいませ」

 そう言って頭を下げる女性に、左ポケットから顔を覗かせていたまっしーが息を飲む。

「ココさんとこの……」

 流石はまっしー。

 相手が女性だとバツグンの記憶力だ。そう彼女は、信金レディース三人組の一人。ショートカットの永井さんだ。

 わたしと早崎くんは、玄関前で職業病的なかっちりお辞儀をして、永井家の居間へと通された。



 少女趣味は、居間も同様であった。

 花柄のカーテン。花柄のソファーカバー。もこもこの、うすピンクのスリッパ。ここの家の旦那あるじはよくぞ我慢しているものだ。男として大いに同情する。

 と、思ったのも束の間。意外にわたしの早計だったかもしれないと悔いた。それというのも、だされた紅茶カップに、早崎くんがはずんだ声をあげたのだ。


「ウエッジウッドのワイルドストロベリーだ」

「あら、凄い」

 永井さんが感動したように、ぱんと両の手を胸の前で合わせる。

「詳しいんですね。男性でシリーズ名まで知っている方って珍しい」

「えへへ。好きなんです」

 照れたように、早崎くんが後頭部を掻く。

「実は結婚したら、茶器セットはワイルドストロベリーで揃えるのが、夢なんす」

 そう言って。まっ赤な苺と、白とピンクの花柄カップを手に、早崎くんは爽やかに微笑む


「……」

 このラブリーな食器を、お前が揃えるのか? 

 わたしは思わず絶句した。

 驚いた。先日のお一人様ケーキより驚いた。いや。そう考えるとケーキは伏線であったのだな、早崎くん。あなどれない奴である。しかし更なる問題発言を口にする。


「紅茶は……レディグレイですか?」

 紅茶を一口含むと、そう訊くではないか。

「凄い。すごい」

 永井さんはもう大喜びだ。

 ナニソレ? わたしも飲んでみたが、紅茶は紅茶の味しかしない。酒ではないのだ、味の違いなどさっぱり分からん。

 紅茶といえば、投入する砂糖とレモンとミルクの違いしか分からんぞ。大体お前。わたしと一緒の時は喜んで缶コーヒーを飲んでいるじゃないかっ。ボクお紅茶が好きなんですなんて話し、入社以来聞いた事ないぞ。

「そんなに美味しいんで、ありますか?」

 謎の爽やか男と化した早崎くんに、にーくんが興味津々で尋ねる。


 今メジロ共は、真っ白のサイドテーブルを覆う薔薇の刺繍をほどこしたテーブルクロスの上にいる。

 薔薇にメジロ。なんというか。正直桜や梅ほどには、しっくりこない。やっくんと、にーくんはかしこまって大人しいが、まっしーは落ち着かなく歩き回っては辺りを見回している。

「熱いから飲めないわよ」

 斉藤さんが言う。

「まっしーは午後ティーが好きで、ましまし」

 まっしーがすかさず会話にはいる。

「あら、そうなの? けれど市販のジュースは糖分が多いから飲み過ぎたらダメよ」

「ご主人はちょっとしか、くれないでましまし」

「変わりに蜜柑を絞って、蜜柑ジュースを毎朝作ってくれるで、あります」

 にーくんが言う。

「へえ? 主任マメですね」

 早崎くんがのにやけ顔が癇に障る。

 なんだ、その小馬鹿にしたような笑みはっ!

「もらいものの蜜柑が、ごっそりあるんだよ」

「はいはい。分かりました。わかりましたから、むきにならないで下さいよ」


 くそ。何だよ、その生暖かい目つきは。

 わたしは決してマメな男じゃないぞ。いい加減で、ずぼらなんだ。かびさせるのがイヤで、蜜柑を消費しているだけだ。断じてメジロ共の健康を気にしているとかではない。

 これ以上勝手に、わたしという人物像を歪曲わいきょくされてはたまらない。さっさと永井家訪問の目的を果たすべきである。

「永井さん。そろそろ……」

 わたしの言葉に、

「あ! はい。そうでした」

 永井さんが、ソファーからぴょこんと立ち上がった。


 我が社の斉藤さんと永井さんが意気投合したのは、地元商店街協賛の夏祭りの事であったらしい。

 我が社は焼きそばの屋台。お隣のかき氷の屋台がH信用金庫さんであった。

 女子はコミュニケーションスキルが総じて高い。それでなくとも、おつぼね広瀬さんと、信金レディース西本さんは、長年に渡る顔見知り。若手も自然と手が空いた時には、おしゃべりに興じたらしい。

 わたしは知らない。焼きそばを作るのだけで、精一杯だったのだ。決して仲間はずれだったわけではない。

「そこで互いに趣味がかぶっているのに、気がついて、盛り上がっちゃたんですよね」

 永井さんが嬉しそうに言う。


 我らはぞろぞろと一列になって、居間から別室へと向かっている。

 メジロ共も一緒だ。わたしの肩と頭に乗っている。

「ミサちゃんが行く川に、わたしもちょくちょく行っているのが分かって、嬉しくなって」

 斎藤さんが言う。

「砂金掘りっすか?」

 早崎くんが食いついてくる。そう言えば、こいつは儲かるのか気にしていたな。

「砂金はわたし。ミサちゃんは川で写真」

「写真? 川のっすか?」

 早崎くんが訊く。

「いいえ。我が家はこれです」

 そう言って、永井さんがドアを開けた。

 途端。なんともにぎやかな鳴き声が、我々のいる廊下へと響き渡る。

 さらに生き物の糞と、食物。それに生物そのものが発する濃厚な匂いが、誤摩化しようのないものとして漂ってくる。


「おおっ!」

「これは!」

「ましまし!」

 三羽が一斉に、わたしの肩から。頭の上から部屋を覗きこむ。

 六畳程の洋室は、鳥籠だらけであった。




 


 

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