第17話 たまごちゃん見守り隊で、ましまし



 想像以上にハードではあったが、過ぎてしまえば楽しくも充実した日々であった。

 無論アクシデントもあった。心配で気を揉んだ夜もあった。

 けれど広瀬さんいわく「案ずるよりも産むがやすし」であった。誕生してしまえば、無我夢中で世話をした。全身をつかって声をあげる、目の前の命を見捨てるなどできなかった。

 それでも一人では無理だったろう。短時間の作業であっても、それが複数積み重なっていけば、日常生活がまわらなくなる。途中で放り出さないまでも、スルーしてしまう瞬間がでてきたかもしれない。乗り越えられたのは、人と人との繋がりのおかげだった。

 そう。「たまごちゃん見守り隊」は広瀬さん指揮の元、粛々しゅくしゅくと各自の手伝える作業を遂行したのであった。


 卵にヒビははいったのは、善三の予想内。

 産卵から十二日後の事であった。

 わたしと早崎くんは外回り中で、他の皆も各々の仕事中。善三は依頼のあった民家で水漏れの調査をしていた。誰の目にもとまる事なく、雛たちは誕生した。吉報を知ったのは社に戻ってからで、社内はすでに大騒ぎであった。

 すずめよりも、更にちいさなメジロ。

 その雛たちは、これで生き残れるのかと心配になる程、華奢きゃしゃだった。おまけにちっとも可愛らしくない。冷静に観察すればするほど、不細工であった。

 羽毛のない地肌まるだし。ほそく、頼りない躯にそぐわない大きな目玉とくちばし。だというのに、その姿に広瀬さんと斎藤さんは手を叩いて、「きゃあ」「可愛い」「やった」「やった」と嬌声きょうせいをあげている。仕事を終えて駆けつけた永井さんまでいる。バードケーキのお土産つきだ。

「……かわいいですかね、あれ?」

 わたしの耳元で、早崎くんが小声で尋ねる。わたしは画面を見つめたまま、「いや」と頭を振った。

「ですよね」

 早崎くんがうんうんと納得する。

 見ようによっては、雛たちはかなりグロテスクだ。だのに、ああ。こうして、映像を眺めているだけで、こみあげてくるものがある。暖かく、胸を揺るがす衝動がある。

 こんなちっぽけな奴らが、これから餌をねだり、喰い、糞をして、眠り、躯を動かし、でかくなっていくのか。羽毛が生え、メジロらしくなり、空を羽ばたくのか。

「ちょっと」

 わたしは誰にともなく断りをいれると、会議室を出た。そのままドアをくぐり社外へ出る。営業時間の過ぎた外廊下に人気はない。周囲を確認し、わたしはこぶしを握った。

「よしっ! よっしゃあ!!」

 大口の営業をとった時でさえ、味わった事のない感動が、体中を駆け巡っていた。


 雛たちは三羽そろって、ちいさな躯からは考えられないくらいの大喰らいだった。

 名前はない。

 その為、かえってからも、たまごちゃん達と呼んでいた。


 冬の朝は日の出が遅い。

 朝日が辺りをうっすらと照らしだすと、餌を強請ってたまごちゃん達は騒ぎだす。それはもう大騒ぎだ。するとやっくんとにーくんが、我れ先にと巣箱から飛び出してくる。まっしーも手伝う。

「いくで、あります」

「がってんで、ましまし」

 キメ顔で飛び出すが、飛行距離はたかがしれている。

 なにせ狭い我が家。棚のうえに用意している餌箱に向かうだけだ。なのにものすごい使命感を匂わせる様子が可笑しい。わたしはその様を横目に、手早く朝の支度をすると家を出る。

 向かう先は大家さん宅だ。そこで挨拶をしてから、社へ向かうのが日課になった。まだまだ寒い日が続く。留守の間の、もしもの温度管理をお願いする為だ。

 

 餌は「たまごちゃん見守り隊」が、各自の負担にならない様に交互に用意してくれた。女性陣が敬遠した虫に関しては、善三が。変わりに女性陣は、裏ごししたサツマイモやゆで卵の白身で作るねり餌を用意してくれた。蜂蜜や砂糖を練り込んだ各自の味があるらしい。

 虫やねり餌を「ごはんで、あります」「食べるで、あります」

 せっせと、やっくん達が運んでは、雛たちのくちばしへといれていく。その姿をわたし達は、映像越しに確認した。

 目の前で餌やりを眺めたら、その姿はさぞや可愛らしくも健気であったろう。巣箱内が無理なら、せめてやっくん達を目にしたかったはずだ。しかし「たまごちゃん見守り隊」の面々は、日中のアパート内には必要がない限り近づかないでいた。

やつがれらは、特別なメジロであります」

「ご主人や皆さんが居ても平気で、あります」

 やっくんとにーくんは、そう言うものの、事前に善三に注意されていた。


「腐ってもメジロだ。元をただせば外を飛び回っている鳥だ。どこまでペットの小鳥の様に扱って良いのか未知数だ」

「……そうかね」

 一番惜しそうに渋っていたのは、松岡所長であった。

 きっと餌を運ぶ様子をゆっくりと眺めつつ、動画にでも残しておきたかったのだろう。所長を止めたのは、広瀬さんであった。というか、所長を止められるのは広瀬さんしかいない。


「子育て中は人間だって神経質になるんですよ、所長。満足に寝られない、食べられない。掃除だって炊事だってぜんぶ中途半端。イライラがつのって仕方ない。そんな時に何度旦那の無神経な言動で、切れかかった事か! ああ、あの時を思い出すだけで、腹が立つ!

 メジロちゃんだってそうです。不用意に周りをうろちょろされたら、気になって仕方ないはずです。ここは絶対そっとしておいてあげるべきです!」

 広瀬さんの言い分の九割りは、かつての育児の愚痴主張であった。

 メジロ共は寝てるし、たっぷり食べている。しかしここで反論は危険信号だと、全員がすぐさま目配せをした。むろん所長は速攻の手のひら返しで、広瀬さんに賛同した。


「わかった。餌はできるかぎり新鮮なものが良いから、日中に置きに行くのは仕方がない。けれどすべき作業が終わったら、担当者は速やかに退出する事。そしてできるかぎりメジローずだけにしておくんだ」

 ただしそこは古狸だ。

 餌の用意は人任せで、外回りのついでと称して、自分と早崎くんが置きに行く。いえ、あそこ我が家ですから、わたしがしますと申しでたが暖簾のれんに腕押し。

「前迫くんは飼い主として、ただでさえ神経を使っている。こんな瑣末さまつな作業くらい我々に任せたまえ」

 出入りをする回数は、ちゃっかり所長九割。早崎くん一割だった。


 社外からの差し入れもあった。

 冷却遠心機納品の日。山田准教授から「雛ちゃんの食べ物は分からないから。これはやっくん達へ」と、言って、好物の安納芋を渡された。

「前迫くん。顔つきが元に戻っているし、良かったじゃない」

 そう言って微笑む山田准教授に、わたしは赤らんだ。よし。わたしのメンタルも復活だ。

 大家さんはやっくんが好物の干し柿を、温度調整の際にいくつも部屋に吊るしておいてくれた。


 たまごちゃん達は皆に見守られながら、着々と成長して行った。

 丸禿げだった躯に、まばらに羽毛が生えてくる。

 ひょろひょろの躯は、まるっこくなっていく。

 よたよたした脚はしっかりとなり、ふんぬと立つようになってきた。そして三羽で口を大きく開けては、親を呼ぶ。日中のやっくんとにーくんは、まさに暇なしだった。

「でも野鳥のメジロに比べたら、やっくん達の色艶は格段と良いぞ」

 社に顔をだした善三が言う。本日もおいなりさん持参だ。

「そうか?」

「おお。野鳥なら自分の食い扶持くいぶちは、がくっと減るからな。ところがメジローずは食いもんに恵まれている。天敵もいないから、メンタル面も安定している」

 焼き芋から干し柿から蜜柑から。たまごちゃん見守り隊からの貢ぎ物は、確かにわんさかある。やっくんなど一時期はややほっそりしたのが、元の木阿弥もくあみ。自称ぽっちゃりに戻りつつある。

「それ……まずい事あるのか?」

「まずかあナイけど。巣立ちは速い方だろうな」

 善三の台詞に、「じゃあ順調なのね?」「安心だ」「たまごちゃん達、速く巣箱から出てこないかしら」「生たまご拝見だな」と、皆は和気あいあいに話しだす。

 その様子を尻目しりめに、

「そろそろ覚悟しておけよ」

 善三がわたしの背をかろく叩く。

 卵から雛が孵るまでに約半月。孵ってから巣立ちまでが約半月。この一ヶ月ちかくで覚悟はできている。

「わかっている」

 わたしは頷いた。

 皆のおかげでここまできた。やっときたんだ。今さら見苦しくジタバタなどするものか。





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