第2話 ぱく君とぬっくぬくで、ましまし


 メジロ共は鳥だというのに、揃いも揃ってねぼすけである。怠惰たいだである。

 仕事で疲れている時など、眠りこけている姿を見るとイライラしてくる。カトリック教の七つの大罪、神の怒りの炎によって燃やされろ。焼きトリになっちまえと内心願う。


「れっきとした鳥ならば、早朝から電線に止まり、ちちちと鳴くのが本来の姿であろう」

 わたしがそう言っても、暖簾に腕押し。しろい円に囲まれた目を細め、小馬鹿にしたように短い舌を打ち鳴らす。そうだ。こいつ等は鳥のくせして、舌打ちまで一丁前にする。


「なんと時代遅れの石頭でありますことか」

「こう言った男が、世の女性たちの地位向上の妨げとなるのでありましょうな」

「全く、嘆かわしいこと、このうえなしでましまし」


 いっぱしに、良い事を言っているつもりなのであろう。だがあにはからんや。その姿は怠惰そのものだ。

 奴らは三羽そろって、リラックマタオルのうえに鎮座する謎の物体の腹の中で、べろーーんと伸びきっている。

 だらしがない。全くもって、だらしがない。


 わたしの机のうえには、籐籠がある。でかくて、正直邪魔だ。

 四角い籐籠は、一昨日突如出現したものだ。出現といっても、天から降ってきたわけではない。そこまでわたしの周りはミステリーゾーンではない。

 籐籠は経理の広瀬さんが、近所の幼稚園バザーで購入したものだという。底にスポーツタオルを二重にひき、そのうえにリラックマタオルが重ねられ、三本の膨らんだハイソックスが長く伸びている。三足ではない。三本である。

 右から黒にピンクのライン。黄色に水色の水玉。赤と青のしましま。

 派手なハイソックスはどれも新品ではない。適度にくたびれている。

 口の部分はだらりとゴムが伸び、しかも爪先には目玉までついている。さらに爪先からかかとまで、ぱっくり切り離されている。穴が空いているわけではない。切った部分はカラフルなフェルトで蓋がされ、同じくフェルトで作られたながい舌が伸びている。


「……これ、蛇ですか?」

 籐籠が持ち込まれた朝。しましまハイソックスを摘みながらのわたしの質問に、広瀬さんが頷いた。

「息子のね、幼稚園の時に作った靴下人形よ」

 広瀬さんは愛おしそうに、そのうちのひとつ。黒地にぴんくのラインの物を右手にはめた。広瀬さんの逞しい右腕にはめられて、ハイソックスの口の部分がみよーーんと伸びる。


「ぱく君って名前をつけて、たっ君と遊んだの。ああ、懐かしい!」

 ぱく君が改造ハイソックスの名称であり、たっ君が広瀬さんの大学生の息子さんであろう。それくらいは容易に想像がつく。それにしても。たっ君が仮に二十歳。幼稚園時代が五歳だとしたら、靴下人形は、ゆうに十五年はたっている。なんという物持ちの良さであろうか。わたしは妙に感心してしまった。

「しかし何でそんな大切な思いでの品を、わたしに?」

 そうだ。広瀬さんはこれら籠と靴下人形のセットを、どうぞと朝一番で持って来たのだ。内心、何の嫌がらせかと思った。アラサー独身男がユーモラスな顔つきをした、蛇の靴下人形などもらって嬉しいものか。この人、頭がどうかしちゃったのではなかろうか。

「やだ、前迫くんにあげるわけじゃあないわ。メジロちゃん達へのプレゼントよ」

 その言葉にそれまでわたしの左右の肩で丸まっていた、メジロボールのメジロ三羽がはっと顔をあげた。


「我々にプレゼントですと?」

「なんという僥倖ぎょうこう!」

「嬉しいで、ましまし」


 なんだよ、僥倖って。どんだけ大袈裟なメジロなんだ。わたしは横目で睨んでみたが、メジロ共はいっかな気にする素振りもなく、籐籠へと舞い降りる。

「ほら、タオルをひいているから、ふかふかよ」


「おお、これは!」

「ふっかふかであります」

「ふかふかのぬくぬくで、ましまし」


 三羽は重ねられているタオルのうえで、ごろんごろんともんどり打つ。その姿に、広瀬さんがうっとりと目を細める。

 タオルの柄のリラックマが、広瀬さんの趣味であるか否か。聞きたいような、聞きたくないような……。わたしは無難に後者を選択した。


「ほら、メジちゃん達。ここにも入ってみなさい」

 広瀬さんが靴下の口をおおきく開ける。いわば蛇の顔の反対側。尻の部分だ。三羽は興味深々という感じで、今まさに開かれた蛇の深淵を覗き込む。


「これは、なんでありますか?」

「いいから、いいから。ね? ちょっと一人だけでも入ってごらんなさい」

 広瀬さん。メジロは一羽であって、一人ではありません。ツッコミたいが、良い子で口をつぐんだ。


 わたしは正規社員で主任。広瀬さんは年上だが契約社員だ。

 地位的な事だけならば、断然わたしの方が分が良い。だが逆らわぬに、こした事はない。なぜなら広瀬さんには、元社員の肩書きもあるからだ。通算勤務年数と、事務所での力関係を考えると、彼女が強い。ほとんどラスボス級で強い。


「では、やつがれが」

 一羽が意を決したように、きっと頭をあげる。いつも最初に発言する奴だ。しかし「やつがれ」って何だよ。お前はどこの時代のメジロだよ。

 わたしは又もやツッコミたい一言を飲み込む。

 メジロはおずおずと蛇の開けられた尻へと、はいって行こうとしている。それを見守る広瀬さんの瞳の輝きといったらない。食いつかんばかりで結構コワイ。

 すっとメジロが蛇の穴へ身をいれた。広瀬さんが広げていた指を離す。

 ハイソックスの緩んだ口が閉まる瞬間。メジロの両の黒目が、はっと見開かれ、「はううう」言葉にならぬことばが、尖った嘴からもれた。感に堪えない響きであった。


「これは……」

 開いた目を閉じ、メジロが呟く。

「どうなのでありますか?」

「いかに? いかに?」

 すると残りの二羽が、蛇に躯を絡めとられた一羽の左右で騒ぎだす。

「これは、何ともいえぬ至福! ぬっくぬくであります!」

「おお! ぬっくぬく!」

われも! 吾も!」


 まるで野球少年がヘッドスライディングを決めるがごとく、身を横向きにしたと思いきや、残り二羽は脚先から滑りこんでいく。そして先の一羽のごとく、目をかっ開いたかと思えば、すぐにも閉じる。その顔は微睡まどろみのなかの幸せそのもの。

 メジロ三羽を見守る広瀬さんは、青いシャドウに彩られた目を細め、「まああ! 気に入ってもらえて良かった!」両の掌を、胸の前で組み合わせる。

 一方のわたしは、その様子に死んだ魚のような目になっていた。例え出生がプラスチックのメロンボールであったとしても、腐っても鳥。北風吹く野外を、大空を、飛んでこその鳥ではないのか。それなのに、このだらけきった姿はなんたる事か!

 しかもかなりシュールな絵づらだ。お前等三羽は、舌を伸ばす蛇の尻の方から、顔をだしているんだぞ。見るに堪えられないと思うのは、わたしだけなのか? ……わたしだけなのだろうな。

 いつもは朝一で各自にお茶を淹れてくれる、新人の斉藤さんがいっかな動く気配がない。それを課長もたしなめない。気がつくと、わたしと広瀬さん。横たわるメジロ共を中心に、社の人間は輪になっていた。


「わああ。可愛い!」

「もふもふ〜」

「なんとも癒されますなあ」

 好き勝手な感想を背中で聞き流し、わたしはその輪から戦線離脱をした。

 お茶はたまには自分で淹れよう。そうだ、そうだ。女子社員にお茶汲みを求めるなんて、時代錯誤も甚だしい。昭和じゃないんだ。

 戸口では。今出社して来たばかりの早崎くんが、黄色のダッフルコートを脱いでいる。営業担当でダッフル。しかも黄色。どんな感覚だよと、言いたいはずの台詞も今日はでて来ない。

「あ、主任おはようございます!」

「うん、おはよう……」

「凄い人の輪ですね? 何かあったんすか?」

「蛇の生き餌になっているメジロの鑑賞会だ……」

「ええっ?」

 わたしの言葉に軽くのけぞる早崎くんを残し、わたしは一人。給湯室へと消えたのだった。







 

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