note.16 チャペルのドラマー
結婚式当日――。
チャペルでの式も終わり、美里の姉・遠海美月は
「私、子どもが好きだから。早く結婚して、早く産みたいと思ってたの」
結婚が決まったと電話をくれたとき、姉はそう言った。22歳での結婚はちょっと早いような気もしたけど、美里は素直に祝福した。姉から「優しい人だよ」と聞いていた保仁さんは、本当におだやかで優しい人だった。
式に続く披露宴も、流れるようにスケジュールをこなしていく。来賓祝辞、電報朗読、友人たちの歌やコントが終わったところで、司会者は新郎新婦のキャンドルサービス開始を告げた。
「キャンドルサービスの間、新郎の勤務先である熱海ジューンリゾートホテルにございますラウンジバー『水無月』で演奏をしておられるバンドの皆さまによる生演奏が行われます。どうぞ、素敵な演奏をお楽しみください」
6人ずつ座れるテーブルが、全部で12台。新郎新婦が行く先々で写真撮影がしばらく続くから、全部のテーブルを回り終えるには30分以上かかりそうだった。その間ずっと続けられるバンドの曲目は、カーペンターズや映画音楽やJ-POPを軽いインストゥルメンタルにアレンジしたものだった。
ピアノ、ギター、ベース、ドラムの4人編成。明らかに、ジャズをベースにしたプレーヤーばかり……と思っていたら、どうも様子が違う。ドラマーだけ、ずいぶんロックっぽい叩き方をしていた。
異変に気づいたのは、2曲目。1曲目では、両手ともマッチドグリップでスティックを持っていたドラマーが突然、右手だけレギュラーグリップに持ち替えたのだ。
「え……なんで右手?」
普通なら、右手はマッチドグリップ、左手をレギュラーグリップで持つのがドラマーの基本。ドラマーは、2曲目でその基本の反対に持った。
マッチドグリップはスティックを上から握り込むような、ハリー・ポッターが杖を持つときみたいなスタイル。レギュラーグリップは、扇子であおぐときのようなスタイル。両手をこのように持つのは、打面が斜めに傾いた鼓笛隊の小太鼓奏者が叩きやすいよう工夫されたからだ――と、前にケンが教えてくれたのを思い出す。
それがそのまま伝統になったから、ジャズのドラマーも右手をマッチドグリップ、左手をレギュラーグリップに持つのがスタンダード。ロックの場合には、両手ともマッチドグリップの人が多い。
とにかく、美里の目の前で演奏しているドラマーは今、普通とはまったく逆のことをしていた。不思議だった。
驚いたのは、それだけじゃなかった。ドラマーは、3曲目を両手ともレギュラーグリップ、4曲目を両手ともマッチドグリップで叩いた。そして、どの持ち方でもリズムが狂ってしまったりすることはなく、むしろ正確に演奏を支えていた。
――この人、いったい何者?
――なんで、1曲ごとに持ち方を変えるの?
美里の目はもう、ドラマーに釘づけだった。ギタリストやピアニストには申し訳ないけど、ドラマーしか目に入らない。
年齢はたぶん、40代の後半か50歳を少し超えたぐらい。ということは、普通に考えればプロになって30年ぐらいの超ベテランのはず。
――こんな結婚式の演奏だからと手を抜いて、本番中に練習してる……?
そうとしか考えられなかった。
――このドラマーの実力を知りたい。本気で叩いたらどうなるか、見たい。
今は披露宴のBGMとしての演奏だから、MAXの20パーセント程度の音量しか出せていない。それが狭い会場で演奏するときの、ドラマー最大の壁……。
――この人の本気を、どうしても聴きたいっ!!
「はい。これにて、新郎新婦が会場すべてのテーブルを回り終えました。ここでお色直しとなりますので、皆さまにはしばらくご歓談のお時間を――」
司会者が宣言したことで、場内には立ち上がる人が増えた。美里は、今がチャンスとばかりにバンドに近づいていき、とりあえずベーシストに話しかけた。
「新婦の妹の遠海美里といいます。今日は素敵な演奏、ありがとうございました」
「いえいえ。今日はおめでとうございます」
いつもホテルで仕事しているらしく、物腰の柔らかい人だった。ベーシストなのに、ちょっと声が高いのが意外だったけど。
「下手ですけど、私もベースやってるんです。これは、何というベースですか?」
「これ? これはケン・スミスっていう、アメリカのやつですよ」
大事に使い込まれていることがひと目でわかる、茶色のベース。前に『Purple Haze』で大空が教えてくれた、「工房もの」のタイプらしかった。
「ちょっと、触らせてもらってもいいですか?」
「どうぞどうぞ。どんどん弾いちゃってください」
そこにあった椅子に座って、ケン・スミスを抱える。初めて持ったのに、すぐに体になじんでくれる感じがした。
「わ! すごく持ちやすいです!」
「うん。ボディーのバランスがいいんですよ」
そして美里は、いきなりスラップを弾いた。あえて複雑なフレーズばかりを。
「いいなあ! 音もすごい!」
「ていうか妹さん、めちゃウマじゃないですか。俺、負けそう……」
ベーシストが困ったような顔をして頭を掻くと、
「すでに負けてるじゃん」
「そうそう」
ほかのメンバーたちがからかった。
美里はつられて笑いながら、ドラマーに申し出る。
「あの……一緒に叩いていただけませんか?」
「お、セッション? いいね、やりましょうやりましょう」
ドラマーはスティックを指揮棒のように振って、「これぐらい?」とテンポを出してくれた。美里は、それに大きくうなずく。
「じゃ、いくよ。ワン、ツー、スリー……」
さっきみたいな「よそ行き」の演奏とは違って、ドラマーは少しファンクっぽいビートで叩いてくれた。美里はそれに合わせて、思いっ切りスラップのソロを展開させる。フレーズの途中に少しでもアクセントをつけると、ドラマーはすぐに雰囲気を嗅ぎ取ってつき合ってくれた。
流れがひとしきり回ったところでアイコンタクトして、エンディング――。
「やっぱり、ドラムが一緒だと気持ちいいですね!」
おでこに滲んだ汗を拭く。
「……いやあ、驚いた。すごいね、君は」
短いセッションを終えると、美里はドラマーと両手で握手した。自分の右手と相手の左手、自分の左手と相手の右手で、同時に。
「ドラムもすごかったです。合わせていただいて、すごく弾きやすかったです」
「とんでもない。強烈なベースに引っ張られただけですよ」
ドラマーとふたりで話してる横で、ベーシストが「もうやめてね。俺の立場がなくなるから」とジョークを言って周囲を笑わせた。
「失礼ですけど……お名前、教えていただけますか?」
ドラマーに聞いた。
「僕? 土屋です」
「土屋さん。姉の結婚式で素敵なドラマーとセッションできて、いい記念になりました。ありがとうございました」
「そんな、そんな……」
照れ笑いする表情が、子どもみたいだった。ピュアな人だと思った。
「それで土屋さん。ちょっとお聞きしたいことがあるんです」
「はい?」
「さっきから、ずっと疑問だったんですが――」
「?」
「あなたはドラマーじゃなくて、本当はギタリストじゃないですか?」
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